テーマ:日本を良くしよう!論
2005年07月22日(金) 12時00分20秒

日本建国と聖徳太子 その3

最近「世界で一番受けたい授業」で聖徳太子は実在しなかったのではないか?という授業をやっていた。

それは聖徳太子があまりにも人間離れした存在であったためにそのような学説がでてくる。しかも日本の古代の歴史というのは740年ほどに「日本書記」などに代表される文献は後の時代になってから編集されたのでその時の権力者が自分の都合のいいように歴史を改ざんしたかのうせいだってあるわけだ。飛鳥時代とはどのようなものなのか、いろいろ書いたが真実をみきわめるのは難しい。


聖徳太子というのは日本を形作った渡来人たちが象徴のようなものとしてつくりあげたような気がする。この人が日本をつくった、と後世の世に伝えるために、そして自分たち(渡来人)は国家として中国と対等にむきあえるようになるまで国づくりをし、その象徴として日本で生まれ、この人がつくったんだぞとスーパーマン聖徳太子をつくったとしてもおかしくないと思う。

証拠にキリストの出生をパクッているし、前回も書いたが、馬小屋で生まれたヒーローはキリストと聖徳太子しかいない。それいがいにも聖徳太子の偉業のなかでも公平な世の中に、みんな仲良くしなさい、みたいなものは聖書からきているものが多いらしい。


大和朝廷時代に見られる仁徳量古墳や飛鳥時代に代表される建築物はもともと日本に住んでいた人たちのオリジナルな技術でないことは歴史で習った。それらの人たちはもともと朝鮮や中国にいたひとたちであり、たぶん争いや抗争などがあり、新天地である日本を訪れ、一緒に国家を形成していった。そのときやはり渡来した人たちはこの国を中国や朝鮮に負けない国にしたいと思ったとしておかしくはないだろう。


そのとき、自分たちは脇役でいいから日本オリジナルなヒーローを誕生させるために聖徳太子がつくられたのだと、僕は思う。


悲しいことにその後大化の改新で蘇我氏が滅ぼされ、藤原氏の時代が始まったとされているが、実は蘇我氏も物部氏も聖徳太子を作った人たちみんな仲間であり、渡来人の天下だった飛鳥時代にもともと日本に住んでいた人たちは反乱を起こしたとかんがえたらどうだろうか?

そうすれば聖徳太子キリスト教説もつじつまがあうし、その後大化の改新のような革命により渡来人勢力が一掃され、新しい国の指導者が政治と仏教が結びつけ、戦後日本のような洗脳教育を行い、日本は仏教の国だということになってもおかしくはない。


このテーマについてなにがいいたいのかというと、これまで日本を作ってきた人たちはいろいろな人が出てくるがみなとてもエネルギッシュだったということだ。この時代にはニートやフリーターなどはいなかっただろうし、国の指導者はどうすれば日本をよくすることができるのか良く考え、頑張って日本という国をつくってきた。

その日本という国を私たちの代でつぶしてしまってもいいのか?という話になる。アメリカや中国におしつけられた自虐的な戦後の歴史をみるのではなくて、日本という国はとてもすばらしい、ほかの国に負けないくらいとても完成度の高い長いでんとうてきな文化をもったすばらしい国であるということをいいたいのだ。


国の指導者は現状維持を目標にするのではなく、どうすればいまの日本の問題点をかいけつできるか?そしてどうすれば日本という国を世界一すばらしい国にできるのか?それだけ考えればよいのではないかと思う。


ネタばれ↓聖徳太子シリーズ、この本を参考に記事書かせていただきました。ほかにも空海や最澄、親鸞など日本仏教の真実が語られています。日本の歴史はおもしろい!!

次は日本書紀と北欧神話のつながりでもかこうかな?


ケン・ジョセフ
失われたアイデンティティ

日本の歴史↓天皇のこと、英語でエンペラー。

登 龍太, 中島 博司
倭人の社会―弥生・古墳時代
登 龍太, 中村 修也
女帝の世紀―飛鳥・奈良時代

amazon書籍で一位になっていました。話題の一冊です。↓

マンガ嫌韓流
テーマ:日本を良くしよう!論
2005年07月22日(金) 01時07分50秒

日本国建国と聖徳太子  ちょっと番外編。

最近更新さぼっていました。それなのにこのブログを見てくれている方々、読者登録しているかた、ほんとうにありがとうございます。最近ちょっとネタ尽きぎみなんで勉強して面白い記事かけるようにがんばりますね。


さてこの聖徳太子シリーズも3回目、ちょっと番外編。なぜ経済ニュースを発進しているのに聖徳太子がテーマなのかというと、日本人について考えた場合、自分がなにものなのか分からない人が世の中にはおおいとおもったからです。


たぶんほとんどの人ははある程度くずれてきているとはいえ、いい会社に入り、会社のしいたレールにのって、バブルがはじけた今、転職もするだろうと思うけれど、あまり楽しくない仕事をこなして60歳くらいまで働いてあとは年金もらうなり、もっと働いてお金もらうなりという人生すごろくの上にいると思う。


たとえば今仕事をやめたとして、選択肢は「ハローワークにいってまた仕事さがさなきゃ。」という選択肢が大多数だと思う。いまの日本の悪いところとして、会社員が安定しているという幻想を抱かせているところだと思う。派遣会社に勤めている人は正社員になるのを目標に頑張っており、では正社員の人はなにを目標にがんばっているのだろう?そして自分がいま生活している中で仕事をやめたときにのこっているものはいったいなんなんだろうか?


僕が思うに会社で働くことは社会に貢献すると同時に自分の体なり頭なりを提供し、それと同時に少ない賃金をもらう。たぶん人間がいきていくうえでなにかを社会に提供しなければ生きていけないのだと思う。

自分の体や頭を提供できない人は血や皮膚、そして売春などで体を提供し生きていく。

勉強をすれば頭を使った仕事に就ける。ただ、なにについて勉強するかが大事なのだが。


話はそれているがなにがいいたいのかというといまの日本人は何をしていいのかわからずただ、ショッピングセンターがオープンしただの、携帯の新機種がでたから変えなきゃとか、目先のことしか考えて折らず、5年後、10年後の未来のことを考えている人はあまりいない。それは政府自身が5年後、10年後のことをかんがえていないからで、国のマネージャーがなにをしていいのかわからないので国民もどのよいな思想をもって日本国に貢献していいのかわからないのだと思う。


高度経済成長時代はただ、ヨーロッパ、アメリカに追いつけ、追い越せをスローガンに一心不乱に働いた。目標にむかって一直線だった。のだろう。しかし日本の経済力が西側諸国と同等になり、目標が消えうせるとなにをしていいのかわからない。1970年代に経済力が落ち着いたら目標をもって、たとえばもう日本は自分たちの防衛力でやってけるのでアメリカ軍がでていってくださいとか、官僚主体の経済発展はおわりにして、本来の資本主義をとりいれたり、なんていうかもっと世界中の経済学だの情報力だの、日本にないそして日本を発展させるすばらしいものをどんどんとりいれるべきだったのだと思う。


フリーターやニートが多いのは今の暮らしに満足している証拠だと思うし、それで生活できているからそれでいいという、いまがよければいいや、という考え方の典型だ。と思う。


いまがよければいい、という考え方では経済発展はしない。いろいろ考えて挑戦する気持ちみたいなものが大切なのではないだろうか?マスコミの仕事として、ニュースがアナウンサーと飲んでいたとか報道することは視聴率が取れてよいことだと思うが、別枠を設けてもっと真剣にこれからの日本について真実を国民につたえるべきだ。


こういう時代だからこそ日本人は原点にかえり、なぜ聖徳太子が倭国改め、日本にしたのかを考えるべきだ。

まだ重たい問題集を持ち歩いていますか?
電子辞書、電子書籍が誕生する世の中。問題集も携帯電話で代用。
新しい学習の形=モバイルラーニング。
いつでもどこでも気軽に楽習。

テーマ:日本を良くしよう!論
2005年07月15日(金) 09時50分33秒

日本国建国と聖徳太子その2

前回聖徳太子は実は渡来人であり、キリスト教徒である、と書いた。 たぶん「なにを根拠にそんなことを言っておるのだ?」と思っている人がおおいと思う。


もともと大和朝廷時代の古墳など、渡来人によりその土木技術が伝えられた。と、ここまではマンガ日本の歴史などにも書いてある。


ではなぜ?わざわざ船を出して島国の日本にきたのだろうか?その時代(約1600年前くらい)日本は200年前くらいのアメリカのように未開の地だった。その土地、極東の国にヨーロッパ、中東、中国や朝鮮など迫害された人たちが希望をもってこの国にやってきた。それらの人は高度な文明をもっていたので当時倭という国だった日本にその技術を提供し、昔からすんでいた倭国の人と一緒にその後の日本を引っ張って国をつくった。つまり日本の基礎はその渡来人たちがつくったというわけだ。


さらにその後7世紀に入ると朝鮮半島で動乱がおき、それまでまで拮抗していた百済、新羅、高句麗の三国のバランスが崩れ、新羅が朝鮮半島を統一し、当時百済と結びついていた日本に百済よりどっと渡来人たちが押し寄せてきた。これは「日本書記」にも「百済、新羅の人が日本を慕ってやってくる人が多かった」などの記述されている。それらは建築技術者のみならず、一般の人や、学者などいろいろな人が帰化し、平城京はあっという間に国際都市に発展した。


聖徳太子がなぜ渡来人だと言えるのか?その根拠としてその時代に残された17条の憲法の原文が正確な漢文で書かれていたおり、この時代にそのような漢文が書けるのは日本にずっといる土着民が書いたとは考えにくいからだ。さらに日本の仏教というのはほかの国の仏教とはまったく違い、それはキリスト教の教えもふくまれているらしい。

その証拠に本来仏教には慈母観音(赤ん坊を優しく胸に抱く慈母の像)なるものがあるが、しれはキリスト教における聖母マリアがキリストを抱く姿にそっくりだという、さらに観音像なるものがあるが、本来仏教では女性が仏になるためには一度男性に生まれ変わらなければならない(これを変性男子という。)なるものがあり、観世音菩薩のように女性の菩薩というのは仏教上ありえないことだ。


渡来人の影響は日本語にも影響を与える。平安時代、ひらがな、かたかななるものが吉備真備により発明されたとあるが、不思議なことにこのかなというものは古代ヘブライ後にそっくりらしい。一例としてヘブライ語でコカコーラと書いたときとカタカナでコカコーラと書いたとき、文字はおろか、発音までいっしょになるらしい。つまり、ここでもその渡来人たちが漢字にあわせて、その適切な言葉を発明したとしてもおかしくはない。かなを発明した吉備真備でさえも渡来人である可能性がまったくないわけではない。


話は聖徳太子にもどるが、大子のいた600年代、宗教における紛争みたいなものがあったのだと思う。当時高貴な人間を弔う債、墓に葬る前に鎮魂の儀を行うのが普通でした(もがりという)しばらくこの儀を行い、それから墓に入れられるわけだが聖徳太子に関してはまったくそのような儀式が行われず、その月に墓に葬られている。じつは聖徳太子は暗殺されたのではないかと思う。


なぜなら太子が死んだあとすぐに蘇我氏の後継者蘇我入鹿は太子の子、山背皇子とその一族を襲い、全員自決に追い込んでいる。このために暗殺されたのではないかというわけだ。


これにより、太子の信仰していたキリスト教に(景教)に変わり、その後仏教信仰は蘇我氏が神教の物部氏と戦い、勝利し神教を吸収した仏教が出来上がった。ここいらへんから日本は仏教の国だとなったのだと思う。つまり古代日本にもこのような宗教戦争があり、それに勝利したものが歴史をつくっていったのだ。


歴史が変われば日本は極東のキリスト教の国だったのかもしれない。ただ、権力と宗教が混ざったとき、ろくなことはおきていない。

                                      続きます   

テーマ:世界状況
2005年07月11日(月) 11時05分33秒

フランシスコザビエルは日本にキリスト教があると知り、驚いた。

よくNHKでシルクロードのたびというのがやっているが、シルクロードはよく仏教遺跡をまわっているイメージがあるが、じつはそれはほんの一部であり、さまざまな宗教や文化、民族、いろいろな人種などさまざまな人たちが行き来していた。

前回、聖徳太子がキリスト教だった。と書いたが(17条の憲法における仏法をあつく敬えというところは実はあとから付け加えられたというせつがある)このキリスト教もシルクロードに乗り、朝鮮や中国から日本に伝わったという可能性がある。


キリスト教、キリスト教とかいているが僕は別にキリスト教徒ではない。この場合におけるキリスト教というものはカトリックだとかプロテスタントだとかを指すのではなく、ただ従順にキリストの教えを受け継いだ人たちがその考えを述べ伝えたものだとかんがえる。「人に優しくしなさい」だとか「神様を信じてまじめに生きなさい」だとかそういう人間にとって当たり前の考えを布教しており、その教えを受け継いだ人たちが日本にやってきて、日本国の基礎を作った。らしい。

中東で生まれたものが東と西へわかれ、西では教会による暗黒時代が始まり、教会は政治権力と結びつき腐敗堕落し、キリスト教の本来の教えとはまったくそぐわないものになり、キリスト教本来の活力は失われていく。


宗教というものは人の心をひとつにし、人があつまればとても大きなものになる。

これはとてもすばらしいことだけど、とても怖いものだ。どっかの宗教団体はお布施をとって立派な建物を建てているが、本来、宗教とは立派な人がその教えを述べ伝えるものであってりっぱな寺や教会をつくることではないと思う。宗教というものを考えた際、企業もひとつの宗教だと昔、記事を書いた。

本来、宗教とはお金儲けではなく慈善事業だと思う。現代日本でもキリスト教を布教している人で家を一軒、一軒まわっている人を見受けられるが、社会に奉仕している人たちはいったいどれだけいるだろう?


宗教の話から思いっきり飛んでしまうが、日本の公務員とはいったいなんだろうか?マスコミの影響も大きいし、はめられた公務員 なる公務員擁護の本も出ているが、もともと国民に奉仕したい人たちがやればいい。ボランティア団体がお金をもらえないから手を抜いているという話は聞いたことはない。


ボランティア団体に補助金を出すようにして公務員の給料を半分にすればいい。(役所なんてあんなにひとは入らないと思うし、あれだけの人がいるのに振込まれるお金がなぜ半年後とかになるのかわからない。)そして人がたりない分をITを駆使して自動化をすすめるべきだ。


そうすれば大増税なんてしなくったってすむのとかんがえるのは私だけだろうか?


もっと人と人が向き合える、本来の日本人に戻り、お互いに助け合えばことはすむのではないだろうか?もともと日本は奈良の平城京に代表されるように国際人だったのだから、良いものをどんどん取り入れ、自分のものにしていく。そして日本初の文化や製品などを世界中に発進し、ついでに憲法9条を改正なんていわないでアメリカに逆輸入し、その戦争反対の意識を中国やロシア、韓国などに発進すべきだと思う。


それができないのであればとっとと改正して日本も核武装して普通の国になるべきではないか?ただ、ふつうの国では国民はいい暮らしをしていない。それはアメリカを見れば一目瞭然、アメリカのようになりたくなければ憲法9条の考えをアメリカに伝えるのもひとつの手段だと思う。日本は日本、アメリカはアメリカであり、もともと文化が違う。自分がなにものか?どこからきたのか?良く考え自分の生きる意味を理解し生きるべきだと思う。日本人ということについて日本人はもっとかんがえるべきだと思う。

テーマ:日本を良くしよう!論
2005年07月11日(月) 10時05分14秒

日本建国と聖徳太子 その1

日本建国を考えた際、日本人はどこからきて、そしてこれからどこへ行くのか、国際社会における日本人としての役割を考える必要がある。

日本という国は聖徳太子が中国の皇帝に上奏した手紙で、日本の建国を宣言したといわれている。これはそこから日本という国が始まったと私は解釈している。そして国名も倭から日本となり現在に至る。日本という国を語る上で必要なのは、名前が変わらず1000年以上も同じ国名を使用しているところはじつはとても珍しく、他国に占領されたり、王が変わり名前が変わるというのはよくあることでその中で1000年以上も同じく国名を使用している日本というのはとても特殊な部類に属する。(中国や朝鮮などみても歴史の教科書で習ったとおりころころ国名が変わっている)


そして聖徳太子が17条の憲法を作成し、日本の基礎を作りいまにいたる。

実はこの17条の憲法というものはとても画期的なものであり、その内容は人間の善意に基づいた民主主義の書で西洋で同じようなものが作成されるのは約600年後(1215年、イギリスでのマグナカルタ)のことであり、古代日本にはすでに高度な法的基礎が出来上がっていた。


いったいその時代の日本をだれがつくったのかとかんがえるといろいろと面白いことが伺える。

日本はもともといろいろなひとが海をわたってやってきた。710年に誕生した奈良の都平城京は唐の長安に習ってつくられた日本初の本格的な大都市であり、このときすでに大王は天皇、倭は日本となり国家としての枠組みはすでに整っていた。


この奈良の都についてほとんどの人は肌の黄色い日本人が歩いていると思われてがちだが、じつはそうではなく、大半の人が渡来してきた人で肌の白い人や褐色の人、堀の深い人などのさまざまな人種がごった返していたそうで、奈良の南部、いまの奈良県高市郡の住民やく80%が渡来人だったという記録がある。


これは7世紀に朝鮮半島にて戦乱が起き、そこから逃げ出すために日本にやってくる人がたくさんいたらしい。


とても興味深いものに聖徳太子はじつは日本人ではなく、この渡来人のひとりではないかという説がある。

しかもキリスト教徒だという。

この説にはとても信憑性があり、もともと日本書記などの日本の神話というものは北ヨーロッパに北欧神話や旧約聖書をパクッて混ぜ合わせ、さらに日本独自にアレンジしたものとおもわせる節がある。


そのひとつに聖徳太子の出生とイエスキリストの出生するときの内容が酷似しているというものがある。

聖徳太子は馬小屋で生まれ、厩戸皇子といわれ、同じくイエスキリストも「マリアがキリストを馬小屋で産んだ」とされています。馬小屋でうまれた有名人は世界中をさがしてみてもこの二人しかおらず、時代背景からして聖徳太子伝説がキリストの出生をコピーしたと推測される。

それ以外にも聖書における「ルカ伝」1章26節~2章21節までのイエス誕生物語がそっくりそのままの順序で聖徳太子誕生物語として掲載されている。


日本を渡った渡来人の中にキリスト教徒がいて日本ではすでにキリスト教が布教されていたという説がある。シルクロードをとおり、中国では景教としてキリスト教が伝われていたのは2000年前、だから渡来人により西暦200年ころにはキリスト教がすでに日本に布教されていた可能性は十分考えられる。

空海が唐より勉強し、日本にもってかえってきたものはじつはキリスト教で(中国では景教という)証拠に高野山ではお坊さんたちが十字をきる。


なんだかんだで1549年、フランシスコザビエルが日本にやってくる。このときザビエルは日本人がすでにでうす(ゼウス=神)を知っており驚いたといわれている。

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