2011年06月23日(木)

東京都の五輪招致に意義を見出せず

テーマ:経済・社会

2016年の夏季オリンピックはリオデジャネイロに決定 ―


あれから1年8ヶ月が経過したが、また東京都は石原知事が先頭に立って2020年開催の五輪招致に動き出した。


前回のオリンピック立候補の際には「環境を最優先した世界一コンパクトな大会を目指す」をスローガンにシカゴ、マドリード、リオデジャネイロと争ったが、国民の支持率が5割台にとどまったことが致命的となり敗退。150億円以上と言われる招致費用が消えた。


今回は「東京五輪を(東日本大震災の)復興のシンボルに」がスローガンらしい。


スローガンを掲げて何かを主張する方法に異議を唱えるつもりはないが、「2016年になぜ、東京で、オリンピックなのか?」「「2020年になぜ、東京で、オリンピックなのか?」という根源的な動機や理由が明示されておらず、肝心のポイントがわからないのだ。とにかく東京でオリンピックをやりたいから「環境を最優先」や「復興のシンボル」を都合のいいお題目に挙げているとしか思えない。


私が生まれた年でもある1964年に東京でオリンピックをやったのは本当に意義深かった。「アジア初のオリンピック」を「ちっぽけな島国が敗戦から復活し世界的な経済大国になった奇跡の国」で開催したのである。まだ不十分であったインフラが一段と整備され、経済的勢いが加速され、世界中の注目を浴びつつ世界的大イベントを東京でおこなうことに日本国民は大いに沸いた。日本中のモチベーションが熱く盛り上がった。


経済が著しく発展してオリンピックが開催できるようになったかつての途上国が開催したオリンピック、すなわち1964年の東京大会(日本)や2008年の北京大会(中国)や2016年のリオデジャネイロ大会(ブラジル)には十分な意義を見出せる。個人的には、これからアフリカや中東地域での開催を期待している(かなり先になりそうだが)。


今の東京五輪開催において何を見出せるのだろうか。


純粋な意味で復興を掲げるのであれば、東京開催ではないだろう。百歩譲って近隣の大都市であれば仙台あたりが立候補して「復興」を掲げるのならばわかる。あるいは本当に被災してすべてを失った地域が一致団結、見事に大復活を遂げて「世界の皆さんの多大なるご支援をいただきました。我々はこんなにも復活しました。頑張ればどんなことも乗り越えられるのです」という力強いメッセージを発信するのならば理解できる。私のように東京に住んでいる東京都民の感覚からすると、東京が復興を掲げるのには無理がありすぎる。東京の機能は正常である。


さらに、前回以上に今回の方が「東京敗北」となる悪条件が横たわっている。それは原発問題が収束しておらずその見通しが立っていないことだ。海外の常識的な目からすると、「原発問題を起こしている東北からそう遠くない場所にある東京での開催などありえない」ということになるだろう。


国民不在で、国民のお金を使って実りのない勝手な活動をすることは間違いだと言いたい。もはや昔話のようになったが2008年夏季五輪の招致を目指して多額の資金を使って敗北した大阪市のことを忘れてはならないと思う。今や大阪市は立候補などという発想すらないだろう。なぜなら自治体として瀕死状態だからだ。後先を考えない勝手な行動、こういうのが困るのである。当事者たちは責任を取らない。責任を取らされるのは結局のところ市民や国民である。


東京都は前回招致時にオリンピック費用として積み立てた基金が4000億円もあるそうだ。意義の見いだせないオリンピックでお金を使うのなら、その前にこの資金を投じて社会的意味のあることを少しでも多くやるべきである。


太田忠の縦横無尽 2011.6.23

『東京都の五輪招致に意義を見出せず』

        **太田忠投資評価研究所のHPはこちら**

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