判ってるのか?- 先入観や偏見の多い「日本」の国のかたち
2012-01-15
テーマ:ブログ
先週の月曜日は、「成人の日」であった。2000年から、祝日法の改定で「1月第2月曜」に変わったが、以前は、「1月15日」という固定日だったのだ。
最近の成人式では「国歌斉唱」が式次第に組み込まれているようだが、まともに斉唱できない/しない者がかなり多いと聞く。紛れも無く「教育」に原因がある。そしてその教育は小学校・中学校での影響がかなり強い。
国歌と国旗は、特に外国に於いては「人格形成」の重要な一部だ。「国歌を知らない・斉唱しない」なんていう話はほぼありえない。どこかの政党のように日本国旗を切り刻んで、ロゴマークを急こしらえで作る、なんていう話も無い。日本では普通にあるかもしれんが、殆どの諸外国感覚では極めて異常なことだ。
国旗や国歌をないがしろにするだけで、国家をないがしろにし、社会をないがしろにし、最終的には家庭までないがしろにするようになるのだ。その先にあるのは「地域の崩壊」「国家の崩壊」だ。きちんと調査したわけではないが、今まで関わってきた人材を観察している限り、はっきりとした傾向だ。
会社で人材を雇用するような立場だと「能力以前に使えない人材」なのだ。
社会をないがしろにするような奴に、「会社に貢献しよう」とか「役に立とう」とか「郷土愛」とか無いのは自明だから。こういうのは社会人として必要不可欠だ。
つまり、この日本を立て直すならば、先ず「国歌や国旗を大切にしろ」というところからの教育が重要になる、ということになる。観念的で難しかったり、左翼的な思想を持っていると反発食らうだろうが、今は理解できる者だけが理解してくれればよい。噛み砕かないと判らない部分もあるからだ。
こんなだから、「日本」という国家の形態もまともに知らない者は結構多いのではなかろうか。
これは今日の本題だ。
先ず「日本」は「立憲君主制国家」だ。
「立憲君主制国家」とは、議会が設置されている国家で、君主が居る国家だ。このような国家は、ほかにもイギリスやタイ、スペイン、デンマークなどがある。
日本でいう議会は紛れも無く「衆議院」と「参議院」だ。
「君主」とは、その国においての統治者で且つ敬服の対象になるような人物を言う。日本に於いては「天皇陛下」である。
「君主」は、多くの君主制国家では世襲である。
また、「君主」は国際的には多くの場合、国家を代表する「元首」とも言われる。
多くの国で「元首」に関する規定は定められていないようだ。
だが、日本国の元首は実際には「天皇陛下」である。ちなみに中国では元首は「国家主席」だ。
国際的には、天皇陛下が他国を訪問すれば、出迎える相手は「大統領」か「国王」達であり、総理大臣が他国を訪問すれば、出迎える相手は「首相」(国家議会の代表者)だ。これは国際的な礼儀であるので、天皇陛下が訪問して「首相」が出迎えたならば、「歓迎していないこと」の意思表示であり、総理大臣が訪問して「国王」が出迎えたならば「熱烈歓迎」の意思表示と見ていいだろう。
また、「君主」にはそれぞれの国の歴史からいろいろな呼び名があり「国王」「法王」「○○公」「皇帝」「天皇」など。そしてその呼称から「王国」「公国」「帝国」「皇国」という呼び方となるのだ。意味合いはどれも同じだ。
つまり「天皇」は「君主」の呼び方のひとつに過ぎない。
「天皇」を「国王」と呼んでも意味は同じだ。ただ、「天皇陛下」を「国王」と呼ぶ日本人はあまり居ないだろう。
同じ「立憲君主制国家」であっても、「君主」の権限は、国家憲法の規定によってまちまちだ。
日本の君主は、「制限君主制」で、現在は最も権限が弱い部類とされる「象徴天皇制」で、主に国事行為は儀式的なものだけに制限されている。
イギリスは、形態は権限が最も強い「絶対君主制」だが、実際は名目だけのようで、日本と大差ないようだ。
サウジアラビアは国王が権限を掌握する「絶対君主制」の国家だ。
また、アラブ首長国連邦(UAE)は、複数の各地域の首長が集合して形成されている国家で、「絶対君主制」に分類されている。(出典:WikiPedia)
君主が居ない国は、一般的に「共和国」だ。共和国は選挙で「大統領」を決めるのが基本だ。
だが、「共和国」を名乗るのに「絶対君主制」のような北朝鮮、少数の権力者が実質独占的に権力を握る「専制君主制」のような「中華人民共和国」のような国家も実在する。
こうしてさらっと眺めただけでも、国旗・国歌を批判する者達は、筆者から見れば、売国奴であり、思想的にどこか狂った異常な主張か国家スパイに思えて仕方ないのだ。
最近の成人式では「国歌斉唱」が式次第に組み込まれているようだが、まともに斉唱できない/しない者がかなり多いと聞く。紛れも無く「教育」に原因がある。そしてその教育は小学校・中学校での影響がかなり強い。
国歌と国旗は、特に外国に於いては「人格形成」の重要な一部だ。「国歌を知らない・斉唱しない」なんていう話はほぼありえない。どこかの政党のように日本国旗を切り刻んで、ロゴマークを急こしらえで作る、なんていう話も無い。日本では普通にあるかもしれんが、殆どの諸外国感覚では極めて異常なことだ。
国旗や国歌をないがしろにするだけで、国家をないがしろにし、社会をないがしろにし、最終的には家庭までないがしろにするようになるのだ。その先にあるのは「地域の崩壊」「国家の崩壊」だ。きちんと調査したわけではないが、今まで関わってきた人材を観察している限り、はっきりとした傾向だ。
会社で人材を雇用するような立場だと「能力以前に使えない人材」なのだ。
社会をないがしろにするような奴に、「会社に貢献しよう」とか「役に立とう」とか「郷土愛」とか無いのは自明だから。こういうのは社会人として必要不可欠だ。
つまり、この日本を立て直すならば、先ず「国歌や国旗を大切にしろ」というところからの教育が重要になる、ということになる。観念的で難しかったり、左翼的な思想を持っていると反発食らうだろうが、今は理解できる者だけが理解してくれればよい。噛み砕かないと判らない部分もあるからだ。
こんなだから、「日本」という国家の形態もまともに知らない者は結構多いのではなかろうか。
これは今日の本題だ。
先ず「日本」は「立憲君主制国家」だ。
「立憲君主制国家」とは、議会が設置されている国家で、君主が居る国家だ。このような国家は、ほかにもイギリスやタイ、スペイン、デンマークなどがある。
日本でいう議会は紛れも無く「衆議院」と「参議院」だ。
「君主」とは、その国においての統治者で且つ敬服の対象になるような人物を言う。日本に於いては「天皇陛下」である。
「君主」は、多くの君主制国家では世襲である。
また、「君主」は国際的には多くの場合、国家を代表する「元首」とも言われる。
多くの国で「元首」に関する規定は定められていないようだ。
だが、日本国の元首は実際には「天皇陛下」である。ちなみに中国では元首は「国家主席」だ。
国際的には、天皇陛下が他国を訪問すれば、出迎える相手は「大統領」か「国王」達であり、総理大臣が他国を訪問すれば、出迎える相手は「首相」(国家議会の代表者)だ。これは国際的な礼儀であるので、天皇陛下が訪問して「首相」が出迎えたならば、「歓迎していないこと」の意思表示であり、総理大臣が訪問して「国王」が出迎えたならば「熱烈歓迎」の意思表示と見ていいだろう。
また、「君主」にはそれぞれの国の歴史からいろいろな呼び名があり「国王」「法王」「○○公」「皇帝」「天皇」など。そしてその呼称から「王国」「公国」「帝国」「皇国」という呼び方となるのだ。意味合いはどれも同じだ。
つまり「天皇」は「君主」の呼び方のひとつに過ぎない。
「天皇」を「国王」と呼んでも意味は同じだ。ただ、「天皇陛下」を「国王」と呼ぶ日本人はあまり居ないだろう。
同じ「立憲君主制国家」であっても、「君主」の権限は、国家憲法の規定によってまちまちだ。
日本の君主は、「制限君主制」で、現在は最も権限が弱い部類とされる「象徴天皇制」で、主に国事行為は儀式的なものだけに制限されている。
イギリスは、形態は権限が最も強い「絶対君主制」だが、実際は名目だけのようで、日本と大差ないようだ。
サウジアラビアは国王が権限を掌握する「絶対君主制」の国家だ。
また、アラブ首長国連邦(UAE)は、複数の各地域の首長が集合して形成されている国家で、「絶対君主制」に分類されている。(出典:WikiPedia)
君主が居ない国は、一般的に「共和国」だ。共和国は選挙で「大統領」を決めるのが基本だ。
だが、「共和国」を名乗るのに「絶対君主制」のような北朝鮮、少数の権力者が実質独占的に権力を握る「専制君主制」のような「中華人民共和国」のような国家も実在する。
こうしてさらっと眺めただけでも、国旗・国歌を批判する者達は、筆者から見れば、売国奴であり、思想的にどこか狂った異常な主張か国家スパイに思えて仕方ないのだ。







