「時代と断層」 雁金敏彦

 時代の変遷によって変わり得る物と変わり得ないもの・・・社会システム論的な視点から歴史を追いかけて、今日も資料の山を掘りかえして東奔西走。
 史学を主体とした社会進化論。社会構造論。政策科学等の視点が主です。
 2012年から始めてみました。


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 2012年8月9日、大阪市淀川区区長榊正文は自身のtwitter上でクロストークした相手に対して「アホか、相当な暇人やな」等とツイートしその事がメディア各紙
(#1)に一斉に報道された。
 榊は大阪市が公募した行政区の区長として就任しており、リクルート社入社後、民間の人材派遣会社役員を経て大阪市の公募に応募し任命されている。立場としては行政職であり公募とはいえ行政機関の職員と言う立場である。そうした職責を持つ人間が、一種の言論装置であるtwitterで意見表明し、その反論として相手を侮蔑するという行為は、ネットという情報構造を行政運用の何らかの意見公募や手法説明等のツールとして活用すると言う手法として、その運営能力と資質としてみた難しさを露呈した出来事でもあった。

 9日の定例記者会見でこの件について問われた彼は「公選職でなく、僕と同じやり方はできない。有権者へのアホとかバカという言葉遣いは行政職としては許されない」(#2)という見解を示している。
 公選職で橋下徹と言う立場であればバカアホという相手への侮蔑は、自らの責任として跳ね返り、公選により有権者からの振るいにかけられるが、行政職は有権者にとって選定出来る対象に無い者であり、職務的な立場を考慮せずそうした発言を行う事は許されないと言う見解が示されている。つまり、日頃「バカアホ」と連発する彼の指し示すその規範の定義は、区長の立場が行政組織体の職員と言う立場を逸脱しては成らないという方向性を示しても居る。
 榊は元派遣労働会社役員と言う、現代の社会構造の縮図と言うべき文脈から産している
(#3)。維新が推進する行政抜本改革によって生じた行政地区の区長と言う職務を得て、社会階層の不平等を問う発言に対して口汚くネットを通じてののしると言う現象性をみせた。その一連のリアルタイムの社会現象がすでに鋭く日常に差し迫りつつある大阪の日常の変質を示しており、今将に構造生成を始めている事を明確に暗示しても居た。
 大阪域内で、2011年から始まった各方面の行政統治機構の行政職もしくは現業職責任者の公募はこうして現実と新構造の間で激しく水蒸気をあげつつ、熱を帯びて既存社会と融着を開始する。

 地域行政の基幹と成る責任者を公募し、その責任者に権限と職責を集中し個人的な資質と手腕に任せると同時に、それ相応の俸給と社会的立場を与え、仮に責任者としての資質に問題が有ればそれをふるい落とす。日本の近代以降のシステムでは、行政幹部や関連機関の責任者の多くが公務員の栄達の場であり、または地域名誉職として淘汰の及ばない次元に安住する事を許した事が、日本社会に責任者の無責任を瀰漫させ、もみ消しや事なかれ主義という土壌を形作って来た。
 日本の法制シスムテでは近代以降、責任の所在が明確ではなかった。責任が分散し、問題が発生すれば周りを見回して全体責任を言い出すか、末端のしっぽを切って言葉を濁して来た。
 行政や地域政治、そして自治活動の全てに責任を被るトップを立て、存分にその手腕を行使出来る様に権力を集中させる。その形態は責任者の職務が「立場」としての退避場所ではなく、常に実績とその自覚を問われ続ける「責務」に変質する事を意味する。それは大きな統治機構のパラダイムシフトを意味している。
 さらに、公募で募られる人材の任命責任者として監督責任と管理を首長が負い、そのチェックの責任はまた職責として首長にのしかかる。この形態は地方自治の概念を大きく変革し、根本から変質させうる試みで有ると言える。

 彼が少なくともこの形態を関西州の全土で実行する事は既定路線であり、最初に近畿二府四県での地方自治のシスムテは道州制が導入される時点で、末端の職務責任や権限も含めて基礎自治体の細部まで完全に変質する。府市統合そして都構想、道州制の行き着く先における日本の国政の変質がそこには示されているのである。
 そして統治機構の再構成
(#4)と言う流れが生成されれば経済のあり方、為替や市場環境のあり方は実は大きくその変質を見て、日本という形を変えるだろう。

 それはやはり明治維新という結節と、それ以降に生じた1945年の敗戦に次ぐ、日本社会に生じる最大級の激震であり大変革である。
 彼とブレイン達は周囲の下馬評に反して事態を確実に動かして来た。彼の暴発的な資質によって生じたひずみから破綻を迎える事も無く、その歩数を確実に縮め壮大な構想を確実に現実の物にしつつ在る。それは画餅でも幻想でも、願望でもなく、手に届く実効性のうちに描かれたハードウェアーと運用用ソフトウェアーとして、現実的な社会構造性を有している。そしてそれが実現されれば日本のシビルガバナンスそのものが、大きく形を変える事は自明である。そして既に前段階の課程が大阪の施策に見えている。
 それはまごう事無き、現実として一つの未来を明示している。

 しかし、そのビジョンと構造モデルの具体像は知らされる事は無い。
 ここまで私が示して来た複数のプロジェクトが在る理論に沿って再構成されていると言う橋下型構想の構造解析も、全体構造も含めて部分構造と傍証と成る発言等を再構成する事で成立する推論の域を出ない。確実に事象の末端を追って、ジクソーパズルの細部に着目し構造理論としてそれを再構成していると言う手法をとっているにしか過ぎない。

 そして、先日来そうした推論を超えて維新八策
(#5)が示されてさえ、そこには太幹が示されても細部は見えない。同時にその体幹も部分的には中間構想までの構造しか持ち得ていない。恐らく最終構想は意図的に隠されている。
 その曖昧な情報開示の姿勢こそ、雨に濡れたフロントガラスから見る世界の様に、不正確に輪郭はにじみ常に水の流れに歪む世界が見え続け、その歪みが彼に対する社会的不信の原泉と成り拡散して行くことになるだろう。
 彼に対する時、常に民衆は支持を求められるが、結果でしか物事を示される事は無い。
 世に実相を問い、計画の全貌を知らせればそこに反駁と疑義が生じ、計画の障壁として立ちふさがる事は自明となる。一つにそれが秘匿を促す。一つのギミックとして存在する。
 先手として自らの手を晒す事は愚劣だと彼自身が著作の中でも述べており、これが政治闘争である以上、手の内をマニュフェストとして全面明示する必要を彼等は感じて等居ない。破壊しなければ成らない構造性があまりにも多い事を想定すれば、構造破壊に王手をかけた段階でようやく社会に公示しても遅く無い。これまでの手法を丁寧に分析すれば、近世初頭の大阪城攻めで徳川が先にとった手法として、外堀を埋め、そして片桐且元等を政治的に孤立させる様な手法で、彼も又、大阪と言うエリアの政敵や敵対する組織構造をほぼ不意打ちでホフって来た。

 彼等の構想の計画の本質を問い続ければ、それは日本と言う物の根本を変革せしめる大変革である。決して地方単位の変革には留まらない。
 当然大きい構造転換と言う物は、全ての構造に強い影響を及ぼす。
 それは多くの人々の人生設計を狂わせ、そして利害関係を破断し、生活存立の立場と自尊心を足元から突き崩す。近代以降、もしくは戦後、日本人が大前提として来た生活レベルからの常識が覆される。閉塞感打開という熱病にうなされる人々は、その事には無頓着に彼を追従し礼賛を隠さない。
 しかし、現実を丁寧に負えば確実にすべては変わる事は既に明確な事である。社会構造が根本から変わる以上、その成員の生活は基盤から変質する。しかし、例えば多くの人々が事前に一度それを知れば何をするだろう。
 利権が錯綜する中に生業を成し、しがみついている生活の振幅に怯える人々や安定的な生活の安寧を覆されると知るであろう人々は、計画その物の実相を具体的に示されれば叛旗を翻すだろう。

 現実に彼の周辺で巻き起こった政治劇をみればそう成って来た。
 構造の劇的な変化は突然巻き起こる。人々はその現実に慌て反抗を準備する。しかし、その時は既に話は終わっているに近い。
 各個撃破された残骸の姿を追えば、過去の日本社会で難攻不落の構造と信じられた物があっけなく陥落した経緯が見える。戦術としてみて、敵を絞り込んで意図を悟られず、不意をつき、相手の動きを充分に読んだ上で攻撃を仕掛ければ鉄壁に見える足元は崩れる。その崩れた足元から損害を拡大すれば、「戦後の常識」に対しても各個撃破は可能である事が示されてきた。計画の全貌を感知し得ない視点と立場、そして反抗を示す範囲は既に彼によって着実に読まれている。故にこそ、秘匿する必要は強い。
 その必然から人々は雨に濡れた社会がフロントグラスの上で歪み続ける結果のみを見せつけられるという立場に立つ事と成る。

 方法論を選ばず何事をも省みない選択肢の上に立つ事それ自体と、それによって巻き起こる社会的な犠牲や混乱は、彼の描く社会構造の大変革と言う大義を前に、全ては正当化される。革命には犠牲はつきものであると古来から革命家が述べるひそみにならうのだろう。

つづく

雁金敏彦 / 情報技研



(誠に礼を失しますが、本稿では基本として全ての敬称を省略させて頂いております。関係各位にはあらかじめ、失礼をお詫び申し上げるものです。 雁金敏彦)

(本原稿は2012年4月から8月にかけて一部に向けて発表した物を再構成した文章です。
また、53項から59項にかけての総論は、執筆後発行された維新八策と公開討論会、彼のブレーンの論考の再考査等の情報を精査しながら、再分析と構造解析を行い9月11日までにかけて脱稿した物です。ネットでの公開は出版企画版という都合上、ここまでで「橋下徹考」本論掲載は終了させて頂きます。
 橋下徹氏と維新の会につきましては、
「橋下徹考」枝論として引き続き本ブログで掲載して行く所存です。宜しくお願い申し上げます。)





森林の国富論―森林「需要」再生プラン

雁金敏彦著



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