中村ただし オフィシャルブログ

次世代政策研究会 会長 中村匡志


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 9月16日には、午後3時より久喜で次世代の党衆議院埼玉県第十三支部の創立総会、同日午後6時より東京で次世代の党の結党大会がございました。


リニューアルした久喜の支部です


 創立総会では、支部の活動の心得として、

  • ① 日本国の理念と次世代の党の理念はいずれも「日本を永遠にする」ことであり、まったく同じであること。
  • ② 近代日本においては、五箇条の御誓文が常に改革の根本原理となっていること。
  • ③ 我が国においては、古来より「思いやり」が統治の基本原理となっていること(このことは、大日本帝国憲法発布勅語を読むとよくわかります)。

等をお話しさせていただきました。



 結党大会では、石原慎太郎先生・平沼赳夫先生・山田宏先生・桜内文城先生からのお話の後、若手議員5名(坂元大輔先生・松田学先生・宮沢隆仁先生・杉田水脈先生・西野弘一先生)による熱のこもったプレゼンテーションが行われ、若いエネルギーを体感できる素晴らしい会になりました。



 平沼先生のお話では五箇条の御誓文にも言及されておられ、支部の方向性が正しいことが確認できてとても嬉しく思いました。



 桜内先生からは、「2045ビジョン」プロジェクトが発表されました。このプロジェクトは、2015年~2045年の30年計画によって、①日本国が現在の諸問題を克服し、②日本国が本来の姿を取り戻すのみならず、③日本国が今よりも遥かに豊かで暮らしやすい国になる、という3つのことを実現しようとするものです。とてもチャレンジングな目標ですが、かつて日本は明治維新において、五箇条の御誓文から22年で諸改革を実現して大日本帝国憲法の制定にまで漕ぎ着け、28年で日清戦争に勝利しています。そう考えればチャレンジングではあっても決して不可能ではありません。日本国を永遠にするために我々は頑張ってまいります。

「2045年の日本はいったいどんな国になっているんでしょうか。またどんな国にしていくべきなんでしょうか。皆さんも想像してみてください。2045年、私たちは国民自らの手で作った憲法を持っています。また、国と地方の役割分担が明確になり次世代の活躍しやすい国になっています。ライフスタイルも大きく変わります。エネルギー自給率が100%の日本、食料自給率が100%の日本。自前の力で自国を守れる日本。世界一税率が低い日本。伝統文化やポップカルチャーで世界中から観光客が集まる日本。労働力不足をロボットがサポートしてくれる日本。そして国民が100歳まで健康で安心して暮らせる日本。こうやって我々が想像するのは来年生まれる次の世代の日本人が30歳になったときの日本です。そしてそれは30年後に私たちが生活している日本なのです。私たちは今までの政党が近視眼的にしかとらえてこなかった政策立案を全く新しい形で考えます。2045ビジョンは2045年に実現したい日本の姿を構想するプロジェクトです。次世代の党はこのプロジェクトの提言をもとに2045年にあるべき日本の姿を実現するための政策を立案していきます。2045ビジョンで私たちは提案します。次世代の日本の姿を。その未来の日本を作るための政策を。発表を行うのは2015年8月です。」(桜内先生の演説より抜粋)



結党大会全編の動画です


 会場いっぱいの2000名もの皆さまにご参集を賜りまして、本当にどうもありがとうございました。支持者の皆さまの熱烈なご支持を身をもって体感することができ、本当に嬉しかったです。

 さて、前回ご紹介した党員手帳も無事刷り上がってまいりましたので、当支部に所属されている党員の皆さまにお送りしました。



 また、9月28日には、公益社団法人日本青年会議所の主催するグローバルリーダー育成塾の卒塾式がございました。



 靖國神社に皆さまと一緒に昇殿参拝させていただいたのち、靖國会館にて卒塾式が挙行されました。国家基本問題研究所の先生方を中心とする豪華講師陣による諸学の講義をはじめ、本当に盛りだくさんで学ぶところの多かったこの塾ですが、終わってみるとあっという間の半年間でございました。





 「この塾で何を学んだか」については卒塾論文に書いておきましたので、以下そのまま転載します。なお、塾生の卒塾論文をまとめた文集は各政党に配布してくださるそうです。

◇ ◇ ◇


2014年度グローバルリーダー育成塾卒塾論文

公益社団法人 日本青年会議所
グローバルリーダー育成塾 Iチーム
      中  村  匡  志




 平成26年3月から9月にかけて、このグローバルリーダー育成塾の塾生として学ぶことができたことは、私にとって本当にかけがえのない大きな財産となっております。
 第一に、日本国の諸問題に関する諸先生の講義は、概ね素晴らしいものばかりであり、これらの講義において私は数限りない気づきをいただきましたが、これらの気づきは、私がこれまでに自分の中で練り上げてきた政治に関する哲学と思想についていま一度反省を迫るものでした。例えば、後述のように私は「五箇条の御誓文」の存在については知っていましたが、その内容がいかに重要かということについてはこれまで気づいておりませんでした。しかし、櫻井よしこ先生をはじめとする諸先生の講義により、「五箇条の御誓文」は近代日本における国政改革の基本原理として今なお生きているのだ(あるいは、今なお生かさなければならないのだ)ということに気づかされました。私は、これらの意義深い気づきと真摯に向き合うことにより、自らの政治に関する哲学と思想の完成度をより高めることができました。
 第二に、松田学衆議院議員の講義は、ちょうど私が旧日本維新の会の分党にあたって二つの選択肢のいずれを選択しようかと悩んでいたときに聴講したものでした。そして、「われわれこそ日本維新の会の正当な継承者である」という松田先生のお話を聴いたことがきっかけとなって、いろいろ調べ直し考え直していくうちに、次世代の党を選択する決意が固まりました。したがって、文字通り、この塾に参加したことによって、人生の重大な選択のための重要なヒントをいただいたことになります。
 第三に、上述の経緯により次世代の党の支部長として新たに組織を構想していこうとするまさにその時に、この塾でリーダーシップに関する講義を聴講することができました。これは、時宜に叶っていて非常にありがたく、文字通り現在進行形で存分に組織づくりに生かさせていただいております。とりわけ、岩田松雄先生の講義においては、組織づくりにおいてミッションとヴィジョンがいかに重要であるかを理解することができましたが、その講義を一緒に聴講した周りの社長さんたちが、既にミッションとヴィジョンを掲げた手帳を社内でしっかりと共有しているのを知って、二重にショックを受けました。そういえば我が春日部青年会議所にもハンドブックがあり、そこにはミッションとヴィジョンが掲げられており、これを毎回唱和していることにあらためて気づきました。岩田先生の薦めてくださった『ヴィジョナリー・カンパニー』等も読みながらいろいろと考えを巡らし、我が国の理念は何なのだろうか、我が党の理念は何なのだろうかということを煮詰めて、支部の『党員手帳』を完成させることができました。この『党員手帳』では、国歌・五箇条の御誓文・大日本帝国憲法発布勅語(抄)・教育勅語(抄)・次世代の党綱領・政策実例・支部長所信・支部信条を巻頭に掲げています。
 このような貴重な学びの機会を与えてくださった公益社団法人日本青年会議所グローバルリーダー育成委員会の皆さまと公益社団法人春日部青年会議所の皆さま、とりわけ、この機会を直接的に与えてくださった吉田稔副委員長と宮下智義理事長には、心より御礼申し上げたいと思います。本当にどうもありがとうございました。
 これらの学びの成果を踏まえて、この卒塾論文においては、「憲法」と「外交問題」の2つのテーマを選択して論ずることといたします。

目次

第一論文 我が国の国風における五箇条の御誓文の位置づけ
 一 五箇条の御誓文の「再発見」と「翻訳」
 二 「維新八策」――「船中八策」――「五箇条の御誓文」
 三 「国是」としての五箇条の御誓文
 四 「憲法」――「国体」――「国是」
 五 結論

第二論文 国際社会における我が国の名誉回復のために――河野談話の否定・廃棄と河野洋平元自民党総裁の処罰
 一 河野談話の否定と廃棄
 二 河野洋平元自民党総裁の処罰
  1 刑法犯
  2 民法上の不法行為
  3 自民党の除名
  4 勲章の返上・褫奪等


【テーマ:憲法】
第一論文 我が国の国風における五箇条の御誓文の位置づけ


一 五箇条の御誓文の「再発見」と「翻訳」

 上述の通り、私は「五箇条の御誓文」の存在自体と大体の内容を知ってはおりましたが、この塾で学ぶまでは、これがいかに重要な文書であるかということに気づいておりませんでした。そういう意味で、私はこの「五箇条の御誓文」というテクストを「再発見」したということになります。
 私は、生業として翻訳業を営んでおりますが、翻訳家の性分として、「重要なテクストについては自ら原文にあたってみないと気が済まない」というものがあります。翻訳という営為には、不可避的に翻訳家の「解釈」が紛れ込むものであることを、翻訳家自身が最も痛切に知っているからです。だからこそ、翻訳家は、重要なテクストの「解釈」は人任せにせずに、自分で行いたいと思うのです。
 ですから、この「五箇条の御誓文」というテクストについても、まさにそうしたいと私は思いました。もちろん、文語とはいえ日本語ですから、一読すればひと通りの意味は理解できます。しかしそうではなく、そこから更に進んで、現代日本で暮らす我々が同じ内容(ソシュール言語学でいう「シニフィエ」)を表現する場合にはどのような言葉(ソシュール言語学でいう「シニフィアン」)を使って表現するであろうか、というところまで掘り下げて訳したいと思ったのです。「《翻訳》という営為は、それが人に伝えることを目的とする以上、かくあらねばならぬ」というのが私の翻訳家としての信条でもあります。
 私の考えによれば、《翻訳》という営為は、単に言語間で語と語を置き換えるというような単純なものではなく、①まずは書き手のテクストを手掛かりに、このテクストを書き上げたときの書き手に同化することによって、書き手がこのテクストにより表現しようとしたシニフィエを正確に劃定した上で、②今度は読み手(一定の時間的・空間的制約の中にある読み手)に同化しながら、この読み手が用いている言語体系を用いて、このシニフィエを正確に表現するテクストを造り上げる、という、巷間で思われているよりも若干複雑な行為です。私は、ドイツの大学で翻訳学(Übersetzungswissenschaft)の講義を聴講したことをきっかけとして、その後長年にわたって翻訳の実務に携わるうちに、そう信ずるに至ったのです。
 少し本題から外れてしまいましたが、いま述べたような精神態度でテクストと格闘して私が完成させたのが、以下の翻訳です。

五箇条の御誓文
一 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
(広く会議を開いて、どんなことでもみんなで議論して決めましょう)
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
(国民は一丸となって、どんどん経済活動を行いましょう)
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其ノ志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
(個人はみな自分の志を実現して、生命力に満ちた人生を送りましょう)
一 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
(これまで続けてきた悪い慣習は思い切って廃止し、それに代えて物事の道理や科学を新たな行動原理としましょう)
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
(知識を世界に求めて、これにより我が国の国際競争力を強化しましょう)


二 「維新八策」――「船中八策」――「五箇条の御誓文」

 私が平成24年9月の旧日本維新の会の公募に応募して政治家を志したのは、祖国が内憂外患に苛まれる姿を外国の地から目の当たりにし、居ても立ってもおれず、何か自分にできることはないかと考えたからでした。それまでの民主党政権の失政により日本の弱体化は頂点に達し、当時の韓国大統領李明博は我が国固有の領土である島根県の竹島に白昼堂々不法上陸、続いて中国人活動家も我が国固有の領土である沖縄県の尖閣諸島に白昼堂々不法上陸、挙げ句の果てには、上述の李明博が我が国の天皇陛下を平然と侮辱するに至りました。もはや我が国は自国の尊厳も存立もまったく守れない最低の国に成り下がってしまったのであり、私の人生においてこんなに悔しかったことはありません。
 当時私はドイツにおいてEU・ドイツの政策調査を生業としておりましたので、この状況を打開するために日本がどのような政策を打つべきかということについて、自分なりの構想を持っておりました。とりわけ経済政策については、EUがリスボン戦略を断行して経済を復活させたのと同じく、我が国も新自由主義に基づく構造改革を断行しなければならないと考えていました。また、これは学生時代からの持論ですが、我が国は「土下座外交」とはきっぱり訣別して、毅然とした態度で自立した外交と防衛政策を行っていかなければならないと考えていました。それから、私が人生で最初に就いた職業は憲法の研究者ですが、それ以来、憲法をどのように改正すべきかということをずっと考えてきました。
 そして、公募を機に目を通した旧日本維新の会の結党綱領「維新八策」は、私の構想を完全に先取りしたものであったばかりか、私の構想などよりも遙かに具体的で、かつ、微に入り細を穿つものでした。このような、あたかも三国時代の諸葛孔明のごとき大それたことをやってのける方がいらっしゃることに私は大いに驚嘆するとともに、「ならば日本はまだ大丈夫」と強く感激したことを覚えています。つまり、この「維新八策」を実現すれば、絶対に日本は強くなり復活すると確信したのです。だからこそ、私は、日本維新の会の公募に応募したのです。
 今回、五箇条の御誓文を《翻訳》してみて、この御誓文の根柢にある価値観と、「維新八策」の根柢にある価値観は、非常に通ずるものがあることを感じました。「懐かしい」という表現は適切かどうか分かりませんが、あの「維新八策」の源流はこんなところにあったのか、というような新鮮な発見の感覚を覚えました。実は、よくよく起源を調べてみれば、この感覚は或る意味当然のことであったのです。なぜなら、この五箇条の御誓文は坂本龍馬の起草した「船中八策」を基にしたものだったからです。もちろん、「維新八策」が「船中八策」を模範としていることは言うまでもありません。
 つまり、「船中八策」を媒介点として、「五箇条の御誓文」と「維新八策」という二つの点は一つの線で繋がったのです。それだけではありません。さまざまな文書を調べていくうちに、昭和天皇が昭和21年元日に発布せられた「新日本建設に関する詔書」においてもこの「五箇条の御誓文」が掲げられていることにも気づきました。昭和天皇は御誓文に言及せられた上で、「叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス」と、あらためてこの五箇条の御誓文を新日本建設の原理としていくことを述べられていたのでした。
 そうだとすれば、「五箇条の御誓文」は、明治維新という大改革と、昭和の敗戦後の新日本建設という大改革の双方において、基本原理になったのだといえます。そして、平成の国難にあっても、この「五箇条の御誓文」こそが基本原理とならなければならず、だからこそ「維新八策」が練られたのだと考えられます。つまり、「五箇条の御誓文」は、近代の日本において常に国政改革の基本原理となってきたのです。
 実は、「維新八策」の内容のいくつかは、安倍政権の政策にも採り入れられていますが(規制改革を主体とした成長戦略、TPP加盟、教育委員会改革、農協改革、憲法96条改正論等)、これは、「維新八策」が「五箇条の御誓文」の精神に則った我が国の国情に適合するものであり、だからこそ党派を超える普遍性を持っていたためであると考えられます。

三 「国是」としての五箇条の御誓文

 この五箇条の御誓文についての気づきを得た当時、私は支部で「政治教室」を開催し、市民の皆さまに「憲法改正入門」を毎週講義していました。憲法の基礎理論、改正手続、皇室、安全保障と論じてきて、全12回のこの「憲法改正入門」は、ちょうどその総まとめを行う時期に差し掛かっていました。そして、この講義を総括するテーマとしてふさわしいと考えたのは「前文」でした。
 現在の日本国憲法の前文は、連合国軍最高司令官総司令部民政局の起草したものであるため、日本国の国風と歴史を完全に無視している上、我が国の存立自体を他国に委ねさせる非常に危険なものとなっています。したがって前文の全面改正が必要となるわけですが、もし私が新たにこの前文を起草できるのであればどのように起草するか、ということを考えて、以下のような草案を受講生の皆さまにご提案してみました。

日本国憲法

 歴史を顧みるに、古来、日本国は、統治者である天皇が国民をたえず思いやり慈しむとともに、国民もまた天皇を思いやり敬うという、類稀なるすぐれた「和」の統治原理を発達させた。次に、藤原氏及び平氏並びに源氏諸氏の軍事政権による権力的支配の時代を通じて、三種の神器を継承し神道の祭祀を行う天皇は我が国における最高の権威の源泉として君臨し、世俗の権力に正統性を与えつつも自ら政を執らないという、天皇不親政の統治原理を確立した。さらに、明治維新に至って軍事政権を廃止し、新たな政府においては
一、広く会議を開いて、どんなことでもみんなで議論して決めるべきである
一、国民は一丸となって、さかんに経済活動を行うべきである
一、個人はみな自分の志を実現して、生命力に満ちた人生を送るべきである
一、これまで続けてきた悪い慣習は思い切って廃止し、それに代えて物事の道理や科学を新たな行動原理とすべきである
一、知識を世界に求めて、これにより我が国の国際競争力を強化すべきである
という五箇条の御誓文を新たな建国の体とした。
 われわれ日本人は、引き続きこれらの伝統的な統治原理及び建国の体を守りつつ、この憲法を確定する。


 ここで私は、五箇条の御誓文を「建国の体」と呼んだわけですが、この点については、その後考えをさらに進めることができましたので、現在では「国是」と呼ぶべきだろうと考えています。明治天皇ご自身が、「我国未曽有ノ変革ヲ為ントシ朕躬ヲ以テ衆ニ先シ天地神明ニ誓ヒ大ニ斯国是ヲ定メ万民保全ノ道ヲ立ントス衆亦此旨趣ニ基キ協心努力セヨ」と述べられ、また、昭和天皇も「顧ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇條ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ」と述べられ、いずれのテクストにおいても「国是」の概念を用いられていることが大きな理由ですが、もう少し理論的な点も含めて、この点については次節において敷衍することにします。

四 「憲法」――「国体」――「国是」

 日本語で用いられている「憲法」という概念は、歴史上古来より用いられている概念ですが、明治時代以降は、ドイツ語のフェルファッスング(Verfassung)、フランス語のコンスティテュシオン(Constitution)、英語のコンスティテューション(Constitution)の訳語としても用いられるようになりました。穂積陳重は、「西洋の法律学が本邦に渡って来たときに、学者は彼のコンスチチューシオン、フェルファッスングなどの語に当てる新語を鋳造する必要があった。〔…〕憲法なる語を始めて現今の意義に用いたのは誰であるか。それは実に箕作麟祥博士であって、明治六年出版の「フランス六法」の中にコンスチチューシオンを「憲法」と訳されたのである」と述べています(穂積陳重『法窓夜話』(岩波文庫、昭和55年)177-178頁)。
 私がドイツ憲法を研究し始めたときに最初に取り組んだのはカール・シュミットの『憲法学』(Verfassungslehre)でしたが、そこで原語のフェルファッスングという概念が多様な意味内容を表すことに面食らったことをよく覚えています。

「フェルファッスングという語は、いろいろな意味をもっている。その一般的な語義においては、いかなる人といかなる物も、いかなる経営体といかなる社団も、およそあらゆるものが、とにかくある「フェルファッスング」において存在し、ありとあらゆるものが、ある「フェルファッスング」をもちうる。そこからは何らの特殊概念は生じない。相互了解が可能となるためには、フェルファッスングという語は、国家、すなわち、人民の政治的統一体のフェルファッスングに限定されねばならない。そのように限定する時、この語は、国家それ自体、しかも政治的統一体としての、または、国家的実存の特殊的・具体的な態様および形式としての個々の具体的な国家を表すことがある。この場合、フェルファッスングという語は、政治的統一と秩序の全体的状態を意味する。ところが、フェルファッスングという語は、一箇の完結せる諸規範の体系を意味することもある。この場合にも、この語は統一体を表すわけであるが、具体的に実存する統一体ではなく、思考された観念的な統一体を指す。この二つの場合、フェルファッスングという概念は、ひとつの(実在的または思考された)全体を示すが故に、絶対的である。同時に、今日では、一連の一定の種類の法律をフェルファッスングと呼ぶ用語法が一般に行われている。その際には、フェルファッスングとフェルファッスング法律とが同一視される。かくて、個々のフェルファッスング法律がいずれもフェルファッスングとして現われうる。したがって、この概念は、相対的となる。」(シュミット『憲法理論』(尾吹善人訳、創文社、昭和47年)3-4頁を一部改訳)


 どうやらドイツ語の一般的な意味においては、フェルファッスングというのは「構造」という意味であり、憲法学においてもどうやら「国家の構造」という意味が本義らしい、ということがこの文章から分かります。実際、ドイツにはフェルファッスングスレヒト(Verfassungsrecht)、つまり、「フェルファッスング法」という概念もあり、フェルファッスングは「国家の構造」、フェルファッスングスレヒトは「国家の構造に関する法」ということで概念上の区別を行うことができます。そして、現在我が国で「憲法」という概念で言い表されている意味内容は、基本的にはフェルファッスングではなくフェルファッスングスレヒトのほうなのです。
 ですから、この意味でのフェルファッスング(「事実状態としての憲法」という用語が用いられることもありますが、適切とはいえません)にどのような訳語を当てるべきかということが問題となります。当初、私は、この意味でのフェルファッスングの訳語に「国体」を当てるべきだと考えていました。ドイツ語には「体の調子が悪い」という場合に「良いフェルファッスングにない」という言い方をすることがあり、ドイツ語の「フェルファッスング」という語と日本語の「体」という語にはかなり親近性があるからです。
 しかし現在、私は「国体」という語はもう少し限定された意味で使うべきだと考えるに至っています。「国体」という語を用いて我が国固有の国柄を分析するようになったのは水戸学に溯ると言われており、さしあたり西欧のフェルファッスングの概念とは別物と考えるべきであるからです。
 中国の歴史においては、殷から清に至るまで何度も王朝が交代し、その度に国号が変わってきました。例えば、秦は嬴氏による王朝であり、漢は劉氏による王朝です。このように王朝が変わって国号が変わることを「易姓革命」といいますが、このような現象は世界各地において見られます。ドイツにおいても、メロヴィング王朝からホーエンツォラーン王朝に至るまで何度も王朝が変わっています。ところが、我が国においては権威(「しらす」)と権力(「うしはく」)を見事に分離できたために、我が国の歴史においては、古代から現代に至るまでさまざまな主体が権力の担い手として登場するにもかかわらず、天皇が統治権威の究極の源泉であるという一点だけは常に不変であり続け、一度も「易姓革命」が起こることがありませんでした。
 そして、この我が国特有の統治のあり方を「国体」と呼びます。我が国の国歌である「君が代」も、天皇陛下の君臨せられる日本国、すなわち「国体」が永遠であれということを詠ったものです。「国体」というのは我が国特有のものですから、世界の他のいずれの国においてもこのことを表現する概念はないと思いますし、ドイツ語のフェルファッスングもまた「国体」を意味することはできないのです。
 現在私は、フェルファッスングの訳語としては、「国風」とか「国情」という語を当てるのが適当だろうと考えています。「国柄」でも良いのですが、この語は現在「国体」の言い換えとして用いられることが多いので、避けたほうがよいかもしれません。
 ところで、カール・シュミットの憲法学には「実定的フェルファッスング」(positive Verfassung)という概念もあります。「実定的」(positiv)というのは、ラテン語の「制定された」(positivus)という言葉から来たもので、革命によって定められた国家のあり方を「実定的フェルファッスング」、すなわち「制定された国家の構造」と呼んでいるのです。これを制定する主体がいわゆる「国家の構造を制定する権力」(我が国では「憲法制定権力」と呼ばれていますが誤解を招く訳語です)であり、この権力により制定された政体の基本原理は、同一の体制が継続する限り絶対的なものであるために、憲法上は「改正禁止規定」として現れることになります。
 上述の通り、我が国においては「革命」が起こったことはありませんので、もちろん、このドイツの実定的フェルファッスングの概念を我が国にそのまま当て嵌めることはできません。しかし、明治維新や昭和の新日本建設のように、国難にあたって国政の大改革を行った事例は我が国にも存在し、これらの改革において定められた基本原理を我が国においては「国是」と呼ぶのが、明治天皇・昭和天皇の用語法にも照らして適当であると考えられます。

五 結論

 以上をまとめると、
① 我が国の国のあり方の基本構造を「国風」または「国情」と呼ぶのが適当であり、それは「国体」と「国是」から成る。
② 「国体」とは、我が国の歴史において、権力の所在のいかんにかかわらず、常に天皇陛下が権威の究極の源泉であり続けたことをいい、国歌「君が代」は、この日本国の理念が今後も永遠に続くことを祈念する歌である。
③ 「国是」とは、国政改革の基本原理をいい、近代日本の国是は「五箇条の御誓文」である。
④ 憲法の前文は、我が国の「国風」(「国情」)を明確に表現するものでなければならない。
ということになります。

以上


【テーマ:外交問題】
第二論文 国際社会における我が国の名誉回復のために――河野談話の否定・廃棄と河野洋平元自民党総裁の処罰


一 河野談話の否定と廃棄

 いわゆる「慰安婦問題」は朝日新聞が政治的な意図を持って捏造したものであるというのは、我々次世代の党がかねてから(旧日本維新の会時代も含めて)主張してきたところです。この点につき、グローバルリーダー育成塾においても、高橋史郎先生・西岡力先生をはじめとする、主張を同じうする先生方の講義を聴講し、微に入り細を穿つ知識をいただくことができたことは、本当に有意義なことでした。どうもありがとうございました。
 折しも8月上旬に、朝日新聞は、旧日本領朝鮮での慰安婦の強制連行を報じた「吉田証言」報道が誤報であったことをようやく認めました。しかし、訂正が遅きに失したのみならず、いまだに朝日新聞は「捏造ではなく誤報」であると強弁している上、「河野談話、吉田証言に依拠せず」として「河野談話を取り消す必要はない」との主張をいまだに繰り返しています。日本国民全員に迷惑を掛けたにもかかわらず不遜で反省のない朝日新聞の態度には、本当に腸の煮え繰り返る思いがします。そもそも、平成4年1月に当時の首相宮澤喜一が訪韓した際に当時の韓国大統領盧泰愚に対して根拠のない謝罪を8回も繰り返したことが河野談話の遠因となっているわけですが、これは朝日新聞の「軍関与資料発見」報道によって煽られたことが主たる原因となっているのです。国民の怒りが頂点に達しており、各新聞・週刊誌からも袋叩きに遭っている以上、朝日新聞がこれ以上言い逃れを続けることはもはや困難であると思われます。
 もっとも、安倍政権が、昨年5月に河野談話を継承してしまうという大きな間違いを犯したために、朝日新聞に足下を見られてしまっていることもまた否定できません。すなわち、朝日新聞は「自民党政権が河野談話を否定することはないだろう」と高を括って、そこに胡座をかいているのです。
 そもそも、国際社会において「旧日本領朝鮮における性奴隷の強制連行」などといういわれなき風説(典型的には、いわゆるクマラスワミ報告書)が流布してしまったのは、平成5年8月に、当時の内閣官房長官河野洋平が、日本政府による強制連行があったと誤解されかねない談話(「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」)を発表し、さらにこれについて「おわびと反省の気持ち」まで表明してしまったことに根本的な原因があります。しかし、産経新聞や政府が検証した通り、旧日本領朝鮮における慰安婦の強制連行はまともに立証しうるものではなく、韓国政府の甘言に乗り妥協の産物として確たる裏付けを欠いたまま河野談話が発表されたことが明らかとなっています。
 我々次世代の党は、かねてから、この河野談話を否定し廃棄することが我が国の名誉回復には絶対に必要であると主張し、日々運動を重ねています。今年4月には、旧日本維新の会として、河野談話見直しを求める署名約16万筆を集め、政府に提出しました。また、今年7月には、次世代の党として、河野談話検証結果公表後に国会で山田幹事長が河野氏の参考人招致を求めました。しかしながら、現在のところ、自民党政権は、河野談話の否定と廃棄にも応じていませんし、河野洋平元自民党総裁の国会招致にも応じていません。
 しかし、この重大局面にあって、「河野元自民党総裁の体面」などという小さな私益よりも、「日本国の名誉回復」という大きな公益を優先すべきであることは、誰の目にも明らかです。是非、自民党におかれては、この点をしっかり認識して、勇気を持って河野洋平元自民党総裁を国会に招致するとともに、河野談話を明確に否定し廃棄していただきたいと考えます。

二 河野洋平元自民党総裁の処罰

 日本国の名誉回復のために河野談話の否定と廃棄が必要なことは上述の通りですが、それだけでは十分ではありません。やはり、国際社会に誤解を招く談話を発表して日本国の名誉を傷つけるとともに、日韓関係悪化の元凶を作出することにより回復困難なかたちで大きく国益を害した河野洋平元自民党総裁個人の責任は重大であり、何らかのかたちで処罰することが必要です。本節においては、河野元自民党総裁にいかなる処罰が可能であるかを検討します。

1 刑法犯

 刑法には、外交に関する犯罪として、①外患誘致罪(81条)、②外患援助罪(82条)、③外国国章損壊罪(92条)、④私戦予備・陰謀罪(93条)、⑤中立命令違反罪(94条)等が掲げられていますが、いずれも本件について構成要件該当性がありません。
 名誉毀損罪(230条)については、「死者の名誉を毀損した」場合であっても、「虚偽の事実を摘示することによって」「人の名誉を毀損」すれば処罰の対象となります。したがって、河野談話が刑法上「虚偽の事実を摘示」したものと評価できるか否かを検討する必要があります。河野談話の文言はこの点かなり巧妙であるため、立証のハードルはなかなか高いと思いますが、検討する価値がないわけではないでしょう。なお、「事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者」についても処罰の対象とされています(231条)。
 しかし、これよりもより適用可能性が高いのは、信用毀損罪(233条)でしょう。本罪の構成要件は、「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者」であり、河野元自民党総裁の行為はまさにこれに該当します。すなわち、河野談話を発表することにより「旧日本領朝鮮において慰安婦を強制連行」という虚偽の風説を流布し、あるいは、韓国政府と通謀して河野談話を発表することにより、日本国と軍人の方々の信用を毀損し、あるいは、日本国の外交業務を妨害したものということができます。但し、本条にいう「信用」の概念を経済的側面に限定している判例がネックになります。

2 民法上の不法行為

 民法上の不法行為責任(709条)を問うことについては、名誉毀損に関する上述の問題のほかに、誰が原告になりうるかという問題もあり、さまざまな意味でハードルが高いものと思われます。

3 自民党の除名

 上述の通り、法律上の処罰・問責が難しいとすれば、やはり自民党が党内における自浄作用を発揮し、河野元総裁を正面から党紀にかけるべきでしょう。自民党規律規約前文には、「民主政治の要諦は、国民との信頼関係にある。わが党は、この理念を中心に据え、党活動を行っていくとともに、姿勢に対する信頼を確保するため、責任ある公党として、常に綱紀を厳正に保ち、信賞必罰を徹底し、政治倫理を確立する。そのため、党員一人ひとりに、政党人としての自覚を求め、かりそめにも、国民の信頼を裏切ることのないように、自らを厳しく律することを求める」とあります。韓国政府の甘言に騙されて日本国民の名誉を毀損する風説を流布する談話を発表するという河野洋平元自民党総裁の行為は、文字通り「国民の信頼を裏切る」ものといえ、明らかに規約の精神に反します。
 ところが、同規約9条が党員処罰の対象としている行為は、①「党の規律をみだす行為」、②「党員たる品位をけがす行為」、③「党議にそむく行為」の3つしかありません。河野元総裁の行為は「党員たる品位をけがす行為」といえないこともありませんが、具体的には「汚職、選挙違反等の刑事事犯に関与した行為」「暴力行為」「その他党紀委員会において党員たる品位をけがすものと認めた行為」しか掲げられておらず、ここに該当するとはいうことはなかなか困難です。同規約22条では「個別企業・団体の利益の擁護により公共の利益を損なう行為」や「著しく社会的非難を受ける行為」も処罰対象となっていますが、行為主体が「党所属国会議員」に限られており、既に国会議員ではない河野元総裁に適用することには困難が伴います。
 しかし、上述の通り河野元総裁の行為が規約の精神に反していることが明らかである以上、自民党は、処罰の対象を「行為の当時党所属国会議員であった者」に拡大する等の方法により、しかるべき規約の改正を行った上で、河野洋平の除名をしっかりと行うべきです。
 国民は、自民党がきちんと自浄作用を発揮してまともな保守政党になってくれることを期待しています。頑張ってください。

4 勲章の返上・褫奪等

 河野洋平元自民党総裁は、民主党政権下の平成23年の秋の叙勲においてなぜか桐花大綬章を受賞しています。
 しかし、勲章授与の根拠法である「勲章制定ノ件」(明治9年太政官布告第54号)は、その前文において「凡ソ国家ニ功ヲ立テ績ヲ顕ス者宜ク之ヲ褒賞シ以テ之ニ酬ユヘシ」と勲章授与の趣旨を説諭した上で、「桐花大綬章ハ旭日大綬章又ハ瑞宝大綬章ヲ賜フベキ者ノ中其勲績又ハ功労特ニ優レタルモノニ之ヲ賜フ」と定めています(4条1項)。そして、旭日大綬章は「国家又ハ公共ニ対シ勲績アル者」に対して授与される最上級の勲章とされ(2条1項、1条2項)、また、瑞宝大綬章は「国家又ハ公共ニ対シ積年ノ功労アル者」に対して授与される最上級の勲章とされています(3条1項、1条2項)。つまり、何らかのかたちで国家又は公共に対し最上級の功績のある者に対してでなければ、規定上、桐花大綬章を授与してはならないはずなのです。上述の通り、河野洋平元自民党総裁は、国家に対して功績があるどころか、河野談話の発表により国益を大きく毀損していますので、到底上述の要件を充たしているとは考えられません。つまり、法的に見て、河野洋平元自民党総裁には桐花大綬章を与えるべきではありませんでした。
 したがって、まずは、「位、勲章等ノ返上ノ請願ニ関スル件」(昭和20年勅令699号)に基づいて河野元自民党総裁本人が自主的に勲章を返上することを政府として促すべきでしょう。しかし、もしこれに河野元自民党総裁が応じない場合には、強制的な手段に訴える必要があります。
 勲章の褫奪については「勲章褫奪令」(明治41年勅令291号)に定めがあり、「素行修ラス帯勲者タルノ面目ヲ汚シタルトキ」には「情状ニ依リ其ノ勲等、又ハ年金ヲ褫奪」することができることとされています(2条4号)。但し、河野談話を発表したのが平成5年、勲章を授与したのが平成23年という時系列になっていますので、勲章褫奪令による勲章褫奪はなかなか難しいように思われます。
 しかし、上述の通り、河野洋平元自民党総裁への桐花大綬章授与は法的な要件をまったく充たしておらず、当該授与行為には重大かつ明白な瑕疵が存在していたと考えられます。したがって、政府は、河野洋平元自民党総裁への桐花大綬章授与を、違法な行政行為として無効とすることが可能です。

以上
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