雇用の喪失が最大の社会問題だと言われる。政府の役割は雇用の維持だと言われる。経済も雇用を創出するためにあると言われる。社会情勢を計るにはいつも失業率が問題になる。失業率が上がると経済が下向いたと言われる。雇用の維持、安定はどの国でも政策の最大課題である。
しかしどの国の雇用政策をみてもあまりうまく行っていないように思える。まず政府のやることは解雇規制の強化。これは雇用流動性を失わせ、経営者は従業員を新しく雇いづらくなり結局雇用は増えない。次に労働者への助成金。これは正社員の雇用は安定させるが、非正規社員は置いてけぼりを食う。となると次にくるのが非正規労働者の保護、そして非正規労働者の正規化。これは非正規労働者にとっては処遇向上になるかもしれないが、最下層に位置する失業者を増やし、かえって問題を悪化させる。これらの政策が労働生産性を低下させ失業率が高止まりし、経済を冷え込ませさらなる悪循環に入っていく。各国の首脳が四苦八苦している様子を見ると雇用問題は非常に難しいものであるようだ。
しかしよくよく考えてみる。雇用とはなんだろうか。何のために働くのだろうか。働くことはいろいろな意味がある。食べていくため、人の役に立ちたいため、自己実現のため、承認欲求のため。しかし今の仕事で本当に好きでやっている人がどのくらいいるだろうか。もし有り余る財産を持っていたら今の仕事を続ける?続けると答えられる人は好きでやっている仕事だ。しかしほとんどの人がやめると答えると思う。ほとんどの人が嫌々仕事をしているのだ。
本当に仕事が重要なのか。本当に雇用が一番重要なのか。我々は楽になるために働いているのではないか。働くのも遊ぶためもしくは自由に暮らすためにお金を稼いでいるのではないか?我々は働くために生きているのではなかったはずだ。それがいつの間にかお金を稼がなければいけない社会になり、労働が美化される社会になってしまった。
仕事とは仕事をなくすために存在しなければならない。決して仕事を作るためではない。我々の目的は雇用を維持することではない。嫌な仕事を無くして楽に暮らすためにがんばっているのだ。そうでなければがんばる意味がある?
どんな仕事が嫌な仕事か。それは人それぞれであるが、ある程度共通しているものがある。単純でつまらない仕事だ。ゴミ拾い、掃除、流れ作業、体に悪い作業、危険な作業、長時間の作業などなど。よく考えると今の大半の仕事が多かれ少なかれ当てはまる。やりがいがあると言われている仕事でも半分はこうしたどうしようもない作業に明け暮れているのではないか。働いていて楽しいのは一日3時間くらいであろう。
ほとんどの人が仕事はしたくないはずだ。だがしかし朝起きると嫌々みんな会社に向かう。これが本当に正しいのか?正しい社会なのか?幸福なのか?理想とはほど遠い。
しかし中には楽しい仕事もある。創造的で自分を表現でき、学べて、めっちゃ楽しくて、世の中の役に立つ仕事だ。こういう仕事は遊びとほとんど区別がつかない。遊び=仕事である。未来の仕事は遊びであるべきだ。遊びはなんで楽しいのか、それは義務ではなく自由に好きなことをやるからだ。
みんなが遊んで暮らせる世の中を目指そう。人間らしい最も高度な行動は遊びなのだ。単純作業はどんどん機械やロボットにやらせるべきだ。我々の仕事は仕事をなくすためにのみ捧げられなくてはならない。
先進国にくらべて途上国の労働力は安い。だらか雇用はどんどん途上国へと流出する。途上国に工場が造られる。ネットを使って知識労働も途上国へとまわされる。しかし途上国の安い労働力もいずれは高止まりする日がやってくる。
現在のグローバル化の流れは、まず冷戦が終わったことで共産圏の労働力が解放された。世界の安い労働力を使うとこうことが主流となり、中国を始めBRICs、アジアの勃興へとつながっていった。今は世界的に西から東へと富=仕事が移っていく過程をみている。しかし地球人口は限りがある。この規模での労働力の解放はもう二度とない。世界を西から東へ回ってアフリカまでいったら終わりである。
しかし永遠に安い労働力がある。それは機械・ロボットである。機械はエネルギーさえ投入すれば動き続ける。賃上げを要求することもない。劣悪な労働環境であっても文句は言わない。そして機械の数を増やせば増やすほど安い物が大量に作れるようになる。うまく設計すれば機械は自分自身を作ったりメンテナンスできるようになる。
人的な安い労働力を使い切ったあとにはもうオートメーションしかない。そして我々はすべての労働をオートメーション化すべきだ。将来仕事がオートメーション化され遊んで暮らせる世の中になる、そう思えばこそ今のつらい仕事もなんとかやり通せるというものだ。そうでなければ救いが無い。
オートメーション化の過程では職を失う者が出てくる。必ず職からあぶれる人が出てくる。みんな一斉に仕事やーめた、となればいいがなかなかそうはいかないだろう。一部の人の仕事が無い状態がやってくる。そういう人々に資源を配分しなければならない。理想郷への橋の途中では職がある人と職がない人が混在することになる。職のない人を保護しなければならない。その人々は遊んで暮らせる世界でのクリエイターなのだから。遊んで暮らせる理想郷では新しい遊びを考えることが仕事になる。
職に就いているすべての者は自らの仕事をオートメーション化して、自ら首を切る覚悟を持たなくてはならない。最後に自分の仕事をやってくれる機械、コンピュータのスイッチを入れ敬礼し職場を去る。美しい光景ではないか。
まずは最低限の衣食住の自動生産から始める。最低限の服、最低限の食べ物、最低限の住処。このくらいは今の技術でも自動生産できるはずだ。郵便局がつぶせないというならば自動でパンを作って置いておく場所にすればいい。簡単な衣類を自動で作って配ればいい。画一的な住居ならほとんどの部材を自動生産できるはずだ。
我々が目指すのは雇用の創出ではない。雇用という概念をなくすことだ。雇い雇われということをなくすことだ。そうでなければ理想郷には近づけない。理想郷は理想郷だと言うかもしれない。でも一歩でもそれに近づける可能性があるならやってみるべきだ。
ムダな仕事が多すぎると感じるから。仕事を作るために仕事をしていると感じるから。週に5日会社に通わなければならないから、暇でも8時間勤務しなければならないから、ムダな仕事が作られるのだ。無理に仕事を作るのは罪である。でもそれは仕方が無い。会社にいて暇ならば仕事を作るしかないのだから。この文化を変えていく必要がある。
まずは週休三日。このくらいは今でもできると思う。週休三日を実現するために今少し我慢してオートメーションの仕組みを作るってことならなんとかがまんしてやっていけそうではないか。
現在はまだまだ物は自動では作れない。働いて稼ぐ以外の制度も価値観も醸成されていない。だから雇用は今しばらくは必要とされるだろう。だがそろそろ雇用がなくなるという理想の社会を夢想してもいい時期に来ているのではないだろうか。