神旅 仏旅 むすび旅

人の心は常に脚光を浴びるものに傾く。その中で本来のものを忘却していく事は歴史の中で繰り返えされてきました。日本の歴史財産である神社仏閣もそうです。巡礼をつづけると歴史の忘却したものに出会うことがある。その忘却した記憶を拾い集めています。


テーマ:
ブログ☞八幡神の謎





秦氏と仏教


▶中国人が住むという「秦(はた)王国」
『隋書』倭人伝である。608年、小野妹子は隋使・裴世清を伴い、帰国した。裴世清は、筑紫から瀬戸内海に入ったとき、中国人が住むという「秦王国」の存在を知らされる。
「秦王国」とは、渡来帰化人の秦氏が多く住んだ豊前の地(現在は福岡・大分両県に二分される)のことであった。秦氏は、秦の始皇帝の流れを汲む氏族で朝鮮経由で日本に渡来した、と自称している。

ブログ☞秦氏



▶仏教公伝以前にすでに豊前(秦王国)には仏教が入っていたという。

「七~八世紀の画師、画工」
「七~八世紀の金属関係諸工人」
「七~八世紀の漆工、石工、土工、木工、瓦工関係者」
として秦氏系の名前が挙げられている。

飛鳥京と斑鳩京の中間にある田原本や川西地方に集団で植民しており、「太子道」に張り付くように寺院や神社や古墳も持っていた。秦楽寺、糸井神社、島の山古墳などがそれである。
ブログ☞奈良田原本「太安万侶」「鏡 織物 雅楽の聖地」訪れる

秦氏は、太子の側近中の側近であった秦河勝を筆頭に、斑鳩京の宮殿、寺院、道路の建築、池、水路などの灌漑施設の建築の際に、財政的、技術的に大きく支援した。

法隆寺の建築に関わった工人にも秦姓の名が幾人か記されてある。
聖徳太子七歳像には、「仏師僧円快」「絵師 秦至貞」と銘文がある。
中宮寺が所蔵する、飛鳥時代(7世紀)の染織工芸品の製作責任は、椋部秦久麻は秦氏の出身と考えられている。


▶秦氏の宮殿建築技術者
「上宮聖徳太子伝補闕記の研究」吉川弘文館 によれば
天平14年(742)には秦下嶋麻呂が、造宮官人として恭仁京(くにきょう、くにのみやこ)の造宮で重要な役割を果たし、従四位以下の造宮輔にまで昇格している。

神護景雲3年(769)には秦倉人砦主が秦忌寸の氏姓を賜っている。

延暦3年(784)、葛野群人の秦忌寸足長が、長岡京の造営に際して従五位上に昇格。
同じ年に、秦忌寸都岐麻呂が、造宮少工の位を授かっている。

▶秦氏の寺院建築技術者
神護景雲には、秦忌寸真成が、造法華寺判官に就任し、同年に造東大寺工手の秦姓綱麻呂が秦忌寸の姓を賜っている。
延暦年間には、秦都岐麻呂は、造西寺次官に就任している。


▶秦氏の画工司
加藤謙吉によれば、
八世紀には中務省に絵画・彩色を担当する画工司があり、64人が所属しそのうちの18人が秦氏であったとされる。
天平年間、勝宝年間には、画工として秦忌寸牛養、秦稲守、秦虫足。画師として、秦堅魚、秦竜万呂、簀秦画師千嶋などの名がある。
画師にこれほど進出できたかは、彼らが彩色に使われる朱砂、水銀の採取、精錬、交易に深く関わっていたからだとされる。


▶金属工
平野郁男によれば、
山背葛野郡人造東大寺司の鋳工として、秦常大吉、秦船人銅工として、秦物集広立、
造石山院所御鏡の鋳工として、秦乙万呂、秦仲国
彼らの出身をたどれば、新羅系の金属製馬具製作者が考えられ、鞍部の馬具から寺院や古墳の金属製品、仏具製品にあたったのだろうという。






秦氏系の赤染氏


▶赤染氏は、豊前国の香春神社の祭祀を司った氏族で、同族の辛島氏が宇佐八幡宮の祭祀氏族です。
平野邦雄氏は、秦氏の研究で赤染氏は秦氏と同族、または同一の生活集団を形成した氏族で、おそらく新羅系帰化人と思われ、常世信仰の母体をなしたと想定出来ようと述べている。



▶日本書紀には、
天武天皇が吉野を脱出して伊賀から鈴鹿へ至ったとき、従う人々のなかに“赤染造徳足”(アカゾメノミヤツコ トクタリ)なる人物が見える

▶『続日本書紀』によると
聖武天皇・天平19年(747)8月23日 
「天皇は、正六位上赤染造広足・赤染高麻呂ら9人に常世連の氏姓を賜る」

孝謙天皇・天平勝宝2年(750)9月1日 
「正六位赤染造広足・赤染高麻呂ら24人に常世連の氏姓を賜る
(同一人物に2度にわたって記されているが、後者・孝謙朝が史実ではないかという-日本の神々3所載・常世岐姫神社・2000)

光仁天皇・宝亀8年(777)4月14日 
「右京の従六位上・赤染国持ら4人、河内国大県郡の正六位上・赤染人足(ヒトタリ)ら13人、遠江国蓁原郡の外八位下・赤染長浜、因幡国八上郡の外従六位下・赤染帯縄ら19人に常世連を賜う」

とあり、8世紀中頃に“常世連(トコヨムラジ)”の氏姓を賜って改姓し、その後、右京・河内・遠江・因幡など各地の赤染氏もまた常世連の氏姓を賜ったという。


▶大阪府八尾市神宮寺(じんぐうじ)は、古代に朝鮮半島から渡来したとされる染色技術者集団(品部)の赤染部(あかそめべ)の本拠地で、常世岐姫神社は常世氏が祖神を祀ったものとされる。『延喜式神名帳』にある「常世岐姫神社(河内国・大県郡)」に比定される。
赤染とは、茜染めのことで、赤染氏が伴造としてこれらを管理していたという。
赤染氏は、中国の三国時代に遼東地方で勢力をなした公孫氏の末裔とされる。


▶また『太宰管内志』承和7年(840)正月十七日
「伝教法師最澄、入唐を前に豊前国田河郡において、赤染連清(あかぞめのむらじ・きよし)を檀越として法華経を納めるため堂を建てる」
ブログ「八幡神の謎⑯~天台宗の開祖最澄~」で書きました☜

赤染氏は、他国でも活動していた。しかし、赤染氏本流は豊前にいたことがわかる。


赤染氏は、渡来の新羅の神、秦大国の香春神社の神職である。また、八世紀の霊内官司の中に、赤染佐弥万呂、赤染古万呂の名があり、染色工や画工は赤染氏の分流であった。赤染氏は、なぜ?常世連の氏姓を賜ったのか?



▶聖武天皇・天平19年(747)8月23日に赤染氏が常世連の氏姓を賜ったとあるが、聖武天皇といえば奈良の大仏であり、常世連の氏姓を賜った1ヶ月後の9月25日には大仏の鋳造が開始されている。
のちに孝謙天皇・天平勝宝2年(750)9月1日 に24人の赤染氏が常世連に改姓しているが、この2年後には大仏の開眼供養がおこなわれており、赤染氏が大仏鋳造に関与した事が示唆され、この大仏鋳造には水銀中毒で多くの死者が出ている。


ブログ☞⑨「鉱山」を守る神仏〜奈良の大仏からみえてくるもの〜
聖武天皇は
「菩薩の大願を発(おこ)して盧舎那仏金銅像一躯を造り奉る」ことを発願し、そのためには「国銅を尽して象を鎔(とか)し、大山を削りて以て堂を構へ」、つまり、国じゅうの銅を溶かして大仏を造り、山を削って大仏殿を造ると言っている。


▶747年 大仏鋳造にあたって聖武天皇は、
宇佐八幡神に使いを遣わし大仏造立の成就を祈願した。これに対して八幡神は、「我天神地祇(てんしんちぎ)を率いいざないて、必ず成し奉らん。銅の湯を水とし、我が身を草木土に交えて障(さわ)ることなくなさん」との託宣を下し、大仏造立を助成することを誓ったという。




錬金術と不老不死


ブログ☞神社や寺は宝の山を守っている?
ブログ☞霊山と修験道と道教~聖地に道仏教が入ってくる

【古墳時代の人にとって、朱の呪術・朱への畏怖の念はすこしずつ消え始め、やがて錬金術(煉丹術 )であるアマルガム鍍金の全国展開が辰砂受容を増大させる。

金・水銀は仏像鍍金には不可欠な金属で、水銀鉱である辰砂の発見は古代山師にとっても重要な任務であった。特に国家事業としての盧舎那大仏造立には、辰砂探索の必要性は貴族の中でも万葉集として記録されている。
古代中国では皇帝が身につけるものあるいは皇帝に関わるものには最高位の純朱が用いられ、それは辰・綿の二州から産出する上質朱砂を磨った天然水銀朱であった。古代中国の赤色位階は日本へも伝わった。伊勢産を含めた水銀や朱砂が交易品として中国にも輸出されていた。】




金属器の生産と在来の宗教哲学、神仙思想は不可分な関係にある。金属の変化する過程においてその思想は西洋でもそうですが、東洋では、中国道教の錬金術となる。道士は鍛冶師であり、自ら製品をつくる事も要求されていた。「火を使い操り、金属を変化させる」その神秘性が後の時代に、精神の変性を重んじるようになっていく。





ブログ☞古代中国道教とは
卑金属を貴金属に変える力を持つ不老不死の霊薬「エリクサー(賢者の石)」の製造などを目的とする西洋の錬金術とは共通する部分も多いが、西洋の錬金術がどちらかというと金を作ることを主目的としていたのに対し、煉丹術は昇仙と不老不死を主目的とする。『抱朴子』の仙道の教えは、俗界を離れた山中で「六一神炉」と呼ばれる一種の溶鉱炉を用いて金丹を製造する錬金術に重点が指向されるようになる。

中国古代の神仙思想より発展した道教の長生術の一部をなす煉丹術は、外丹と内丹に分かれ、外丹術は金石草木を服用する「服食」と呼ばれる古代の神仙方術のひとつの発展形である。初期は草木中心の仙薬であったが、次第に鉱物から人工的に合成したものを不老不死の丹薬として重視するようになり「外丹術」が発展していった。

辰砂(丹砂)から作られた薬を服用して不死を求めるという発想が生まれた背景には、辰砂は鮮やかな赤褐色を示すため、その色が血液につながるという思想があったものと思われる。また、「極上の辰砂(丹砂)を得、これを5年の間服用して空を飛ぶことができるようになった」などの信仰もあった。

☞丹砂を求めて
丹砂(朱砂(硫化水銀))これは昔から木材の防腐剤として使われてきた。
海人族はこれを船に使用した。船に必要だから山に行ったのである。
倭人は前身に「朱」を塗っていたという。
神武天皇が熊野から吉野へ巡幸した際、「井戸の中から体が光り尾のある人が出てきた」
吉野の井光神社の井戸は、地元でここを「血の池」と呼ぶ。朱砂の「朱」の色だった。
金剛峰寺は大水銀鉱脈の上に立地している。
丹砂を熱すると水銀になる。

「水銀」=「朱」古代人は、真っ赤な色をよみがえりの色として神聖視した。
古墳の内部を真っ赤に彩色したり、遺骨を赤く塗るのは、死者が蘇るのを願ったからである。
朱色は、歴史的に中国では高貴さの象徴とされ、歳月によって変色や消滅しないため黄金の不変色と同様、不老不死を希求する人たちに瑞祥の色として愛用された。
朱の色は自然界の辰砂(硫化水銀)によるものであり
古代の宮殿や神社仏閣に多く用いられ、魔力に対抗する色ともされていて、朱の原材料は水銀=丹です。
これは昔から木材の防腐剤として使われてきた。
朱色は生命の躍動を現すとともに、古来災厄を防ぐ色としても重視されてきました。このため古くは御殿や神社の社殿などに多く用いられており、稲荷神社の鳥居の朱色もこの影響


▶錬金術
葛洪は『抱朴子』「金丹篇」で、丹砂を加熱すると硫化水銀が還元されて水銀を生じ、水銀に硫黄を反応させるとまた丹砂に還るという循環的過程に永遠性を見出し、これを不老不死と結びつけている。
なお、水銀が丹砂に還ると葛洪が述べているのは、丹砂に似た色を呈する酸化水銀への変化とも言われる。酸化水銀は、水銀を空気中で沸点近くまで熱することにより得られ、これをさらに高い温度まで加熱すると水銀と酸素に分解する。古人にはこの過程が、丹砂が水銀へ、水銀が丹砂へと何度でも変化し、元に戻るかのように観察されたと考えられる

金丹には水銀化合物や砒素化合物が含まれ、強い毒性があったと考えられる。煉丹術の流行により水銀や水銀化合物を服用して逆に命を縮める人が後を絶たなかった。少なくとも6人の唐の皇帝が水銀中毒で死亡したことが清代の趙翼の著『二十二史箚記』巻19新旧唐書 唐諸帝多餌丹薬に述べられている。不老不死を望んでいた秦の始皇帝もそれによって死期を早めたという説もある。

こうしたこともあってか、宋代には鉱物性の丹薬を作る外丹術は衰退し、唐代より次第に重んじられるようになった内丹術が主流となった。


☞日本の錬金術
葛洪の『抱朴子』「金丹篇」
魏伯陽の『周易参同契 (しゅうえきさんどうかい)』
これらの、中国の錬丹術(不死の薬を作る秘術)のテキストに説く錬金術の理論と実践は、古代の本に極めて早くから持ち込まれてきていていたといいます。
『古事記』の神生み神話や、奈良の石上神宮の宝蔵されている七支刀の「鉾の形をした刀身の左右に互いに違いに三本ずつ枝刀がつきでており、鉾の部分の刃と合わせて七本の刃を持つ形状」も錬金術理論と密接な関連を持つと考えられる。





ブログ☞八幡神の⑲~日本に錬金術が伝わっていた~
香春岳を祀る香春神社は、「灰白色の輝く」香春岳が神体山として仰がれる。
豊前、田川の香春(かわら)郷。『豊前国風土記』によると、昔、新羅の国の神が海を渡って、この河原に住んだという。「鹿春(香春)の郷の北に峯あり。頂に沼あり。黄楊樹(つげのき)生ひ兼、竜骨あり」とある。竜骨が道教の石薬の一つ。道教では不老不死の仙薬とされた。
そしてこの石薬の最高級は『抱朴子』の中の最も重視する「金丹」で、この「金丹」の製法・効能などを書いたのが『抱朴子』金丹篇にも引用されている『金丹仙経』『太清丹経』『太清神丹経』『金液丹経』などで、『太清神丹経』『金液丹経』は藤原佐世の『日本国見在書目録』にも著録されており、
869年、藤原良房らが撰録上進した『続日本書紀』(850年)三月の条の記録によると
「金液丹ならびに白石英を服せんと欲」された淳和天皇は、「衆医の之を禁じて許さなかった」
にもかかわらず、「強ひて服して、遂に疾(やまい)ひ愈ゆるを得」たとあります。


赤染氏は(丹生)水銀に関わる。
豊の国が水銀産地であり、赤染氏が祭祀する香春神社の神体山の鷹の巣金山や百舌鳥原金山で水銀を採取していた。

大和水銀鉱山のある宇陀の地は、少なくとも七カ所の水銀鉱坑 をもつ、宇陀地方の辰砂採取は4、5世紀代に遡れるが、坑 道採掘は水銀の需要の増大する6世紀後半に秦氏の活躍によって開始され、辰砂は丹生氏に変わり秦氏が官掌した。
大神比義は、宇陀の出身である。





▶【常世の国】大辞林 第三版の解説によると
①古代人がはるか遠隔の地にあると信じていた国。 「たぢまもりを-に遣はして/古事記 中訓」
②不老不死の仙境。中国伝来の神仙思想と結びついてできた観念とされる。 「君を待つ松浦の浦の娘子(おとめ)らは-の海人娘子(あまおとめ)かも/万葉集 865」
③よみのくに。死者の国。


谷川健一氏は、常世国は不老不死の国だから、仙薬に最も重要なのは丹薬(水銀)であった。香春では赤染氏の手で香春岳の周辺の辰砂から水銀を採取したと考えられるいう。





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