シリア問題はシリアだけを見ていては語れない。そこで起きている現象は、単なる内戦ではない。


イラン、イスラエル、トルコなどの周辺諸国の介入があるからだ。またロシアと欧米という地域外の大国の関与がある。となるとシリア国内情勢に加えて、地域政治、そして国際政治という3つのレベルからの多層的な分析でなければ、錯綜する状況に太刀打ちできない。


こうした状況を一変させかねない変化がアメリカで起きた。いうまでもなくトランプ大統領の誕生である。この大統領の誕生とタイミングを合わせたように出版された書籍に依拠しながら、シリアをめぐる地政学を考えてみたい。


勧善懲悪ではない


まずシリアに正面から取り組んだのが、青山弘之東京外国語大学教授の最新作『シリア情勢』(岩波新書・2017年)である。本書によれば、シリア情勢はアサド大統領が悪人で反体制派が善人という単純な勧善懲悪の物語ではない。しかも世界が期待を寄せてきた穏健な反体制派は幻想であり、実際には存在しない。この現実に依拠しない限りシリアは理解は出来ない。その議論は、暗く思い。しかも現地メディアを含む丹念な資料の読み込みに支えられている。それだけに、議論には抗いがたい重力がある。反論はあってしかるべきだが、同じような研究の重みに支えられていなければ、この議論には歯が立たないだろう。


そして地域諸国の動向に関してはアジア経済研究所の今井宏平研究員による『トルコ現代史』(中公新書・17年)が、オスマン帝国の滅亡から現代に至るまでの歴史を太いタッチで素描している。ハイライトは現在の与党である公正発展党の記述であろう。「黒いトルコ人」と表現される貧しい層の心情に訴え、その生活改善に取り組んできた同党をけん引したのがエルドアンである。具体的には、ゲジュコンドと呼ばれるスラムの掘っ立て小屋に住む人々のために、45万戸もの低所得者層向け住宅を提供したのである。なぜトルコ国民の約半分が熱くエルドアン大統領を支持するのか理解させてくれる。その結果が、4月の憲法改正の国民投票の結果である。民主主義が健全に機能するには、あまりにも権力が大統領に集中し過ぎたとの懸念を抱かせるのだが。


域外の大国の介入というレベルでは、山内昌之明治大学特任教授の編集した『中東とISの地政学』(朝日新聞出版・17年)が、中東の国際政治の構図を明るく照らし出している。


面白いのは、編著者の山内教授と外交専門家としてテレビなどで目にすることの多い宮家邦彦氏の議論だろうか。同教授によれば、シリア情勢の構図を貫く大きなベクトルはプーチンのロシアのシリアへの本格的な介入である。逆にアメリカは、穏健な反体制派と呼ばれる勢力に、および腰の援助を与えたのみであった。それゆえにアサド体制が生き延び反体制派は敗退した。このシリアにおいてはロシアの主導権を認め、イラクにおいてはアメリカがリードするというディール(取引)がトランプとプーチンの間に成立するだろうと山内教授は大胆に予言する。


宮家氏は「アメリカ第一」というトランプの主張はオバマの路線の焼き直しにすぎないと看破するなど、錯綜する情勢の本質を短い言葉でえぐり出す。硬質の議論である。テレビに出ているからといって大衆にこびているわけではないのが良くわかる。


商社マンの声拾う


もう一つの本書の特徴は、商社マンの論考が含まれている点である。中東での日本イメージを形成してきたのは研究者やジャーナリストのような虚業の集団ではなかった。それは日本製品である。そして商社マンに代表される現地で働いている日本人である。この実業の人たちの頑張りが必ずしも正当に評価されてこなかった。また、その蓄積された知識が日本の中東理解に反映されてこなかった。そうした点を是正する上でも本書の意義は小さくない。中東の地政学ばかりでなく、中東に関する日本人の知の地政学の目指すべき姿をも示唆している。


※5月13日(土)の日本経済新聞(朝刊)に掲載されたものです。


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