この30年で世界は大きく変わった。ソ連は消滅したし、中国は経済大国になった。ドバイは空前の繁栄を謳歌し、そしてバブルの崩壊を味わった。ところがエジプトは変わらなかった。少なくとも貧しい人々の生活には改善の兆候は見られなかった。30年前のエジプトの観光地では、お土産売りの「ワン・ダラー!(1ドル)」、「ワン・ダラー!」との声に付きまとわれた。そして、状況は30年後も同じである。昨年の春と夏にエジプトを訪れたが、やはり「ワン・ダラー!」、「ワン・ダラー!」である。たまには、「10ドル」くらい言って見ろと思うくらいだ。


もし貧しい人々の生活に変化があったとすれば、それは悪化の方向であったろう。なぜならばエジプトの人口は1980年つまりムバラクが大統領に就任した頃は5千万に過ぎなかったが、2007年の人口調査では8千万に近づいている。現在では恐らく8千万の大台を超えているだろう。毎年百万人が増えた計算になる。ざっとムバラク支配下のエジプトではエジプト人が3千万人も増えた。


豊かな農業で歴史的に知られてきたエジプトではあるが、耕作可能地は地中海岸とナイル川沿いに限られている。エジプトの農村は、これ以上の人口を支えきれなかった。都市へ都市へと人々は移動した。しかし、そこには十分な仕事は用意されていない。しかも住環境はひどい。劣悪という言葉では表現しきれないような状況が広がっている。都市の周辺はスラム化し、スラム化する土地が不足すると貧しい人々は墓地に生活するようになった。カイロには死者の街とよばれる墓地があるが、ここには貧しい人々が住み着いている。死者と貧者の共生地区となっている。


もちろんムバラク支配下で進められた民営化は経済成長を引き起こした。しかし、その成長は潤った層と疎外された層の二極分化を引き起こした。権力と結びついて莫大な富を得た層がいる。その中心に居たのはムバラク一族である。その総資産額は内外の不動産を含め数兆円に上る。


逆に多くの労働者が国営工場からの解雇を経験した。また低賃金にあえぐ労働者も少なくない。大学を卒業してもホワイト・カラー的な職に就けない若者が増大していた。国内に希望を失った人々は、海外へと向かった。合法・非合法に流入したエジプト人がヨーロッパの各都市に生活している。ローマの生鮮市場にはエジプト方言のアラビア語が飛び交っている。地中海を渡りきれずに溺れ死ぬ例さえ報道されている。


民主主義が機能していれば、経済の状況が悪ければ、政治に変化が起こる。不満な有権者が投票によって政府を交代させるからである。しかし、ムバラク独裁下のエジプトでは、民主的な方法による変化は治安当局によって阻止されてきた。選挙は管理されており、ムバラクに対抗しての立候補は難しく、立候補しても選挙運動を妨害されてきた。形だけの選挙に人々は政治への不信感を深めてきた。


しかも1981年のサダト大統領の暗殺直後に発せられた戒厳令が今日まで続いており、政府は勝手に市民を逮捕してきたし、拷問の例さえあった。経済で先が見えず、政治が変わらず、市民が敬意をもって扱われない。エジプト社会の内実だった。圧力釜の内部のようであった。しかも、そこに毎年毎年百万人の新しい人口が加えられた。爆発するのは時間の問題だった。火をつけたのは、チュニジアの政変である。30年間変わらなかったエジプトの政治が変わろうとしている。


アラブ諸国には同じような構造の体制が多い。エジプトの現象の波及は不可避であろう。だが、それぞれの国々による違いもある。産油国では政府が国民に対する福祉のバラマキ機関となっている。政治面での不満はあっても、経済面での不平はない。またシリアのような国家では、既にムスリム同胞団が反乱を起こして虐殺された前例がある。エジプトほどの外国メディアの存在もない。国民はおびえており、立ち上がれないだろう。となると長期政権で、しかも政府の力が比較的に弱く、その上に国民を懐柔するに十分な石油収入を持たない国が、最も可燃性となる。ずばり言ってイエメンが危ないだろう。


※2011年2月14日(月)の『東京新聞』夕刊に掲載された文章です。


なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル
高橋 和夫
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