現在の中東ではいくつもの戦争が同時に戦われている。いわゆる「イスラム国」と各国の戦争、トルコとクルド人の戦争、リビア人とリビア人の内戦、そしてイエメンでの戦争である。その中で比較的に注目度が低いのが、イエメンでの戦争だろうか。ヨーロッパから遠く、難民が押し寄せる心配がないからだろうか、欧米や日本のメディアは、この問題に関して多くを語らない。


この戦争は、イエメン人同士が戦っている内戦である。しかし、同時にサウジアラビアなどが介入しており、単なる内戦ではない。いずれにしろアラブ世界の最貧国であるイエメンを豊かな産油諸国が爆撃している。その混乱の中でアルカーイダ系の組織が増殖している。もともと貧しかったイメメンの民衆の生活はさらに悪くなった。戦火の中で多くの人々が苦しんでいる。国際機関の援助も滞りがちである。シリアの情勢にも比べられる程の地獄絵ではないだろうか。


この地獄絵の背景となった「アラブの春」とはイエメンにとっては何だったのか。そもそも、それ以前のサーレハ大統領の長期支配とは何だったのか。どのようなメカニズムが長期支配を可能にし、アラブの春以降の情勢は、そのメカニズムを、どのように破壊したのか。そして内戦に至る経緯の詳細は、どうだったのか。イランの介入は本当にあったのか。あったとすれば、どの程度なのか。サウジアラビアの介入の決断の裏には何があったのか。多くの疑問がわいてくる。


しかも問題はイエメンの悲劇に止まらない。この戦争での出費と犠牲が、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の政権の正統性を脅かしかねないからである。イエメンはサウジ王家にとってのベトナム戦争になりつつある。かつて1960年代にイエメンの内戦に介入したエジプトは、この国の山岳地形の中での出口のない戦いで消耗した。イエメンはナセリズムの墓場の入り口になった。イエメンの悲惨な戦争の風景の中にサウジアラビアなどの産油国の安定が吸い込まれて行くのではないか。黒い雲のような懸念がわく。サウジ王家の不安定化は、石油供給の混乱を通じて世界経済を動揺させるだろう。そして中東原油への依存度の高い日本経済を直撃するだろう。日本にとって、いちばん危険な戦争とタイトルをつけた所以である。イエメンをめぐる見えない未来が暗く立ちはだかっている。


問題の重要性にもかかわらずメディアに流れる情報はあまりにも断片的であり分析は極めて皮相的である。単にサウジアラビアとイランの代理戦争と一刀両断に語るだけで良いものであろうか。


必要なのは、混沌とした現状ばかりでなく、イエメンの歴史をも射程に収める分析である。サウジアラビア、イランなど地域諸国の視点からも光を当てたい。包括的、多面的、重層的なアプローチが不可欠である。今こそ、各分野の研究者たちの力の結集が求められている。この特集号は、その結集の場である。


※「巻頭エッセイ/日本にとって、いちばん危険な戦争」、『アジ研 ワールド・トレンド』(イエメン特集号)2016年6月号、1ページに掲載されたものです。


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