真・遠野物語2

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

空は薄曇りだが青空も見え、時折明るい太陽の光が地上まで届いていた。我々は懐かしい宮守の街の散策へ向かった。

 

 

 

 

 

 

目抜き通りは釜石街道よりも高台にあり、街の至るところから街道を見下ろせる。かつては宮守の街を抜けて行く道がメインの道だったのだろうが……。

 

 

 

街には酒屋や電器屋、衣料品店など、生活に必要な店がひととおり揃っている。そんな生活の合間に、昔からこの場所にあるのであろう古い建物が混在している。

 

 

街外れに一軒の食堂跡がある。看板には「御食事 出前迅速の店 たも乃木屋」と書かれている。もう営業を終えてからかなりの年月が経っていそうだ。

この建物が一時期、150万円で売りに出されているという情報が市の空き家バンクに登録されていた。かなり本気で購入するか迷っていたのだが、そのうちに売れてしまったのか情報が抹消されてしまった。かわいいブタの宮守移住計画は幻に終わった訳だが、今この建物はどうなっているのだろうか。

 

 

 

この先へ行くと街を出るだけなので、このあたりで引き返すことにした。

 

 

 

 

 

宮守の街にはまだ目抜き通りよりも高い場所があるので、今度は其処に行って見る。

 

宮守に来て昼ごはんを食べたら、次はベタだがめがね橋の袂に足を運ぶ以外に無い。

もう親の顔より見た光景。いやもっと親の顔を見ろと言われそうだが。

 

 

広場から階段を降り、川のすぐ側まで近付くと、めがね橋は見上げるような位置にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

昼過ぎだがようやく冬至を過ぎた時分なので、傾き掛けた太陽が残して行く透明な光が目に染みる。薄曇りの空、時折斜陽がめがね橋を照らしてはまた雲に隠れる。

もう何度となく見た光景だが、一度たりとも同じ光景には出会えていない。

 

 

 

 

土手を上がると、めがね橋のすぐ下まで近付ける。

橋の下には落差工が設けられ、小さな滝のように水が落ちている箇所と、緩やかな傾斜に沿って流れている箇所に分かれている。宮守川はこう見えて治水には苦労して来た歴史があるようで、今でもたまに河川敷の整備に重機が駆り出されている場面を見掛けることがある。

 

 

 

 

やがて遠くから汽笛の音が聞こえ、汽車が宮守駅に向かって行く姿が見えた。

 

 

 

暫く待っていると、今度は宮守駅を出発した汽車が橋を渡り、海に向けて走って行った。

 

 

これも何度となく見た光景。今日も定刻通りに汽車が出発したな、と当たり前に思えることが実は幸せな時間なのだと、だいぶ大人になってから気付いたものだ。

 

我々は昼ごはんが食べたくなり、道の駅に向かった。宮守を訪れる人にとってはオアシスのような建物だが、我々も宮守に来るとだいたい一日滞在するので、道の駅には必ず一度は立ち寄る。

 

 

今はもうなくなってしまったが、当時は道の駅の入り口に、誰でも自由にメッセージを書き残せる黒板が設置されていた。俺もだいたい毎回何かを書き残していたが、思い返せば俺が子供の頃はこうした掲示板の様なものが其処彼処にあった。それが何時の間にか、何となく珍しい存在になろうとは、時代の流れは速い。

 

 

道の駅には直売所が常設されていて、季節の野菜や果物、酒や特産品が手に入る。

併設されているスーパーとの棲み分けは出来ており、買いもの客にとって選択肢は多い。

 

 

 

 

我々はレストランに入る。まだ少し早い時間だからか、我々以外に客はいないようだ。

 

 

俺はわさび蕎麦を発注。天婦羅と生卵が乗った蕎麦に、宮守産のわさびを自分で摺り卸して投入するのだ。わさびは小振りなものが一本付いて来るので、全て投入するとかなり辛いが、香りが良くとても美味い。

 

 

嫁はトンカツ定食を発注。メインのカツの他に小鉢、漬けものが2種類、さらに具沢山の味噌汁も付いて来てかなりのボリューム。野菜がたっぷり食べられるのはとても有り難い。

 

 

 

ゆっくり食事をし、昼過ぎになり店が混み始める頃になって我々は席を立った。

 

学校で特にやることがあるわけではないので、ひと目拝んだら満足して街に戻る。

建物がまだ形を保っている限り、俺は今後も折を見て此処に足を運ぶだろう……。

 

 

 

 

釜石街道まで戻ると、先程まで冷たく止まっていた空気が、少しだけ対流を始めたように感じる。

 

 

まるでタイミングを合わせたかのように、明るい日差しまで地面に届き始めた。

我々が次に目指すのは、あの光の下にあるめがね橋だ。

 

 

 

めがね橋を越えると、宮守の“街の内側”に入ったような感覚がある。

 

 

遠野から来て、我々と時を同じくして宮守の街に入る汽車を見送った。

 

 

 

めがね橋の冷たく重厚な橋脚を潜ると、その先は光に溢れた暖かな宮守の市街地だ。

 

 

何故か定期的に宮守を訪れたくなるし、めがね橋に会いたくもなる。

かつて銀河鉄道が走った橋梁から見えるのは、地上に瞬く星の光の様な人々の生活の灯りだ。

 

 

 

不思議と遠野側の空は晴れ渡っている。まあ、山間の冬の天気などこんなものなのだろう。

 

 

めがね橋前の広場は、何時の間に恋人の聖地に指定されている。塞さんと胡桃ちゃんがここでナニかをしていたことはつとに知られているが、一般人でもラブラブなハートの椅子に座り、記念撮影が出来る。

 

 

 

読者諸氏も是非、この場所でラブラブな写真を撮り、そして宮守の経済に貢献していただきたい。

 

田園はこの時期なので、当然土が剥き出しになり、荒涼とした姿を見せている。しかし目を凝らすと、その表面がキラキラと輝いている。

これは水ではなく、夜のうちに降りた霜がそのまま固まり、白く凍り付いたものだ。

 

 

年末が迫っても雪が殆ど無く、何だか冬の宮守という感じもしない。もの足りない感覚は抱きつつも、やはりこの小さな田園の中を歩く時間が愛おしい。

 

 

 

足元を見ると、方々に稲の籾殻が撒かれている。雪が降ったときや霜が降りそうな日に、地面の凍結を緩和するためのものだろうか。

 

 

田園地帯を貫く目抜き通りから、未舗装の脇道に入る。

 

 

 

あっという間に先程まで歩いていた道が遠くなり、坂の上から小さな田園地帯を一望出来る。

 

 

 

 

この道の先に、かつて高校の分校があった。このような景色の中で三年間を過ごし得られるものは、都会では得難いものだっただろう。

 

 

此処まで来ると、我々の脚は自然と学校に向かう。

グラウンドは所々草が蔓延っているものの、今でも少々整備するだけで使えそうな様子だ。

 

 

 

グラウンドの奥に、懐かしい校舎が見えて来た。

 

 

此処にはもう何度も足を運んでいるが、今は役目を終えた建物を見るにつけ悲しみが湧き上がって来る一方で、未だこの場所に暖かみが残っているような気もして、心が静かになるのを感じる。

 

 

地元を離れずに学べる場所があることを素晴らしいと考える人たちがいる一方で、より多くの友人や出来事に触れる場所を用意することが子供たちの成長に繋がると考え、涙を呑んで学校の統合を良しとする人たちもいる。そのどちらの考えも理解出来るだけに、少子化の時代にいったいどうすることが正しいのか、もの言わぬ校舎を前にすると考えてしまうのだ。