中村ただし オフィシャルブログ

次世代政策研究会 会長 中村匡志


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開所式・中村匡志

お蔭様をもちまして、10月24日に開催いたしました次世代の党埼玉連絡所の開所式及びイフコン(タウンミーティング)は、50席全席が埋まる満員御礼の大盛会となりました。本当にどうもありがとうございました。

浜田和幸先生

参議院議員の浜田和幸先生も、飛び入りで駆けつけてくださいました。

小名木善行先生

小名木善行先生には、『古事記』の神武東征についての素晴らしいご講演をいただきました。神武天皇は東征の途上、五瀬命(いつせのみこと)とともに安芸に7年、備後に8年いらっしゃったわけですが、これは農業技術を教えておられたということで、我が国の国体は建国当時から変わっていないのだなぁとあらためて感慨を覚えました。この点については、後述の憲法改正入門講座をご参照ください。



ご著書にサインもいただきました。滑らかな筆で「明察功過」、「和と結ひ」、「忠義」、「修理固成」(しゅりこせい)と記していただきました。

第2回の埼玉イフコン・タウンミーティングは、11月28日(土)午後3時からです。『教科書が教えない歴史』シリーズで有名な自由主義史観研究会の設立メンバーとして歴史教科書改革を推進された齋藤武夫先生に、「聖徳太子の国づくりの大方針」のご講演をいただきます。是非お早めにご予約ください(お申し込みは下記画像の電話またはメールまで)。

IFCON埼玉第2回



それでは、今回も、私が日本会議久喜支部にてお話しさせていただいている憲法改正入門講義の内容を、掲載してまいりたいと思います。

第2回は、「グリムの自主憲法制定論」です。ごゆっくりとお楽しみください(以下は、実際にお話しした内容を、読みやすさ等の観点から編集したものです)。

◇ ◇ ◇


皆さんこんにちは。本日も、どうぞよろしくお願いいたします。

前回「憲法解釈というのは、結局のところ、憲法解釈者の意見を述べているのに過ぎない」というお話をしたんですが、この点については、何だか理論的な話に終始してしまいましたので、おそらく、ちょっと分かりにくかったかなと思うんですね。私が言いたいのは、例えば、自衛隊に関して、「今回の安保法制のように自衛隊が集団的自衛権を行使することは、違憲である」と主張されている方がおられる場合に、それは実際のところ、憲法そのものから「それは違憲である」という結論を導いているのではなくて、その主張している人が「それに反対だ」と政治的意見を言っているのとあまり変わらない、ということなのですが、この点について、まずは前回の説明の補足をさせていただきたいなと思うんですね。

前回のお話は抽象論で終わってしまいましたので、今回はちょっと具体例を使って実験してみたいと思います。その際に、現在の9条とかですと、いろいろ議論がごちゃごちゃになっていますので、さしあたり、架空の事例を使って分かりやすく説明したいと思うんですね。具体的には、大日本帝国憲法の次の2つの条文を使います。

第十一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第十二条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

今日はまず、この2つの条文を具体例にして、法律家がやっている《解釈》というものはどういうものなのか、ということを、まずは皆さんに実際に体感していただきたいと思うのです。

大日本帝国憲法が制定されたのが、西暦で申しますと1889年でございます。そして、1889年にこの憲法ができたその際には、軍隊というものは陸軍と海軍しか存在しませんでした。だから、憲法の起草者は「陸海軍」と規定したわけです。

けれども、それから12年後の1901年に、ライト兄弟が大西洋を飛行機を使って横断して、その後、この飛行機というものがどんどん実用化されていって、大東亜戦争の時には飛行機というものが大々的に戦争に用いられるようになったのです。現在も、自衛隊には、陸上自衛隊と海上自衛隊だけではなく航空自衛隊もございまして、三つの軍隊により編制されているわけです。これに対して、大日本帝国の軍隊は、実際にも、憲法の条文通り陸軍と海軍だけで編制されていたわけですけれども、

「それでは当時、大日本帝国は、憲法上、空軍を編制することができたのだろうか」

ということを、架空の事例として考えてみたいと思うんですね。

そこで問題になるのが、憲法の条文の「陸海軍」という文言なのです。これは当然、条文ができたときには飛行機というものが存在してなかったので「陸海軍」と書いてあるわけです。けれども、その後世界がどんどん変わって、飛行機というものができたということなのですが、そもそも憲法解釈、あるいは、憲法解釈に限らず法の解釈というものは何のためにあるかというと、条文を現実に適応させるために解釈という作業を行うわけなんです。そこで、この飛行機を使った軍隊というものを、陸軍からも海軍からも独立した軍隊として編制することが憲法上許されるかどうかという問題が、条文を現実に適応させるための解釈の問題として論じられることになるわけです。

Aさん「「軍隊ヲ統帥ス」だったらいいですよね」

そうです。憲法の文言が「軍隊ヲ統帥ス」だったら大丈夫なのですけれども、起草者の想像力が欠如したしていたというかなんというか、憲法の条文としては「陸海軍」と規定してしまったわけなんです。

それを、例えば「空軍というものをつくりたい。そしてそれは憲法上もOKなんだ」という主張する人が、憲法解釈としてどんな主張をするかというと、例えば《勿論解釈》(argumentum a fortiori)というのが解釈の一つの方法としてありまして、

「憲法には「陸海軍」を編制できると書いてあるのであるから、もちろん空軍も編制できる」

という解釈を主張するかもしれないですね。ただ、この勿論解釈というのは、漢文で出てくる「Aすらなお○○、況んやBをや」と同じレトリック(修辞法)ですから、最初に程度の甚だしいものを挙げて、それよりも程度の少ないものなら当然そうであるという、そういう言い方になります。ですから、「陸海軍ですら編制できるのだから、それよりも規模の小さな(あるいは、派生的な存在にすぎない)空軍は当然編制できる」というような、少し制限のかかった物言いになります。

それが厭な人は、《拡大解釈》(extensive Auslegung)とか《類推解釈》(Analogie)という解釈方法を検討することになります。拡大解釈というのは、例えば、

「この条文ができた時には、「陸海軍」というのは当時存在するあらゆる種類の軍隊だったのだから、この条文の「陸海軍」というのは実際には「あらゆる軍隊」という意味で使われた。つまり、飛行機というものができた現在においては、「陸海軍」という文言は「あらゆる軍隊」という意味に拡大して解釈すべきである。そうだとすると、空軍も編制できる」

というような主張です。この場合には、歴史的な立法者の意思(この場合は架空の例ですが)を援用しているので、《歴史的解釈》(historische Auslegung) という手法によって拡大解釈を正当化しているということになります。

これに対して、類推解釈というのは、

「「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」・「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」という、この2つの条文は、《すべての国家は自衛権を有する》という一般原則の表れであって、そうであるとすれば、この一般原則から、我が国は空軍を編制できるという自明の結論を導くことができる」

というような解釈です。拡大解釈と類推解釈は、機能的にはよく似ていますが、拡大解釈がその条文限りのものであるのに対して、類推解釈というのは一般的な法原則を抽出する点が違います。いわば、拡大解釈というのは、或る意味「場当たり的」なのものであるのに対し、類推解釈は一般的な原則を抽出するので、いろんな局面に適用できることになって、その分射程が広くなります。

この辺りの話は、おそらく一度には消化できないと思います。私も、この辺りの法学方法論の話は、大学で法律学を勉強し始めて2年くらい経ってようやく少しずつ仕組みが分かってきて、さらにそれを使いこなせるようになるまで数年かかりましたから、いま一気に理解しようとする必要は全然ありません。今は、何となくイメージを頭にとどめておいていただくだけで十分です。こういった技術は、例えていうと、大工さんでいう鉋(かんな)とか鑢(やすり)みたいなもので、触らせてもらうのに何年かかかって、それを使いこなすまでにまた何年もかかる、というような、一種の職人芸なのです。

いずれにしても、中世イタリアから千年近くの歴史を誇る法解釈学(Rechtsdogmatik)の職人芸的技術をもってすれば、あの2つの条文から「空軍も編制できる」という結論を導くことは、それほど難しいことではないのです。

しかし、この条文から全く反対の結論を導くこともできます。すなわち、

「条文には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」、あるいは「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」としか書いていないので、空軍は、憲法を改正しないと編制できない」

という解釈論を主張することもできます。これを《反対解釈》(argumentum e contrario)といいます。つまり、テーゼ(命題)を裏返すかたちで、《条文に書いてあること》から《条文に書いていないこと》を導くのでございまして、この場合であれば、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」という条文から「天皇は、陸海軍ならざるものを統帥せず」、「天皇ハ陸海軍ノ編制〔…〕ヲ定ム」という条文から「天皇は、陸海軍ならざるものの編制を定めず」という結論を導き出す。これが反対解釈です。

実は、これは論理学的には正しくない方法なんですね。論理学的にいうと、「命題」と「命題の裏」は同値にはならないということなんですが、それは確かにそうなんですけども、それがまぁ「陸海軍」としか書いてないんだから、何となくそういう結論が導かれそうな気もするということで、論理学上は決して正しくないのですけれども、法学上は伝統的に正しい方法だと認められているわけです。結局のところ、法学というのは《説得の学問》ですので、論理的に正しいかどうかという点よりも、聴いている人が納得するかどうかという点のほうが大事であるわけです。

ですので、法解釈論としては、これはどちらの解釈もあり得るということになります。つまり、法学の世界においては、同じ条文から「空軍を創設できる」と言う結論も、「空軍を創設できない」と言う結論も、どちらも同じように導くことができるということなんですね。ですから、憲法解釈というのは、主張している人の意見を単に述べているに過ぎないということになるわけでございます。賛成の意見の人は「合憲」という解釈を主張するし、反対の意見の人は「違憲」という解釈論を主張する、というだけの話なのです。

ですから、そういう意味では、憲法学者が言っていることというのは、そこらへんの飲み屋で酔っ払いのおっちゃんが言っていることと、大して変わらないんですね。どちらも《意見》を言っているにすぎないという意味では。だから、むしろ重要なのは、その帰結が果たして現実の世界で妥当なものなのかという点なのです。9条の解釈論の場合であれば、どれだけしっかりと外交・防衛の現実を踏まえたものであるのかとか、本当に国の命運を任せられるくらいに正確な現状分析と政策構想に基づくものであるのかとか、あるいは、本当に「この素晴らしい日本国を、自分の子どもたち、孫たちに末長く受け継いでいきたい」という愛国の情から出たものであるのかとか、そういった点であるわけです。

まさにこの点を憲法学者がおろそかにしていて、随分いい加減なことを言っているから、私は腹を立てているわけです。まず、「この日本をしっかりと守り、子々孫々に永遠に受け継いでいきたい」という愛国の気持ちが、欠片も感じられない。これが一番の問題です。サヴィニーやグリムの爪の垢でも煎じて飲んでほしい。それに、今時、「中国に対して防衛できる体制なんか整えなくていい」とか、よく平気であんなことを言えるもんだと思いますよ。本当に、平和ボケとしか言いようがない。本日いらしていただいている皆さんのほうが、よっぽど外交・防衛の現実をよく分かっていらっしゃると思います。

まぁ、これは別に憲法学者を責めているわけではなくて、私も研究者の世界にいたのでよく分かりますけれども、特に憲法の研究者というのは、研究室に籠って論文ばかり読んで、あの閉鎖的なムラ社会でずーっと暮らしていますから、あんまり外の世界のことは分からないわけです。別に内政・外交の専門家でもないし、現実政治の世界も知らないし、しかも、学界全体を支配しているあのおかしな左翼的な雰囲気にだんだん染まっていって、一般国民の感覚からどんどんズレていってしまう。でも、彼らは一応憲法に関して意見を言うのが仕事ですから、まぁこういう局面になるといろんなことを言うわけです。

でも、彼らとしては、たとえ言っていることが間違っていても何の責任も取る必要はないし、その所為で中国が攻めてきても何の責任も取らないわけです。そんな無責任な意見に国の運命とか国民の生命が左右されてはたまりませんから、だからこそ、きっちりと選挙というかたちで国民の信託を受けた安倍さんは、そういういい加減な意見はきちんと受け流して、その代わりに必要な法案をしっかりと通して、国民のために責任をきっちり果たしたわけです。

というところで、やや長くなりましたけれども、以上で前回の補足を終わりまして、そろそろ本題に戻りたいと思いますが、まずは、前回どういうお話をしたかということを、ちょっと思い出していただきたいんですけれども、

Bさん「グリムの話です」

そうですね。グリムの話をさせていただいてですね、


こちらですね、グリム。グリムというのは単なる童話作家ではなかったと。この人たちは《ゲルマニスト》と呼ばれる人たちであって、《ゲルマン魂》、つまり《ドイツらしさ》というのはどういうことなのかというのを研究する、あるいは、昔のいろんな史料から発見する、そういうことを対象とする学問をやっていた人だということで、我が国でいえば、さしづめ本居宣長のような方であったということです。「《大和魂》、つまり《日本らしさ》とはどういうことなんだろう」ということを熱心に研究したのが《国学》ですけれども、グリムのやっていた《ゲルマニスティック》という学問は、それと同じものであったということでございます。

そこまでは日本とドイツで同じなのですけれども、ドイツと日本で違うのは、このグリムが憲法制定にあたって指導的な役割を果たしたという点なのです。この点については、草加にある獨協大学の先生で、残念ながら今年お亡くなりになってしまいましたが、堅田剛先生という法制史の先生がいらっしゃって、その先生の『法のことば/詩のことば』という論文集に詳しいお話が載っておりますので、これからちょっとそれをみんなで読んでみたいと思います。

「〔1848年の「ドイツ帝国憲法」(いわゆるパウロ教会憲法)を制定する会議であるフランクフルト国民会議の〕第二十九選挙区はライン川下流のエッセンを中心とする地域から構成されていたが、グリムがここに住んでいたわけではない。当時はアカデミー会員兼大学教授として、彼の住居はベルリンにあった。にもかかわらず、五月一九日の再選挙で急遽選出され、グリムもこれを受けた。このような選挙であったにもかかわらず、右の手紙〔省略〕には驚きもためらいも認められない。グリムは当選を当然のこととして受けとめ、ただちにフランクフルトに赴いた。
 実をいえば、グリムはすでに無名の「政治家」ではなかった。彼は一八四六年と四七年にはフランクフルトとリューベックでゲルマニステン大会〔=ゲルマニスト大会。「ゲルマニステン」(Germanisten)は「ゲルマニスト」(Germanist)の複数形〕を主宰し、四八年三月革命時のいわゆる準備議会にも議員として参加していたからである。そのうえ三七年に起きたゲッティンゲンの七教授事件の記憶は、中心人物ヤーコプ・グリムの名とともに、人々の胸にいまだ強く残っていた。三月前期をとおしてグリムは自由と統一の象徴であり続けた。〔…〕
 〔憲法草案を起草する「一七人委員会」の〕委員は各領邦国家から出されたが、このなかにはプロイセン代表のダールマン、ヴュルテンベルク代表のウーラント、ハンザ諸都市代表のゲルヴィーヌスなどがいた。この委員会の仕事はまもなく準備議会に引き継がれ、一七人委員会の多くもそれに参加した。
 ここに挙げた委員たちはみなグリムと密接な関係にある。たとえば文学者のウーラントは、ゲルマニステン大会においてグリムを議長に推薦した人物である。また政治学者のダールマンと歴史学者のゲルヴィーヌスは、グリムとともにゲッティンゲンの七教授事件において中心的な役割を果たしていた。〔…〕
 三月三一日に開会した準備議会へのグリムの関わりについては、これに加えてハイデルベルク集会との関係もみておかねばならない。この集会は、一七人委員会と準備議会の前身として位置づけられる。〔…〕
 彼らの人脈は、ゲッティンゲンの七教授事件、ゲルマニステン大会、準備議会といった一連の政治的出来事のなかで培われてきたものだ。そしてこうした人脈の真ん中にグリムがいたことは、もっと注目されてよい。グリムはダールマンほどには政治的でなかったけれども、グリムの素朴な政治性こそが、のちに述べるように、大きな政治的役割を果たすことになった。〔…〕
 フランクフルト国民議会は、五月一八日にパウロ教会で開催された。マイン河畔のフランクフルト市が選ばれたのは、ドイツのほぼ中央部に位置するという地理的理由ばかりではなく、神聖ローマ帝国の皇帝がここで代々戴冠式をおこなったという歴史的理由にもよる。もとよりそのような帝国はとうの昔になくなってはいたが、依然としてここは統一ドイツの神聖な場所であり続けた。パウロ教会はこの町の中心、レーマー広場に面して建っている。
 議会開会の日を描いた有名な絵によれば、白シャツの民兵と連邦軍が整列する中を、燕尾服を着た議員たちが隊伍を組んでパウロ教会に入場していく。それを見物する大勢の市民たち。そして教会の入り口で彼らを迎える黒・赤・金の三色旗。ドイツの統一を表す旗である。〔…〕
 しかしながら、ヤーコプ・グリムの姿は国民議会の開催日にはまだ見出すことができない。彼が選出されたのはその翌日だからで、ベルリンからフランクフルトに到着するのは、さらに数日後のことである。

 「一八四八年五月二四日、グリムは議員としてフランクフルト国民議会に加わった。彼はパウロ教会において、真ん中の列の演壇の真ん中の特別席に座った。」

 あたかも真打ち登場とでもいうかのように、グリムは遅れて議場に入り、しかも真ん中の特別席に着席する。ドイツの中心、フランクフルトの中心、そしてパウロ教会の中心にグリムがいる。フランクフルト国民議会は、この瞬間において、自由と統一の象徴たるヤーコプ・グリムの議会であった。
 フランクフルト国民議会には、ダールマン、ゲルヴィーヌス、アルプレヒトといったゲッティンゲンの同志もいたし、ウーラント、ミッターマイアー、ベーゼラー、そしてアルントのようなゲルマニステン大会の参加者もいた。彼らはここの政治的立場は同じではなかったけれども、その中心にはきまってグリムの存在があった。やはりこの意味でも、国民議会はグリムの議会であった。」(堅田剛『法のことば/詩のことば』204-208頁)

このように、グリムは、いろいろな意味で、このとき、憲法制定議会であるフランクフルト国民議会の中心にいたわけです。前回もお話しした通り、サヴィニーをはじめとして、この時代のドイツの学者というのはみんな愛国者なのです。勿論グリムも熱烈な愛国者であって、この国民会議においても「ドイツの領土であるシュレースヴィヒ=ホルシュタインを侵略するデンマークに対しては徹底抗戦すべきだ」という演説も行っているわけですが、このグリムこそが、古くからの言い伝えや法書や言語から《ゲルマン魂》、つまり《ドイツらしさ》を学問的に洗い出す《ゲルマニスティック》という学問を大成したわけです。

そして、そのグリムがどのような憲法を提案したかというと、前回お話しした、「借り物」のローマ法から解放されたドイツ独自の《帝国国法論》(いわば「ゲルマン憲法」)において《ドイツらしさ》の核心をなしていた《自由》というものを、まさに憲法の第1条に置くべきだと主張したのです。そうすることによって、この憲法ははじめて《ドイツらしい》憲法になるのだ、ということです。この点についても、堅田先生の論文を叮嚀に読んでいきましょう。

「グリムが「国民」というとき、これは「民族」のことである。国民議会における〔グリムの〕第三の演説「基本権について」は、まさにこの観点からの修正動議であった。グリムの動議は、基本権に関わる憲法委員会草案の第一条を修正せよとする。この意味で、それは統一ドイツの憲法および国家体制そのものの根底にも関わるものであった。

 「諸君! 私の誇りとする条項のために若干の言葉を提案せねばなりません。〔…〕自由の概念は神聖かつ重要なものでありまして、これを我々の基本権の冒頭に据えることが私にはどうしても必要なことと思われます。」

〔…〕憲法委員会の草案第一条は、「すべてのドイツ人はドイツ一般市民権を有する……」というものであった。だがドイツ人とは誰か。〔…〕以下にみるように、彼の提案は〔…〕人権の前にまず「自由」の理念から国家と国民の性格規定をおこなおうとするものであった。

 「ゆえに草案の第一条を第二条として、そこに次の内容の第一条を挿入することを提案いたします。

  『すべてのドイツ国民は自由である。ドイツの国土はいかなる奴隷状態も容認しない。ここに留まる外国の非自由民をドイツの国土は自由にする。』

 ゆえに私は、自由の権利からさらに自由の効力を引き出します。そうでなければ空気は不自由にするのであって、ドイツの空気は自由にするものであるはずだからです。以上述べたことで、議案の趣旨を説明するには充分だと思われます。(多くの席からブラヴォー)」

 ドイツの空気は自由にする(Deutsche Luft macht frei.)というこの提案は、〔ゲルマン法の〕有名な法諺「都市の空気は自由にする」(Stadtluft macht frei.)を明らかに踏まえている。すなわち中世ヨーロッパにおいては、農民が自治権を認められた自由都市に逃げ込んで一年と一日滞在した場合には、この農民は土地と領主から解放されて自由な身分を獲得することができた。〔…〕
 こうしたゲルマン的自由の理念を、グリムは近代的国民国家における文字どおりの基本権として再構成しようとする。かつて都市が自由であったように、今度は国家が自由な場所とならねばならない。」(同書217-219頁)

つまり、1848年にフランクフルトでパウロ教会憲法というものが制定されて、これが、当時ドイツはバラバラだったんですけれどもそれを一つにまとめるための一つの憲法をつくろうということで、その中心にいたのがグリムであったわけですが、そのグリムは、それまでのゲルマニスティックの研究から、ドイツという国の本質をなす国柄--日本でいえば国体--を発見して、それはこのグリムの考えでは《自由》であって、そして、この《自由》というものこそが《ゲルマン魂》、《ドイツ人らしさ》の本質をなしている、したがって、ドイツの国の一番根幹となるあり方である、という風に考えたんですね。だからこそ、ナポレオンによって崩壊させられた祖国ドイツを再び統一し再興する憲法の第1条には、

「すべてのドイツ国民は自由である。ドイツの国土はいかなる奴隷状態も容認しない。ここに留まる外国の非自由民をドイツの国土は自由にする。」

という、まさにこの条文が来なければいけない、そうでなければ、本来的な意味でのドイツ人の憲法、すなわち《自主憲法》にはならない、ということを、グリムは能う限りの情熱をもって主張したのですね。

しかし、結局のところ、このグリムの提案は、賛成192票、反対205票という僅差で否決されてしまって、うまく行かなかったのです。それで、「これが受け容れられないんだったら、俺がここにいてもしょうがない」ということで、グリムは国民議会に見切りをつけて帰ってしまうわけなんです。けれども、それまでの経緯も含めて考えると、グリムがいなかったらこのパウロ教会憲法というものは存在していなかった、というのは間違いのないところでございまして、そして、このパウロ教会憲法というのは、1919年のヴァイマル(ワイマール)憲法や、現在のドイツの憲法である1949年のボン基本法の模範となっているわけですから、ドイツにおいては、現代においても、ドイツの国をつくった最大級の偉人として、グリムがこの旧千マルク札に描かれているわけなのです。

このことから何が学べるかといいますと、何よりもまず、現在の憲法改正の議論においては「《日本らしさ》は何か」という点に関する認識が全く欠けてしまっているということが、一番の問題なんじゃないかなということを、私は思うわけなのです。その点がすっぽり抜け落ちてしまっていると。

Cさん「そう。それがないんですよね」

そうなんですよ。本来憲法というものは、このグリムの自主憲法論と同じように、《大和魂》、《日本らしさ》というものをまず出発点に据えなければならないわけです。

一般に《自主憲法論》というと、「アメリカ人が起草して、アメリカの占領下のいろいろな圧力の中で制定された」というあの苦い制定経緯がありますので、《日本人が起草し、日本国民が自由意思によって制定する》という手続面さえクリアできれば良いと誤解されている方もたくさんおられるわけです。勿論そういう手続面もとても大事で、グリムも国民議会で「外国の干渉を許してはならない」ということもまた熱心に主張しているわけですけれども、それと同じくらいに、あるいはそれ以上に、《どういう憲法を制定するか》という内容面、実体面の話が大切であるということを、グリムの自主憲法論はまた教えてくれているわけです。

そして、内容的には、法の究極の淵源をなす日本にとっての民族精神、つまり《大和魂》、《日本らしさ》に関する議論が最初に来なければいけないわけです。伝統的な言い方をすれば《国体論》、要するに、「この日本国は一体どのような国であるのか」ということを探求する《国柄》の議論こそが、一番最初に来なければならないのです。そして、この《国柄》というものは、当然、どこぞの外国が一時的に掌握した権力で勝手に押し付けていった紙切れにあるのではなく、まさしくサヴィニーが説いた通り、我々日本民族が歩んできた《歴史》そのものの中にこそあるものなのです。もちろん9条の改正は実際に必要な改正だと思うんですけれども、それは、やっぱり「日本の国というのはどういう国なのか」という《日本らしさ》の議論、《国柄》の議論が出発点にあって、そこからの帰結、あるいは派生するものとして主張すべきものであって、最初の議論がすっぽ抜けて9条というのは、私はあまり良くないことなんじゃないかなぁと思うんですね。

そういう点も含めて、我々がどのような憲法改正をしなければいけないかと言うことを、いろいろと考えているんですけれども、例えば石原先生なんかは日本国憲法破毀論というの唱えておられまして…

Dさん「明治憲法に戻すんですよね」

そうです。「日本国憲法を破毀することによって、大日本帝国憲法を復活させよう」ということを、おっしゃっておられるわけですよね。しかしながら、先程見た11条と12条という二つの条文をとってみても、大日本帝国憲法という憲法は必ずしも完璧ではないわけです。空軍をどうするかというような重要なことが書いていなくて、空軍をつくろうとしても、賛成論も反対論もどちらの解釈も帰結できるし、改正しようにも、そもそもこの憲法は「不磨の大典」であるという憲法慣習が成立してしまったために、事実上改正不能となっていたわけです。だから、空軍という新たな軍隊が必要になっても、結局のところどうしようもなかったわけです。その他にも、さまざまな欠陥がございまして、そういう欠陥が原因となって、戦前のいろいろな政治論争が巻き起こされたりしましたので、そういう意味でも、決して完璧ではないんですね。

しかし、他方、日本国憲法もボロボロであると。ボロボロであるというか、もちろん上っ面だけ見ると良いところも全くないわけではないですけれども、そもそも根本の部分がいかれてしまっている。別のところでお話ししたこともありますけれども、日本国憲法というのは、実は、いろんな意味で日本を壊すようなもの、あるいは《日本らしさ》を壊すようなものになってしまっている。これは、敗戦後の占領状態において、日本人の団結力とか強さとかにさんざん苦しめられた戦勝国の意図でこの憲法が制定されたということに起因するわけですけれども、日本国憲法は、そういう意味で、完全に根っこが腐っているわけで、この憲法でこの日本国という大木を今後千年、二千年と永続させていくことは構造上無理であるわけです。

ただ、そういう中にあっても、何とか伝統をきちんと受け継いで《日本らしさ》を保っている規定も実際には少なくないですし、あるいは、腐った根っこの部分さえきちんと生命力のある根っこにすげ替えてあげれば、我が国のもの、《日本らしい》ものとして息を吹き返してくるという、そういうような幹の部分もあります。例えば《民主主義》というのはその一つです。昭和21年の衆議院における憲法改正審議においては、当時の吉田茂首相が、

「日本においては他国におけるがごとき暴虐なる政治とか、あるいは民意を無視した政治の行われたことはないのであります。民の心を心とせられることが日本の国体であります。故に民主政治は新憲法によって初めて創立せられたのではなくして、従来国そのものにあった事柄を単に再び違った文字で表したに過ぎないものであります

と述べていますけれども、実際にもまさにその通りで、我が国においては古来より国民は「おおみたから」と呼ばれて、国政においては何よりも貴(とうと)いものとして尊重されてきました。つまり、天皇陛下にとって国民というのは、皇祖皇宗、すなわち皇室の祖先神や歴代天皇からお預かりしている最も大切な宝なのであって、粗末にすることなどありえないわけなのです。

これに対して、ヨーロッパの「民主主義」(デモクラシー)というのはギリシャに起源をもちますけれども、これは、デーモス(δῆμος、民)のクラトス(κράτος、支配)ということで、「民による支配」という意味です。つまり、ヨーロッパにおいては、《統治》というのは、誰が統治するにしても常に「支配」であるわけなのですが、日本はそうではない。選挙の時にもずっとお話ししましたけれども、《君主が民を思いやり、民が君主を思いやる》という《思いやりの統治》こそが、我が国の統治の根本原理であるわけです。これは常識的に考えても、ヨーロッパの「デモクラシー」(民の支配)よりも断然優れた統治体制で、だからこそ、この日本という国はこんなに長く続いてきたわけです。要するに、同じ《民主主義》という概念一つとっても、ヨーロッパ流の解釈をすると「支配」というキナ臭いものになるのに対し、日本の国体にのっとった解釈をすれば、実に平和的で皆が幸せになる、そういう素晴らしい統治形態のことを指すようになるのです。

したがって、いま述べてきたそういういろいろな意味で、「大日本帝国憲法か日本国憲法か」という二択論というのは、正しくないと思うのです。この点についての資料として、私の好きなコリンズの『ビジョナリー・カンパニー』という本、これは「どうやったら素晴らしい組織(ビジョナリー・カンパニー)ができるか」という組織論の本ですけれども、非常に共感できる記述がありましたので、こちらもちょっとみんなで読んでみたいと思います。

「挿話 「暴君《あれかこれか》」ではなく「天才《あれもこれも》」

 以下では、中国の陰陽思想からとった陰と陽の紋様を随所に使っていく。この紋様は意識的に選んだもので、ビジョナリー・カンパニーの重要な側面を象徴している。ビジョナリー・カンパニーは「暴君《あれかこれか》」に屈することはない。「暴君《あれかこれか》」とは、逆説的な考えは簡単に受け入れず、一見矛盾する力や考え方は同時に追求できないとする理性的な見方である。「暴君《あれかこれか》」に屈していると、ものごとはAかBかのどちらかでなければならず、AとBの両方というわけにはいかないと考える。たとえば、こう考える。

・「変化か、安定かのどちらかだ」
・「慎重か、大胆かのどちらかだ」
・「低コストか、高品質かのどちらかだ」
・「創造的な自主性か、徹底した管理かのどちらかだ」
・「未来に投資するか、目先の利益を追求するかのどちらかだ」
・「綿密な計画によって進歩するか、臨機応変に模索しながら進歩するかのどちらかだ」
・「株主の富を生み出すか、社会の役に立つかのどちらかだ」
・「価値観を大切にする理想主義か、利益を追求する現実主義かのどちらかだ」

 ビジョナリー・カンパニーは、この「暴君《あれかこれか》」に屈することなく、「天才《あれもこれも》」によって、自由にものごとを考える。「天才《あれもこれも》」とは、さまざまな側面の両極にあるものを同時に追求する能力である。AかBのどちらかを選ぶのではなく、AとBの両方を手に入れる方法を見つけ出すのだ。
 このあと八章にわたり調査結果をくわしく述べていくなかで、ビジョナリー・カンパニーの多くが、こうした一見矛盾する逆説的な考え方を持っていることを説明していく。以下に例をあげてみよう。

 「利益を超えた目的も、現実的な利益の追求も」
 「揺るぎない基本理念と力強い変化も、前進も」
 「基本理念を核とする保守主義も、リスクの大きい試みへの大胆な挑戦も」
 「明確なビジョンと方向性も、臨機応変の模索と実験も」
 「社運を賭けた大胆な目標も、進化による進歩も」
 「基本理念に忠実な経営者の選択も、変化を起こす経営者の選択も」
 「理念の管理も、自主性の発揮も」
 「カルトに近いきわめて同質的な文化も、変化・前進・適応する能力も」
 「長期的な視野に立った投資も、短期的な成果の要求も」
 「哲学・先見・未来志向も、日常業務での基本の徹底も」
 「基本理念に忠実な組織も、環境に適応する組織も」

 両者のバランスをとるといった月並みな話をしようというのではない。「バランス」とは、中間点をとり、五十対五十にし、半々にすることだ。ビジョナリー・カンパニーは、たとえば、短期と長期のバランスをとろうとはしない。短期的に大きな成果をあげ、しかも、長期的にも大きな成果をあげようとする。ビジョナリー・カンパニーは、理想主義と収益性のバランスをとろうとしているわけではない。高い理想を掲げ、しかも、高い収益性を追求する。ビショナリー・カンパニーは、揺るぎない基本理念を守る方針と、力強い変化と前進を促す方針のバランスをとろうとしているわけではない。その両方を徹底させる。つまり、ビジョナリー・カンパニーは陰と陽をないまぜにし、はっきりとした陰でも、はっきりとした陽でもない灰色の輪をつくろうとしているわけではない。陰をはっきりさせ、かつ、陽をはっきりさせようとする。陰と陽を同時に、どんなときも共存させる。
 不合理ではないか。おそらくそうだろう。まれではないか。そうだ。難しくはないか。まったくそのとおりである。しかし、F・スコット・フィッツジェラルドによれば、「一流の知性と言えるかどうかは、二つの相反する考え方を同時に受け入れながら、それぞれの機能を発揮させる能力があるかどうかで判断される」。これこそまさしく、ビジョナリー・カンパニーが持っている能力である。」(コリンズ『ビジョナリー・カンパニー』(山岡洋一訳)72頁以下を一部改訳)

実は、組織論を勉強すると、「古来より我が国に伝えられてきた統治のあり方というものが、いかに優れたものであるか」ということがよく分かります。日本国という組織は世界で最も古い組織の一つであって、その仕組みは、当然ながら、組織というものを永続化するための実践的な智慧に満ち溢れているわけです。ですから、そういう組織論的な意味でも、私自身としては、憲法改正のあり方としては、「大日本帝国憲法か日本国憲法か」の二択論ではなくて、「大日本帝国憲法の良さと、日本国憲法の良さの両方を兼ね備えた憲法をつくろう」、あるいは、「大日本帝国憲法と日本国憲法のどちらよりも良いものをつくろう」という大胆な企てのほうが、実は正しいあり方なんじゃないかな、という風に思うんですね。それで、そこから、いろんな細かい論点についても議論していくといいんじゃないかなと思っています。

例えば、その一つの例としてTPPの話があると思うんですけれども、日本においては、TPPに関してやたらとコメというものが議論になるわけです。他にいくらでもTPPの対象となる農作物というものはあるわけですけれども、にもかかわらず、メディアで議論になるのは決まってコメですし、私たちの日常的な議論の中でも、TPPの話といったらやっぱりコメの話になるわけですよ。私はかねがね、これは非常に不思議な現象だなと思っていたのですが、この前、M先生から「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」のお話を伺ったときに、ようやくその点について合点がいきました。つまり、これは実は《国体論》、すなわち《日本らしさ》に関するお話だったのです。

つまり、現在の議論ですと、コメは国際的には農作物の一つ、一種として扱われていて、その関税をどうするか、というように考えているわけなんですけれども、そもそも、我が国においては、コメというものは、単なる農作物ではないのですよね。M先生が教えてくださったように、我が国には斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅というのがあって、

「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以て、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」

つまり、ご皇室が天照大神から授かることによって、代々天皇陛下が稲作を模範として行っていて、それに倣って(習って)国民が稲作をやっているということが、古来より我が国のあり方、《国柄》だったわけなのです。皆さん毎年ニュースで天皇陛下が田植えをされている報道を見るかと思うのですが、あれはそういう意味でございまして、古く天智天皇の時代においても

「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」

という風に、天皇陛下ご自身が率先して農作業を行っていたわけです。


これは、我が国以外では考えられないことでございまして、中国でもヨーロッパでも、皇帝が自ら手を汚して農作業を行うなどというのはまずありえない話ですし、ギリシャに至っては、農作業というのは奴隷にやらせるものだと思われていたわけです。

しかし、我が国の歴史はこれとは全然違っておりまして、まず天皇陛下ご自身が率先垂範してコメづくりを行い、国民もそれに倣って(習って)コメづくりを行う。そして、収穫されたお米は、天皇陛下が祭主となって、国民とともに神様にお供えする(神嘗祭・新嘗祭)。まさにこの一連の過程こそが統治の核心をなしていたわけです。そういう意味で、我が国においては、コメというのは、単なる経済的な財(goods)ではないんですね。私法・公法という区別がありますけれども、その枠組からすれば、国民の意識の上では、我が国におけるコメというのは、私法上のものではなくてむしろ公法上のものなのであって、だからこそ、日本人はコメに関して非常に繊細な心を持っていて、TPPの話になると、その他の農作物はいくらでもあるにもかかわらず、コメの話ばかり気になってしまうわけです。

実は、国際経済法においても、国内法に関して私法と公法の分類というものが認められておりまして、公法上の問題というのは、基本的に例外規定を設けることができるんですね。例えば、「労働者を自由に交換しましょう」という協定を結ぶ場合に--例えば、EUの基本条約にはそういう規定がありますけれども--自分の国の公務員、これを外国人に開放していいはずがないだろう、ということで、少なくとも原則論としては、「それぞれの国が、公法上の問題については例外規定を設けることができる」ということになっています。

しかしながら、我が国においては、コメというものに憲法上何の位置づけも与えられていないわけなんですね。だから、国際的にも、「我が国においてはコメは公法的なものだ」ということを主張できなくなってしまっているわけです。しかし、もし我が国が--ドイツにおいて教会で用いられる「神聖物」(res sacrae)が公法上の特別な保護を受けるのと同じような意味で--コメというものの有する公法的な意義を憲法にしっかりと位置づけるならば、これはTPPのような国際交渉においても、日本の国体というものがもっと配慮されるようにというかたちで交渉することは、もっと容易になるはずなのです。

だから、そういう意味でも、まず日本の国体というものを根本に据えて、そこから物事を考えれば、いろんな意味で、国内的にも国際的にもすんなりと問題解決できるんじゃないかなということを思うわけです。

というところで、時間がまいりましたので、今日はここまでといたします。ご清聴いただきましてどうもありがとうございました。(拍手)
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