☆電脳格闘技界☆ -211ページ目

メディアの亀田バブルを検証する 01

(浪速の弁慶)亀田大毅のデビュー戦を見せてもらったが

どうも相手がオールKO負けして招聘禁止ボクサーって

事らしいじゃないの(失笑)


・・・マジで格闘技ファンを舐めてるよ。


こういう粉飾試合を亀田にやらしてスターに仕立て

あげようとしているボクシング界も相当に情けないし

・・これって・・・競技って言えるのか?


ある意味、構造八百長に近いよ。


八百長って言葉が刺激的すぎるなら、粉飾試合って事に

しておこうか。まあ・・亀田兄貴と同じ手を

使ってスターにしようって事らしいが・・・

まずもって、デビュー戦で国家斉唱????って・・・

本当にアホかと思ったね。しかも試合後は熱唱(苦笑)


・・こういうことを許す大人がバカなんだろうね。


本人はまだ17歳なんで世間の常識は全くわかっていないし

高校生が天下を取ったような気になるのも

・・わからんでもない。


それにしても・・・あれで喜んでいる連中って・・・

いったい何なんだ???

まあ・・明日は芸能人やらが祝福でもするんだろうが

本当に格闘技を冒涜されているようで嫌だね。


竹原なんて黄金のミドル級の世界戦が

後楽園ホールじゃなかった?

しかもTVも録画放送じゃなかったっけ???


・・竹原や畠山はどういう気持ちでこの茶番劇を

見ていたことやら・・・。


私も一応・・・それなりにはボクシングをチェック

してはいるが・・・こんな甘い世界じゃないと思うよ。

ボクシングの世界は。


まあ・・・もうとにかくタイ人は止めろよ!って感じだね。

亀田はまだ子供だからああいう口をきくのは

しょうがない部分もあるが

(それでも頭の良い子はああいう口はきかない)

とにかく・・・構造的な八百長構造で亀田を

プロレクトするんだったら・・・今すぐボクシング界は

競技を名乗るな!って言いたいね。


さすがに・・・リング上で歌を唄い出したときには

TVを消したよ。・・・・アホらしくてね。

ストーリー性と付加価値を生む仕組み 01

(ストーリーテラーのいない格闘技界 01)のコメント欄で

原作・脚本: ミルコ・クロコップ
監督:    ミルコ・クロコップ
主演:    ミルコ・クロコップ

みたいな選手って・・・めったにいないと言ったが・・・

ここを見ている格闘家の人も一度、自分の持っている

ストーリーにどんな付加価値があるのか?を考えてみてほしい。

私は格闘技コングロマリットにおいては(仕組み)で

選手のストーリー性と付加価値を高めていくようなものが

必要だと思っている。

言うなれば、筋肉番付(スポーツマンNo1)や

SASUKE(サスケ)みたいに・・・

その(仕組み)で過酷な状況を設定し、その状況を

クリアすることでその選手に新しいストーリーと

付加価値が生まれる。

そうじゃないと・・・選手が持つストーリー性に寄与する

形になり、自作自演のうまい選手はスターになり

オファーがくるけど、そういう自己演出ストーリー性の

乏しい選手はどうしてもオファーがかかりにくく

やがては消えていく。

ノゲイラも昔は「グレイシーという名前で多くの

お金をもらっている」と不満をもらしていたが

それはグレイシーという名前と歴史に付加価値が

あるからであっていたしかたが無いことなのだ。

ただ、たまたまノゲイラにそれを跳ね返すだけの実力が

あったから立場が逆転したが、現実には難しいかもしれない。

さて・・・PRIDEの5年に1度の(無差別級)

W杯という仕組みだが・・・・・

選手のストーリー性と付加価値を高めてくれるような

(仕組み)だろうか?

まず、せっかく軽量級の付加価値を高めたのに

その付加価値をドブに捨てるようなものだよね。

そして、一番問題なのは・・・5年に1度という点。

たぶん、この発想の原点は吉田VS小川の何年越しの

一戦という付加価値?らしきものからの発想だろうけど・・・

ハッキリ言って・・こんなものはスペシャルマッチの

スーパーファイトでやればいいんだよ。

PRIDEのフォーマットに組み込むべきものではない。

たぶん、5年に1度だと(仕組み)がストーリー性や

付加価値を生むことはないだろうね。

そうなると、また選手の自作自演のスター性に

寄与する事になる。・・・・最近・・PRIDEって

プロレス団体に見えてこない?

とにかく・・・格闘技コングロマリットにおいては

(仕組み)がストーリー性と付加価値を生むような

ものでないと全くダメだと思うね。

ストーリーテラーのいない格闘技界 01

本屋で格通とゴン格をパラパラとめくってみたけど・・・

最近は本当に格闘技雑誌に力が無くなったような気がするね。

(格通)は紙面の作りが何年も同じで変わりばえもしないし

(ゴン格)はリニューアルで多少良くなったかな?とは

思ったけど・・・何か最近はセミプロ雑誌的な色合いが

強すぎるような気がする。言うなれば(やる側雑誌)という

やつだ。確かに雑誌は厚いんだけど・・・読みたくなるような

スター性のある選手を前面に押し出して紙面構成しないと

さすがに買わないよね。


一応・・・紙プロは買ったんだけど・・・以前のような

斬新な切り口もなく・・・いつものパターンって印象だしね。


ちょっと前にもターザンのことを語ったんだけど・・・・

今の格闘技雑誌を見るにつけ・・・ストーリーテラーの不足は

否めないと思うよ。要するに・・・先導者がいないんだよ。


イベント主催者の方向性が間違っていようといまいと

大した批判をするわけでも、新しい方向性を提示する

わけでもない。与えられたものをそのまま調理して

読者に提供しているにすぎない

存在になってしまっているように感じる。


週プロ時代のターザンは紛れも無くストーリーテラーで

自らの思い込みも含めて毎週、大河ドラマを演出していたよ。

自らの不満も紙面を通じて団体を批判してたしね。

まあ・・・結果的にそれが取材拒否につながり

失脚することにはなるんだが・・・読者にとっては

重宝な存在だったことは間違い無いだろう。しかも、

その大河ドラマを語りきるだけの力量も

全盛期のターザンにはあったしね。


今の格闘技界において・・・ストーリーテラーに

なりたがっているのが堀辺師範ではあろうが・・・

いかんせん、感覚的に尊皇攘夷だとか・・明治維新だとか

かなりズレてるので、ストーリーテラーにはなりえないと思う。


そういう所から、最近の格闘技雑誌は団体の提灯記事化したり

単なるイベント広報誌みたいな形になっているのかも

しれないね。


私は今までの歴史の流れを見ていて・・・やはり本物の批評は

団体や選手の思惑を超えた所に立脚点を置くべきだと思うし

誰からの干渉も圧力も受けない視点が必要であると思う。


結局、ターザンの限界は(格闘技業界)で食っていかなければ

立ち行かないところに自分の立ち位置を置いていたからでは

ないか?と思うよ。


そういった意味でも(電脳格闘技界)の役割は・・・

案外・・・・大きいんじゃないの?(微笑)

ハリウッドとUFC・・・脅威のフォーマット誕生? 01

私が結構前に2ちゃんねるにおいて・・・

格闘技コングロマリットに関して論じていたことが

いよいよ・・・現実になりつつあるようだね。


雑誌でもUFCにおいてヒットしている企画である

「TUF」に関して最近はよく取り上げているし

雑誌の紙面をみてもUFCの熱気が伝わってくる。


私が今回のUFCとハリウッドのつながりに関して

非常に関心を示しているのは・・・

格闘技に関しての(新しいフォーマット)を

生み出すかもしれないと考えているからだ。


今まで日本での格闘技のフォーマットを作ったのは

梶原一騎ではあると思うが・・・

海外における格闘技のフォーマットは

(ロッキー)フォーマットであったり

(ジャッキー・チェン)フォーマットだったように思う。


今、映画でやってる「シンデレラマン」はまだ見てないけど

何となく(ロッキー)フォーマットかな?って印象だ。


現在、「TUF」フォーマット

(日本でいう「ガチンコ」フォーマット)

が格闘技界で熱気を帯びているが、そこに

ハリウッドの脚本が加わることで今までになかった

リアルとバーチャルが渾然一体となっているような

スタイルが生まれるように思う。


・・・格闘技が映画になりにくいのは、最後に予想外の

大どんでん返しがある訳ではなく、必ずお約束の試合が

あるって事なのだ。ようするにケツが決まっている訳で

そこに行き着くまでに、どんなハードルを用意するか?

って事が勝負なのだ。


日本の「ガチンコ」フォーマットは、その中に別段何かの

試練を用意していた訳でもなかったので、間を埋めるための

(ヤラセ臭い)喧嘩等のいがみ合いでお茶を濁していた。

それはそれで当時は新しかったんだが・・

「TUF」はそこにゲームチャレンジみたいな要素を

織り込んでいるようだ。・・・・しかし・・・


ハリウッドの脚本家だったら、このフォーマットに何を

加えるかね?・・・・何か一つ・・・物足りないよね。


・・・・・・私はもうアイディアを持ってるよ。


まあ・・・いずれにせよ。日本に「TUF」の

フォーマットをそのまま移植しても大して効果は

出ないだろうからとりあえず、今後UFCと

ハリウッドの連携によって生み出される

新しいフォーマットの誕生を確認してから日本の

格闘技界も判断して検討するのも・・・良いかもね。


今・・・PRIDEやK-1の中継フォーマットだけでは

何か物足りないと感じている視聴者も現実に

かなりいるはずだよ。その物足りなさを埋める為の

ヒントは「TUF」の中にいっぱい詰まっていると思う。


・・・日本版「TUF」を成功させるには・・


(あれ)と(あれ)を融合させちゃえば・・・

・・・・・いいんだけどね。(微笑)

(格闘技)と(萌え)の融合 01

本日はいつもと趣向を変えて・・・・

(格闘技)と(萌え)の融合に関して語ってみようか・・・。

http://sports.livedoor.com/battle/mma/detail?id=2181509

http://www.yamaguchi.net/archives/002316.html

http://sports.livedoor.com/battle/mma/detail?id=3222339

http://sports.livedoor.com/battle/zst/

↑・・・ZSTガールの小野寺愛と吉田早季の

二人を見たとき(格闘技)と(萌え)の融合を見たね。

今まで、格闘技に藤原ノリカや長谷川京子が出てきたとき

「格闘技も変わったな~・・・・」と思ったもんだが

ついに時代はここまできたか。

初めて雑誌で見たときはZST選手の印象は

全く残っていないのに・・・・・(苦笑)

この小野寺愛と吉田早季の姿だけが鮮明に焼きついたのを

覚えているよ。

私は格闘技に女性が参画するのは結構好意的に見ていて

できることなら様々な形で華を添えてほしいとさえ思っている。

今までのK-1ガールやPRIDEガールは

ほとんど覚えていないんだが・・・

インリンが昔、K-1ガールをやってたって事は

後になって知った。・・・という事は・・・

今までメジャーな団体がいかに宝の持ち腐れをしていたか?って

事だろう。・・・今のK-1ガールやPRIDEガールも

後ろに並んでいるだけだし、SRSの(女祭り)でも

イマイチ輝いていないしね。

まあ・・・ちょっと・・・モデル系の女性ばかりだと

とっつきにくく人気が出にくいってのもあるんだろうけど・・

この二人が活躍することによって、K-1ガールやPRIDEガールも

刺激を受けて新展開を見せてほしいよ。

もっとアイドルっぽい感じの子を採用すれば人気が出るかもね。

しかし・・・小野寺愛と吉田早季がSRS等に採用されれば

人気爆発する可能性大だよ。

特に小野寺愛って・・・ウッチーの再来だ。

本当に新しい新展開を期待してるよ。

格闘技界だけに止まらないくらいのスーパーアイドルに

なってほしいね。

PRIDEの(原点)VS(進化) 01

本来ならば、2005年の大晦日は

ヒクソン・グレイシーVSエメリアエンコ・ヒョードルの

PRIDEの(原点)VS(進化)に最終決着を

つけるべきだった。

去年の夏にヒクソンは来日し、自ら大晦日の

参戦をアピールしていたし、何で自分が今・・・

戦わなければならないか?その歴史的なテーマも

語っており、確かに説得力を持つ内容であったと

記憶している。歴史的な舞台装置も役者も全て揃っていたのだ。

それに対してPRIDEの榊原氏の発した言葉は

かなりファンの期待を裏切るトーンダウンしたものであった。

裏では色々と駆け引きもお金の問題もあるのではあろうが・・・

そもそもPRIDEの原点はファンの夢を

実現する場ではなかったのか?・・・ふとそう感じたのも事実だ。

そして・・・大晦日。

真の格闘技ファンにとってはどっちが勝ってもどうでもよい

吉田VS小川が行われた。結果は見ての通りだが・・・

本人達は別に対立も感情的しこりも大してないだろうし、

吉田には「仕事ですから」とあっさり言われる始末。

メディア主導で無理やり対立軸を作る有り様で・・

あまりにも対立軸が無いんで・・学生時代の因縁とか

挙句の果てには(生き様)とか言い出した。

あのね~・・・(生き様)なんてのは小川や吉田の勝手だよ!

まさに大きなお世話的な対立軸を背負わされた二人だった。

・・・ヒクソン・グレイシーは本物のVTなら

お金にはこだわらないと言った。

仮に本来のPRIDEルールではなく、ヒクソン指定の

レフリーストップ無しの無制限ラウンドでも

ヒョードルは受けただろう。

・・・PRIDEが始まって約10年にさしかかろうと

する時、本当に戦う意味を持っていたのは

ヒクソンVSヒョードルだったのだ。

ヒクソンは格闘技は何も変わっていないと言った。

PRIDEに対して、今の格闘技界に対して

批判もした。しかし・・・その批判は

非常に的を得たものであったのも事実である。

PRIDEは10年前と何も変わっていないのか?

それともヒクソン・グレイシーの幻想を過去の遺物として

葬り去るほどの進化をとげたのか?

PRIDEはその(進化)の答えを格闘技ファンに

証明して見せなければならなかった。

・・・いや!・・・見せなければならない!!!

視聴率戦争と格闘技熱 01

大晦日の二大格闘技イベントも恒例になり・・

確かにメディアもイベントスケールもカードも

豪華なのが当たり前になってきた。

ほんの10年前には考えられなかったぐらいだ。


しかし・・・視聴率に反比例して

格闘技に対する熱が落ちてきていることを

敏感に感じている人もいるだろう。

確かに、当時はネット論争にしても朝まで

やりあうぐらいに熱気があったし幻想もロマンも

散臭さもあったような気がする。

吉田VS小川 ボビーVS曙


一昔前なら考えられないようなカードなのに

真の格闘技ファンは議論すらしなくなってきてるんだよね。

では・・・逆に榊原氏の提唱する5年に一度のW杯に

食いついているか?と言えば、かなり否定的な意見も聞く。

何か低落傾向前のプロ野球の雰囲気に近い感じがするんだよね。

(どこが優勝しようが・・どうでもいい・・という感じ)


各団体がそれぞれの団体のエゴを出し始め、

それぞれが世界を唄っても

結局は団体所属選手内のプロテクトされた

王者でしかないという印象である。

五味が優勝した時も・・KIDが優勝した時も

・何も感じなかったし・・何も響いてこなかった。

単に「まあ・・・いい試合だったね」という感じ。


・・・・何だろうね・・・これは・・・。


私が思うに・・・・

格闘技界において数年前の第一回の

ダイナマイト開催時の高揚感が

格闘技の歴史の中で最高の時期だったように思う。


あの高揚感って・・・今の格闘技界に感じることが

出来なくなってしまったよ。

ヒクソンVS高田のような(敗北すれば全てを失う)

という緊迫感のある試合もほとんどなくなった。


吉田VS小川をその何十年に一度の果し合いにしようと

様々なメディアが一生懸命煽っていたけど・・・本人達が

大して哲学やこだわりを持ってるわけじゃないんだから

こちらに何かが伝わるわけがないよ。


それにしても・・・あの時のダイナマイトの高揚感って

いったい何だったんだろう。私達は何に対して

高揚感を感じていたのだろうか?


私はあの時、一瞬感じた高揚感の正体を

つきとめることこそが真の格闘技ファンの熱を

呼び覚ますことに繋がると考えているよ・・・。


・・・皆さん・・・あれは一体何だったんだろうね?(微笑)

煽り映像のフォーマット 01

煽り映像に関して語ってみようか・・・。

ホリエモン絶頂期の頃、競馬を盛り上げるための

研究材料として格闘技の煽り映像のことをあげていたね。

何で格闘技がこれだけ日本でメジャーになったのか?を

ホリエモンなりに結論づけたのが(煽り映像)らしいのだ。

まあ・・・確かにそういう面もあるだろうが・・

反面、最近では唐突なマッチメイクに一方向性的な紹介映像と

(煽り)にすらなっていない面も多いと感じる。

戦う両者の戦うべき理由を観客に訴求する役割としての

(煽り映像)なんだろうが・・・ね。

例えば、今はまだPRIDEにしてもK-1にしても

おなじみの選手ばかりを使いまわしで使ってるので

それでも良いが・・・これが今後、FILAとの提携に

見られるように更に競技化の方向へ行くとして

何の繋がりも戦う理由も因縁も無い両者を

どう関係づけて視聴者に訴求するのか?

本当に難しくなっていくと思うし、

視聴者にも伝わりにくいだろう。

ホリエモンは血の抗争を映像でうんぬんって言ってたが・・

血の抗争も何も無い選手達はどうするのか?

私の意見なんだけど・・・

(煽り映像)は(煽り映像)でいいんだけど

同じ煽り映像にしても、昔のMTVみたいな

ビデオクリップ的ではないショートフィルムみたいな

もっと掘り下げたショートドラマを試合前に

見せるような作りにしてほしいね。

(予算的な問題もあるだろうが・・・)

視聴者って何の感情移入もできない無機質な試合が

見たい訳じゃないからね。

最近の格闘技のTVを見てても取ってつけたような

煽り映像ばっかりで・・・感情に訴えるものが無いんだよね。

だから・・・(ながら見)になって行っちゃうんだよ。

本来の(煽り映像)の役割って・・・その両者の戦う意味づけと

その戦いの後に何が変わるのか?

そこを訴えるからこそ(見たい)って思うわけだよ。

誰が誰と戦おうと、どっちが勝っても

何も変わらないんじゃあ・・見る意味無いよね。

だから・・・視聴者に(見るに値する)動機づけの意味でも

今の(煽り映像)では何か足りないと思うね。

年末スペシャル番組のスペシャルマッチだけ

(煽り映像)に凝って作ってるけど・・・

過剰な演出をしろって言ってんじゃなくて

(吉田、小川なんて過剰演出しすぎ)

1試合.1試合の見るための動機づけを

ドキュメントタッチ映像で丁寧に作ってほしいね。

最近の煽り映像の使い回しには結構ウンザリしてるよ。

皆さんも・・・そう思ってるでしょ?

例えば、一人の選手でも前回の試合から今回の試合では

テーマや心境にしても変化してるんだから

そこを(煽り映像)で見せることによって

その選手にはその選手のストーリーが

作られていくわけだよ。そこを見せなきゃ!

(煽り映像)を繋げることでその選手の歴史と

心境の変化と価値感の変化がわかるぐらいの質が

求められていくと思うよ。

格闘技コングロマリットにおけるK-1 01

-1に関して色々と批判的な書き込みをしたが・・

それはまだ期待しているからの話で・・見捨ててはいないよ。

そこで・・・K-1が格闘技コングロマリットにおいて

どうすればPRIDEより優位に立つことが出来るのか?を

考えてみよう。

・・とりあえず視聴率至上主義は止めようよ。いい加減。

曙VSボビーで・・もう打ち止めって感じだしね、。

格闘技ファンに愛想を尽かされる前に気がついてほしい。

まず!・・K-1には玉が揃っているって事を再認識してほしい。

-1に出てくる選手の顔ぶれを見れば、打撃系の雄を

揃えているんだから、PRIDEに一歩もひけは取らないよ。

ここで一番気をつけてほしいのは巨人軍方式の

人材集めをしないでほしいって事。安易にPRIDEで

活躍した選手を引き抜いたり、オリンピックのメダリストを

一本釣りしたり・・・それはそれでいいんだけど・・・

格闘技ファンはそういう断片的な先の展望のイマイチ見えない

ワクワク感のない人材集めでは食いつかないと思うよ。

むしろ・・・PRIDEが選手の人選で打撃系ばかり集めて

柔術系を間引きしてオファーしてるんだったら

-1がその柔術系を丸抱えするぐらいのものを見せてほしい。

柔術選手は地味だって印象があるが・・それはPRIDEの話で

-1は打撃選手が揃ってるんで、柔術系の未知の強豪との

戦いになったら、レベルの低い素人の格闘ではなくて

ハイレベルな異種格闘技戦的様相を呈すると思う。

ただし!・・・あくまでも総合格闘技として確立したルールで

行うことだよ。間違っても1RはK-1ルール。2Rは総合ルール

などと言うアホな事はしないことだ。

それでK-1選手が柔術系に全敗してもそれはそれで

格闘技ファンは見放したりしないよ。

とにかく、PRIDEがFILAと提携したんだから

-1はムンジアル・アブダビと提携するぐらいの荒業が必要だ。

業界内のしがらみだとか・・・一般のファンには関係ないし

もし出来ないんだったら・・このままK-1は格闘技ファンに

見捨てられて沈没するしかない。

ムンジアル・アブダビをK-1に取り込むことで

-1の格闘技コングロマリットである寝技の世界も

PRIDEより説得力を持って実現するだろう。

-1がPRIDEに逆転するには・・・これ以外には無いよ。

とにかく、一般のファンは移り気ですぐに

飽きてしまうものだからね。そんな層をあてにするのが

間違いだ。

(格闘技ファンが熱く語るような世界を実現)することこそが

-1の役割であって・・・色々な言い訳をして出来ないんだったら

単に・・・時代の波に埋没して消えるだけの話だよ。

迷走するHEROS 01

さて・・・HEROSだが・・・


-1ダイナマイト!から分派する形で、

-1ROMANEXが生まれ、方向性も定まらぬまま

HEROSが誕生した。


当初は中量級という事で日本人中心のマッチメイクで

何とか体裁は整えた形にはなったが・・・

問題はこれからである。

どうやら秋山をエースに据えてLヘビー級を

立ち上げ、ヘビー級へとつなげていくつもりのようだが

・・とりあえずは・・・選考基準の曖昧な

トーナメントらしい(苦笑)


最近のPRIDEもそんなんだが、安易にトーナメントに

逃げるのは止めてほしいね。今のHEROSに大切なのは

員数合わせのトーナメントではなくて・・・

HEROSの着地点をどこに持っていこうとするのか?を

明確にすることなのだ。

中量級みたいにPRIDEを無視して世界王者を

名乗るつもりなのだろうか?

私はKIDが優勝して喜んでいる姿を見て

急にKIDの器を小さく感じたよ。

・・こんなもんで嬉しいの?ってね。


PRIDEもまだまだグローバルな最高峰とは

思わないけどHEROSなんて更にひどい。

単にK-1と契約している寄せ集め選手内優勝であって

全然、世界とはほど遠いよ。


-1って良い部分は評価もしてるんだけど・・・

とにかく最近は視聴率至上主義なのかもしれないけど

マッチメイクにしても人材にしても仕組みにしても

先が見えないんだよね。物凄く断片的な印象を受けるよ。

大晦日のマッチメイクにしても「これが何につながるのか?」っていう

先に期待感を抱かせるものが何も無いんだよね。

ただ試合をやってるのを何も興味がわかないんだけど

断片的に(ながら見)しているような印象だよ。

特に最近のK-1は(ながら見)をするようになった。

とりあえず、ビデオでは録画しとくけど大して興味が無いから

そのビデオすら取りっぱなしで放置状態。


最近のK-1って本当にヤバイと思うよ。

ここにHEROSが加わるんだから余計に迷走が加速する。