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2009年08月28日(金)

日本証券新聞に弊社の「投資講座」が取り上げられました

テーマ:お知らせ

8月28日付けの日本証券新聞に弊社の「投資講座」が取り上げられた。記事のリンクはこちらを参照。


まだ、立ち上げて1ヵ月であるが、システム上のトラブルや苦情など1件もなく順調に稼動しており、経営者として胸を撫で下ろしているところである。また、おかげさまで会員も着実に増えている。皆様のご理解やご支援なくしてはこのようにはいかないため、改めて厚くお礼を申し上げます。


日本証券新聞に限らず、さまざまなメディアからの取材も増え、さまよえる個人投資家への「投資教育」をロングタームでおこなっていきたいと思っている。今回の記事では、『資産運用とは「気づき」である』という8月12日付けの私のブログ からの文章も引用されているように、資産運用の大切さにぜひとも早い年齢で気づいていただき、複利効果を身につけることによって、お金の問題に困ることなく、余裕のある生活・人生を自らの手で主体的に勝ち取っていただきたいと思っている。そのためには、とにかく最初の段階で正しい資産運用力を身につける必要がある。


個人投資家の大半は、行き当たりばったりの運用しかしておらず、相場のクラッシュのたびに「塩漬け」問題で思考停止に陥るというのが毎度のパターン。そういう投資家からはぜひ卒業していただきたい、と真摯に思う。


太田忠の縦横無尽 2009.8.28

「日本証券新聞に弊社の投資講座が取り上げられました」

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2009年08月23日(日)

目標とは予測ではなく、意志である

テーマ:日常のこと

大きなことを成し遂げていく人を見ていると、必ずやそこに大いなる「意志の力」を感じる。そういう人々が立てていた目標というのは「これぐらいになるだろう」と予測したものでは決してなく、「こうするのだ」という意志が反映されている。


今年に入ってから新たなことやこれまで継続してきたこと、いずれの面においても少し錆びついた感のあった「チャレンジ精神」をピカピカにすべく少し力を入れて研ぎながら毎日をすごす心がけを絶やさぬようにしている。なんだか自我に目覚め始めた中学2年生頃の感覚が戻ってきて新鮮やらなつかしいやら、いろいろと入り混じった感じである。


「目標」は平常の自分の力では達成できない、負荷のかかるものでなければ意味をなさない。まさに何か高みを達成するために立てるものである。簡単に予測できるような生ぬるいものであってはならないということである。


ところで、こんなことを書いていて、おかしくなってきた。それは、私の専門領域である中小型株の経営者たちの多くが、自社の業績予想をも全く同じスタイルでやってしまうことである。株式市場における業績予想はそもそも「これだけは確実に」「絶対成し遂げる」というコミットメントに近いものが求められている。業績目標とはまさに「予測」できるものではならないのだ。そのへんのところがよく分かっていない経営者たちが少なからず存在し、マーケットでは常に非難の的になるのだが、本来の人間の姿からすると困難に対峙するという真っ当なスタイルをそのまま表明しているだけなので、道義的に悪いとは言えない類の問題である。


ところで、皆さんは単なる「予測」ではない「意志」による「目標」をいくつ持っているだろうか? 目標を立てるのは簡単だが、それを継続しているだろうか? 


できるかできないか、何事かを成すか成さないか、はまさにこの1点にかかっている。



太田忠の縦横無尽 2009.8.23
「目標とは予測ではなく、意志である」

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2009年08月19日(水)

奨学金がなぜ「給付型」なのか?

テーマ:経済・社会

衆議院選挙の幕がいよいよ切って落とされた。


候補者たちの街頭演説はどうやら半分以上が他党の悪口であり、ネガティブキャンペーンばかりしているのは何とかならないものだろうか。聞いていて全くうんざりする。「悪口」の時間を今の1/4くらいにして、大半の時間を「政策」主張にあててほしいものだ。


さて、各党のマニュフェストを読んでみた。賛成できるもの、反対したいもの、いろいろとあるが、「あれ、これは明らかにおかしいのではないか?」と私が感じたのは自民党が掲げている「給付型奨学金」なるものである。


私も大学生のときは日本育英会(現在の日本学生支援機構)の奨学金にお世話になった。毎月3万円ずつ4年間貸与してもらい、社会人になってから無利子で返済するというものだった。これは実にすばらしい制度だと思う。私のような奨学金がなければ困ってしまう学生にとって「月額3万円」を支給してもらうことはどれだけありがたかったかわからない。支給日が来るのが待ち遠しかったものだ。


しかし、これはあくまでも「貸与型」であって、利息なしでお金を借りているわけである。大学を卒業し、社会人になれば返済せねばならない。社会人になりたての頃は、年間返済額約15万円(10年で完済する)も結構きつかったが、それでも数年繰り上げて返済が終わったときは本当にほっとしたものだった。こうした形でお金が世代間でリレーされて延々と「奨学金制度」が続いているわけだ。


給付型奨学金というのは「給付型」という名前の通り、「貸与型」ではない、すなわち返済義務のない奨学金ということだ。しかし、そんなおかしな制度があるものだろうか? 「親の収入が低い学生で、成績優秀者を対象とする」という条件がついているらしい。だが、恵まれない学生に援助をする趣旨は理解できるが、成績優秀者が社会人になれば、もはや自立した成人であるので、返済するのが当たり前ではないか? 社会人になった途端に、「恵まれない」という条件は消滅するはずである。そういうきちんと返済能力がある人たちに税金を「給付型」で使うという発想は根本的に間違っている。


何のための「奨学金」なのか、本当にきちんと考えた政策なのだろうか? 子育て、教育関連に各党が注力するマニフェストを出すのはいいのだが、ちょっとこれは本末転倒、という感じだ。


太田忠の縦横無尽 2009.8.19

「奨学金がなぜ給付型なのか?」

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