中村ただし オフィシャルブログ

次世代政策研究会 会長 中村匡志


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 前回の記事でも書かせていただいた通り、「領土を憲法に明記すべきだ」というのが、かねてからの私の持論です。このことは衆院選の時にも訴えましたし、その際ありがたいことに読売新聞さん(埼玉県版)でも少し取り上げてくださったことがあるようですので、地域の皆さまにはある程度私の思いが届いているのではないかと思います。

 そもそも私が昨年9月の維新の会の公募に応募しようと決意したのは、同8月の尖閣と竹島の事件がきっかけです。あのときの一連の経緯をあらためて記せば、以下の通りです。

  • 8月10日 韓国大統領(当時)の李明博が、我が国の領土である竹島に白昼堂々と不法上陸し、韓国国旗や「韓国領」などと記載のある石碑と記念撮影。
  • 8月14日 李明博(同上)が、我が国の天皇陛下を侮辱。
  • 8月15日 我が国の領土である尖閣諸島に中国人活動家が白昼堂々と不法上陸し、中国と台湾の国旗を掲揚。

 経緯を書いているだけでも、あのときの怒りがふつふつとこみ上げてきます。絶対に許せません。当時私はドイツからこの経緯を眺めていましたが、私の人生において後にも先にもこんなに悔しかったことはありません。ヤケ酒をあおり、男泣きに泣きました。民主党政権の所為で、もはや日本は自国の領土すらまともに守れない国になってしまった。それまでの自民党の外交もひどかったが、民主党の外交はそれに輪をかけてひどい。どうにかこの状況を改めなければ、私の愛する日本の国はもう終わりだ。何か自分にできることはないか。

 このような気持ちになっていたときに、ちょうど維新の会の公募の存在を知りました。私は日本の国、日本の領土を守りたいという一心で、維新の会の公募に応募しました。そして、この愛国・憂国の思いが届き、衆院選に出馬することとなりました。もちろん私は、「日本を守る」をスローガンに掲げて選挙戦を戦いました。皆さまもご存知の通り、日本で一番最初に尖閣を守るための具体的な行動を起こされたのは、東京都知事を務めておられた石原慎太郎先生です。この石原先生のもとで、維新の会の一志士として選挙戦を戦えたことは、今でも私の誇りです。

 以上のような次第ですから、私にとって憲法改正というのは、まずもって領土の明記なのです。私の憂国の情からすればこれは当然のことですが、実は、このことは理論的にも正当化できることなのです。そこで今回は、この点について「憲法改正を科学」したいと思います。

 憲法というものを法学的に定義する場合、もっとも常識的な定義は、憲法は「国家についての法」であるというものです。少し専門的な言い方をすると、日本やドイツの通説で「実質的意味の憲法」(Verfassung im materiellen Sinne)と呼ばれているものがこれに該当します。また、ドイツの有名な公法学者であるカール・シュミットの用語法・分類法によれば、「絶対的憲法概念」(absoluter Verfassungsbegriff)(の一種)ということになります。

 実は、ドイツの大学では教科名として「憲法」(Verfassung, Verfassungsrecht)という言い方はあまりしません。その代わりに、「国法」(Staatsrecht)という言い方をします。「国家」(Staat)についての「法」(Recht)ということですから、より直接的で分かりやすい表現です。ただ、日本語で「国法」というと普通は「国家の(定めた)法」という意味になるので、日本ではあまり国法という言い方はしません。

 ところが、今もあるのかどうかは分かりませんが、私が居た頃の東大には「国法学」という講義がありました。これは、ドイツ流の言い方をする珍しい例です。私の年次では日比野勤先生が担当されておられました。ゲルバー、ラーバントからイェリネック、ケルゼンに至るまでのドイツ公法学の流れを分かりやすく解説してくださる非常に熱のこもった名講義で、今でもかなり鮮明に覚えています。その後ドイツで公法学を勉強するときにも非常に役立ちましたので、たいへん感謝しています。

 それはともかく、憲法が「国家についての法」だといたしますと、次に「それでは国家とはいったい何なのか」ということを明らかにしなければならないというお話になります。これについては、先程ちょっとお名前を出したゲオルク・イェリネックというドイツの公法学者の「国家三要素説」による定義が、憲法でも国際法でも通説となっています。これは、

  • 国家権力(Staatsgewalt)
  • 領土(Staatsgebiet)
  • 国民(Staatsvolk)

という3つの要素を兼ね備えるものを「国家」と定義する、という考え方です。

 この学説がいわんとしているのは、「『領土という一定の土地と、国民という一定の人々に対して、国家が統治権を行使している』というのが、近代国家というものの本来的な姿である」ということです。ですから、国家の有する統治権というのは、①領土に対する統治権(領土高権)と、②国民に対する統治権(対人高権)の2つに分類できることになります。

 抽象的でちょっと分かりにくいと思いますので、具体例でお話しします。刑法という法律は、国民の生命と安全と財産を守る法律ですが、この法律の冒頭の1条1項には、以下のような規定が置かれています。

「この法律は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。」

 法律特有の言い回しなのでやや分かりにくいと思いますが、この規定は、「日本国の領土において犯罪を犯した者であれば、それが日本国民であるかどうかに関係なく、日本国が処罰するぞ!」と宣言する規定なのです。これは、領土に対する統治権(領土高権)を根拠として制定された規定です。

 これに対して、刑法3条は次のように規定しています。

「この法律は、日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国民に適用する。」

 これは、さっきとは逆に、「日本国民が犯罪を犯した場合には、それが起こったのが日本国の領土であるかどうかに関係なく、日本国が処罰するぞ!」と宣言する規定です。これは、国民に対する統治権(対人高権)を根拠として制定された規定です。

 そして、今までの話をまとめれば、

① 憲法というのは、国家についての法である
② 国家というのは、国家権力・領土・国民の3つの要素から成り立っている

ということになります。そうだとすれば、

③ 憲法には、国家権力・領土・国民を規定すべきだ

ということが理論的な帰結だということになります。

 ところが、驚くべきことに、日本国憲法には、国家権力と国民について定めた規定はあっても、領土を定めた規定がないのです。現在、竹島が韓国に侵略され、尖閣が中国による侵略の危機に瀕しているのも、元を正せば、日本国憲法がきちんと領土について定めていないことに根源的な原因があります。

 このような状況を改めるため、「尖閣や竹島は我が国の領土である」ということを日本国憲法に明記すべきだというのが、私の持論なのです。
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