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「カプレーティとモンテッキ」の稽古が順調に始まっています。
先日はジュリエッタとロレンツォだけの特化稽古でした。

1幕のジュリエッタの登場で
「oh! quante volte」という超有名なアリアがあります。美しいメロディのこの曲は、つい叙情的に歌ってしまいがちですが、実は決意の曲であると演出は言います。周りは戦争真っ只中で、その中心たる家の娘として、国の運命をも背負うジュリエッタ。
その中で、部屋にひとり、誰も居ない、誰にも聞かれていない今だけ、せめてロメオに、会える筈のないロメオに会いたいと言わせて下さい、と歌っています。
ジュリエッタは、ロメオが居なければ死んでしまう程に彼を愛しています。実際、本作のロマーニの台本上では、ラストシーンでジュリエッタは、ロメオが死んだという事実だけで、ナイフも毒も無く死んでしまいます。
のに、そのロメオが、まさか目の前に現れて、ジュリエッタを連れて此処から逃げると決意しているのに、それを断るのです。
それはもう、どんな言葉で表現したら良いのでしょう…
だからベッリーニは、ロマーニによって磨き上げられた言葉、ひとつひとつに音楽を載せたのです。音楽でしか表せない表現を作ったのです。
そう、それが、オペラです。
演出曰く、必死で、書いてある台詞を喋れば、そのまま音楽になるようにベッリーニは書いている。ベッリーニは台詞の天才であり、ベルカントオペラは、実は言葉を音楽にした完成系なのだと。
そんな中、昨日の稽古で、我がふたりのジュリエッタは本当に素晴らしかった。もちろんまだまだ稽古は初期です。更に深く深くなっていくと思います。俺、そんなの見ていて耐えられるかな……

是非公演に足をお運び下さい。

ベッリーニ『カプレーティとモンテッキ』
8月5日、6日
牛込箪笥ホール
全席自由・5000円

指揮・柴田真郁
演出・岩田達宗
ピアノ・星和代

★8月5日(金)19時開演
ロメオ・寺田宗永
ジュリエッタ・高橋絵理
テバルド・布施雅也
カペッリオ・大沼徹
ロレンツォ・大澤恒夫

★6日(土)15時開演
ロメオ・森山京子
ジュリエッタ・平野雅世
テバルド・青柳素晴
カペッリオ・須藤慎吾
ロレンツォ・藪内俊弥

舞台監督・荒牧大道
照明・しもだめぐみ
合唱指導・石塚幹信
稽古ピアノ・神保道子

制作・NPO法人オペラ普及団体ミャゴラトーリ
首藤史織
問い合わせ・shuto@miagolatori.com
070-5553-1742
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「ロミオ、どうして貴方はロミオなの。(お父様を捨てて、)家名を捨てて下さい。さもなくば私を愛すると誓って下さい。そうすれば私も家名を捨てましょう。」
これはシェイクスピアが書いた『ロミオとジュリエット』内でジュリエットが言う有名な台詞です。

今回僕達が上演するベッリーニ/ロマーニの『カプレーティとモンテッキ』はシェイクスピアの作品とは描いている内容が違うので、当然ジュリエッタはこんな事言いません。
『カプレーティとモンテッキ』で2人が背負う両家の名前は、「愛してると誓う」だけで消せるものではありません。それ以上に、ロメオとジュリエッタの愛は既に、このオペラの中では、何者も侵す事のできない深く崇高な次元にまで描かれています。


カプレーティ家とモンテッキ家は、その時世界を二分していた力(教皇派と皇帝派)の象徴として描かれています。愛を誓えば捨てる事が出来るような単なる家名ではありません。
更に、ベッリーニとロマーニは、この作品を作った時代1830年、即ちイタリア統一運動の時代に思いを重ねて、全イタリア世界がふたつに分かれた戦いの中、膨大な数の人が死んでいく悲しみを痛切に思いながら作っているのだと思います。

ロメオは、過去に戦闘の中で人を殺しています。その悲しみを背負って登場します。だからもう戦いは止めようと和平交渉にやって来る。ところが、ジュリエッタの父でありカプレーティ家当主のカペッリオによって交渉は決裂してしまう。再び戦争が始まる事の恐怖を抱きながら、そこから逃れるために、ジュリエッタと共に逃亡する事を最後の望みと考えます。しかしジュリエッタはそれを断るのです。その時、彼女を繋ぎ留めている巨大な鎖は何だったのでしょうか?

ロメオが訪ねて来る前、戦争の真ん中にいて、ジュリエッタはどれだけ心細く、恐怖の中でロメオとの再会を待ち望んでいたでしょうか。にも拘らず、ようやく訪れたロメオの、逃亡の誘いを断るのです。ロメオの絶望も想像に絶しますが、ジュリエッタの心情は?

もし死ぬ事が出来たなら全てから逃げ出す事が出来ると考えるのは自然な思考だと思います。
実際、ジュリエッタはその時、もしロメオを失えば自分は死ぬと言っています。死は、彼女の直ぐそばに存在している訳です。『仮死状態』になる薬が登場した時には、私は死を恐れるどころか、それを望んでいたとも歌っています。

しかし、正に死の世界に向かおうとするその時に、ジュリエッタは父親に最後の懇願をするのです。

全イタリアを巻き混む戦争。世界をふたつに分けた、その象徴として描かれるいち家族。家族の機能を測る時、その中における父と娘の関係は重要です。ジュリエッタがandante、非常にゆっくり歌う父へ救いを求めるアリアがあります。その時の父カペッリオの心情、そして行動は、そういう意味では、実は物語の行方をも変えてしまう程に重要なのかも知れません。


しかし、結果としてジュリエッタは家を捨て、旅立って行く訳です。
『カプレーティとモンテッキ』は、ジュリエッタの成長物語としての側面を持つとも考えられると思います。

今回はジュリエッタを、高橋絵理、平野雅世にお願いしています。
高橋絵理は、ミャゴラトーリ×岩田達宗の第一回公演「ラ・ボエーム」で、今回ロメオの寺田宗永とのコンビで歌った、あの奇蹟のミミ。あの時、リアルに暗闇で稽古をした中で、ロドルフォから蝋燭の火を受け取った時に照らし出された少女の顔を忘れられません。声、容姿、感性…神は彼女に幾つの才能を与えたのでしょう。今回、ジュリエッタという難役に向けて、既にボローニャでコンサートを行っていると言う情報が届いています。更に進化した彼女と会うのが楽しみです。
そして、森山京子ロメオと共にジュリエッタを歌うのは平野雅世。深く澄んだ音色で全ての音を変わらぬ響きで歌うテクニックは素晴らしいです。また、ストレートプレイでジュリエッタを演じても通用するであろう美貌。そして、プリマドンナとしてこれだけのキャリアを築いているにも拘らず、実に純真な心の持ち主。一緒にいてこんなにホッとするプリマドンナは珍しいです(笑)。そしてなんと、この公演に参加する為に大阪から東京へ移住してしまいました!(これは嘘です)。

この2人が作るジュリエッタ。
本当にワクワクします。

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ベッリーニ/ロマーニによる、この作品は反戦のオペラと言えます。若いふたりのロマンを描いたシェイクスピアのロミオとジュリエットとは内容が違います。


戦争は人が死にます。今の戦争は近代兵器による殺戮によって、殺す人間が殺される人間の眼を見るという事は、まずないでしょう。しかし、ロメオの時代の戦争は、剣で殺すにしても銃で殺すにしても、殺し合いの中に人対人のリアルなコミュニケーションがありました。事実、オペラの冒頭でロメオは和平交渉に自ら乗り込んで来る訳ですが、その時の彼は、過去に直接人を殺してしまった痛切な悲しみを背負っています。それは、政治家が官邸の中で平和を訴える行為とは、そのリアリズムにおいて全く違う。だからこそ戦争をもう繰り返したくないというロメオの訴えがあります。しかしそれは、正に彼に殺された当人の肉親であるカペッリオの憎しみによって否定されます。なんとリアルな憎しみの連鎖によって戦争は継続されるのでしょうか。

そして、さらにロメオは愛するジュリエッタにも、共に逃げようという思いを躊躇われてしまう。

追い詰められていくロメオは、結果的に新たな戦いへと、手を血に染めていかざるを得なくなっていくわけです。

更には愛するジュリエッタの死に直面し、誰を恨む事もなく自らの死を選んでしまう。

あまりにも純粋な心を持つロメオ。
それをベッリーニは女性歌手(メゾソプラノ)で表現しました。宝塚的な、中性的な男性(人間として)として、その純粋な心を描いているのです。

ここで、実はミャゴラトーリと演出との話し合いが行われました。ベッリーニ自身が、自らの時代(イタリア統一運動の時代)の現代劇としてこの作品を作り、それがドニゼッティ、ヴェルディと受け継がれて、更に僕たちが、今僕達が生きている時代にも照らし合わせてこの作品を上演すると考えるならば、お客さんにとってそれがリアルな形として受け入れられるテノール(男性)ロメオにも意義があると(過去にもテノール歌手ロメオによる公演は行われています)。しかし同時に、ベッリーニが、女性だからこそ表現できるとして描いた純粋さ、メゾソプラノ(女性)ロメオは当然基礎にするべきであるし、それを追求するべきです。

しかし、テノールにしても、メゾソプラノにしても、それを演じられる歌手、つまり『男性である自分を俯瞰出来る男性』、逆に『その男性を表現できる女性』は、実に稀な存在です。

しかし今回、結果的に、しかし実に幸運なキャスティングとなりました。

森山京子さんがロメオを受けて下さった時に、岩田氏から出た言葉は『この勝負、勝った』(何と勝負してるのか知りませんが(笑))です。更に、寺田宗永に対しては『彼は僕にとって、本当に特別なテノールです。テノールとして唯一、彼であればロメオを考えられる。』と言っています。
今回、先日の演出レクチャーの中で、実に百戦錬磨の森山さんにして、今尚、ロメオという男性を演じる事に対しての不安の言葉が岩田氏に向けられました。寺田にしても然りで、正に今日、音楽稽古の中で、ロメオ像に向けた苦しみを常に発していました。それくらいに、ロメオは男性であり、また、中性的なのです。

今回のプロダクションでは、このふたりのダブルキャストによる、もちろん演出、指揮、スタッフ総動員での、ロメオを探す現場になるかも知れません。ベッリーニが、1830年に、ロメオに込めた思いは何か?その壮大な挑戦と言えます。

もちろん、その鍵を握るのはジュリエッタです。それはまた次回のブログにします。

どうぞ、公演に足をお運び頂きたく思います。
ダブルキャスト・2つの公演で、全く違う作品になるかも知れません。もちろん追求するものは、ひとつです。

出来れば両日見て、それを感じて頂きたい!

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