合気道開祖、植芝盛平翁のお話ですが、結構たくさんありますので、何回かに分けてご紹介したいと思います。
翁には、息子さん(吉祥丸さん)をはじめ、たくさんお弟子さんがいて、塩田剛三さん、藤平光一さんなど合気道の名人、達人がたくさんいらっしゃるのですが、誰も翁の本当の姿、正体がわからなかったと思います。
盛平翁は「わしの正体を見破ったのは、聖師(出口王仁三郎)と五井先生だけじゃ」という風におっしゃっておられました。五井先生から観た盛平翁は、肉体人間ではなく神(天の叢雲九鬼さむはら竜王大神)の化身だ、とのことでした。また、翁は塚原卜伝の生まれ変わり、あるいは守護神が塚原卜伝か、ということでした。
「明るい心」より
神の化身植芝盛平先生
人間というものは宇宙と一つなんです。神と一つなんです。自分の我があるだけ一つになれない。我が全部なくなれば神さまなんです。植芝盛平先生は自分は神だ、というんです。あゝあそこに私が働いている、あそこにも私が働いている、とこういうんですよ。
昔、憲兵なんかを教えていたけれど、憲兵の中に私が大分いる、なんてこういういい方をするんです。それは自分は神さまになって、神の化身だということが本当にわかっているんです。といって威張るかというと威張りはしないんです。
合気道の達人がわざゝゝ、年令的には若い、しかも後から出た私を訪ねて来られて、そして「私はチャンバラばっかりやって損しましたよ。五井先生はチャンバラも何もやらない、はじめから世界平和だからほんとにいいですね。私はあとからついて行きますから、どうか先頭に立ってやって下さい、もう先生の時代です」とこういうんですよね。
それで信者になります、といって維持会員になられて帰ったんですよ。それほど謙遜になられている。 神と自分は一つである、自分は神の化身だとわかると、威張るんじゃないんです。ところが今の宗教家、新興宗教の人などは、神がかってきたり何かすると、威張っちゃう。新興の大宗教の教祖なんてそうなんですよ。教祖も息子もその奥さんも、みんなそうなんです。信者たちが頭を深々とさげても、頭も下げず挨拶もしない。
まるで昔の大名や殿様が通って行くような恰好で通って行く。そういうことは神さまの目から見ればバカなことなんです。威張っていることだけ神から遠いということなんです。
神さまはちっとも威張っていませんよ。いつくしむだけ、愛するだけなんです。
俺は神さまだ、お前は別だ、なんてそんなことは思わないのです。
謙虚とか何とかということと違うんです。そのまま暖かくて、そのまま柔らかくて、そのまま一つなんです。そういう姿がやっぱり植芝先生にはあるんです。私にもあるんです。
世界人類が平和でありますように
May peace prevail on earth