今日は寒い一日でした。風邪を引いている人たちがちらほら出始めました。皆さんは大丈夫ですか。我が家も妻が喉が痛いと言っています。お願いだからうつさないでねと思っています。


 さて今日は、私の自己紹介の後編を書かせていただきます。前編は徳島大学歯学部時代まででした。24歳まで生まれ育った徳島で生活をしていたわけです。

 しかし、矯正歯科を学ぼうと決意し、憧れの大都会、東京へおらいくだ、ということになりました。昭和63年3月に徳島大学を無事卒業し、4月、東京都豊島区にある西武池袋線沿線の東長崎という街で、人生初めての一人暮らしを始める事になりました。


徳島の矯正歯科専門医院-東長崎
このマンションの302だったかな。ワンルームマンション。あまりの狭さに息が詰まりそうと思いました。でも初日の夜、カーテンもなく、一人寂しく寝床に着いた時の気持ちは今でも忘れませんね。まあホームシックっていいうやつでしたね・・・。


徳島の矯正歯科専門医院-東京医科歯科大学
これは文京区、御茶ノ水にある東京医科歯科大学歯学部第二矯正科の研究室の写真です。1年目2年目の時は、よくここに泊まって、ソファーで寝ましたね。12階の最上階にあり、目の前に神田川が流れ、夜は東京タワーのネオンが見えて、本当に東京にいるんだぁって感動してました。もちろん、お勉強も頑張ってましたよ。


徳島の矯正歯科専門医院-同期
臨床医としての知識と技術を学ぶ専攻生として入学しました。これは、医科歯科に同期で入学した面々です。1年目が忘年会で毎年行う芸の練習風景です。毒入りりんごをたべて出っ歯になった白雪姫を王子様が矯正治療で綺麗に治しましたというストリーで、私は出っ歯の白雪姫役でした。周りは森の小人達役です。


徳島の矯正歯科専門医院-学会旅行
これは入局1年目に初めて学会で、博多に行ったときのスナップです。医科歯科時代は毎年3つぐらいの学会に参加して勉強していました。まあ観光もありましたけど。


徳島の矯正歯科専門医院-妻
旅行でいっしょになったグループの6年ぶりの同窓会が、私が東京へ出てきた年にあり、そこで妻になる女性と再会しました。初めてあった時は高校生だったのですが、その時には何とJALの国際線のスチュワーデスになったばかりとのこと。それを聞いた瞬間に目がハートマークに変化してしまいました。猛然とアタックしてお付き合いが始まったと言うわけです。


徳島の矯正歯科専門医院-結納
お付き合い3年でめでたくゴールインとなりました。東京に来て3年目、やっと大学病院にも勤務でき、わずかながら給料ももらえる立場になりましたが、明らかに妻の収入額が私を圧倒していました。


徳島の矯正歯科専門医院-いなげ診療所

平成7年にいなげ矯正歯科医院に就職しました。大学時代のライターの先生が開業し、そこに就職したわけです。


徳島の矯正歯科専門医院-認定医
平成8年に日本矯正歯科学会の認定医試験をパスし、認定医資格を取得しました。

徳島の矯正歯科専門医院-学位
同年に東京医科歯科大学の歯学博士の学位を取得することができました。研究をご指導いただいた黒田教授とのスナップです。


徳島の矯正歯科専門医院-論文

学位の研究内容は、下顎が大きくて骨格的受け口の人(わかりやすい例はアントニオ猪木さん)が、手術をして下顎を後ろへ下げて、正しく咬むようにする治療があるのですが、その人たちの手術前後の顎の動きの違いをデータを集めて研究まとめたというものです。この説明でわかりますでしょうか???


徳島の矯正歯科専門医院-専門医
最後には昨年、日本矯正歯科学会の専門医の試験を受け、見事合格して専門医資格を取得しました。世に歯医者は6万人、日本矯正歯科学会会員は6000人、認定医は2500人、でも専門医は270名ほどなんです。なかなか取れない資格なんですよ。といっても世の中の人は、歯医者さんならみな同じ腕前でしょって思ってますからね。専門医資格もできてまだ3年目で、認知度は低く。これからですね。


現在は、いなげ矯正歯科医院に勤務してもう13年になります。来年は郷里に帰り、今まで学んだ知識と技術を存分に発揮して、自分の理想とする医療を実践し、地域の人たちに愛され、必要とされる歯科医師になりたいと思っています。

私のこれまでの人生を簡単にまとめてみた自己紹介いかがでしたか。まとめている自分も、そうだったっけって懐かしく振り返らせていただきました。それでは、また。皆さんお元気で。


徳島の歯列矯正専門医院  藤崎矯正歯科クリニック


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