究極の物理勉強法~たとえ話と微積分で高校物理が楽しくなる

物理の予備校講師で『微積で楽しく高校物理が分かる本』の著者の田原真人が、物理の学び方のコツを紹介。物理が分からない人は、公式を丸暗記するのを止めて、解法体系を学びましょう。必ず道が開けてきますよ。

【注目記事】高校物理の公式暗記の問題点

予備校講師の田原真人(たはらまさと)です。


予備校で4月の最初の授業は、講師と生徒との信頼関係を
作る上でとても大切です。


ここで信頼してもらえれば、1年間、とてもよい授業ができます。


ですので、最初の授業は、本気で受講生の心をつかみにいきます。


下の動画を再生すると、僕の渾身の講義がスタートします。


高校で「公式暗記」の物理を勉強している人は、危険ですので再生しないほうがよいかもしれません。


これまで築いてきた「物理に対するイメージ」が覆ってしまうと思います。


勇気のあるあなたは、再生してみてください。


●公式暗記をしなくても問題がすいすい解けるようになる。


●定期テストはもちろん、模試で点数が取れるようになる。


●はじめて見る問題でも、一瞬で解法が思いついてしまう。


どうして、そんなことが可能なのか?その理由を明確に説明しています。↓


「田原の物理」講義動画はこちら

【連載】 田原真人について←クリック!



「田原の物理」無料講義はこちら

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phys-com通信に書いてあるURLをクリックすると、次の画面が出てくると思います。



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このようなメールが届くので、メールの中のURLをクリック



これで、チャットシステムMuutにアカウントができました。
 
次に、フィズヨビチャットに参加申請を送ります。

もう一度、phys-com通信の中のフィズヨビチャットのURLをクリックしてください。

すると、次のような画面になります。




コメント欄に、必要なことを書きこんで「Request access」をクリックしてください。
 
これで、フィズヨビチャットへの参加申請が送られたことになります。

田原が受諾すると、フィズヨビチャットに参加できるようになります。
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学んだことを芋づる式に引っ張り出して自由に使うことができるためにはどうしたらよいでしょうか?
 
新しい知識を身体に染み込ませて塊を作ってチャンク化していく作業は、「芋を作っていく」作業。
 
これは、自習可能な教材があれば、マイペースで黙々と進めていくことができます。

フィズヨビの場合は、分からないところがあれば、反復して動画を聴いてみたり、Q&Aを利用してみたりして、どんどん知識の塊を作っていくことができます。

1つの「芋」には、物理法則のなりたちや、問題の解法などが詰まっています。
 
でも、土の中にいくら芋が埋まっていても、掘り出せなければ意味がありません。

芋から伸びるツルを引っ張って、芋を掘り当てる必要があります。

でも、芋がこんな風に埋まっているのだとしたら、掘り当てるのが大変ですよね。


 
だから、ツルの部分を構造化していく必要があるのです。

学んだことを振り返って、塊になっている「芋」を比較し、それらをもっと大きな文脈の中で位置づけていきます。
 
この作業を「メタ化」といいます。
 
「芋」と「芋」との間に成り立っている構造を見抜いてツルを構造化していきます。




そうすると、必要に応じて知識を「芋づる式」に引っ張り出して使えるようになるのです。
 
身体に染み込ませるトレーニングする(=芋を作る)こと
知識をメタ化して、構造を作っていく(=ツルを構造化する)こと

の両方を交互にやっていくと、知識が体系化していきます。



それができたら、物理も1つの大きな「芋」としてまとめて、他の科目も「芋」としてまとめて、それらをツルとして繋いで、教科をメタ化していきましょう。
 
全体と部分とが響き合い、相乗効果によって様々なことに気づくことができるでしょう。


さらには、学校での学びも1つの芋としてまとめ、学外の様々な学びも芋としてまとめ、もっと大きな範囲でメタ化して構造化していきましょう。
 
 
倍率を自由に変えて、細かい構造も、大きい構造も見ながら、それらの相似関係に気づいていくことで、学ぶ力、気づく力がどんどんついていきます。
 

フィズヨビの「田原の物理」は、芋づる式の構造を作るための最初の一歩。
 

そこで学んだことは、様々なところに応用することができます。


このような「学び方の知恵」を、フィズヨビ生で共有する時間を作りたいと思います。


日時:5月13日(金)21:00-22:00

場所:フィズヨビチャット

   ※URLはphys-com通信でお知らせしてあります。

対象:フィズヨビ生(有料会員)


進め方:

以下の4つの質問について、チャットに書き込みながら学びます。


(1)勉強法の悩みを書き出してみよう。

(2)相互にコメントし合ってアドバイスしてみよう。

(3)一人で始められそうなことは何だろうか?

(4)仲間と協力して始められそうなことは何だろうか?


フィズヨビチャットに入れない方は、田原までメールして下さい。


 


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科学者は、未来を予想する方法を発見した。

 
その方法は、以下の通りだ。
 
(Step 1)自然界から隔離した実験室を用意し、実験の条件をコントロールできるようにする。
 
(Step 2)条件を様々に変えながら実験を行い、法則を発見する。
 
(Step 3)その法則を用いて未来を計算し、予想する。
 
この方法が機能するためには、未来を計算する前提条件が大きく変化しないことが必要である。


この方法は、物質系に対しては、非常に良く機能する。再現可能な前提条件を設定することが可能だからだ。
 
しかし、この方法を生命系に用いようとするとうまくいかなくなる。生命系は、内部にカオスを生み出し、同じ前提条件であっても多様化し、複雑化していく「活き」を性質として持っているからだ。
 
もし、生命系を「予想可能な系」として扱いたい場合には、どうしたらよいだろうか?
 
この課題に取り組んでいるのが近代農業や畜産だ。
 
予想通りの野菜ができ、予想通りの鶏が育つようにするためには、自然界と隔離し、再現可能な前提条件を整える必要がある。同時に、生命が持つ「活き」も抑える必要がある。
 
自然界との隔離の行きつく先は、温度管理された温室の中で、水耕栽培される野菜であり、外部と遮断された厩舎の中で大量生産される鶏であったりする。
 
野菜や鶏の「活き」は、どのようにして抑えられているのだろうか?
 
生き物の「活き」のスイッチが入るのは、危機感であり、飢餓感である。
 
死と隣り合わせの状況は、生が最も輝く状況でもある。
 
野菜を自然界から隔離し、大量の肥料を投入すると野菜の「活き」は抑えられ、野菜は物質系としてコントロールされるようになる。
 
鶏を自然界から隔離し、活動できない狭い場所に閉じ込め、大量の餌を与えて太らせていくと、鶏の「活き」は抑えられ、鶏は物質系としてコントロールされるようになる。

生き物の「活き」を抑えるのは、檻(おり)と餌(えさ)なのである。

この2つによって、生命系は、物質系と同様にコントロールできるようになり、予想可能なものとなる。

ここで考えたいことがある。

それは、私たちは、この話の中のどこの場所に立っているのかということだ。

都市空間というのは、まさに、自然界から隔離した場所であり、そこは、すべてが予定通りに進行していく場所だ。

コンビニやスーパーで簡単に食べ物を調達でき、エアコンによって管理された部屋で快適に過ごすことができる。
 
この中に住む私たちの「活き」は、どのくらいのものなのだろうか?
 
東日本大震災を体験したとき、自分の中に大きな危機感が生まれた。そして、その瞬間、自分に「活き」のスイッチが入った。自分で何とかしていかなくてはいけないと思って行動を始めた。
 
熊本震災をきっかけに動き始めた人もいる。
 
機械的に進行していく快適な日常は、人間から「活き」を奪い、大きなシステムが予定通り進行していくことを支える。
 
しかし、その日常にひびが入ったとき、私たちは、自分たちが「物質系」でなく、「生命系」であることに気づく。
 
生命系は、自分が未来を予想するために、周りを押さえつけることをしない。
 
自分も周りも伸びていきながら多様化し、複雑化していき、その結果として必然的に循環構造が自己組織化することを目指す。

循環構造が自己組織化するためには、各自が場に無償で何かを与えていくことが必要になる。

私たち生命系は、本来、「与える喜び」を持っている。これは、循環構造が自己組織化していくための大切な本能であり、私たちが自然の摂理に従っている存在である証だと思う。

ラーニングピラミッドは、「他の人に教えることが、一番学習定着率が高い」ということを主張する。

これは、まさに、与える人が最も得られるという自然の摂理そのものなんじゃないかと思う。
 
自然の摂理に従って、それぞれの居場所でお互いに、自分が理解したことを周りに分かち合っていくと、バラバラだった知恵が繋がり、メタな構造が発生して集合知が生まれ、知が循環していく。

そして、自分たちが生み出した集合知から、各自が、自己肯定感を高めながら学んでいくことができる。
 
これこそ、自然の摂理に沿った学びなのではないかと思う。

そして、自然の摂理に沿った学びの先には、自然の摂理に沿ったコミュニティ、自然の摂理に沿った社会の出現が視野に入ってくる。

しかし、資本主義社会では、利己的に振る舞い、お金を蓄えることが正しいと教わる。

この「正しさ」は、どんな世界観から来ているのだろうか?

誰も助けてくれない世界。

お金しか頼るものがない世界。

だから、いざというときにお金がなかったら、生きていけなくなる世界。

そのような個人が分断された世界においては、生きていけなくなる状況に備えて、ひたすらお金を蓄えていくことが「正しい」とされる。
 
この世界観においては、お金を減らすことは「間違い」であり、「無償で与える」ことは、愚かな行為になる。
 
いったいどういうことなのだろうか?

私たちは、このことから、今の社会のルールが、自然の摂理と矛盾していることに気づく。
 
自然の摂理に照らすと「正しい」ことが、社会のルールに照らすと「間違い」なのだから。
 
じゃあ、どうしたらよいのだろうか?
 
私たちは、生命系である。
 
誰もが生命系として生きている社会は、誰にも予想不可能である。
 
だから、未来を予想し、そこに適応しようとするのではなく、ただひたすら、自分が作りたい未来を創っていけばよい。

生命系と物質系の違いは、意志を持ち、未来を創ることができるということである。

自分が作りたい未来を選択し、その未来の創造にコミットしていくと、そこに生まれるドラマが、あなたに生きがいを与えてくれ、あなたの中に「活き」が生まれる。
 
あなたは、あなた自身が創り出しているドラマの中で、重要で不可欠な役割を演じることになるのだ。
 
檻(おり)も餌(えさ)もいらない。
 
自分たちで手作りの舞台を作り、そこでドラマを演じよう。
 
ドラマが起これば、未来がやってくる。



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反転授業についてずっと考えてきて、最近気がついたことがあります。

 
それは、今の教育システムは、いつの間にか「本末転倒」になっているのだから、それを反転すると、元に戻って本来の学びの姿になるのだということ。
 
 
学んだことを測定するためのテストが、序列化のための指標になったことにより、テストの点数を取ることのほうが、学ぶことよりも優先され、理解していなくても点数さえ取れれば勝ちだという必勝法も生まれているという状況は、まさに「本末転倒」ではないでしょうか。

ちなみに、もともとの「反転授業」という言葉は、

(1)授業と家庭学習の順番を反転する

というところから来ています。
 
 
でも、僕は、順番を入れ替えた結果、次の2つの反転が引き続いて起こると考えています。
 
 
(2)教師が主役の授業から、生徒が主役の学びへの反転

(3)トップダウンの管理の矢印が、ボトムアップの自己組織化の矢印へと反転
 
 
だから、「反転授業」という言葉を使うとき、(1)だけでなく、(2)と(3)の意味も込めて使っています。
 


(2)の反転が起こると、教室の壁が持つ意味が劇的に変わります。

 
教師が生徒に対して権力を行使する場合、教室の壁は、生徒を閉じ込めておくためのものです。

このとき、壁は、「檻(おり)」の役割をします。
 
戦時中授業
戦時中授業 posted by (C)クワトロ@JZA80
 
その中で、「正しい考え方」を一律に教えられ、それを身につけたかどうかをテストで測定し、点数によって序列化するということがなされます。
 
生徒は、同じインプットに対して同じアウトプットを返すことを求められる「物質系」として扱われます。
 
教師が一方的に権力を行使しているとき、教室は教師のためのもので、閉じ込められた生徒は、ただただ権力を行使されるのを我慢して受け入れることになります。
 
そして、点数を取るためのトレーニングを繰り返すうちに、思考力や、気づく力を失っていきます。

 

では、教室が生徒中心に反転するとどうなるのでしょうか?
 
教室の壁は、安心安全の場をホールドするための囲いになります。
 
壁があることで、出会いが起こりやすくなり、化学反応が起こりやすくなります。
 
囲まれているからこそ、その内部の温度を上げることができます。
 
生徒が、自分から舞台に上がっていくと、シナリオのない生命のドラマが生まれます。
 
生徒たちの活動により、シナリオが生成されながら、ドラマが進行していきます。
 
 


生成されたシナリオが、役者である生徒の個性を浮かび上がらせ、生徒に生きがいを与えます。
 
ここには、生徒と教室という場との間に、次のような与贈循環が起こります。
 

(Step 1)生徒たちが、舞台に登り、無償で行動していく。
 
(Step 2) 舞台では、生命のドラマが生まれシナリオが進行していく。
 
(Step 3) シナリオが、生徒たちに、生きがいを与えていく。

このような循環が生まれたとき、教室は、そこにいる生徒たちにとってかけがえのない場になります。

一元的な価値観のもとでの序列化ではなく、場に生まれたシナリオの中の様々な役割を演じることによって感じることのできる自分の価値。
 
それは、他人との序列化によって生まれたものではないため、ドラマが生まれると、そこに参加するすべての生徒の自己肯定感が上がっていきます。
 
ここでの教師の役割は、場の安心安全を保ち、このような与贈循環が自己組織化することを支援することです。
 
ドラマが起これば、未来がやってくるのです。



教室の管理の矢印が反転すると、その仕組みを、さらに大きな範囲に広げて考えることができるようになります。
 
一元的な価値観のもとで外から過剰な競争を強いて、個人を分断して力を弱めていくのは何のため?
 
生きていく私たちを主役に据えれば、内側から湧き出る思いに従って、お互いに対話をしながら、共に存在できる社会を創っていくことができるでしょう。
 
ドラマが起これば、未来がやってくるのです。

怖れを手放して、一緒に生命のドラマを起こしていきましょう。
 
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フィズヨビの田原です。


MITのオットー・シャーマー博士は、
集団や組織が新たな未来を創造するためのリーダーシップ能力を
どのように開発できるか、
その能力をもとにどんなプロセスで新たな現実を生み出すことができるのか
ということを、多くのリーダーにインタビューしました。

そして、そこに1つのパターンを見出しました。

そしてまとめたのが「U理論」です。


対話などを通して、現在の自分がしがみついているものを
揺り動かしていき、Uの谷を下まで降りていきます。

様々な恐れが現れますが、
それを手放していくと、
Uの谷を潜り抜けて向こう側に出ることができます。

そうすると、新しい未来が次々に現れてきます。

このようなプロセスは、
僕も過去に何度か経験していて、
U理論のことを知ったときは、
自分のことについて書いてあるような気がしました。


フィズヨビに未来を出現させるために、
昨年から少しずつUの谷を降りていて、
先月は、思い切って谷底まで潜りました。


4月に行ったフィズヨビミーティングングには、
とても助けられました。


あれで、向こう側に行けそうだという
感覚が生まれました。


今は、谷底を潜り抜けたという感覚があります。


その感覚に従って、
フィズヨビのHPを作り直しているところで、
数日中にリニューアルオープンできると思います。


今回、どうしてもやりたかったのは、
マーケティングの手法を使わないということです。


マーケティングの手法は、欲と怖れにアクセスし、
人の行動を誘導します。

・点数を取れないと合格できないぞ!
・こうすれば、簡単に点数が取れます!

という「アメとムチ」のメッセージは、
基本的に人を支配したり、コントロールしたりするときに
使う手法なんです。


それを使わないようにするという決意をするのに
時間がかかりました。


マーケティングの手法を使わなければ、
講座を買ってもらえないんじゃないかという
自分自身の怖れを手放す必要があったからです。


でも、フィズヨビミーティングで話をして、
自分は、こうやって話しながら、
相手を信頼して、
一緒にやっていきたいんだよなー
という自分の気持ちを確認することができました。


それで、フィズヨビがダメになるなら、
仕方がないと腹をくくりました。


外からのコントロールがない環境の中で、
それぞれが、自分の想いと繋がって行動したとき、
ドラマが生まれます。


2016年のフィズヨビは、
ドラマチックな場になります。
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未来が突然に消え去ることがある。
 
 
東日本大震災は、それまでの日常を不可逆的に変化させてしまった。
 
 
どうやっても2011年3月11日前の自分には戻れない。
 
 
あの日までは、永遠に継続するように感じられていた世界が、突然消滅した。
 
 
物理を教えるということは、それが、予備校であっても、科学教育の一端を担っているということだ。そもそも自分は、科学に夢を抱き、人生の多くの時間を科学と科学教育に費やしてきたのだ。
 
 
だから、原発事故と、それを取り巻く組織の不健全さが辛かった。
 
 
これは、科学が核エネルギーというパンドラの箱を開けたときから、いつかは起こることが決まっていた事故なのではないかと思った。
 
 
科学者たちの多くが利権構造の中にがっちり取り込まれてしまっている状況を見るのも辛かった。科学者は、良心に従い、真理のために戦うヒーローであってほしかった。
 
 
これらを目の当たりにした後、どうやって平気な顔で物理を教え続けたらよいのか分からなくなった。
 

責任を取らない人たちばかりなのはなぜなのかと考えた。
 
 
「自分は、上からの命令に従っただけだ」
 
 
と、多くの人が考えていて、上から下へ命令が下りてくる社会に、自分たちは住んでいたことに気づいた。
 
 
責任を取らない人たちを育てる教育システムの中で、僕たちは育ってきたのだと思った。

 
 
スピーディーの結果が公開されなかったのは、なぜだったのだろうか?
 
 
その情報があれば、急いで避難したり、自宅に入って窓を閉め切ったりした人はたくさんいただろう。
 
 
 
人の命よりも、別の何かが優先されている事実を突きつけられたとき、国を頼るのはやめて、自分の身は自分で守らなくてはならないと思った。
 
 
親から自立したときと似た心の痛みがあった。
 
 
東日本大震災のときに辛かったことが、まだある。
 
 
それは、様々な状況の違いから多くの分断が生まれたことだ。
 
 
被害の状況の違い、支援格差、移住する人と残る人・・・
 
 
様々な違いが生まれたときに、自分のことについて話すことは、別の人のことを否定してしまうような気がしたりして、お互いが考えていることを口にせずに黙っってしまったケースが多かったのではないかと思う。
 
 
科学の価値、教育システム、安心感、人との繋がり・・・
  
 
こういったものが大きく揺らいだときにどうやって生きていけばよいのか?
 
 
混乱の中で話したいという強烈な欲求が生まれた。
 
他の人の話も聴きたかった。


みんなは、本当は、どんなことを考えているのか?

みんなは、本当は、どんなことを感じているのか?


それが知りたかった。


当時は気づいていなかったが、
オンラインのコミュニティ創りを始めた背景には、
そのような想いが潜んでいたと思う。


信頼できる人たちと繋がり、
対話を重ねていくうちに、
5年経ってようやく、
混乱の中から進むべき方向性が見えてきた。


健全な科学者コミュニティを作るためには、
健全な科学教育をしていくしかない。


真実を見据える科学リタラシー教育も
重要になってくる。
 
 
自分で考えて行動する教育に、
どのように変えていったらよいのか。
 
 
反転授業やアクティブラーニングは、
上から降りてくる管理の矢印を反転させていく可能性を持っている。


一人じゃ分からないことでも、
多くの人との知恵を集めて、
集合知を発生させていくスキルも大切だ。
 
 
そのためには、安心安全の場が大事。
そして、信頼関係で繋がったコミュニティーは、
一番のセーフティーネットになる。
 
 
安心安全の場での対話は、
かつては超えられなかった分断を乗り越えて
つながる力を持つ。
 
 
大きな組織に依存しなくても、
自分たちで生み出した集合知から
価値創造して収益を生み出し、
生きていく仕組みも必要だ。
 
 
5年間の学びにより、
いろんなものが繋がってきた。
 
 
東日本大震災の後の再生の物語の中を僕たちは生きている。

 
でも、それは、元に戻る物語ではない。


あの時に見ていた未来は、残念だけどもう戻ってこない。

 
だから、新しい未来を描く必要がある。
 
 
方向性は見えてきた。
 

自分の進む方向に、フィズヨビも連れていく。


 
 
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博士課程3年生のとき、大学院を中退した。


生命現象の自己組織化の研究は順調だったが、

 
学生結婚、病気、トラブル・・・。
 
 
いろんなものが重なって、研究者としての道を歩めなくなった。
 
 
とりあえず何とかして生きていかなくてはいけない状況に追い込まれたときに、仕事として頭に浮かんだのが予備校講師だった。
 
 
茨城県水戸市にあった中規模の予備校に電話をかけ、「講師を探していませんか?」と尋ねた。
 
 
履歴書を持っていき、面接をしてもらい、そこで物理と数学を教えることになった。
 
 
それが、予備校講師としてのスタートだった。


なぜ、予備校講師が頭に浮かんだのか?


たぶん、自分が予備校生だったときに感じた空気感が好きだったからだと思う。
 
 
制約の少ない状況で、自分が考える「理想の物理教育」をやってみたかった。
 
 
水戸にあった予備校には、そのころと同じ空気感が残っていた。
 
 
予備校で物理を教え始めたとき、高校生だった自分が受けたかった授業をやろうと思った。
 
 
それは、


「高校物理でも、受験物理でもなく、物理学の授業」


そもそも物理学とは、何なのかというところから始まって話が展開していき、具体例を通して理解するために「問題」を解いてみるという当たり前の流れで教えたかった。

 
目の前の生徒が理解できるのであれば、学習指導要領とか、出題傾向などに捉われず、物理学の持っている奥深さを伝えたかった。
 
 
だから当たり前のように微積分も使うし、背景やイメージを伝えるために、独自のたとえ話を工夫した。
 
 
自分の頭の中に浮かんでいる映像を説明するのに、たとえ話はとても有効なのだ。
 
 
高校時代の僕は、まさにそんな授業を受けたかったのだ。
 
 
実際には、理想と現実とをすり合わせ、バランスを取る作業の連続だった。

 
週に180分の授業を22~24回程度で、全範囲を終え、さらに、物理学の奥深さを伝えることは難しいミッションだった。
 
 
しかも、予備校と生徒から求められているのは、テストの点数を上げることなのだ。

 
でも、僕は、本当に幸運なことに生徒に恵まれていた。
 
 
多くの生徒が、学問の面白さに触れる喜びを感じる心を持っていて、直接、点数に結び付かない話であっても、目を輝かせて聴いてくれた。
 
 
年月を経るごとに、授業はだんだんと磨かれていって、物理学の面白さを伝えることと、大学入試で高得点を取ることとが、うまくバランスするようになっていった。
 
 
・物理学の面白さに心を動かされる
 
・面白いから自分で勉強する。

・勉強するから問題が解ける。
 
・問題が解けるから自信がつく。
 
・楽しくなってもっと勉強する。

 
といった好循環が回る生徒が数多く出てきた。


この関係性が、僕と生徒の間での、お互いのニーズを満たし合い、活かしあう関係性なのだと思う。
 
 
生徒は、「テストで点数を取らなくてはならない」という強いプレッシャーにさらされている。
 
 
それは、もう、可哀想なぐらいだ。
 
 
そこに脅しをかけていき、生徒の行動をコントロールしていくことは、簡単なことだ。
 
 
「ちゃんと勉強しないと、受験に受からないぞ!」
 
 
という言葉は、怖れのサイクルをぐるぐる回していく呪文だ。
 
 
怖れのサイクルが回ると、勉強しても理解できなかったらどうしようという怖れが現れ、さらに思考にブレーキをかける。


そこに、
 

「これを暗記すれば、とりあえず理解していなくても点数を取れる」
 
 
という甘い誘惑がやってくる。
 
 
怖れのサイクルが回っている生徒は、甘い誘惑に飛びつく・・・。
 
 
これは、物理の習得とは程遠い方向であり、試みは失敗する。
  
 
そして、自己肯定感を下げていく。
 
 
怖れのサイクルが回らないようにするには、安心感が不可欠だ。
 
 
そこで、学問を学ぶ喜びを感じ、夢中になって学び、達成感を感じ、自己肯定感を上げていくようなワクワクのサイクルを回していく。

 

思考を停止して、丸暗記した公式をパズルのように当てはめ、問題を解くのは物理学ではない。
 
 
一般的な原理に照らし、そこから演繹的に導き出して具体的な問題を考えるのが物理学の思考だ。
 
 
問題を解くというのは、そのトレーニングのためにあるのだ。


また、物理には、もう一つの側面がある。


試行錯誤を積み重ね、仮説と検証のサイクルを回しながら、一般的な原理を見つけ出していくという帰納的な側面だ。
 
 
抽象から具体へと向かう演繹法の矢印と、
 
具体から抽象へと向かう帰納法の矢印



この2つの矢印を自由に行き来できるような思考をトレーニングし、物事を奥行きを持って捉えられるようにすること。
 
 
僕は、ここに物理教育の本質があると思っている。
 
 
問題を解くトレーニングは、演繹法の矢印を磨くことはできても、帰納法の矢印を磨くことはできない。
 
 
フィズヨビは、両方の矢印を磨くことができる場にしたい。
 
 
具体と抽象とを自由に行き来することができるようになった人は、人生で出会う様々な出来事に対しても、奥行きのある思考によって突破口を見つけ、乗り越えていけるはずだと信じている。




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大学3年生のときにカオス理論と出会った。
 

実は、当時、進路に迷っていた。

 
最初は、単なる知的好奇心で物理を学んでいたが、歴史や社会について学ぶにつれて、科学が本当に人類を幸せにしているのかということに疑問が湧いてきたのだ。
 
 
科学者コミュニティは、社会の一部であり、研究費が下りるかどうかは、社会からの要請によって決まってくる。
 
 
科学者コミュニティの大きなスポンサーは軍事であり、そこからは、直接的、間接的に巨額なお金が下りてくる。
 
 
科学が、化学エネルギー、電気エネルギー、核エネルギーを開放していった結果、人間社会が使えるエネルギーは増え、その力は増大したが、それは、同時に環境破壊や戦争などの負の側面をもたらしている。
 
 
そのことを考えたときに、科学者として生きていくのか、科学ジャーナリストのような仕事について科学を外側から批判的に捉えていくのがよいのか・・・なんてことを迷っていた。
 
 
そんなときに「カオス理論」と出会って光が差した。
 
 
ある種の非線形システムは、初期条件に鋭敏な性質を持ち、初期条件のわずかな差が指数関数的に拡大するため、現実的に未来を予想できなくなるバタフライ効果と呼ばれる性質を持っている。
 
 
これは、ラプラスの悪魔が現実的に存在できないことを示しており、科学の原理的な限界を示すものだ。
 
※ラプラスの悪魔・・すべての初期条件を知っている悪魔がいるとしたら、その悪魔は、世界に対する時間発展の式を解くことで、世界の未来を計算することができる。つまり、個々の人間が知ることができないだけで、未来は、一意的に決まっているという考え。


科学コミュニティの内部で、科学の限界について考えるというスタンスに惹かれた。大きな変化は、パラダイムの内部に生じた矛盾が躓きの石となって生じると思ったのだ。
 
 
カオス理論を学んでいくうちに、カオスの豊かな世界に引き込まれていった。
  
 
秩序領域とカオス領域の中間に存在する「カオスの縁」という状態に魅了された。この領域は、フラクタル構造を示し、もっとも複雑で豊かな性質を示すのだ。
 
 
自己組織化という概念に出会い、自己組織化現象の頂点としての生命現象に関心が向かっていった。
 
 
当時自分が抱いていた問いは、


「生き物らしさとは、何か?」
 
「個や自由というものは、どのように定義されるのか?」


といったものだった。これらを、カオスや自己組織化といった概念を使って理解したいと思った。
 
 
これらの問いについて考えるためのモデル生物として細胞性粘菌を選んだ。
 

細胞性粘菌は、ライフサイクルの中で、単細胞アメーバとして生きたり、アメーバが合体して多細胞の移動体を作ったりする。
 
 
単細胞アメーバとしての「個」は、お互いがシグナルを発信し、シンクロし、集合している間に消滅し、それと入れ替わるように何万個ものアメーバが合体した多細胞体としての「個」が現れる。
 
社会における「個」の自由は、どの程度のものなのかということを、細胞性粘菌を研究しながら考えていた。
 
 
最近になって重要なことに気づいた。
 
 
当時の自分は、自分に適応を強いてくる社会に脅威を感じていた。
 
 
周りの目が気になり、周りが自分についてどのように思っているのかということを予測して、その期待に沿って行動しようとしてしまう自分を、とても不自由だと感じていた。


だから、どうやったらそこから自由になれるのかを知りたかったし、社会が発している「同調圧力」から何とかして逃れようと必死になっていたのだ。
 
 
しかし、細胞性粘菌アメーバは、ジャズの即興演奏のようにお互いがシグナルを出し合いながらシンクロし、大きな渦を作り出していく。そして、その渦に沿って集合して合体し、「私たち」ともいうべき移動体を創り出し、協力して光の当たる方向へ移動していくのだ。
 
 
自然の状態では、トップダウン式に上から降りてくる何かに強制的に取り込まれていくのではなく、生き物たちは、自分たちで協力して合体していくのだ。


「私たちの社会」を自己組織化する
 
 
僕は、これこそが、自然の摂理なのだと思う。
  
 
大学院で自然の摂理である自己組織化現象を学んだことによって、自然の摂理と社会の仕組みとのずれに気がつくようになった。
 
 
今のピラミッド型の社会は、自然の摂理から大きく隔たっている。
 
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浪人生時代に予備校に通って授業を受けたとき、今まで受けた授業の中で一番おもしろい授業だと思った。

 
大学に入り、期待に胸を膨らませて受けた授業は、正直言って、ものすごくつまらなかった。
 

大学1年生の1学期は我慢して出席していたが、夏休みの間に、「あの授業に出るなら、図書館で本を借りて読んでも同じじゃないか。それなら、本を読んで勉強したほうがよい。」と思い、授業に出るのを止めてしまった。
 
 
でも、それがよかった。
 
 
そのおかげで、予備校の授業よりも面白い授業に出会ったからだ。
 
 
それは・・・
 
 
自主ゼミ



授業に出ている友人から参考文献を聞き、同じようなことを感じている仲間と、大学の空き教室で自分たちで授業をやるのだ。
 
 
これは、ものすごく楽しかった。
 
 
何時間やっても飽きなかった。
 
 
自分が教える担当の箇所は、友人たちから学ぶよりも何倍も頭に沁み込んだ。
 
 
「分からない!どうして?」
 
 
と気軽に言える状況で、議論しながら学ぶのが楽しかった。
 
 
自主ゼミを中心とした学びは、大学、大学院を通して8年間続いた。


大学院に入ってからは、外部の研究会にも積極的に出ていくようになり、そこで知り合った教授や、紹介してもらった研究者のところを訪問させてもらって、学び場を学外にも広げていった。
 
 
何かを学びたいと思ったときに、仲間を探して学び合う機会を自ら創ることが、僕にとって自然なことになった。
 
 
自ら学び場を創る経験は、自分に生きる力、自信をつけてくれた。
 
 
環境を自分の力で変えていくことができるという自信だ。
 
 
教えるプロフェッショナルである予備校講師の授業よりも、自分たちで学び合うほうが楽しいし、頭に入るという気づきは、学びに対する可能性を一気に広げる。
  
 
学ぶための土台は必要だ。
 
 
高校生の自分に、自主ゼミで学ぶだけの力はなかったと思う。
 
 
だから、分かりやすい講義も助けになる。
 
 
だけど、そこはゴールではない。
 
 
いつまでも学びの「消費者」であってはいけないし、教える側も学びの消費者を育ててはいけない。
 
 
学びを自ら創造することができる人になることがゴールなのではないだろうか。
 
 
学びを自ら創造できる人は、環境を自分に合うように作り変え、自ら生き方を創造することができる。
 
 
フィズヨビは、そこを目指して、スモールステップの階段を作り、段階的に手を放していく。
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東日本大震災と原発事故が起こり、その後の政府やメディアの対応や、社会の動きを見て、自分の世界の中に大きな亀裂が生まれた。


そして、様々な疑問が生まれた。
 
 
一体、何が起こっているのか?
 
問題はどこから生じているのか?
 
これから、どこへ向かっていけばいいのか?
 

戦前、戦後の歴史を学びなおした。そして、日本の教育システムや、社会システムについて、教えられてきたことではなく、もう一度、自分で様々な情報を集めて考えた。
 
 
日本を外からの視点で見直すために、
海外の教育システムについても学んだ。
 
 
そして、日本の社会、組織が、トップダウン式のピラミッド構造を持っていて、教育システムもその中にがっちり組み込まれているということに気づくようになった。
 
 
「上から言われたことだから、その通りにやる」
 
 
という思考は、様々なところに行き渡っており、それを、学校教育が支えているのではないかと思った。
 
 
これは、思考停止につながるだけでなく、無責任にもつながっていく。

 
自分が判断したことではない。言われたからやっているのだという言い訳がまかり通るからだ。
 
 
ピラミッド構造の中で、より上のポジションを巡って学力テストで競争していると、疑問を持つことや、前提を問い直していくことをしなくなる。それらは、ゴールへ向かうスピードを鈍らせる行為のように感じられるからだ。
 
 
思考を止め、ひたすら競争に勝つためのトレーニングを積んだものだけが勝てるようなゲームのルールになっているように見えるのだ。
 
 
予備校は、ある意味、競争を煽りつつ、競争に勝つ方法を教えることで収益を上げるというビジネスだと言える。
 
 
そのことに思い至ってからは、自分の内部の矛盾が大きくなり、フィズヨビを続けるのが苦しくなった。
 
 
フィズヨビ生に対して、叱咤激励の言葉を投げかけることができなくなった。


自分の仕事が、本当にフィズヨビ生の幸せにつながっていくのかという確信が持てなくなったからだ。
 
 
しかし、あることがきっかけで、予備校の持つ別の側面に意識を向けることができた。
 
 
 
自分が19歳の予備校生だった頃を思い出したのだ。
 
 
当時、予備校に通うのは、楽しくて仕方がなかった。
 
 
高校では教えてくれなかったいろいろなことを講師たちが教えてくれたからだ。
 
 
高校の授業では、全く面白くなかった物理は、予備校の中では、もっとも学問の香りがする科目だった。
 
 
そこでは、受験テクニックというものではなく、受験というフレームの中ではあったが、学問の面白さを伝えようとしていた。
 
 
この年になってから、当時の予備校講師たちが、どんな人たちだったのか考えてみた。
 
 
彼らの多くは、大学解体を求めて学生運動に関わり、強大な権力構造とぶつかった結果、大学を離れた人たちだった。
 
 
僕が、物理を教わった駿台予備校の山本義隆さんは、元全共闘の議長で、学生運動世代の人にとっては伝説の人物だ。
 
 
彼らは、直接口に出して何かを語ることは少なかったが、その存在を通して僕たちに何かを伝えていた。


僕は、その空気感が好きだったのだ。
 
 
自分が予備校講師になってから出会った明峯哲夫さんも、山本さんと同じように、学生運動をきっかけに在野の研究者となり、予備校講師として生計を立てていた一人だった。
 
 
明峯さんもまた、授業の中で自分の想いを次の世代に伝えようとしていた。


明峯哲夫さんを偲ぶ
 
 
システムの存在目的と、その中で動いている人の想いは、必ずしも一致しない。
 
 
自分の与えられた枠組の中で、何とかして自分の想いや生き様を表現しようとしてきた人たちのことを思い出したときに、今の自分の想いは、彼らと重なっていて、それは、予備校というメインストリームから外れた場所を通して継承されてきたものだということに気づいた。
 
 
社会システムのメインストリームから外れた場所にある場所だったからこそ、一定の自由度が与えられ、そこに公教育よりは自由な学び場生まれていたのだ。
 
 
ものごとは、単純ではない。
 
 
そこに人が生きている以上、様々な想いが混じり合っている。
 
 
僕は、自分が予備校という場で出会い、共振共鳴した人たちの想いを大切にし、それを継承し、自分なりに発展させていこう。
 
 
予備校で出会った生徒たちとのつながりも大切にしていこう。
 
 
その想いを込めて「フィズヨビ」という名前を継続しようと思う。
 
 
「予備校」を否定するのではなく、フィズヨビが「予備校」を名乗りつつ、自由な学び場へと変容していくことで、「予備校」という言葉の意味を変容させていくことを目指す。
 
 
そうなることが、自分に関わり、自分を助けてくれた多くの人への恩返しになればと思う。
 
 

 

 
 

 
 

 
 

 
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