2007-03-13 02:23:44

レオ・メッシー物語

テーマ:選手紹介

かつてはFIFAエージェントであり、ラポルタ当選となった前回の会長選挙に出馬したジョセップ・マリア・ミンゲージャという人物がいる。その彼がアルゼンチン生まれのある少年の獲得をバルサ理事会に推薦したのは1998年のことだ。名をレオ・メッシーと言い、ニュウエルス・オールド・ボーイスというクラブのカンテラ育ちの11歳の少年だった。だが当時のインフェリオールカテゴリー最高責任者であったセラ・フェレールは最後までゴーサインをださずに終わっている。あまりにも若いこと、そしてあまりにも遠い国からやって来ること、この二つが最後まで首をたてに振らない理由だった。


そしてそれから2年後、今度はミンゲージャではなく彼の同僚であるオラシオ・ガジオーリFIFAエージェントが再びレオ・メッシー獲得の推薦をクラブに提出している。バルサの会長はそれまで22年間務めたヌニェスに代わり副会長をしていたガスパーが就任している。一方、セラ・フェレールはバルサインフェリオールカテゴリーの責任者からバルサAチームの監督に就任していた。クラブのスポーツ・ディレクターはカルラス・レシャック、その彼がセラ・フェレール監督をはじめバルサスカウトマンであるキメ・リフェやペップ・セグーラなどと相談した上で、その少年のテストをおこなうことを決意した。2000年夏のことだった。


「2000年9月16日、レオ・メッシーはこの日にブエノス・アイレスから飛行機に乗りバルセロナへと向かう。13歳になったばかりの少年の一人旅、長距離の飛行機に乗るのは初めてのことと、バルセロナへ到着してから待ち受けていることを考えてナーバスになっていたのか、機内食にはいっさい手をつけずじまいだったという。翌日の昼過ぎにバルセロナ空港に到着した彼をバルサ職員が待ち受け、そのままホテルに直行。そして夕方の5時からは入団テストが待っていた。
当時はまだ選手代理人業をしていた元バルサ会長候補者であるホセ・マリア・ミンゲージャがアルゼンチンで見つけてきた期待の星、そういう触れ込みでバルサ入団テストを受けることが許されたレオ・メッシーだが、彼のテストを見に来た多くのクラブ関係者はまずその背の低さに驚いたという。まだ143cmしかないメッシーだったからだ。しかもテストの印象も最悪だった。肉体的疲労と精神的疲労が重なり体が動かないままテストに突入していたメッシー。おまけにテスト中に捻挫して途中退場という羽目にもなってさんざんの一日だった。それでも気を取り直してホテルに帰り、負傷箇所に湿布をあてた上に包帯をグルグル巻き、さらに氷漬けにした上で翌日のテストに備える。翌日のテストには最高責任者の一人であるカルラス・レシャックも見に来るのだ。そして2日目のテスト、少々足を引きずりながらも、メッシーは本来の彼らしいプレーを見せ、フベニル相手のテスト試合に5ゴールを決めるという偉業を達成する。もちろん、テスト合格だ。」

だがテストを見に来ていたレシャックに最も印象に残ったものはゴールそのものではなかった。
「少しでもフットボールがわかっている人間だったら才能がある少年かそうでないかを見分けるのはそれほど難しいことではないさ。ゴールなんてものはその日の運も関係してくるからそれはどうでもいい。問題はボールタッチさ、ボールタッチ。それも2回のボールタッチの様子を見てみればだいたいその少年の持っている才能なんてわかるものだ。メッシーの場合は一度のボールタッチでじゅうぶんだった。最初にボールにさわったシーンを見た後にはすでに我々の意見は一致していた。」


いろいろな準備をするために再びアルゼンチンに帰国したレオ・メッシーが新たにバルセロナに“引っ越し”してきたのは翌年になってからだ。今度の旅は父親のホルヘ・メッシーも一緒だった。クラブはすでにホルヘの仕事も見つけてあったし、彼らの住居となるアパートも確保してあった。もちろん家賃はクラブの金庫から支払われることになるが、実は彼らが来て以来クラブが支払うことになるのは家賃だけではなかった。メッシーはかなり高額な医療費が必要な少年だったからだ。

妻のセシリア、長男のロドリゴ、次男のマティアス、一人娘のマリアソル、そしてレオという六人家族を養っていくだけではなく、三男のレオのために支払わなければならない医療費は決して半端なものではなかった。成長ホルモンの不足という、骨組織にまで影響を与えるネガティブな問題を抱える少年だった。その問題を解決するために成長ホルモン剤の注射をし続けるメッシー、だが毎月900ドルの医療費を援助してくれるアルゼンチンのクラブは見つからない。その意味でバルサというクラブがレオの入団を許可してくれたことはホルヘにとって経済的な観点から考えてもとても重要なことだった。クラブドクターたちが息子の肉体的成長をいっさい見てくれることになったし、もちろん毎月の医療費代も支払う必要がなくなった。


バルセロナにやって来た時のレオ・メッシーの身長は143センチ、体重はわずか35キロ、それが今では身長170センチ体重67キロにまで成長している。特にこの2年間での成長は著しいものがあり、身長が15センチも伸びた上に体重もかなり増えてきている。それにはもちろん理由がある。


“レオ・メッシー成長させろ作戦”。それはドクター・プルーナの指揮の下に展開されている。ラポルタ内閣誕生と共にそれまで選手間に人気のあったドクター・プルーナ氏が理由もわからずインフェリオールカテゴリー担当のドクターに“格下げ”されてしまったが、メッシーにとってはそれが幸いとなっている。一日三度の食事内容からジムでの筋肉増強運動やグランドでの走力増強運動に至るまで、非常に細かく決めらたメッシー専用プログラムは一日も休むことなく続けられた。この2年間でもっともジム通いをおこなったのはプジョーとメッシーだと言われているのも納得がいく。メッシーが毎日こなしていかなければならないメニューの中にはジムでおこなう多くの宿題があったからだ。その効果が確実に現れてきている今、彼のこなしていくメニュー内容はこれまでの2年間とはだいぶ変わったものとなってきている。成長を持続させていく基本的アイデアには変わりがないものの、現在与えられているメニューの多くは、例えば負傷の可能性を少なくするためのフィジカル面の調整であったり、瞬発力を誰よりも備えている筋肉(ということは誰よりも筋肉に負担がかかる可能性があるということも意味する)を保護するメニューであったりする。


2003年の夏、レオ・メッシーはフベニルBカテゴリー選手として登録された。インファンティルA,カデッテB,そしてカデッテAカテゴリーと毎年順調に上がってきた彼だから、この年もカテゴリーを一つ上げているのは不思議なことではない。だが、他の選手と違うところ、それはフベニルBからフベニルA,バルサC,そしてバルサBへと、一つのシーズン内で一挙に上り詰めてしまったことだ。これまでイニエスタのみが可能としたことをメッシーもまた可能としてしまった。


2004-05シーズンが終わりを見る頃にカンプノウでゴラッソを決めたことで少々話題になりかけた彼が、多くの人々の注目を浴びることになったのはオランダでおこなわれたワールドユースでの大活躍だ。そしてそれに更に拍車をかけるように、2005-06シーズンが開幕する前のユベントス相手のガンペル杯での活躍がヨーロッパ中のメディアに取り上げられ更なる注目の選手となる。だが、これまで第四スタディアムやミニエスタディで暖かくメッシーのプレーぶりを見続けてきた“カンテラ大好き”オヤジ達にとって、この夏のメッシーのプレーぶりは別に目新しいものでも不思議なことでもなかっただろう。なぜならこの何年間で何回もあのようなプレーを見続けてきたからだ。それでも、もし彼らにとって驚きというものがあったとすれば、それは世界中が注目する試合でも、ドデカイ選手を相手にしての大舞台でも、これまで見てきた第四スタディアムでのものと同じプレーをしてしまう偉大さだろう。


それから着実に"クラック”への階段をかけ上っているレオ・メッシー。05-06のチャンピオンズリーグのチェルシー戦、W杯初出場、初ゴール、そして今シーズンはロマーリオ以来、13年ぶりとなるカンプ・ノウクラシコでのハットトリック。メッシーの勢いはとどまるところを知らない。彼は間違いなく未来のバルサを支える選手となる。

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