happy J

A Course in Miracles


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なかなかブログが書けない。

書くことは山のようにあるのだけど

毎晩チカラ尽きて寝てしまう。。

 

 

今、お風呂でボヤァ、とわいてきたこと。

 

 

 

「個であるパンさん」が 言わば パンさん的人生をかけて、

全力で避けて来たことが、どんどん現れてひろがってゆく。

 

パンさんが、あ、そーゆーの絶対無理。

あっしにはちょっと。ごめんなすって。とかボソボソ言って、

恐れの小箱、あるいは鉄壁の要塞、に閉じこもって

オシリは出てたかもしれないけど閉じこもってきたものが、

 

決してパンさんが「ヨシッ」と箱から出たのではなく、

気づいたら四方の壁がパパパーンと倒れていた、というような。

 

スケスケ生着替え、をしている途中でカーテンがばっさり落ちた、みたいな

そういう状況にいつの間にかなっている。

(どういう状況だ、、、)

 

 

 

 

 


昨年、

 

 

 

泊まりがけでACIMのシェアをしたり、

世界中から巡礼者が来る礼拝に参加したとき、
ずっとここにいたい、と突き上げるように思った。
安心できる。という想いが出てきて、おどろいた。

何に安心するのかとよく見てみると、
集う人が皆、イエスの方を向いているからだと感じた。

イエスの方を向いているということは、即ち自分を見つめているということで、
自分の聖性に向くということは、自我を直視し続ける意志と共に在るということ
だから、穏やかであるし、穏やかとは真逆の状態であっても、
焦点は自分の内奥に向い続ける。イエスに向き続ける。
そして皆がイエスの方を向いているとき、
その臨在が鮮やかに、くっきりと、香るように感じられる。

それも、私の 心の反映。

安心できる、ってことは、安心出来ない状態がある、ということを示している。
それも、私の 心の反映。


「安心できる」って想いが出たとき、
「そうか、私は普段 本当の意味では安心していないのだ」と知った。
そんなの、自我には当たり前のことで、
安心できないどころか、自我はいつでも戦争しているのだけれど、
それでも、驚愕した。






安心か、そうでないか、は
どんな状況、どんな場であるかは関係ない。

個であるパンさんでいるか、そうでないか、

ただそれだけが問題。




なのに、そうではない、差があると信じている、
自我に信がある、ということ。
毎日、お任せします、とか言いながら。その思考システムの狡猾さって物凄い。



気づくと共に、
その頃から聖霊の声は何度も、あることを繰り返し言っていて。
えーマジかー。それは、パンには不都合であるなー。。。

抵抗しつつ そうなるのだろうな、と知りつつ、


気がつけば、
多分 ありとあらゆる面において、
昨年の今ごろなら全く考えられない状態になっている。
それらを統括しているのが、
パンさんが色んな意味で(本当に、自我的はいろーんな意味をくっつける)
かなり避けたい部類のレッスン。
。。。多分、そんなの何でも無い人も、むしろ多いのかもと思うけれど
イヤだね!って握りしめているからこそ学びになるのだろうな。

それも、
「同じテーマのレッスンなら、まだコレの方がマシ」というのではなく、
キチンとしっかり、パンが嫌な方で来る。笑

でもこれが、今、パンという個が持つ設定 を
最大限に活用したレッスンだというのはわかる。


より小さく引きこもるのでもない、
小さく身内でマッタリ、でもない、
SNSやネットで というのでもない、
コース学習者です。という自我が掴む枠すら消されてしまった。
(これは、とても大きい。)

生で 人々と ウジャリ豆と関わること。
それもひろくひろく一気に、深く 
まるで海みたいに、どんな種類の魚も分け隔てなくドパーンと。
眺めるのではなく、関わること。
こだわりなくドパーンと 何でもする、何でも受け入れること。


だけど、

何をしていても、行為も、言葉も、全く意味が無い。
目的は赦しをすること、それだけ。

 

イエスに連れて行かれるあらゆる場所で、

イエスが連れてくる人と イエスと一緒に関わってゆく。

これは何度も、体験を通して、ああホントにそうなんだな。。と学び続けているところ。

 

 

 

 


この魚は、、、、
あの魚は、、、
いや これって魚じゃなくて貝だし、、、
珊瑚ってどの箱に入れたらいいの、、、


なんて、自分が魚だと信じるとこにいると、シンドイ。
少しでもそこに入ると、とても苦しくて本当に辛い。
しかも、しょっちゅうそこにスポッと入るもんだから、
もう本当に嫌になった。

もう、
海そのものになるしか道が無い。

海になったら、海の中のすべての生き物、すべての浮遊物、
すべての美醜も、ぜんぶ海だ。



全然、抵抗出てばかりだけれど、

あきらめることだ。

何もかも全部が、全部をあきらめるプロセスだ。

海になるしか道が無い。

そうして、これが、本当にありがたいことだった。


「愛にはいっさいの犠牲を払う必要が無い」
あきらめる、って
神に還ること、兄さんに従う事は犠牲を払う事になる、と信じることを あきらめる、という感じに繋がってる。
あきらめるほど、自由になる感じがする。
この自由さは、今まで無かった。
「私が」自由なのでは、無いのだ。





なるほど、
「そゆの苦手でいやだな、という部類の中でも一番避けたいレッスン」というのは、
それをすると「パンさんは魚〜♪こういう種類の、こんな魚〜♪あなたは、どんな魚?」っていうのが、
強制的に終わってゆくから。だったのかもしれないな。
アンブロシアを口に入れようとする天使が、
毒薬を飲ませる鬼みたいに見えていたんだ。
やはり、何が幸いかなんて、パンさんには解らない。



すべては兄さんと共にあり、兄さんそのものであって、
すべては兄さんに捧げられていくだけ。
本当にありがたいこと。












 

 

 

 

 

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