アダルトチルドレン 失った心を取り戻す

繰り返す不登校、長引く引きこもり
どんなカウンセリングを受けても
「生きづらさ」という自分の苦しみから逃れられなかったあなた
本当の自分の光を取り戻しませんか
by CR@あなここ

                  
                   


                読めば「あなここ」のすべてがわかるHP↓↓
                    

                      


        子供が不登校引きこもりに何故なるのか

        読めば仕組みが分かる本をチームで作りました


        わが子が不登校になった日 ~失ったものを取り戻そうとする子どもたち~/木星舎
                          

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!!申し込みのその前に


私たち、あなここは、一般の傾聴カウンセリングではありません。

クライエントと共に人生を歩む伴走者です。

卒業までしっかりお付き合いいたします。


セッションのお申込みの際には、下記HP,ブログ、出版本等を

読み込まれて、私たちの回復への想いに

共感頂けましたら、お申込みをお願い致します。



>>「壊れた心を取り戻す」← あなここの軸となるブログです 


>>【もうひとつのあなここ出版本の紹介】


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DV‥ドメスティックバイオレンスの形態について

思うところがありましたので

書いておきます。


一般的にみたら

被害者と加害者です。

殴る父親、殴られる母親。

またその逆もありで

殴る母親、殴られる子供(不登校、ひきこもり)、父親

最近はこちらが増えているように思います↑


そして世間は殴られる方を擁護するのですが

殴る母親をなかなか責められないところもあったりします。


ほんの最近ですね、殴る側の、根深い問題が

クローズアップされてきたのは。

とても、いい傾向だと思います。


私の生育歴でいえば

父親、殴る役

母親、殴られる役

子供、目撃者としての罪人役


このような、構図があったのですが

自分のAC回復に取り組んでいる中で

殴られる母親が、

わざと、自分が殴られるように持っていってる

つまり、挑発ですね

してる光景を何度となく私は目撃している記憶が鮮明になってきました。


おかん、それいうたら、おとん、切れるってね

毎度見てるので、パターンは分かってきます。


そういう地雷言葉をガシッと踏んでいるのが

母親の確率、すごく多かったと記憶しています。


父親に、いやみ、皮肉、小馬鹿にする言葉

を、無神経に出しながら

怯える目線で、子供たちに私は不幸だと

訴えて、家族縛りを強固にしていった

そういう経緯があります。

家族縛りは、auだけでいいっす



実に母親の、言葉にはハラハラしてました。


ど、どーして、ここでその言葉をいう〜


アホちゃうか


そんな母親に、いらっとしたりしてました。



結構な意地悪だったんです(T-T)うちのお母様。


現在、FF14オンラインゲームをやってるんですが

出現する敵の敵視を全部集めて、

他の仲間を守るという『タンク』という役割りがあります。

その間に、安全に、攻撃役は、

敵をボコボコ思い切りできるのです。

そのタンクさんをフォローするのが、

魔道士の回復作業。


こちらは、お互いに息を合わせて

やってるので、なにも問題がありません。


家庭では、お母さんの自作自演になります。


独り舞台

煽る人、怒らせる人、

そして、殴られる人

んで、悲しみのヒロイン


私を見て



えーかげんにせ〜



すごく、当時のなんとも説明し難い腹ただしさを思い出します。

それでも、私はお母さんと同じように

父親を憎み、

母親の独り舞台に、付き合い

慰め役をやってました。


そこしか、私が家族で活躍?機能する場所が

なかったんですね

シナリオをこなしました。



ヘイト(憎しみ)を、自分に集めて

悲しみにひたり

それがやめられない


心の空虚を、いっときの騒動で

埋めている母親。


付き合わされるまわりは、たまりませんぜ



やめるか、やめないか

本人次第です。


この仕組みがわかっていたら、

自分のやってることも見えてくると思うのですが


基本、自分は悪くない

我こそは正義だ

と、思っているので、納得するまで時間はかかります。



そんな、まわりのどうでも良さそうな

憎しみを拾って、苦悩に浸り

悲劇のヒロインの、シナリオ。

楽しいのでしょうかねえ(u_u)


お金払っても見たくありませんが〜


心当たりがある方は


こちらのあなここの新刊読んでね♪

共依存の、お話です。


7月5日に、正式に出しました。

共依存が、よく、わからない方には

超おすすめです。

今日の記事も、実は典型的な共依存のお話でした(*^_^*)


では、また

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今日のひよっこ、ご覧になりましたでしょうか。


省吾さんが、語ります。

戦争中の料理人時代の修行のこと。


上下関係が強く、上の者が下っ端の料理人を

理不尽に、殴り、罵倒した体験。

その殴られた人は

新しい人が入ってくると


自分がやられたように

同じことを繰り返すのを見て来た。

その悲しさを伝えます。


そうして、省吾さんは、

続けます。


まるで、AC家庭のようだと
息をとめて私も聞き入ってしまいました。


省吾さんは、当時の自分の気持ちを

さらに語ります。


その嫌な連鎖を見たくないなと

そう思ったと‥


でも、人間はやられっぱなしでは生きていられないだと、

そう言うものだと語る

無理もないこともあるんだ

だから余計に悲しいんだ   と


わかるよ、省吾さん‥‥
(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
きっと、傍観するしかなかった
無力感を、
変えられないシステムへの
無力感を感じ続けてきたのだろうね


戦争おわって、もうこういうの見なくていいんだと、それが嬉しかったと語ります。


だからこそ

知らない間に、自分もそうなってるのではないかと、恐れます。



しかし、ここで大切なこと、


省吾さんは、極へは、行かなかったように見えます。


嫌悪に走ったり、憎しみをためたり
我慢し続けたり
反対に、奇妙な優しいだけの人になったりしても
どちらも過去が終わってないことになります。


そう出来たのは、

鈴子さんや、お父さんから

穏やかで暖かい見守りというベースの上で

極には行かず

人とは対等な姿勢でありたいと

願ったのではないでしょうか。

その悪しき連鎖に巻き込まれない自分に

なることを選んだのではないでしょうか。



人は色々な体験をしながら生きていきます。

私たちACのように、機能していない家庭で

長い間隔離され、無力感を味わい続けてきても

そうでない生き方を、いつでも自分で選べるんだよ   と、

私もそう伝えていきたいと

感じた今日のひよっこでした。


理想であること、
そうかもしれません。

それでも、閉鎖的機能不全家庭で育った

1人の脱出者として

地道に努力してきました。

こつこつと

毎日葛藤し、もがいてきました。


自分の欠損との戦い
自分の感覚麻痺との戦い
自分の恥ずかしさとの戦い
自分の無力との戦い
愛情とは、なんだろう
信頼とはどういうことなのだろう
数々の小ボスとの戦い

特に、傲慢さは、最大の難敵でした。


↑すでに、ゲーム風説明(≧∇≦)



地道な努力は、私の人生に

たくさんの力を与えてくれました。


理解し合う人たちとの出会い

懸命に伝えようとすれば、

精一杯の気持ちで

受け取ろうとしてくれる人たちの存在。

そうでない人は、去っていきます。




そして、今、私はここにいます。


連鎖にからめとられて

鎖に繋がれて

負け惜しみと言い訳の幻想ゲームから

抜けること



そのあとに、はじめて

ありのままってやつが

安堵感とともに、心から暖かかく

湧いてくる連続。


努力は裏切らない


そう思います。


今も、それは続いています。


失ってきた大きさと、

得てきた大きさのバランスは

容易く逆転するものではありません。

なぜなら、私たち母親は

失ってきた大きさに加えて

さらに、子供から奪ったものを

可能な限り、全力で、

戻す道筋を作らなければならないと感じます。


盗ったら返す

当たり前です。

小学校でも、幼稚園でも、そう習いました。


そこから、逃げることは、できない気がします。



失ったものの大きさを身をもって知っているからこそ

連鎖を切ることができる


そんなことを思うのでした。


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わたくしごとですが

10年ぶりに、ゲーマーに、復帰しました(*´꒳`*)


ずっと、ゲームと共に

子供達と遊んできました。

機能していない家庭(犯人は私ですが(^^;;)

でありながらも

近所の子供達もよくゲームをやりに

遊びにきていました。

それだけは、良かったのだろうと思います。




ちょうどモンハンが出て、

PSPが、出た頃

オンラインゲームが流行りだしたころから

気持ちがそっちに、向かなくなり

そのころから、

現実の面白さのほうが勝るようになりました。


老後、時間が出来たら

ゲームして、暮らしたいとか

本気で思っていたのですが(≧∀≦)←超まじめに思ってましたよ。

先日書きました

「光のお父さん」を見てから

考えが変わりました。



はい、変わるんです笑



いま、楽しみたいことの時間を作って

欲望を解放しようと思いました。


人間、いつ死ぬかわからないじゃないですか(*⁰▿⁰*)


ということで、復帰しましたよ。


感想をひとこと


あかん、おもしろいψ(`∇´)ψ


そして、ゲームの世界にも
初心者🔰を、お世話をして育てる趣味の人が
いることに、びっくり。

自分も上を目指したかろうに〜


楽しさを分かち合いたい
そんな気持ちなのだろうと思います。

うんうん、わかる、わかるよ



レベル1の若葉マークの私と
クエストを一緒にこなして
道案内してくれたレベル50の方

きっと、私よりはるかに若い人だと思います。

日本の未来は、あるかもしれない




よし、光の50代計画

今なら、また違った視点で
ゲームを楽しめる、そんな、気がします。

{B56D8456-BA81-4701-B81F-93EB2A4DF01F}




詐欺と呼ばないで(^^;;💦





ちなみに、パソコンでも出来るそうですよ




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よく聞かれます。

甘えるってことが、わかりません。

甘えてるつもりだったのに、

馴れ馴れしいと言われたり

重いと言われたり‥

ワガママと言われたり



わかります、わかります、その感覚

めーちゃ分かります。


今回は相手との距離感のギャップから

考えてみます。


簡単に言うと、確認とは、

下心や

操作性が感じられること

「私のこと 好きですか?怒ってませんよね」

チラッとしなだれて、

さっと、引く

相手のその後の対応を見て一喜一憂する

これが、確認作業ですね〜


🙎妊娠しちゃったの←してても、してなくても
本筋には関係ない

🤦‍♂️えー、もごもご←すでに、地雷を踏んでいる


よくある、光景ですが



ないよ〜(*⁰▿⁰*)ガグブル
あるのですよ、パターンは違えども、
ACの日常では(^^;;
これは、パターンレッドの例ですが
日常は、パターンイエローの連続だと思います。

ここで、少しの動揺や、引いた感を

見せたら、後々の

大きな大きな恨みになります。


これが、確認作業というものです。

本人甘えているつもり

相手は脅されてる気持ち

気持ちが噛み合わない。。。


では、甘えってなんでしょう?

互いの信頼の上に成り立つ行為ではないかと思っています。

信頼関係の欠如の上に甘えを

構築することは、かなり難しい気がしています。


では、ベースとなる信頼とは?

どんなにケンカしても、互いに嫌な行為をしても

それが、今後の関係を破壊するものではなく

安心してそこに居られること。

安心して言えること

安心して笑えること

安心して怒れること、

泣けること、歌えること、教えてもらうこと

バカにすること、からかえること、


様々な感情を、互いに受け入れることができること



夢のような世界ですか?


はい、ACからしたら、一般の人たちが

いともたやすくやっていることが

まるで、神様の世界のように感じるんです。


うらやましい‥


これに尽きます。


自分に無いことが、悲しい


だから、色々な特殊な場所に

(宗教的、孤独に浸る、スピリチュアル的要素)

生存を見出すのですね。


甘えることは、ACにとって

非常に壁の高いことなのです。

自分を開くということにも、繋がってきます。


たまに、開いた自分が、すごく滑稽に感じたり

ぎこちなく感じたりしてしまうのは、

生育歴において、

甘えを練習させて貰えなかった

大きな負の遺産だということを

納得するにも、これまた

時間がかかることです。


甘えることが、

確認作業と勘違いして生きてきた

失われた長い時間。


悲しすぎです。


だからと言って、


そうなんだから、しょうがないでしょ


と開き直ったり、諦めていい問題でもありません。

次の世代に渡す、

人を信頼するという感覚を

私たちACは、遅かろうが早かろうが

学んでいき、

心を開いて、自由に生きるということを

子供たちに、伝えていきたい

そう思うのです。


そして、何より

まっすぐであることが、気持ちがいいこと

曲がっていると、気持ち悪いことと

両方の体験して、自分で選択して行けたら

天国や宇宙や、お花畑に行かずとも

いま、ここで

安心していきていける力を手に入れることができます。

決して1人、閉鎖した世界では味わえないものです。


甘えるということは、

本当に難しいことですが

ぜひ、味わって欲しいと思っています。


私のブログは、

上記電子本、「心地よく生きるために」

が、よりよく読みやすくなるよう

その準備体操的な、内容を綴っています。

基本はすべて、この本にあります。

是非、たくさんの人に読んで頂きたいです。

買って頂いた方、

質問等ありましたら、コメント頂けたら

分かる範囲で、ブログにて、お答えします。



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本来、人は、

感覚(喜怒哀楽、情緒、ここに在る)と

思考(何をすればいいか)を行き来しながら

2つをバランスよく使って

コミュニケーションを行なっています。


しかし、昨今、情緒的欠落による

コミュニケーション不全に陥るケースが増えています。



例えば、

ちょっとしたことで

仲のいい人とケンカをして、

相手が去って行ったとします。


感覚では、すごく悲しくなったり、

涙したり

後悔したり、くよくよしたり

落ち込んだり、

寂しくなったり、不安になったり

多種多様な感覚が湧き起こってきます。


その感覚や感情を、味わい尽くしたところで

次の行動(謝罪する、喪失を伝える)へつながる行為へ移行します。


この、行動に移す前段階の

感覚を味わい尽くすという作業は

コミュニケーションにおいて

非常に重要な部分なのです。




子供時代は、こうした感覚は大なり小なり

確かに息づいているものですが


心が壊れそうになるような事件が

頻発する家庭であれば

(大義でいう虐待、放置、過干渉)

誰にも支えられず、

荒波の中を浮き輪もなく放り出されることになり

屈辱を受けた悲しさ悔しさ

喪失(失くしたもの)たちへの悲しみに

どう整理をつけていいのか分からないまま

おぼれ続けている精神状態になるのです。


ここが、第1段階


次に思春期になり、

自分が内面では、おぼれ続けているのと、

回りとコミュニケーションが出来ていないことと


2つの問題を抱えることになります。


大人になるころには、

おぼれ続けていることを

内面に押し込み、

友達付き合い、まわりとの付き合いを

どう、うまく立ち回るかに焦点が完全に

シフトしていきます。


友達とケンカした→なんと言ったら許してくれるのだろう?


怒らせた→どうしたら、怒りを納めてくれるのだろう?

不快を感じた→決定的な証拠を探す

無視された→どうしたら興味を持ってくれるだろう



コミュニケーションは、

方法論の思考が、優先されるようになります。

また、社会では、むしろそのほうが、

感覚を無視して

偽善的にでも立ち回れば、

うまく行くと、学習していきます。

こういうときは、こうする

という、決まりごとを

矛盾しようが、してまいが

作っていきます。



実際、6割くらいは、それで

ある程度違和感はあるものの、生活できます。

常に、相手に何をしてやるか、

どれだけ貢げるか、スズメのように

チュンチュンとあっちにこっちに

いい顔をしてまわります。


そして、自分は報酬に何をしてもらうか、

取引の関係です。

一見、とても気遣いのできる人です。

これが、

第2段階です。



しかし、コミュニケーションは

思考だけでやるものではなく

思考は出会い始めのころ必要なだけで

深い付き合いになると、

情緒的感覚が、必要になります。


しかし、感覚、情緒を引き出すとなると、

かつて、幼少期に閉じ込めた

おぼれ続けている感覚も

ズルズルと一緒に感じてしまうことになります。



まず、感覚を感じるのが、

非常に 恐ろしい恐怖になります。


徹底的に自分のおぼれてる感覚を

閉じ込めることに必死になります。


近しい関係になると、空気が薄くなったような息苦しいのは

このためです。

あるいは、相手から自由を奪われているような

間違った被害者意識で、

受け取りをしてしまうこともあります。


そうして、自分の正当性でもって

相手を裁き、相手の粗探しが始まります。

じっと、相手の言動を監視し

一挙一動、見逃しません。


偽もの裁判官時代の始まりです。

第3段階ですね。


そうして、何が起こるかというと


はい、孤立します。


相手と積み重ねた情緒的な感覚が欠落しているので

愛着というものが、ありません。

愛着は、相手に言葉なく伝わるものです。

非言語地帯が多いのが、特徴です。

愛しい感覚が相手から流れてくる感じ

とでも言いますでしょうか。


ここになると、もう、ACにとっては

未知、謎の地帯になります。


わからない


よく、聞きます。

必殺、わからない印籠


一般からしたら、意味不明なのです。




でも、ACさんは、

ほんとに分からないんですね。

さて、では、なぜ

わからないのか


前述したように遡って

第1段階でのつまずき


感情を、味わいつくす


ということを、避けてしまう。


逃げつづけてしまう。


そして、理論的思考で

こういうことで、相手の態度がこうだから、

相手はこう傷ついた(ようだ)

だから、こう対処したらいい(のかもしれない)


当たってたらもうけもの


で、補完しています。



人生の理由を感覚抜きで理解するのは、

恐ろしくエネルギーのかかることだと

思います。


かつて、私も同じでしたので

ものすごく、消耗していたのを覚えています。

その恐ろしい消耗を補完するのが

なにかの、素晴らしい大義名分です。


人の役に立ってるわたし

自己犠牲をいとわない、りっぱな私に

酔いちくれて笑←気のせいだからね、思い込みだからね

自転車操業を、せっせとやってました。

やだ〜もう〜、思い切り偽善者ね〜(//∇//)



話それましたが

自分の気持ちから逃げずに

①立ち止まって   ←ここ重要


②味わうこと← すごく重要


③そして、自分をよく知ってくれてる誰かに共有してもらうこと←かなり重要


これが、感覚取り戻しの方法です。

とても、とても、大切なのです。


感覚が生まれたら、感情も動きはじめます。

最初は、とんちんかんな方向に

なるのは当たり前です。


立ち止まる、味わう、聞いてもらう


参考にしてもらえれば、嬉しいです。


詳しいことは、この本に書いてあります↓

不登校関係者には、こちらから
読まれた方が、わかりやすいと思います↓



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今、猛烈にはまっているものがあります。

(ちなみに去年は進撃の巨人)←今、シーズン2放映中

 

それは、置いといて、

 

現在深夜枠でTV放映(地域によります)されている

 

「光のお父さん」

 

クライエントさんから教えてもらって、俄然興味をもって

当方の地域でも放映されていることがわかりました。

 

なんて、ラッキーγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ

 

 

製作、放送枠は、勇者ヨシヒコ的な位置づけなのだろうと思います。

TV局が作るものではなく、有志での製作委員会が組まれて~云々

 

 

この作者さんは、マイディさんと言いまして

 

一撃確殺SS日記

 

こちらのブログ主さん

 

あまりの面白さに、読破してしまいまして(;'∀')

ついでに、どうして、一人のブログ主からTV製作へと向かったのか

その経緯の、「光のぴぃさん」カテゴリーも全部読んじゃいました。

 

んで、プレステ4、ほしい熱が再燃してしまったのですが

いや、今更、オンラインゲームをしたいわけではありません。

 

あの、たりららららららら~♪←意味不明だねσ(^_^;)

FFを無性にしたくなったという~

 

ここしばらく、ゲームはほとんどしていなったのですが

本来、くされゲーマー主婦出身です(T▽T;)

 

ここからくされ主婦の昔語りだと思って読んでください。

 

 

 

ゲームといえば、幼いころ、学校の友達と休み時間に校庭で

 

陣取りゲームなどのチームプレイを休み時間にやってたのですが

 

あれって、それぞれ役割があるんですね。

 

足が速くてスター的な子たちは、どんくさい私たちを守りもすれば

 

危機になると、鬼の捧げものにしたり(笑)

 

おびき寄せる人、その間にタッチして捕まった人達を解放する人

 

いつも鬼になって、鬼脱出できない悔しい人

 

 

これって、オンラインゲームの原点ではないかと。。。

 

 

それから月日はたち、

 

そんなゲームをしなくなった思春期

 

おじさんがオセロゲームを、お土産に持ってきてくれた(☆。☆)

 

やったことはなかったけど、これまた、学校の休み時間にノートの切れ端で

 

やっていた

 

五目並べ、      目先しか見えず、よく負けていました(笑)

 

悔しかったわ~

 

 

その延長で、叔父さんがオセロのルールを教えてくれて、夢中になったこと

 

もう、それはそれは、極上の楽しい時間でした。

 

しかし、叔父さんは、正月やお盆の数日しか来てくれない人。

 

普段は、オセロボードは、箱に入ったまま。

 

 

 

時は流れまして、

 

家族をもって、子供たちにはオセロを教え込みました。

 

その叔父が買ってくれたオセロ盤を実家からもってきて

 

だいぶ、駒を無くしていましたが・・・そこは適当に駒を作ってね。

 

息子にだんだん負けるようになって

 

やりこんだのち、オセロ熱も終わっていきました(;'∀')

 

 

 

んで、このオセロにまた出会ってしまったのが、このアメーバ運営の

 

オンライピグだったんです。

 

毎夜、オセロゲームのオンライン場所を訪れては

 

どこの誰ともわからない人たちとバーチャル対戦してたんです。

 

当時、ピグは小学生が多いようで

 

結構勝てたんです。きっぱり

 

そこで、ピグって面白い\(゜□゜)/オイオイ(;'∀')

 

 

叔父さんを待ってなくても、誰かとゲームが一緒にできる

 

なんて、すばらしいバーチャル世界

脳内、花びらが、咲き誇っていましたよ。

 

こうして、夜な夜な、ピグに通い続けて

 

なんだか、知り合いも出来たりして、ルームで

 

全く知らない人たちと、チャットでおしゃべりしたり遊んでいたんです。。。たはは

 

踊りを覚えたり、表情を覚えたり、エモート機能ありまして

 

服や、髪の毛とか、課金で、かなり買いました。

 

そのころですね、みんなに、こんな面白いものがあるよと

 

あなここ内で、紹介し始めたのは。

 

 

 

一時期、釣りイベントにもはまったけど、あれは、一人でやるものなので

だんだん、おしゃべり場所オンリーになっていきました。

 

たまに、新しいイベントに出かけていましたが。

 

一人でこなす、イベントは、どうも続かないのがわかってきて

 

基本、しゃべくること、誰かと一緒に何かをすることが、目的なので

 

後に、こうもり族と、あなここ内で呼ばれるようにまで・・・

 

 

気が付けば、あさ~~~

 

夜があけてるよ~~

 

ってなことも、何度もありました。

 

 

こうして、オンラインバーチャル、ピグ世界の住人りんりんとして

 

かなり、遊んでいました。

 

 

そこは、年齢も性別も職業も、地位も、小難しい家庭の事情も

 

まったく関係のない世界で

 

話せたというのが、今の仕事の糧になっているとも思います。

 

 

いや~、楽しかった。

 

終わり

 

Σ(・ω・;|||

 

 

うそです。

 

 

 

現代の子供たちが、オンラインゲームをやるのは、私は大賛成派です。

 

ゲームを通して、年齢も関係なく、人とつながる

 

そうして、ギルド(班みたいなもの)というものが、自然発生し

 

ギルドマスターという人たちが、ギルドをまとめている。

 

昔は、現実世界には、そういう人のつながりが、そこらにあったけれど

 

今は、人がつながる場所は自然には出来にくい文化になっている気がします。

 

一度は、そんな安心な体験をすれば、

 

少し、世界観が変わる気がするのは

 

私だけでしょうか?

 

 

と、思っていたところに、

 

この「光のお父さん」の作者マイディさんのブログを探し当て

 

読んで

 

 

応援したくなった。

 

ついポチって、しまいたくなった。

 

 

かつて、私が、そして、私の息子や娘と一緒に歩いてきた

 

ゲーマー道がより一層、愛しい宝物になった。

 

 

 

 

 

 

といっても、私、どんくさいから、戦闘は苦手なんです。

 

どのボタンを押したらいいのか、よ~わからん。

 

とりあえず、十字ぼたんと、どっかのメインボタンを押しとけっというタイプなので

 

同じ技しか出せません・・・・・・・

 

たいていのゲームはそれでやってきました≧(´▽`)≦

 

スマブラなんて、それで、やってたんです。

 

しかし、カートゲームは、あかん

 

「逆走のお母さん」と、呼ばれて、子供たちから、いつも大爆笑され

 

タイムオーバー

 

光のおかあさんには、なれませんでした・・・

 

 

難しいボス戦は、子供に手伝ってもらってクリアした

 

ことは、内緒です。

 

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どんな私でも受け入れてほしかった  


と、大昔に、親とかまわりの人に勝手に思ってたけど

これって、他力本願の

脅迫、大義名分なんだよね。


ヤクザか💦




どんな人でも、受け入れられる自分になってから


思い切り、主張すればいい






あ、できないよね


そんな神様みたいなこと



と、段々と知っていくのが


大人への階段ってものなのかもしれないね


悲しいかな、


人を受け入れられる自分になったら


自分が受け入れられているかどうかなんて

過去に傷つけられたらしい(事実かどうかは不明)ことは


どうでも良くなるんだから


困ったものだ。



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昨日のGSで、そんな話題が出ました。

これには、2つほどの絡みがあります。


楽しむということは、油断するということです。

油断しまくって、

調子にのるってことは、イコール楽しむ

という決まりになっています。



油断しているところに、いきなり

発砲事件(のようなもの)が起こる

びっくり、ガクブルです。


よく、映画などで採用されています。


先日見た、美女と野獣


野獣がガストンと戦って、一度勝ったように見えました。

観客は、ほっと緩みます。

しかし、突然、発砲音がして、

野獣の胸を弾丸が貫きます。


私は、発砲音に飛び上がってしまったんですが

同時に、先を見越せなくて、

油断していた自分を恥ずかしくも感じました。

これぞ、ACの感覚です。


このシーンは、どんなドラマでも

使われているはずです。


先ほどの


油断するな

調子に乗るな


が、無意識にあると、ほらやっぱりねと

無意識に、より強固に配列をこしらえていきそうです。


もちろん、ACに限ります。


そもそも、美女と野獣は、真実の愛を

見出す王子様と村娘のベルとの物語で

油断するな、調子に乗るなという、

教訓の物語ではないんです笑


一般の人の、ほら、やっぱりねは

ACの、ほら、やっぱりねより

はるかに小さいのです。


どちらかと言うと、物語を引き立てる

エッセンスになります。


ACの人には、信じがたいこの落差。


なぜなら、AC家庭では


調子にのるな、油断するな

が、日常的に蔓延しているから。

油断することは、恐ろしいことという

自分の中の規律なんです。

常に油断しないように、気を張り詰めて

周りを見張っている状態の自分がいることを知ってほしいと思います。


もうひとつの側面は、

楽しむということに対する

非難めいた気持ち。


求めても得られなかったものであるはずです。



緩む、解放する、幸せである状態

安定する、静音である


そんな時間が、いっときも、なく

楽しんでいる人を、ハラハラして

見ていませんでしたか?


そうして人生を過ごしてきたことで

楽しむこと、つまり、笑うことですね

拒絶している状態にまでなっています。


安定していない家庭で育てば

安定していることより

何か事件が起こっていたほうが馴染みが大きいのです。



姉さん、事件です
Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

の状態のほうが、安心してしまうという

奇妙なねじれ現象が起こってしまうんです。


それを、不幸好き体質と呼びます

事件が起こるか、起こらないか

それだけに頭が集中していますので

不幸をクローズアップしやすい。


不幸さがしをやってる回路で

幸せさがしをやるのは、至難のわざ(^^;;


たとえ、一瞬、楽しんだとしても

不幸さがしセンサーが発動しているので

不幸事が自然と入ってきます。


そして、やっぱり、油断なんかしちゃいけないわと、規律→信念→配列に強化されることになります。


この、不幸さがしセンサーの回路を

緩めることが、

こりゃまた、大変なのですが

まず、自分に、不幸回路があることに

気づくことから始まります。


実感することです。

実感するには、どうしたらいいですか?


と、必ず主観的な質問がきます


幸せさがし?感謝さがし?


それは、一般の人がやることです。


ACには、高度なんですね。


心のベースを作ることが先です。


ベースを作りは、数ヶ月で書き換えとか

無理なんです。

よく、1週間でリセットとかありますが

他力本願で、あり得ない。

結局は痛みを伴いながら

自力をつけることしかないと

思います。


赤ちゃんが、言葉を覚えるのに

どれほど時間がかかることでしょう。

人間が子供から思春期をむかえ

大人として成熟するのと同じくらいの

やり直し作業が必要になります。


大人であっても、英会話をマスターするのに

どんなにいいコーチを、つけても

1週間でできるとも思えません。


自宅で練習し、歩きながら英語を聞き

寝る前も聞き

教室に通う

同じクラスの人たちと勉強会をやり

その行動の先に

向上はあると思います。


同じように、楽しむということは、

油断するということとは、違うのだと

実感できるようになるまで

他力本願では無理なのです。


やるか、やらないかと、自分で決めること

意識するか、しないかを自分で決め続けること


そのお手伝いを、あなここは、やってるわけですが、

するも自由、しないも自由

行動あるのみ、やってみるのみ

それが、自力をつける方法です。


もっと、1日で変わるものないんですかねえ


そんな、奇跡はありませんが、

行動した先に失うものは、

ありません。

もう、今更、失うものなんてあるはずがありませんもの。

ずっと、失ってきたのですから。



得たと思ったら、奪われる

あるいは、喪失する。


楽しんでしまうと奈落に落とされるという配列は

長年のがっかりの連続で、

子供時代に自分をこれ以上傷つかなくさせるために

自分が作った壁でもあります。



笑ったらいけない

お金を使ったらいけない

美味しいもの食べたらいけない

オシャレしたらいけない

化粧したらいけない

あらゆる生活に影響しています。



私ごときが、やっても似合わない



これを呪文のように自分に言い聞かせて

本心を押さえ込んだ結果の残骸が


楽しんだらいけないは、できています。





6月の体育祭あけ、

毎年のように不登校が続出します。

不登校は、家族の病です。

一読してみてね♪


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時に、変えられない時期ってあります。

押しても引いても、

すっきりしない


そんな時は、なにもしない

という手があります。

なにもしないというところに、

留まる

消極的なようで、案外最強です。

つまり、自分の無力を引き受けるということですから。


かなりの力量が必要です。


変えようとして、ジタバタしてる方が

楽だったりします。


昔、猫と犬が、目の前で亡くなるのを見ました。


とても、とても苦しそうでした。


何かしてやりたい

何かせねば

何もできない


そんな、気持ちとの葛藤が渦巻きます。


延命したとて、苦しみが長引くだけ

それこそ、自己中


本人に任せること


亡くなったあとも、もちろん後悔はありました。


しかし、後悔も、変えられないことも

引き受けようと思いました。


時に干渉せずに、

何もしない、という意思を持つこと

案外大切かもしれません。

もちろん、積極的に関わる時も大切です。
区別つかないのが、ACなのですが
また、その話は、いつか(^^)

もうすぐ、きんたろうさんの電子本第2弾が、あなここ出版部から出ますよ。

お楽しみに(o^^o)


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我こそは、一番不幸な人だと信じて疑わない


と、とっても自覚ある人へ


その不幸をたくさん、自慢してもらおう


さあ、たくさん、不幸を語りましょう


どれくらい不幸か


競争だよ〜〜ん






まあ、こんなのも、いいよね♪

(≧∀≦)



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