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2017-02-21 20:12:19

「足跡姫」観てきました。

テーマ:日々のこと

野田秀樹の「足跡姫」を観てきました。

 

先日、東京芸術劇場で上演されている「足跡姫」観てきました。池袋の芸術劇場、できた当初は、巨大なエスカレーターが批判されたりしましたが、2013年にリニューアルされて以来、初めての訪問でしたが、とても快適で美しい、居心地の良い劇場に進化していました。設計監修には香山壽夫先生。

 

舞台は江戸時代、宮沢りえ演ずる「三・四代目出雲阿国」を主人公に、歌舞伎が生まれた時代のお話し。歌舞伎は女歌舞伎から始まったそうで、風俗的要素があったため幕府に禁止され抑圧されたため、形を変えて今のような芸能の形になったようです。

 この作品、2012年に亡くなった歌舞伎役者 中村勘三郎氏へのオマージュ、とのこと。生と死、この世とあの世をいったりきたりするような舞台でした。最後のシーンでは勘三郎さんが舞台に立っているようで思わず泣けました。

 それにしても宮沢りえさん、あまりに美しく、妖艶で、尋常ならぬ身体表現に圧倒され魅ました。

りえさんはすごい演劇人だったのだ、とあらためて彼女の才能に感動しました。

妻夫木聡や古田新太という魅力的な俳優陣も味わい深く野田秀樹のダジャレ系、アドリブも冴えてくだらないものも真剣に作り込む言葉遊びも楽しい。

 

 演劇というのは後に残らない一回きりの身体表現。瞬間にかける人たちの美しさと潔さは、自分としは憧れる圧倒的エネルギーの放出。その中に、現代の人をつかむテーマと思いを乗せられる演出家というのは、本当に尊敬します。

勘三郎さんは、肉体の芸術は何も残らないのが残念、という言葉を残されているそうですが、音楽家でも演劇人でも、その瞬間にすべてを出し切るパフォーマンスは、その凝縮したパフォーマンスは、人間が表現できる芸術の中でも、おそらくもっとも強い感動を与えられるものだし、記憶に深く残るものだなあと思います。

 

建築は長く残るけれど、ふだん、人の意識に上ることは少なく、背景だなあと・・。(笑)

 

時空が錯綜したり、生と死が本当にその場所で起きるように表現する、生の舞台の奥深さ・・。

野田秀樹はやっぱりすごい・・です。

 

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2015-10-30 20:58:07

歌舞伎の愉しみ~十月大歌舞伎で玉三郎を観る

テーマ:日々のこと
先週、銀座歌舞伎座で十月大歌舞伎を見てきました。

今月は鎌倉薪能を見て、10月大歌舞伎、と、日本の伝統芸能にはまっている今日このごろ。文化の秋を満喫です。


演目の一つは坂東玉三郎の「阿古屋」。壇ノ浦の合戦で平家滅亡後、平家の大将景清が頼朝の暗殺を企てている、という時代背景。源頼朝は、行方をくらました景清を捉えるため、景清の恋人遊君阿古屋を捉え、拷問して景清の居場所を突き止めようとする裁判劇。

 阿古屋は、捉えられて拷問を受ける、という設定なのだが、その姿は優雅で美しいのだ。豪華な打掛、俎板帯という前垂れに大きなクジャクの絵が描かれた艶やかな帯を締め、伊達兵庫の髪を結った玉三郎の美しさは生で見るに、この世のものとは思えぬ美しさ。


そして、裁判官(代官)の重忠(尾上菊之助)の尋問が、これもまたこの時代の価値観を表現しているのか、なんとも優雅なのだ。居場所を知らぬと言い張る阿古屋に、拷問と称して、琴と三味線、胡弓を演奏させる。
 その音色が乱れなければ、嘘を言っていないとみなし、放免する、というイキなやり方で、乱暴や失礼は一切ない。玉三郎が、3つの楽器を演奏する姿がまた、指の先まで美しく、音色もまた、掛け値なく美しいのでした。特に胡弓の音色のすばらしさに感動します。


言葉もしぐさも価値観も、すべてが江戸時代の「ゆったりとした時間の流れ」とゆっくりとしたしゃべり方、ひとつひとつの感情表現を丁寧に「決め」てセリフと舞台を展開する歌舞伎の世界。なんとも充実した気分になるので、最近ちょっとはまっていて、これが2回目。
 江戸時代の庶民の楽しみだというけれど、平和な時代の空気を今の日本では想像もできないが、歌舞伎の舞台を見るとその時代にタイムスリップして、日本人の文化のレベルの高さに、幸せと喜びを感じる贅沢な時間です。
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2015-07-10 22:45:38

SUBURBAN ECOLOGY 郊外生態学~郊外住宅地の再編をかんがえる

テーマ:日々のこと
今日は東大の新領域創成学科のスタジオ課題の最終発表会で、柏の葉キャンパスのUDCKに行って来ました。




町が形成されるのに長い時間がかかる場合、自然の生態系と同じように「環境にそって徐々に形作られ、増殖する」という集落のような形が可能になる。そういった集落の形態には、普遍的な美しさ、懐かしさを感じさせる力がある。

一方、日本の郊外住宅地は、ある時期一気に開発された、大規模で均質な宅地によって構成され、町並みには生態学的な痕跡は失われている。 土地の条件、地勢、歴史を無視した、大きく道路で区画割りを行い、均質に住宅を並べていく手法は、人間が自然とともに生きる動物である、という意識も失わせる。

このような均質な郊外住宅地が、高齢化、少子化の中で、縮小しなくてはならないとき、何を考え、どうモデル化していけばよいのか?
分析、調査まではいろいろなできるのだが、実際、何をつくるか、どう介入するか、という決断するのはとても難しい。建築の設計課題はいつもそこを鍛えられるのだ。

 町を考えるとき、昔の地図から江戸時代の水系を探してよみがえらせる人、古い谷津の地形を復活させる人、陶芸拠点と地形に沿った登り窯を作る人.



いろいろなアイデアの中で、印象的だったのは最初から最後まで「墓地」にこだわった学生だった。



今の町の中には「死」を連想させるものを排除し、見ないようにする構造がある。そのことがもち、人間性を疎外し自分たちの根っこを否定してしまうような価値観につながっているのではないか?死者や宗教、墓を、もう少し町の中に、生活の一部として身近に親しむ価値観は、これからの街を作るうえで大切な指針を与えてくれるかもしれない、というのは新しい発見だった。


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