中村ただし オフィシャルブログ

次世代政策研究会 会長 中村匡志


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来たる11月28日(土)に開催されます次世代の党埼玉連絡所のイフコン・タウンミーティングでは、自由主義史観研究会で副代表を務められた齋藤武夫先生に「聖徳太子の国づくりの大方針」のご講演をいただきます。

『教科書が教えない歴史』シリーズを覚えておられる方も多いかと思いますが、先生は、自由主義史観研究会の設立メンバーとしてこのシリーズの執筆をご担当されるとともに、小学校教諭として歴史教科書改革を推進されました。まだお席はありますので、是非ご予約ください(お申し込みは下記画像の電話またはメールまで)。

IFCON埼玉第2回



それでは、今回も、私が日本会議久喜支部にてお話しさせていただいている憲法改正入門講義の内容を、掲載してまいりたいと思います。

第3回は、「失われた《国体》を求めて」(A la recherche de la «Constitution» perdue)です。ごゆっくりとお楽しみください(以下は、実際にお話しした内容を、読みやすさ等の観点から編集したものです)。

◇ ◇ ◇


皆さんこんにちは。本日もどうぞよろしくお願いいたします。

今回は3回目ということでお話しさせていただくのですが、まずは、前回までどんなお話をしてきたかをまとめておきたいと思います。


まず1回目でグリムの話をさせていただいて、グリムというのは《ゲルマニスト》という、《ドイツ人とはどういう人たちなのか》、《ドイツというのはどういう国なのか》という、ドイツの国柄を研究する《ゲルマニスティック》という学問を大成した人物である、というお話をさせていただきました。そして、第2回目では、1848年のドイツの統一憲法制定議会においては、まさにこのグリムが中心的な存在となって、ドイツの国柄である《自由》というものを基に自主憲法を制定することを提唱した、というお話をさせていただきました。


そして、このグリムの自主憲法制定論を大いに参考にして、我が国も、やはり、現在の「日本国憲法」という紙切れから出発するのではなくて、《日本人というのはどういう人たちなのか》、《日本という国はどういう伝統をもった国であるのか》という《国体》から議論を始めていかなければいけない、というお話をさせていただきました。それで、その際にですね--石原慎太郎先生なんかもそうですが--大日本帝国憲法万能論というのがございますけれども、私はそれには賛成しない立場でございまして、やはり前回挙げた大日本帝国憲法11条なんかは、例えば空軍というものをつくれない規定とも解釈されうる規定であるわけでございまして、やはり大日本帝国憲法を復活すれば万事解決するとは到底思えないわけです。ですから、我々が自主憲法をつくるにあたっては、日本の《国体》を基にして、日本国憲法よりも、そして大日本帝国憲法よりも良いものつくらなければいけない。そういうようなお話をさせていただきました。

そして前回、講義の後に、Aさんから「《国体》というものがそもそもよく分からない」というご質問をいただきましたので、今日は、このご質問にお答えするために、《国体》とは何かというお話をさせていただきたいと思うんですね。具体的には、まず、本居宣長の『うい山ぶみ』を読んでみたいと思っています。


これまで申し上げてきた通り、ドイツのグリムにあたる日本の学者というのは本居宣長であると私は考えておりまして、《国体》というものがどういうものなのかという点につきましても、やはりこの宣長に聞いてみるのがいいんじゃないかと思うわけでございます。そして、宣長が、《国体》を知るための方法論を解説しているのが『うい山ぶみ』という論文でございまして、この『うい山ぶみ』という論文はそれほど長い論文ではありませんので、まずは全文をざっと現代語で読んでみて、それから細かい点について、原文とともに解説していくことにいたします。

「うい山ぶみ

本居宣長 著  
中村匡志 訳  


 世の中にある学問研究の流派は、さまざまな研究対象を扱っていて、それぞれ相異なっています。
 これらの学問研究の流派を挙げるとすれば、まず、神話を中心に《道》を専門的に研究する流派があります。これを神学といい、その人を神道者といいます。次に、国家の組織・儀式・法令を中心に研究する流派があります。これを有職学といいます。また、古くは六国史その他の古文書をはじめとして、後世の文献に至るまで、どちらの流派にも属さずに研究する流派もあります。この流派をさらに分類するならば、さまざまなものがあるでしょう。例えば、歌を研究する流派がありますが、この中にも、歌を詠むだけの流派と、古い歌集や物語書などを解明する流派と二種類があります。
 大体このような感じでさまざまな流派があって、各自が好きな流派に属して学問研究を行うわけであり、各自の研究方法についても、教師の心性や生徒の心性によってさまざまなものがあります。このように学問を志した初学者の中には、最初から自分が属したいと思った流派があって、またその研究方法についても自分で案出するような方もおられます。しかし、そういうふうに特に属したい流派もなく、研究方法についても自分で発見しようがないという場合には、物知りな人をつかまえて「どの流派に属するのがよいのでしょうか?初学者の研究方法は?どの本をまず読んだらよいでしょうか?」などと問い求めるのが通常です。
 これは、誠にかくあるべしという話であるわけでして、学問研究の対象を匡正し、研究方法を匡正して、その後に邪悪な方面に陥ってしまわないように、研究が早く大成するように、最大の業績が上がるようにということを、最初からよく準備してから入ってきてほしいものです。同じ精力を使いながらも、流派や研究方法によって、うまくいったりそうでなかったりすることはあるに違いないからです。
 そうはいっても、学問研究の対象については、「これよりもこちら」と押し付けることはできず、たいていは各自の「学びたい」という思いに委ねるべきだと思います。
 いかに初学者とはいっても、学問を志す人であれば、幼児の心ではないわけですから、各人に応じた属したい流派というものは必ずあるものなのです。それに、人によって好きなことと嫌いなことがあり、また、生まれつき得意なことと不得意なことがありますので、嫌いなことや不得意なことをしていては、同じ努力をしても成果が上がることは少ないです。また、(研究対象にかかわらず)研究方法についても、それなりの理屈によって「こういうのがよいでしょう」と教え示すことは簡単ですが、それが最終的な結果としてよいものであったのか、それとも思いのほかに悪いものだったのか、ということを知るのは実際には難しく、これについても、断言して押し付けるようなことはできないのですから、実のところ、各人の心のおもむくままにしてよいことなのです。
 結局のところ、学問は、長い年月にわたって飽きず怠けず励み努めることこそが肝要であり、研究方法はどのようなものであってもよいに違いなく、それほどこだわらなくてよいことなのです。
 どんなに研究方法が素晴らしかったとしても、怠けて努力しないのであれば、成果は上がりません。才能がある人か才能のない人かによって成果はかなり異なり、才能のあるなしは生まれつきのことですので、力量に差があるわけですが、それでもたいていは、才能のない人であっても、怠けず努力さえすれば、それに応じた成果は上がるものなのです。学ぶのに時間が掛かる人も、努め励めば、思いのほかに業績を上げることがあります。また、忙しくて時間のない人も、思いのほか時間のある人よりも業績を上げるものです。ですから、才能が貧しいとか、学ぶのに時間が掛かるとか、時間がないということで、心が折れてやめてしまわないでください。どんなかたちであっても、努力さえすればできるものだと心得るべきです。心が折れるというのは、学問において大いに厭うべきことなのです。
 まずは以上のような次第ですので、学問研究の対象を押し付けることはできませんし、研究方法についても、こうするのが必ずよいだろうと決めることは困難であり、また、決めなかったとしても実際には困ることはありませんので、ただ心に委ねるべきことであるわけですが、そのようにばかり言うのは、初学者にとっては、とっつきどころがなくて厭になったり怠けたりするきっかけともなってしまいますので、やむを得ずここでわたくし宣長が、こうであるべきだということを一通り申し上げることにします。
 もっとも、その教え方については、これは人々の心のことですから、自分としては「このようにするのが良いかな」と思うわけですけれども、「そんなことをしたら悪い」と思う人もいるに違いないわけですから、押し付けるのではなく、単に、私の教えに依りたいと思う方のために申し上げるのみのことといたします。
 そもそも、上述のさまざまな対象を扱う学問研究の諸流派は、どれもこれも素晴らしい流派であって、理解して知らずに済ますことはできないものですから、すべてを残さず学んでいただきたいものの、一人の生涯の力ではその奥義を究めるということは難しいですので、そのうちで中心とするところを定めて、「必ず奥義を究めつくそう」と最初に志を高く大きく立てて、努め学ばなければなりません。そのようにしつつも、それ以外の研究対象をも力の及ぶ限り学んで理解するべきです。
 そして、その中心として依拠すべき流派はどの流派かといえば、それは《道の学問》なのです。そもそもこの道は、天照大神の道であり、天皇陛下が天下をしろしめす道であり、世界中に浸透した真の道が、ただ皇国日本にのみ伝わったものです。この道はどのような道かというと、『古事記』・『日本書紀』の二つの正典に記された神代上代のもろもろの事績の上に備わっている道なのですから、この二つの正典を、繰り返し繰り返しよく読んでください。また、初学者は、私が著した『神代正語』を数十遍読んでその古語のあり方を口で慣れ知り、また、〔『古事記伝』の〕「直日(なおび)のみたま」・『玉矛百首』・『玉くしげ』・『葛花』等々を学び始めから、二つの正典と交互に読んでください。そうすれば、二つの正典の事績に《道》が備わっていることについても、《道》の概要についても、たいていは合点が行くことでしょう。また、早いうちにこれらの書物を読んでおけば《大和魂》がよく固まりますから、シナの思想に嵌ってしまわないための防禦としてもよろしいことでしょう。《道》を学ぼうとする者は、まずは、シナの思想を選り分けてきれいに洗い流した上で、大和魂を強固にすることこそが重要です。そして、二つの正典のうちでは、《道》を知るためには、とりわけ『古事記』を先にしてください。『日本書紀』を読むには、大いに心得が必要です。文のままに解釈しては、いにしえの意味とは違ってしまうことがあり、必ずシナの思想に足を取られてしまいます。それから、〔斎部広成の編纂した〕『古語拾遺』は、やや後代のものではありますが、二つの正典の助けとなることが多いですから、早めに読んでください。それから、『万葉集』は、歌集ではありますが、《道》を知るにはとても重要な書籍です。とりわけよく学んでください。詳しいことは以下で述べますが、まず《道》を知るための学びは、たいてい上述の書物であるわけです。
 しかしながら、『日本書紀』より後の歴代天皇の御代のことも知らないわけにはいきません。その書物とは、『続日本紀』・『日本後紀』・『続日本後紀』・『文徳実録』・『三代実録』です。『日本書紀』から『三代実録』までをあわせて「六国史」といいます。これらはみな、日本国政府による正史です。次々に必ず読んでください。また、これらの史書の中には、歴代天皇の御代の宣命(せんみょう)にいにしえの心や言葉が残っていますから、特に気をつけて読んでください。それから、『延喜式』・『姓氏録』・『和名抄』・『貞観儀式』・『出雲国風土記』・『釈日本紀』・『令』(りょう)・『西宮記』・『北山抄』、それから私の著書である『古事記伝』など、これらのおおかたは、古学の方々がよく読まなければならない書物です。しかしながら、学びはじめには、これらの書物をざっと読むということはたやすいことではありませんから、巻数の多い大部の書物はしばらく後回しにして、短い本からまず読んでいくのもよいでしょう。その中でも、『延喜式』の「祝詞の巻」・「神名帳」などは、早く読まなければなりません。そもそもこれらの書物については、必ずしも順番を決めて読むほどのものではなく、ただ都合に任せて順番関係なくあれこれと読んでいってください。
 また、どの書物を読むにしても、学びはじめには、片っ端から文の意味を理解しようとしてはなりません。まずは大まかにざーっと読んで、他の本に移って、あれこれと読んでから、また以前に読んだ本に立ち返りつつ、何遍も読んでいくうちに、最初には聞こえてこなかったこともだんだんと聞こえてくるようになるものです。そうして上述の書物を何遍か読んでいくうちに、その他の読むべき書物についても、学習方法についても、だんだんと自分の判断でできるようになってきますので、その後のことは、いちいち諭して教える必要はありません。心に任せて、力の及ぶ限り、古い書物も新しい書物も広く読むべきですが、「コンパクトでそう広くなく」というのも一法でしょう。
 それからまた、五十音の取扱、仮名遣いなどは、必ず気をつける点です。語釈は重要ではありません。そしてまた、シナの書物も一緒に読むべきです。古い書物はすべて漢字・漢文を借りて記されていて、特に、孝徳天皇・天智天皇の御代以降は、万事においてシナの制度によることが多かったですので、史書を読むにも、シナの文章法を大まかに知らないでいては、至らない点が多いからです。但し、シナの書物を読むにあたっては、とりわけ大和魂をよく固めておいてから読まなければ、シナのうまい言葉に惑わされてしまうことでしょう。このことを心得るのは、重要なことです。
 そうしてまた、だんだんと学問に入って行って、だいたいのことも大まかに合点の行くぐらいになったならば、とにかく早めに、古い書物の註釈をつくろうと決心してください。註釈をするということは、つねに大いに学問に役立つことです。そうして、上述の通り、二つの正典の次には、『万葉集』をよく学んでください。自分でも古風の歌を学んで詠んでください。どんな人でも必ず歌を詠むべきであって、ましてや学問をする者はなおさら詠まないわけにはいかないのです。歌を詠まなければ、いにしえの世の詳しい心や、雅の趣を理解することは困難です。万葉の歌の中でも、安らかで丈高くのびやかなものに倣って読んでください。また、長歌も詠んでください。そしてまた、歌には古風・後世風と時代によって違いがありますが、古学の者が古風をまず旨として詠むべきことはいうまでもありません。また、後世風も、抛っておかずにに倣い詠んでください。後世風の中にも、良いもの、悪いものとさまざまな詠みぶりがありますので、よく選んで倣ってください。また、『伊勢物語』・『源氏物語』以外にも、物語書も常に読んでください。自分で歌を詠み、物語書もいつも読み、いにしえの人々の雅の趣を理解することは、歌学びのためにはいうまでもないことですが、いにしえの《道》を明らかにする学問にとっても、非常に助けとなります。

 いかならむ うひ山ぶみの あさごろも 浅きすそ野の しるべばかりも

本居宣長
寛政10年10月21日夕方脱稿」(底本はこちら

いかがでしたでしょうか。宣長の細やかな心遣いが感じられる文章だと感じられたのではないでしょうか。

ところで、この『うい山ぶみ』という論文は、私個人としても憲法との関連で思い入れが強い論文なのです。私が長谷部恭男先生のもとで憲法学というものを研究してみようと思った最初のきっかけは、大学2年の時に先生の憲法の講義を聴講して非常に面白いと思ったことなのですが、その年に、先生の体系書が出版されて、その開巻劈頭、

「才のともしきや、学ぶことの晩(オソ)きや、暇(イトマ)のなきやによりて、思ひくづをれて、止(ヤム)ることなかれ」
(才能が貧しいとか、学ぶのに時間が掛かるとか、時間がないということで、心が折れてやめてしまわないでください。)

と書いてあったんですね。実は、これは先ほど読んだ『うい山ぶみ』の一節です。

私なんかは本当に浅学菲才の人間で、現在は実業に身を置いておりますのでなかなか研究に割ける時間というのも少ないのですけれども、それでもこの宣長の言葉に励まされて、今日まで学問をやってこれたので、憲法学に関しても、いろいろと今こうやってお話しすることができているわけです。この講義の中では、先生のことを学問的にはいろいろと批判しておりますけれども、やはりこういう基底的な部分では今でもかつての師匠には大変感謝しておりまして、それは、グリムがサヴィニーに対して学問的には袂を分かっても心情的には相変わらず感謝の念を抱き続けていたのと、多分同じなんじゃないかなと思うんですね。

まぁ、正直なところを申しますと、私個人としては、先生もいい加減左翼と一緒にアジ演説とかやっていないで、早く『うい山ぶみ』を読んだときの学問を志した初心に返って、日本を守るために働いていただきたいなぁと思いますね。本当は日本が大好きなのですから。


いずれにしても、宣長も、どこかの研究機関に属してお給料もらって研究していたのでなくて、開業医としての生業を営みながら、その傍らで国のために一生懸命学問をやっていたわけなんですよね。そういう意味で、私も宣長と同じ境遇にあるわけですから、宣長の言葉を励みにして、引き続きがんばってまいりたいと思います。

それでは、まず冒頭から見ていきましょう。宣長は、

「世に物まなびのすぢ、しなじな有て、一トようならず、そのしなじなをいはば、まづ神代紀をむねとたてて、道をもはらと学ぶ有リ、これを神学といひ、其人を神道者といふ
(世の中にある学問研究の流派は、さまざまな研究対象を扱っていて、それぞれ相異なっています。これらの学問研究の流派を挙げるとすれば、まず、神話を中心に《道》を専門的に研究する流派があります。これを神学といい、その人を神道者といいます。)

と述べています。ここで確認しておかなければならないのは、ここでは《国体》は「道」という言葉で表現されているということです。ここでは「神道者」という言葉も見えますけれども、この「道」というのは惟神(かんながら)の道、つまり「神様の(時代の)ままの道」ということで、「神道」と呼ばれるものでもあるわけです。つまり、《国体》=「道」=「惟神の道」=「神道」ということです。私は、神道というものを「宗教」とカテゴライズするのは根本的に間違っていると思っているのですが、なぜかといえば、「神道」というのは本来は「惟神の道」、つまり、神々の時代にまで溯る《国のあり方》、《日本人のあり方》そのものを指しているからです。そういえば、天皇陛下のおことばとかをまとめた本が、宮内庁から『道』というタイトルで出版されていますけれども、ここには、《国体》という意味合いが間違いなく籠められていると思います。

ちなみに、先ほどM先生のお話に、GHQの発した「神道指令」というものが出てきましたけれども、これは、現在では「神道」という一つの宗教を壊すための指令であるかのように誤解されておりますが、実際には全然違っていて、これは、日本の《国体》そのものを壊す指令、つまり、《日本の国のあり方》、《日本人のあり方》そのものを壊すための指令だったのですね。その辺りのことも、きちんと宣長まで溯れば自然と理解できるわけです。

そして、この《国体》=「道」=「惟神の道」=「神道」を研究する学問を、宣長自身は「神学」と呼んでいます。我々が「国学」と呼んでいるものです。しかし、宣長自身は「国学」と呼ばれることを非常に厭がるんですね。この『うい山ぶみ』は、本文は非常に短いのですけれども、膨大な註がついておりまして、最初の註には次のように書いてあるんですね。

「物学ビとは、皇朝の学問をいふ、そもそもむかしより、たゞ学問とのみいへば、漢学のことなる故に、その学と分むために、皇国の事をば、和学或は国学などいふならひなれども、そはいたくわろきいひざま也、みづからの国のことなれば、皇国の学をこそ、たゞ学問とはいひて、漢学をこそ、分て漢学といふべきことなれ
(学問研究というのは、日本についての学問をいいます。そもそも、昔から、単に「学問」とだけいえばシナの学問のことを指していたために、日本についての学問を「和学」とか「国学」などと称する習慣となっていますが、これは非常に悪い言い方です。自分の国のことなのですから、日本についての学問のほうをむしろ単に「学問」と呼んで、シナの学問のほうを「漢学」と呼ぶべきです。)

つまり、その当時「学問」といえば中国の学問のことを指していたわけですが、しかし、それはおかしいということを宣長は言うわけですね。それで、その「学問」と区別して、日本のことを学ぶ学問というのを「国学」とか「和学」と言っていたのですけれども、それは逆だと。学問といったら本来は、日本のことを学ぶことを「学問」と言って、それと区別して中国のことは「漢学」と呼ぶべきだと。なぜかと言うと、そもそもそういう言い方が通常であるぐらいに、日本人というのは当時外国思想に侵されていた。それで、それを洗い流すということをやらなければいけない、ということを宣長は言うわけです。

道を学ばんと心ざすともがらは、第一に漢意儒意を、清く濯(スス)ぎ去て、やまと魂(タマシヒ)をかたくする事を、要とすべし
(《道》を学ぼうとする者は、まずは、シナの思想を選り分けてきれいに洗い流した上で、大和魂を強固にすることこそが重要です。)

つまり、日本のことを学ぼうとする者は、まずは外国思想をきれいに選り分けてきれいに洗い流した上で、大和魂、日本人の本来の心というものを強固にすることが大切であると、宣長は言っているわけです。これが、『うい山ぶみ』で一番大事な部分だと私が思っている箇所なんですが、それで、そのための方法として、具体的にはどうすればよいかという話がもう少し前に出てきておりまして、

「さてその主(ムネ)としてよるべきすぢは、何れぞといへば、道の学問なり、そもそも此道は、天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道、四海万国にゆきわたりたる、まことの道なるが、ひとり皇国に伝はれるを、其道は、いかなるさまの道ぞといふに、此道は、古事記書紀の二典(フタミフミ)に記されたる、神代上代の、もろもろの事跡のうえに備はりたり
(そして、その中心として依拠すべき流派はどの流派かといえば、それは《道の学問》なのです。そもそもこの道は、天照大神の道であり、天皇陛下が天下をしろしめす道であり、世界中に浸透した真の道が、ただ皇国日本にのみ伝わったものです。この道はどのような道かというと、『古事記』・『日本書紀』の二つの正典に記された神代上代のもろもろの事績の上に備わっている道なのです。)

ここでですね、なぜ我々が『古事記』と『日本書紀』を学ばなければならないか、特に『古事記』を学ばなければいけないかということがわかるわけです。『古事記』より後に、いろんな本が日本でも出てますけれども、それらというのは全て、やはり外国思想の影響を受けている中で、『古事記』というのは、特に『古事記』の上巻、神様の時代のお話というのは、本来の日本の姿、日本人の姿、日本の国のあり方というものを示しているから、だから重要なんだということを言っているわけです。そもそも私たちが『古事記』を読めるのは、この宣長の御蔭でございまして、現在の日本人が『古事記』を読めるようになったのは、まさにこの宣長が解読して読めるようにしたからなのです。それまで解読不能の文書だったのが、宣長が読めるようにして、「これはすごいものだ!」ということに気づいて、それで、ようやく《日本人》というアイデンティティーが生じて、我々が日本人としての誇りを持てているということなんですね。

ですから、我々にとっても、日本の《国体》というものは『古事記』を読むことで学ぶことができるということなのです。ですから、M先生のやっている『古事記』の講座というのは非常に大事であると私は考えていますし、それは、我々にとってだけではなく、日本人全体にとって大事なことあると思うわけなんですね。

それで、その際にですね--今日は、丸山眞男という、左翼の学者で「ザ・戦後レジーム」みたいな人ですけれども、その人の書いた『日本の思想』という本からの引用もお配りしておりまして--Aさんのおっしゃっていた「国体というものが非常にわかりにくい」という考え方そのものが、まさに《戦後レジーム》そのものであるということについても、ちょっとお話ししたいんですね。

実は、先程M先生のお話にも出てきた「神道指令」によって、『国体の本義』と『臣民の道』という2冊の本が発禁になったんですね。本来であれば、宣長の言うように『古事記』を何度も繰り返し読むのが良いのですけれども、実際には、我々が『古事記』を読んでもなかなか分かりにくいものですし、また、それが日本人としてのアイデンティティー、国のあり方とどう直結するのかというのは、なかなか難しい話であるわけです。そこで、その点を非常に分かりやすく書いてあるのが、『国体の本義』という本でございまして、私も、この本をみんなに読んでもらいたいなと思って--ここ(=日本会議久喜支部)の方々だけではなくて、国民の皆様に広く読んでいただきたいなと思って--ウェブサイトのほうに現代語化したものを上げているんですけれども、それを読むとですね、《国体》というものがどういうものなのかということが非常によく分かるんですね。

《国体》というのは、要するに日本人としてのあり方ですから、いくらGHQが一生懸命検閲とかして政治的に否定しても、そんなに人間というのは簡単に変わるわけではありませんから、とりわけ人間本来の心に近いところでは意外によく残っているものなのです。以前、『グリム童話』の序文を読んだ時に、グリムが《ドイツらしさ》を探し求めるにあたって、「実に多くのものがすでにその生命力を失い、それについての記憶さえ失なわれているのに、ただ民謡や素朴な家庭の昔話だけが残っている」とか、「暖炉のまわり、台所のかまど、屋根裏への階段、今でも祝われている祭日、静けさの中の牧場や森、そして何よりも濁りのない想像力が、それらを守り、時代から時代へと伝えてきた生け垣となった」と言っていたことを覚えていると思います。だから、グリムは《ドイツらしさ》を求めて童話の蒐集を行うわけなんですが、それは日本も同じで、GHQによって《日本らしさ》というのは大いに失われてしまったのですけれども、実際には、サブカルチャーなんかによく残っているわけなんですね。

例えば、将棋というゲームがありますけれども、ここには非常によく日本の《国体》というものが表れていて、実は、実際にもGHQが日本の将棋を禁止しようとしたことがあります(升田幸三という棋士がうまく反論して事なきを得た)。どういうことかと申しますと、日本の将棋というのは西洋のチェスとは全然違いまして、一回とった駒を自分の駒として打つことができるのですね。これは、西洋では考えられないことでございまして、あちらでは、《敵》と《味方》というのは絶対的なもの、あるいは、《正義》と《悪》というのは絶対的なものなのですけれども、日本人にとってはそうではない。これは将棋だけではなくて、例えば、携帯ゲームというのが今流行っていますけれども、よくCMでやっているパズドラとかコロプラとか、そういうのも全部そうなんですが、《倒した敵が全て味方になる》という、そういうシステムを採用してるんですね。私の知る限りでは、一番最初にそれをやったのは、ファミコンの『女神転生』というゲームなんですが、それが、「これはいいじゃないか!」ということで広まっていって、今や日本のゲームは、ほとんどがそればっかりになっているという現実があるんですね。それはなぜかというと、やっぱりそれが日本人の心性に合うからどんどん広まっていくわけです。

それから、『ドラゴンボール』という漫画がありますけれども、これも、《敵だと思って戦っていた人が、どんどん味方になっていく》という、そういうお話なんですね。ウーロンとか、天津飯とか、ピッコロ大魔王とか、そういう人たちが全部敵だったのが、どんどん味方になっていくという、それが《日本人らしさ》、つまり日本の《国体》の重要な一つの側面だと思うわけですね。そして、実際に『国体の本義』にも、まさにそれが我が国体の一つの表れ方である、ということが書いてありまして、例えば、「国民相互の和」の項には、

「要するに我が国においては、それぞれの立場による意見の対立、利害の相違も、大本(おおもと)を同じうするところより出づる特有の大和(だいわ)によってよく一となる。すべて葛藤が終局ではなく、和が終局であり、破壊をもって終わらず、成就によって結ばれる。ここに我が国の大精神がある。而して我が国に現れるすべての進歩発展は、皆かくして成される。聖徳太子が憲法十七条に、

 和をもって貴しとなし、忤(さか)うることなきを宗(むね)と為(な)す。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者少し。ここをもってあるいは君父に順(したが)わずして、乍(また)隣里(さととなり)に違う。しかれども上和(やわら)ぎ下睦(むつ)びて、事を論(あげつら)わんに諧(かな)いぬるときには、すなわち事理(ことわり)自ずからに通ず。何事か成らざらん。

と示したもうたのも、我が国のこの和の大精神を説かせられたものである。」

と述べられていますし、「武の精神」という項には、

「而してこの和は、我が国の武の精神の上にも明らかに現れている。我が国は尚武(しょうぶ)の国であって、神社には荒魂(あらみたま)を祀る神殿のあるのもある。修理固成の大命には天(あま)の沼矛(ぬぼこ)がまず授けられ、皇孫降臨の場合にも、武神によって平和にそれが成就し、神武天皇の御東征の場合にも武が用いられた。しかし、この武は決して武そのもののためではなく、和のための武であって、いわゆる神武(しんぶ)である。我が武の精神は、殺人を目的とせずして活人(かつじん)を眼目としている。その武は、万物を生かさんとする武であって、破壊の武ではない。すなわち、根柢に和をもち生成発展を約束した葛藤であって、その葛藤を通じてものを生かすのである。ここに我が国の武の精神がある。戦争は、この意味において、決して他を破壊し、圧倒し、征服するためのものではなく、道に則(のっと)って創造の働きをなし、大和すなわち平和を現ぜんがためのものでなければならぬ。」

とあり、究極的な「和」のありかたとして、

「我が国の和は、理性から出発し、互いに独立した平等な個人の機械的な協調ではなく、全体の中に分(ぶん)をもって存在し、この分に応ずる行いを通じてよく一体を保つところの大和(だいわ)である。したがって、そこには相互のものの間に敬愛随順(けいあいずいじゅん)・愛撫掬育(あいぶきくいく)が行ぜられる。これは単なる機械的・同質的なものの妥協・調和ではなく、おのおのその特性をもち、互いに相違しながら、しかもその特性すなわち分を通じてよく本質を現じ、もって一如の世界に和するのである。すなわち我が国の和は、各自その特質を発揮し、葛藤と切磋琢磨とを通じてよく一に帰するところの大和である。特性あり、葛藤あるによって、この和はますます偉大となり、その内容は豊富となる。またこれによって個性はいよいよ伸長せられ、特質は美しきを致し、しかも同時に全体の発展隆昌をもたらすのである。実に我が国の和は、無為姑息の和ではなく、潑剌(はつらつ)としてものの発展に即して現れる具体的な大和である。

ということになるのです。したがって、

「わが国民性には、この没我・無私の精神とともに、包容・同化の精神とその働きとが力強く現れている。大陸文化の輸入にあたっても、己(おのれ)を空しうしてシナ古典の字句を使用し、その思想を採り入れる間に、自ずから我が精神がこれを統一し同化している。この異質の文化を輸入しながら、よく我が国特殊のものを生むに至ったことは、全く我が国特殊の偉大なる力である。このことは、現代の西洋文化の摂取についても深く鑑みなければならぬ。
 そもそも没我の精神は、単なる自己の否定ではなく、小なる自己を否定することによって、大なる真の自己に生きることである。元来個人は国家より孤立したものではなく、国家の分としておのおの分担するところをもつ個人である。分なるがゆえに常に国家に帰一するをその本質とし、ここに没我の心を生ずる。而してこれと同時に、分なるがゆえにその特性を重んじ、特性を通じて国家に奉仕する。この特質が没我の精神と合して他を同化する力を生ずる。没我・献身というも、外国におけるが如き、国家と個人とを相対的に見て、国家に対して個人を否定することではない。また包容・同化は他の特質を奪い、その個性を失わしむることではなく、よくその短を棄てて長を生かし、特性を特性として、採ってもって我を豊富ならしめることである。ここに我が国の大いなる力と、我が思想・文化の深さと広さとを見出すことができる。」(「没我同化」の項)

そういう意味で、《国体》というのは、もちろん天皇陛下が君臨するという、そういう側面もあるんですが、それだけではなく、本当にいろいろな側面があるということなんです。例えば、大日本帝国憲法の発布勅語という、現在の前文に当たる部分には、《君主が民を思いやり、国民が君主を思いやる》という、《思いやりの統治》のあり方というものが、我が日本国においては伝統であって、その御蔭で日本はこれまで素晴らしい歴史を歩んでくることができたのだ、ということが明確に書いてあるあるわけなんですね。

「朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ〔…〕
 惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ〔…〕」
(この日本国が栄え、日本国民が幸せになることこそが、朕の最高のよろこびです。
 思うに、代々の天皇がこの日本国を建国して永続的に継承することができたのは、日本国民の代々のご先祖様たちの協力とサポートによるものです。日本国がこの輝かしい歴史を有するのは、代々の天皇が威厳と人徳を備えるとともに、代々の国民が忠実・勇敢で国を愛し公共のために尽くしたことの結果なのです。当代の日本国民は、歴代天皇の忠実で善良な国民の子孫であるのだ、ということを朕は思い起こします。)

ですから、そういう日本の《国体》のことは、戦前の日本人は、皆当然のこととしてよく分かっていたわけです。心の中で分かっているだけではなくて、実際にもいろんなところに明記されていて、我々(=日本会議久喜支部)が毎回会のはじめに読んでいるような「教育勅語」も学校でしっかりと読んでいて、みんな《国体》というものをよく分かっていたのです。

ところが、戦争が終わってGHQがやってきて、「神道指令」によって《国体》を否定し、『国体の本義』と『臣民の道』を発禁にして、「教育勅語」を否定してこれを読ませないようにして、さらに、先日聴いた上島嘉郎さんのお話にもあったように、事前検閲・事後検閲という制度を通じて、いわゆる《戦後レジーム》が新聞社や出版社の内部論理として定着してしまうわけです。このために、GHQが去った後も相変わらず《国体》を正しく伝える言論が長らく封殺されて、その代わりに、「《国体》は悪いものだ」というイメージ操作のような言論ばかりが量産されていくわけです。本日とりあげる丸山眞男の『日本の思想』は、まさにその頃(昭和36年)に出版されたものですが、これが、国体(國體)をどのように描き出しているか、早速見てみたいと思います。

「〔戦前、〕國體を特定の「学説」や「定義」で論理化することは、ただちにそれをイデオロギー的に限定し相対化する意味をもつからして、慎重に避けられた。それは否定面においては--つまりひとたび反國體として断ぜられた内外の的に対しては--きわめて明確な権力体として作用するが、積極面は茫洋とした厚い雲層に幾重にもつつまれ、容易にその核心を露わさない。治安維持法の「國體ヲ変革シ」という著名な第一条の規定においてはじめて國體は法律上の用語として登場し、したがって否応なくその「核心」を規定する必要が生じた。大審院の判例は、「万世一系ノ天皇君臨シ統治権ヲ総攬シ給フ」国柄、すなわち帝国憲法第一条第四条の規定をもってこれを「定義」(昭四・五・三一判決)した。」(同書35頁)

つまり、丸山の説によると、「当時《国体》というものはどこにも説明されておらず、それどころか、むしろ権力に都合のいいように意図的に隠されていたが、昭和4年の大審院判決で仕方がないからようやく初めて定義された」ということなのですけれども、はっきり言ってこれはまったくのデタラメです。よくこんないい加減な話が書けるものだと正直びっくりします。

先ほどからずっと見てきた通り、《国体》というのは、明治政府(や大正・昭和の政府)が勝手に作り上げたものではなくて、惟神(かんながら)の道、つまり、神様の時代からずっとこの日本国にあって、日本人に連綿と受け継がれてきたものなのです。江戸時代になって、本居宣長があらためてその点を指摘して称揚するわけですが、先ほど見た通り、宣長は、《国体》を知りたければ『古事記』を読めばいいと明言しているわけです。丸山眞男というのは日本政治思想史の学者ですので、そんなことは百も承知なわけですが、それを素知らぬ顔して「国体というのはよくわからないですねー、恐ろしいものですねー」と言っているわけです。学者としての良心の欠片もないと言わざるをえません。

明治政府としても、まさに大日本帝国憲法においては、「告文」・「発布勅語」・「上諭」と3つの文章にわたって詳しく「皇祖皇宗ノ遺訓」=「皇祖皇宗ノ後裔ニ貽(のこ)シタマヘル統治ノ洪範」=《国体》について明確に述べていますし、この憲法を起草した伊藤博文が著した『大日本帝国憲法義解』(事実上、官撰註釈書とみなされた)にも、随所に《国体》についての解説があります。もちろん、これらは、本居宣長をはじめとする国学の研究成果の蓄積を踏まえているものでして、戦前の憲法学の本には、どの本にも必ず《国体》に関する話が定義も含めて書いてあります。

さらに言えば、学校教育の場でも、「教育勅語」という、或る程度子どもにも理解できるかたちで、「皇祖皇宗ノ遺訓」であり国民の「祖先ノ遺風」でもある12の徳目によって日本国民が一致団結することこそが「国体ノ精華」(《国体》の神髄)だとしっかり教えておりましたし、それから、これは大審院判決よりも時代は後になりますが、昭和12年には文部省が『国体の本義』を編纂して、政府として国民に広く《国体》というものを理解してもらおうと努めていたわけです。

ですから、そうした事実を全部素通りして、「国体というのは隠されていました、恐ろしいですねー」というのは、本来であれば、学問的にまったく通用しない話なのです。

ところが、大日本帝国憲法もなくなって、『国体の本義』も禁書にされて、「教育勅語」も否定されて読まれなくなってという時代に、歴史を書き換えるために、いかにもこの国体というものは全く訳の分からないものであったかのような話をまことしやかに書いている。こういうものが、日本人のいろんな人に読まれて、あたかもこれが真実であるかのようになってしまったという顚末で、現在《国体》というものが我々日本人にとってもよく分からなくなってしまっているわけですけれども、本来《国体》というものはきわめて明確なものであって、訳の分からないものであるという考え方自体が《戦後レジーム》そのものであるということでございます。

時間がまいりましたので、本日はここまでとさせていただきます。ご清聴いただきまして、どうもありがとうございました。(拍手)
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