WSJ日本語版より
 『福島第1原発、2010年にも電源喪失事故』
【原子力安全・保安院と東電のトップは、震災後の原発危機を受けて国会で証言した際、この事故についても厳しい追及を受けた。東電の清水正孝社長は5月1日の証言で、東電の公式報告書では省かれていた事故の詳細について確認した。それによると2号機原子炉内の水位は2メートル低下し、通常レベルに回復するまで約30分かかったという。

 東電は2号機の運転を1カ月停止し、その間に事故原因を協力会社の保守要員によるものと断定した。制御盤背後にある記録計を交換していた際、所内電源切り替え用の補助リレーにうっかり肘が当たったのだ。

 原子力安全・保安院と東電の報告書の記述によると、それによって補助リレーが「瞬間的」に誤動作し、原子炉主電源の遮断器が切られたが、誤動作が極めて瞬間的だったために通常の非常用電源は作動しなかったという。その結果、給水ポンプが停止し、燃料棒を冷やす冷却水の注水が一時的に止まったという。

 10年の事故では、中央制御室の作業員が外部ディーゼル発電機を起動し、原子炉格納容器のベント(弁の開放)を行って、容器下部にある抑制室に蒸気を逃がして圧力を下げたことで、炉心の破損は免れた。東電は報告書で、この措置によって1時間後には水位が回復し、外部に放射性物質が放出されることもなかったとしている。

 原子力発電の専門家によると、燃料棒は酸化ウランを焼き固めたセラミックペレットをジルコニウムで被覆したもので、常に水で冷やしておかないと核分裂を起こす可能性がある。2号機の燃料棒は長さが約4メートルで、通常その2倍の水位の水に浸されている。10年6月の事故では、水位は一時的に6メートル近くに急低下した。

 3月11日の震災では、停電によって給水ポンプが停止してから5時間もたたないうちに、稼働中の原子炉3基のうちの1つで燃料棒が溶け始め、15時間以内に完全に溶解した。2号機を含む他の原子炉内の燃料棒も数時間で溶解した。】

 この事故事体は、既に民主党・森ゆう子議員の国会質問などで明らかになっていましたが、今回の重大事故で、なかなか実施されなかった『ベント』が、周辺住民に事前に知らされることもなく、このときにも行われていた事実は、原子力関連法規にも抵触する重大な意味があると思われます。

『2号機原子炉内の水位は2メートル低下し、通常レベルに回復するまで約30分かかった』

『原子炉格納容器のベント(弁の開放)を行って、容器下部にある抑制室に蒸気を逃がして圧力を下げたことで、炉心の破損は免れた。東電は報告書で、この措置によって1時間後には水位が回復』

 2010年の事故も『ベント』を必要とする程の危機だった、そして『ベント』は事故後殆んどすぐ?に躊躇することなく行われている。

 と言うことは、今回の大事故でも、当然、地震発生直後、間を置かずに『ベント』に取り掛かったはずだ。
しかし、実際には、政府からの要請の後も、なかなか『ベント』は行われなかった。

 結論として地震発生直後から既に、地震の衝撃による損傷で電動『ベント』は出来なかったものと推測される。