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2011年06月30日(木)

モデルポートフォリオは+10.1%、累計+51.4%の新高値にて2011年の前半戦を終了

テーマ:金融・マーケット・資産運用

さて、今日で今年もいよいよ半分が終了した。

Time flies like an arrow、まさに「光陰矢のごとし」である。


今日は弊社にとっても、私にとっても画期的な日となった。

なぜならば、太田忠投資評価研究所の「投資実践コース」 におけるモデルポートフォリオのパフォーマンスが、6月において今年の2月以来4ヶ月ぶりに年初来高値を更新して2011年の前半戦を終了したためである。年初来高値=運用来高値と同意である。6月の単月パフォーマンスは+3.0%。2011年の年初来では+10.1%、累計では+51.4%となった。


2011年のマーケットは3月11日の東日本大震災を境に明暗を分ける展開となり、大震災ショック後は市場参加者が極度に減少し、東証の1日の売買代金も活況時の目安となる2兆円の約半分のレベルにて推移している。


マーケットは徐々に回復基調にあるが、年初から6月末までのパフォーマンスを見ると日経平均は-4.0%、Topix-5.5%、ジャスダック指数-0.4%と冴えない。そうした中、モデルポートフォリオは+10.1%と圧倒的優位に立っているのにはわけがある。投資実践コースでおこなっている3つのポイント、すなわちフルインベストメントをおこなわず、時間的分散投資を実行し、逆指値の設定による損失限定&逆指値の引き上げによる実現益拡大策の地道な実践 ― これが効果を上げているのだ。


『どんなマーケットでも年率+10%を実現する資産運用を』というのが弊社の目標である。2011年も6月末において+10%を瞬間風速的にではあるが達成したが、後半の6ヶ月においても更なるパフォーマンスの積み上げに邁進していく。


実はもう一つ画期的な点があった。それは6月の「投資実践コース」の新入会員においてこれまでの最低年齢を更新する1986年生まれの男性が入会してきたことである。1986年生まれ、すなわち25歳である。これまで投資の初歩を学ぶ「投資基礎講座」にはもちろんこの年代層は存在するが、実践コースでの20代はごく少数派であり、25歳は最もフレッシュマンである。


今の20代の人たちは自分たちが社会的に置かれている劣悪な状況に対してぼんやりとした意識しかなく、自分に対しても自信なさげで、本当に大丈夫なのだろうか? という人がますます多くなっているというのが私の偽らざる個人的印象である。将来的には日本はますます厳しく悲惨な状況になっていく。そういう意味でも、ロングタームの人生プランを実現するためのすべての土台・基礎となる「お金」に対する考え方を確立し、戦略的に「資産運用」を実践していくことに若い人たちこそ目覚めていただきたい。


昨年の2010年12月31日に書いた大晦日のブログでは

『年初来高値で有終の美:2010年のモデルポートフォリオは+21.4%、累計+37.5%』 と題して、その最後をこう結んだ。


『2011年も楽しみである。どんなマーケットになろうとも、弊社の目指すところである「年率+10%のパフォーマンス」を実現していきたいと思う。

それでは、皆さん、良いお年を!』


また半年後にも同じセリフを言えるよう今から万全な体制で臨みたい。


太田忠の縦横無尽 2011.6.30

『モデルポートフォリオは+10.1%、累計+51.4%の新高値にて2011年の前半戦を終了』

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2011年06月27日(月)

個性派俳優ピーター・フォーク逝く

テーマ:映画

6月23日にピーター・フォークが亡くなった。享年83歳。


私と同年代以上の日本人にとっては、非常に有名で馴染みの深い米国の映画・テレビ俳優であり、役柄として最も知られているのが1968年のパイトッロ版『殺人処方箋』からスタートした「刑事コロンボ」シリーズである。


ヨレヨレのレインコートを着て、今にも壊れそうなオンボロの車を運転し、外見では、頭のよくない、抜けている、とぼけたキャラクターに見える(見せている)のだが、犯人を特定するわずかな証拠を次々と積み上げ、核心にまざまざとせまっていく姿はとてもスリリングで視聴者を大いに魅了した。


「刑事コロンボ」は途中制作されない期間はあったものの2003年までの35年間で69作もの作品がつくられた。最初に犯人が犯罪をおかすところが種明かしされ、そこからロサンゼルス市警殺人課のコロンボ警部が登場して犯人を推理していくという、通常の推理ドラマとは反対の倒叙形式にてシーンが展開されるのも、視聴者にとっては途中でストーリーがわからなくなるといったことが皆無で、すみずみまで楽しむことができるという仕掛けだった。


ピーター・フォークについて個人的に述べたいことが2つ。


1つは本人の声と日本語吹き替えの声優の声があまりにも違うことを初めて知った時の驚きだ。私が小学生の高学年の頃から「刑事コロンボ」は日本のテレビでも、しきりに放送されていたのでよく見ていた。もちろん字幕ではなく、吹き替え放送である。今は亡き小池朝雄がコロンボ役をつとめたが、これが非常にゆっくりとした、丁寧な話し方で、「うちのカミさんがね」は流行語にもなった。しかし、ピーター・フォークの声を初めて聞いた時、「え、これはわざとふざけて、高音のウラ声でギャーギャー喋っているのか?」と思うほど、今までの温厚なイメージが崩壊したのである。DVDが発売され、そのシリーズを購入して見始めた頃はなかなか慣れなかったのだが、今や「吹き替え」で彼の作品を見たことはない。アニメにおいて急に声優が交代すると、今までの人物像が一気に壊れるが、あれの激しいやつである。


もう1つが、「刑事コロンボ」以上に、その他の作品が面白いということである。面白いというのは正確な表現ではない、面白すぎるのだ。


『名探偵登場(Murder by Death)』(1976年)は、探偵という名前はついてるもののコロンボ警部が登場するのではなく、世界中の著名な探偵を一堂に集結させ、これから起こる殺人の犯人の推理を競わせるというストーリー。そのホスト役をなんと米国の大作家であるトルーマン・カポーティーが演じている。アレック・ギネス、ピーター・セラーズ、マギー・スミス、デビッド・ニーブンといったすごい役者たちが勢ぞろいし、監督はロバート・ムーアという豪華版である。


『あきれたあきれた大作戦(The in-laws)』(1979年)は、私が最も好きな作品で、B級映画の大傑作と言ってもよいだろう。それにしてもタイトルはヒドイが…。あまり映画のストーリーを語るのはよろしくないので控えるが、この映画は繰り返して10回以上は観ている。


2008年ごろよりアルツハイマー病を患っていたということだが、『あきれたあきれた大作戦』のDVDの音声解説でのピーター・フォークの話し方はかなりおかしな感じがするのでこの頃(DVD発売は2003年となっている)から兆候があったのだろう。


それにしても、彼は役柄に自然になりきって、ぐんぐんその役柄の個性をとことんまでに発揮するという意味で、実に個性的で魅力的な人だった。見ている人を思わず励ましてくれる力を持った貴重な人である。


太田忠の縦横無尽 2011.6.27

『個性派俳優ピーター・フォーク逝く』

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2011年06月23日(木)

東京都の五輪招致に意義を見出せず

テーマ:経済・社会

2016年の夏季オリンピックはリオデジャネイロに決定 ―


あれから1年8ヶ月が経過したが、また東京都は石原知事が先頭に立って2020年開催の五輪招致に動き出した。


前回のオリンピック立候補の際には「環境を最優先した世界一コンパクトな大会を目指す」をスローガンにシカゴ、マドリード、リオデジャネイロと争ったが、国民の支持率が5割台にとどまったことが致命的となり敗退。150億円以上と言われる招致費用が消えた。


今回は「東京五輪を(東日本大震災の)復興のシンボルに」がスローガンらしい。


スローガンを掲げて何かを主張する方法に異議を唱えるつもりはないが、「2016年になぜ、東京で、オリンピックなのか?」「「2020年になぜ、東京で、オリンピックなのか?」という根源的な動機や理由が明示されておらず、肝心のポイントがわからないのだ。とにかく東京でオリンピックをやりたいから「環境を最優先」や「復興のシンボル」を都合のいいお題目に挙げているとしか思えない。


私が生まれた年でもある1964年に東京でオリンピックをやったのは本当に意義深かった。「アジア初のオリンピック」を「ちっぽけな島国が敗戦から復活し世界的な経済大国になった奇跡の国」で開催したのである。まだ不十分であったインフラが一段と整備され、経済的勢いが加速され、世界中の注目を浴びつつ世界的大イベントを東京でおこなうことに日本国民は大いに沸いた。日本中のモチベーションが熱く盛り上がった。


経済が著しく発展してオリンピックが開催できるようになったかつての途上国が開催したオリンピック、すなわち1964年の東京大会(日本)や2008年の北京大会(中国)や2016年のリオデジャネイロ大会(ブラジル)には十分な意義を見出せる。個人的には、これからアフリカや中東地域での開催を期待している(かなり先になりそうだが)。


今の東京五輪開催において何を見出せるのだろうか。


純粋な意味で復興を掲げるのであれば、東京開催ではないだろう。百歩譲って近隣の大都市であれば仙台あたりが立候補して「復興」を掲げるのならばわかる。あるいは本当に被災してすべてを失った地域が一致団結、見事に大復活を遂げて「世界の皆さんの多大なるご支援をいただきました。我々はこんなにも復活しました。頑張ればどんなことも乗り越えられるのです」という力強いメッセージを発信するのならば理解できる。私のように東京に住んでいる東京都民の感覚からすると、東京が復興を掲げるのには無理がありすぎる。東京の機能は正常である。


さらに、前回以上に今回の方が「東京敗北」となる悪条件が横たわっている。それは原発問題が収束しておらずその見通しが立っていないことだ。海外の常識的な目からすると、「原発問題を起こしている東北からそう遠くない場所にある東京での開催などありえない」ということになるだろう。


国民不在で、国民のお金を使って実りのない勝手な活動をすることは間違いだと言いたい。もはや昔話のようになったが2008年夏季五輪の招致を目指して多額の資金を使って敗北した大阪市のことを忘れてはならないと思う。今や大阪市は立候補などという発想すらないだろう。なぜなら自治体として瀕死状態だからだ。後先を考えない勝手な行動、こういうのが困るのである。当事者たちは責任を取らない。責任を取らされるのは結局のところ市民や国民である。


東京都は前回招致時にオリンピック費用として積み立てた基金が4000億円もあるそうだ。意義の見いだせないオリンピックでお金を使うのなら、その前にこの資金を投じて社会的意味のあることを少しでも多くやるべきである。


太田忠の縦横無尽 2011.6.23

『東京都の五輪招致に意義を見出せず』

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