前回からの続きです

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トンネルを抜けて

大槌町に入りました。

大槌町に入ってすぐの記憶が
もうおぼろげですが、

入ってすぐは
「マスト」の印象が強く残っています。

「マスト」は町のショッピングセンターで
近年の大槌町を語る上で
欠かせない場所です。

立地も
海から近いのか遠いのか
よくわからない所にあるのですが

駐車場には瓦礫がいっぱい
店内にもいっぱいのようでした。

これは
再建難しいんじゃないかな、
と横目に
寂しさを感じました。



その先に進むと

テレビで何度も見た光景を目の当たりにします。

もともと無言でしたが
あらためて無言になりました。

大槌町も
十数年前?数十年前?
内陸側にバイパスが作られ
メインの国道は通行可能でした。

「沿岸部は津波を考慮して内陸側に道路を造っているのか?」
どうなのでしょう?


小さなトンネルをいくつか抜けると
路上には車が駐車してあり
人もいるようでした。

津波はかなり内陸部まで達しており
津波の後の火事により
真っ黒ながれきが街全体を覆っていました。

メディア関係者なら
一生懸命写真を撮るようなところでしょうが、

もうすでにそのような写真は溢れており
珍しいからといって
大怪我をした友人の写真は撮らない、
というのと同じようなものでしょうか。
とても撮る気にはなれません。



そして吉里吉里トンネルに入ります。

出てすぐのところまでは
津波が来ていませんでしたが、
45号線を少し北上すると 海へ向かう直線の途中から
瓦礫だらけの景色が見えます。

大槌の町の瓦礫は真っ黒でしたが
吉里吉里地区の瓦礫は
木材の茶色でした。

道路は瓦礫がかき分けられて
車2台がスレ違える程度の広さ

道路脇では
自衛隊員さんが
なにか作業されています

道路以外は瓦礫だらけで
鉄筋の頑丈な建物も
波を被り、廃墟のようになっていました。

見渡しても
どこがどの辺りか
分かりにくいほどの具合でしたが、
子供のころ
歩き回った住宅街も
こんなに狭く低かったのか…
と感じました。


国道から
実家へ続く道へ曲がり
坂を上がると
津波の影響が無かった範囲に入ります。

地震の被害自体は
それほどでもなかったようで、
この狭い地区でも
津波を被った所と
津波が来なかった所の違いは
はっきりしたものでした。

それを考えると
「防潮堤の高さについて様々な意見がありますが、景観が損なわれるとしても津波を食い止められるほうが良いのでは?」
というのが私個人の意見です。
もちろん、避難経路の確保も重ねて整備すると良いと思います。


実家への細道を登って行くと
親戚の方が
携帯を上にあげて
振っています。
ドコモの電波は弱いながらも使えるようでした。

私の顔を見て
「お~!」と。

元気そうで安心です。

その後
ひとまず
家に入りました。

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以上

まだ続きます





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前回からの続きです

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遠野で少し休憩し
釜石市へ向かいます

このときは
このブログも
ガラケーで書いていましたが、

確か
遠野を発つ際に
携帯が繋がらなくなるので
電源切ります的なことを
書いたような…


書いてありましたね。




遠野と釜石を繋ぐ「仙人峠」も
道が良くなり
釜石市の内陸側には
比較的すぐに入りました。

まだ
震災の影響が見えません。

さらに進むと
右側に甲子中学校(かな?)があり、
その校庭には
自衛隊車輌がたくさん停まっていました。


物々しいような
心強いような雰囲気です。

ガソリンスタンドには
「支援車輌優先」といった看板。

小佐野駅を過ぎると
防災放送が聞こえました。
窓を少し開け
放送の内容を聞いてみると
「合同火葬の延期」に関するものでした。

なんとも
形容しがたい気持ちになりました。


そして
「あたたかい支援ありがとう」の
貼り紙があちらこちらに。


駅前まで来ると
瓦礫をよけての道路で
道路以外は瓦礫でした。

釜石駅前には
前輪が上になり立っている自動車。

津波被害はテレビで見ていたので
思ってたのと大きく違う
ということはありませんでしたが、
それでも衝撃を感じました。


駅からは、
街中に入る道と
バイパスへの道と
2つに分かれています。


街中は
テレビで何度も写された
被害の大きかったところなので
そちらを避け
南の道へ入りました。

道路は
瓦礫がギリギリまであるため
狭く
この時点では自動車もそこここにありました。

釜石を北に通るトンネルを抜け
両石地区に入ります

両石地区は
あまり詳しくないのですが
恐らく
ほとんどの民家が流されたのではないでしょうか…

震災の数年前なら
ここから北に進むのは困難だったと思います


なんと、

新しい有料道路のために
内陸部を迂回するような
これまた新しい道路が
震災の少し前に開通し

まるで
津波被害を避けるように
道路が通っていました。


その道路(国道45号線)を更に進むと
鵜住居地区に入ります。

「釜石の奇跡」の話があった場所です。

震災後の
鵜住居地区の状況を見たら
子供(小中学生)の生存率99.8%は
大袈裟ではない
「奇跡」だと思います。

ここから元の45号線に合流するのですが

出発前の兄の言葉
「道がわかりにくくなってるから、気をつけて。」

その通りでした。

目印は何もなく
道路以外は瓦礫ばかりでしたので、
道路の角度や信号
鉄骨の残ったガソリンスタンド等の位置
また山の感じで
現在地を把握するかたちになりました。


大槌方面へ進み、
登り坂を登って行く途中
道路標識が曲がっていて、
「今いるところでも流されるのか…。」と
恐ろしさを感じました。

そして
大槌町へ抜けるトンネルに入ります

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以上


次回は
大槌町の事を書きたいと思います。








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前回からの続きです

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早朝の
まだ薄暗いうちに出発となりました
3月下旬でしたが、
まだまだ冷え込みの強い年でした

無事
高速道路に乗り
東北自動車道を北上します。

道路は
地震の揺れで土が下がった?らしく
高速をくぐるためのトンネルの部分だけ盛り上がっていました。
※わかりにくい表現で申し訳ありません

道路の傷み具合は、
福島県~宮城県が最も激しく
工事箇所がたくさんありました。

走っている車輌は様々で
自衛隊の車輌や
衛生車が列になって走っていたり
特に
タンクローリーを見るとありがたく感じました

車輌のナンバーも
西日本の地名もたくさん
逆に西日本のほうのものが多かったような気もします
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車は順調に走行し、
時々パーキングによりながら
ツイッターをチェックします。
「震災まで、ツイッターはほとんど利用していませんでしたが、
情報収集の
とくに非常時は便利。」

支援に向かう方々のツイートにて
給油可能なパーキングの情報を得ます

前沢SAが比較的良いとの
ツイートがあり
前沢SAにて給油。
情報通り待ち時間が少なく済みました

もちろん
満タンにはできなかったため
北上江釣子インターで降りた後
北上市のガソリンスタンドに並びます。

給油の列がジリジリ進むと
簡易の看板に貼り紙が…
『給油は会員のみとなります』
といったようなことが書いてあり
…(^_^;)

諦めて列を抜け
大槌方面へクルマを走らせました

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遠野市へ入ると
雪がちらちらと降り始め
寒さがいっそう厳しくなります。

遠野市は想像していたよりも普通で
街の様子は宇都宮市と変わらないような感じでした。

途中
ザ・ダイソーがあり
入ってみたところ
なんと缶詰が売っています。
宇都宮では品切れで缶詰はほとんど無かったので驚き

それどころか
店員さんに
「1人何個までですか?」と問うと
「特に決まっていません」
といった旨の返答が…

といっても
買い占めるわけにもいかず
実家に居るであろう人数と
プラスα分だけ購入しました。

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次回へ

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