日本建国と聖徳太子 その1
日本建国を考えた際、日本人はどこからきて、そしてこれからどこへ行くのか、国際社会における日本人としての役割を考える必要がある。
日本という国は聖徳太子が中国の皇帝に上奏した手紙で、日本の建国を宣言したといわれている。これはそこから日本という国が始まったと私は解釈している。そして国名も倭から日本となり現在に至る。日本という国を語る上で必要なのは、名前が変わらず1000年以上も同じ国名を使用しているところはじつはとても珍しく、他国に占領されたり、王が変わり名前が変わるというのはよくあることでその中で1000年以上も同じく国名を使用している日本というのはとても特殊な部類に属する。(中国や朝鮮などみても歴史の教科書で習ったとおりころころ国名が変わっている)
そして聖徳太子が17条の憲法を作成し、日本の基礎を作りいまにいたる。
実はこの17条の憲法というものはとても画期的なものであり、その内容は人間の善意に基づいた民主主義の書で西洋で同じようなものが作成されるのは約600年後(1215年、イギリスでのマグナカルタ)のことであり、古代日本にはすでに高度な法的基礎が出来上がっていた。
いったいその時代の日本をだれがつくったのかとかんがえるといろいろと面白いことが伺える。
日本はもともといろいろなひとが海をわたってやってきた。710年に誕生した奈良の都平城京は唐の長安に習ってつくられた日本初の本格的な大都市であり、このときすでに大王は天皇、倭は日本となり国家としての枠組みはすでに整っていた。
この奈良の都についてほとんどの人は肌の黄色い日本人が歩いていると思われてがちだが、じつはそうではなく、大半の人が渡来してきた人で肌の白い人や褐色の人、堀の深い人などのさまざまな人種がごった返していたそうで、奈良の南部、いまの奈良県高市郡の住民やく80%が渡来人だったという記録がある。
これは7世紀に朝鮮半島にて戦乱が起き、そこから逃げ出すために日本にやってくる人がたくさんいたらしい。
とても興味深いものに聖徳太子はじつは日本人ではなく、この渡来人のひとりではないかという説がある。
しかもキリスト教徒だという。
この説にはとても信憑性があり、もともと日本書記などの日本の神話というものは北ヨーロッパに北欧神話や旧約聖書をパクッて混ぜ合わせ、さらに日本独自にアレンジしたものとおもわせる節がある。
そのひとつに聖徳太子の出生とイエスキリストの出生するときの内容が酷似しているというものがある。
聖徳太子は馬小屋で生まれ、厩戸皇子といわれ、同じくイエスキリストも「マリアがキリストを馬小屋で産んだ」とされています。馬小屋でうまれた有名人は世界中をさがしてみてもこの二人しかおらず、時代背景からして聖徳太子伝説がキリストの出生をコピーしたと推測される。
それ以外にも聖書における「ルカ伝」1章26節~2章21節までのイエス誕生物語がそっくりそのままの順序で聖徳太子誕生物語として掲載されている。
日本を渡った渡来人の中にキリスト教徒がいて日本ではすでにキリスト教が布教されていたという説がある。シルクロードをとおり、中国では景教としてキリスト教が伝われていたのは2000年前、だから渡来人により西暦200年ころにはキリスト教がすでに日本に布教されていた可能性は十分考えられる。
空海が唐より勉強し、日本にもってかえってきたものはじつはキリスト教で(中国では景教という)証拠に高野山ではお坊さんたちが十字をきる。
なんだかんだで1549年、フランシスコザビエルが日本にやってくる。このときザビエルは日本人がすでにでうす(ゼウス=神)を知っており驚いたといわれている。






