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2011年11月30日 20時24分40秒

JAZZ フランク・シナトラ ポートレイト・イン・ジャズ (村上春樹 和田誠)

テーマ:JAZZ
「しかしフランク・シナトラだけは、ビッグ・バンドの時代が幕を下ろしたあとも、一人我が道を進み、ヒップがなんじゃい、インテリがなんじゃいと、『踊れる音楽』を世界の善男善女のために一貫して歌い続けた(ポートレイト・イン・ジャズ)」

あまりジャズボーカルに耳を傾けない自分ではあるが、フランク・シナトラは例外に属する。
ルイ・アームストロングのだみ声には、独特の味わいがあるが、曲を選ぶ声でもある。が、ヴェルヴェットヴォイスと評されるフランク・シナトラの声は、なんだって歌える。スロー・バラードはいうまでもなく、ミッドテンポのくつろいだ曲だろうが、アップテンポでスィングする曲だって、なんだっていい。そして、彼が歌いだした瞬間、場が華やぐ。こんな芸当ができる歌手はシナトラだけだ。

スタンダードを歌うことの多い彼であるが、60年代には、アントニオ・カルロス・ジョビンと共演し、ボサノバを歌うかと思えば、ジョージ・ハリスンの「サムシング(シナトラは、この曲を、レノン=マッカートニーがつくった物であると思っていたのだが)」を取り上げている。いわゆるスタンダードではない歌に積極的に取り組むあたりは、彼のシンガーとしての器の大きさを物語っていて興味深い。

だが、シナトラが、ボサノバやビートルズナンバーを歌ったとしても、それは、いわゆるボサノバとなっておらず、またビートルズナンバーとなっているわけでもない。それらの楽曲は、まぎれもなくシナトラの世界の音楽となっている。彼はさまざまな音楽を自分の懐に取り入れるが、完全に自分の音楽として消化し、表現しているのである。だから、「イパネマの娘」を聴こうと思って、シナトラを聴くと妙な肩すかしを食らう。

デューク・エリントンや、ルイ・アームストロング、マイルズ・デイビス、そして、彼をはじめ、いわゆる巨匠と呼ばれる人たちのすごいところは、作品にむらがほとんどないということである。良質の作品を長い間に渡ってリリースし続ける力がある。
残念ながら、現在店頭に並んでいる彼のCDは、コンピレーション盤や企画盤が中心となっており、レーベルごとに体系的に発売されていないことが、僕の不満とするところである。

1930年代から1990年代までの半世紀以上に渡る歌手としての人生の、一時的にスランプに陥ることがあったとはいえ、彼の歌手生活はおおむね順風満帆であった。彼を聴くとするならば、自分が聴きたい楽曲を歌うシナトラを聴くに限る。それだけだ。
僕は「ニューヨーク、ニューヨーク」が好きだ。彼の歌を聴いてると、ニューヨークには行ったことがない僕であっても、一度でいいから、ニューヨークの雑踏を歩きながら、ビルの谷間から青い空を見上げてみたいなと無邪気に思うぐらいだ。

New York, New York
2011年11月29日 21時10分12秒

JAZZ アート・ペッパー ポートレイト・イン・ジャズ (村上春樹 和田誠)

テーマ:JAZZ
「アート・ペッパーの実際の演奏を聴いたことはないが、彼の残した数多くのレコードを聴いていると、そこには一貫して、ほとんど自傷的と言っていいほどの苛立ちがある(ポートレイト・イン・ジャズ)」


先日、半年ぶりに新宿にあるディスクユニオンに行ってみた。何年経ってもこの店だけはあまり変わらないなあと思うと、ちょっと安心する。それでなくても、新宿の変貌はあまりに速すぎるから。

土曜日の午後の店内には、客がまばらにいた。中古盤を漁ることが僕の目当てであり、棚に並べられたディスクや、所狭しと床に並べられている、箱に入れられたディスクにいたるまで、一枚一枚を夢中になって眺めているだけで、ふと、気がつくと二時間があっという間に過ぎていた。

中古の紙ジャケットのアルバムで、格安の物を買おうと決めていた僕が購入した物は、リー・モーガン、レイ・ブライアント、ジャック・ティーガーデン、スタン・ゲッツ、そして、アート・ペッパーである。計5枚購入につき10%オフだったので、5千円ほどの買い物になった。

購入したアート・ペッパーのCDは、サボイの「サーフ・ライド」である。アート・ペッパーの数あるアルバムの中で僕のもっとも好きな一枚である。久しぶりに僕がこのディスクを購入したのは、演奏内容の素晴らしさは言うに及ばず、思わずのけぞってしまいたくなるほどの、ジャケットのダササゆえ、忘れがたい一枚となっていたからだ。

アート・ペッパーには、このディスクだけでなく、村上さんのお薦めの「ミーツ・ザ・リズム・セクション」や、「モダン・アート」「アート・ペッパー・カルテット」などの名盤がある。そうだ、50年代に録音された作品は、どれも瞬間の即興演奏にかける彼の意気込みを感じさせるものばかりだ。が、その中にあって、この「サーフ・ライド」に聴かれる演奏から、「俺は、今、このフレーズを吹ききってしまわなければならないのだ」という、表現者としての彼の切迫感と強い意志とを感じてしまう。同時に、それは痛々しさを感じさせるものであるのだけれども。

彼を「天才」としてもてはやすことは容易い。だが、彼には、チャーリー・パーカーの「天才」のように自らの意識と演奏とを一致させることが、できなかったのではなかったか。楽器を演奏することに充実を覚えることもなく、満たされない気持ちを抱え、焦燥感にせかされながら、手に掴むことのできない、決して捉えることのできない完全なるメロディを追いかけ続けることが、すなわち、彼の演奏だったのではなかったか。

そんなことを思いながら、「サーフ・ライド」のジャケットの、気持ち良さそうに波乗りをする、黄色いビキニを身に付けた女性を眺める。以前ほど、この絵をダサイと思わなくなってきたのも、自分が年を取って丸くなったからか。

2011年11月28日 21時22分15秒

JAZZ ジャッキー&ロイ ポートレイト・イン・ジャズ (村上春樹 和田誠)

テーマ:JAZZ
「このレコードを聴くたびに、これくらい洗練された技術的に高度な音楽を、汗もかかずにすらすらと日常的に生み出してきたアメリカという土壌(あるいはニューヨークと限定するべきだろうか?)に対して、またそのとくべつな時代に対して、僕はあらためて敬服してしまうことになる(ポートレイト・イン・ジャズ)」

自分の周辺には楽器を演奏することを趣味としている人が少なからずいる。ギターであるとか、ピアノであるとかを趣味としている人が多い中、コーラスに参加していますという人たちもいる。コーラスをするなんて、楽器の演奏に比較すると、えらく地味な趣味だなあと思ったものであった。

ポップスやロック、リズム・アンド・ブルース、ブルーズにいたるまで、たいていの音楽では、ボーカルというものが入っており、音楽に親しむとは、人間の歌う歌を聴くことに他ならないことをあまりに当然のこととして、疑問に思うこともなく、長年歌に親しんできたのであるが、ある頃を境に、僕は人間の声を聴くことが嫌になったことがあり、それ以来、主に楽器のみにより演奏される音楽を楽しむようになってきた。それが、僕がジャズを聴くことになった理由でもあり、また、ジャズを聴く僕がジャズ・ボーカルをあまり聴かない理由ともなっている(カサンドラ・ウィルソンをはじめとして、最近は少しずつ、ジャズ・ボーカルにも耳を傾けているが)。

指先が不器用な上に、音楽に関する才能がちっともない僕は(才能がないのは音楽だけに限らないが……)、楽器を演奏することや、歌うことなど考えたことさえない。極度の怠け者である自分は、なにより、だらだらとビールを飲みながら、ごろごろしながら楽しい音楽を聴いている時間が好きなのである(特に休日の午前中に、キリンラガービールを飲みながら、聴くジャズに勝る物はない)。

楽器を演奏することは難しいが、歌を歌うことは簡単ではなかろうかと長年、決めつけていたのだが、「歌う」とは、自分の体を楽器として、音楽を演奏することに他ならない行為であることに、近年今更ながら気がついた。

ジャズ・コーラスは、聴いたことがない上にアルバムも手元にないということで、YouTubeを検索する。写真がよさそうな、「Samba Triste」を聴く。
悪くない。が、アルバム一枚を通して聴くことができるかと問われると、「はい」とはやや言いがたい。う~ん、悪くはない。無論、ジャッキー&ロイの音楽の質が高いことは分かるのであるが……。好みの問題だと思うのである。僕がジャズ・コーラスを聴くようになるにはまだ当分時間がかかりそうである。

2011年11月27日 08時33分32秒

JAZZ エディー・コンドン ポートレイト・イン・ジャズ (村上春樹 和田誠)

テーマ:JAZZ
「ジャズの歴史は数多くの奇人変人によって彩られているが、エディー・コンドンも間違いなくその一角に食い込む人だろう(ポートレイト・イン・ジャズ)」

ジャズを聴き始めて20年を過ぎるが、僕はこの和田さんと村上さんの共著「ポートレイト・イン・ジャズ」を読んだときに、初めてエディー・コンドンという人の名前を知った。彼の名前を知らなかっただけでなく、レコード店の店頭で彼の作品を手にしたことがなかったことは当然のこととして、それらを目にした記憶もなく、無論、耳にしたこともない。

「ポートレイト・イン・ジャズ」には、エディー・コンドンの奇人変人ぶりが描かれていて面白い。「超弩級の大酒飲み」である彼は、「四弦ギター」なる奇妙な楽器を演奏するのであるが、「一切ソロ」をとらない上に、「第二次世界大戦後に登場したあらゆる音楽スタイルを」認めず、「自前のクラブ」で死ぬまで「寸分違わぬスタイルのディキシーランド・ジャズを演奏していた」という描写だけでも彼の「奇人変人」ぶりが伺われよう。村上さんも思わずこうつぶやかざる得ない。
「今の世の中にどれくらいの数のエディー・コンドン・ファンが存在するのか僕は知らないが、それほどたくさんでないことはたしかだ(ポートレイト・イン・ジャズ)」。

LPアルバムというものが登場するずっと以前のSP時代に活躍をした人であるから、代表作も分からない。YouTubeで検索をすると彼の演奏が並ぶのであるが、曲の背景が分からないから、やたらめったら閲覧していると、1962年に収録されたカラー映像が残っている。「ビック・ベン・ブルーズ」を演奏するエディー・コンドン・オールスターズには、Wild Bill DavisonやPeanuts Huckoの名前も見える。
名人芸能を見るときに決まって湧き起るわくわく感と、失われた世界を垣間みている郷愁とを感じる(それにしてもエディー・コンドンは頑にソロをとらない!)。

この映像を見ていると、自分が子供の頃に見た音楽番組(たとえば、欽ちゃんの「オールスター家族対抗歌合戦」など)で生演奏を聴かせていたバックのオーケストラをふと思い出した。

2011年11月27日 08時00分49秒

JAZZ トニー・ベネット ポートレイト・イン・ジャズ (村上春樹 和田誠)

テーマ:JAZZ
「クラブでトニー・ベネットのライブを聴いたことのある人は、みんな口を揃えて素晴らしい体験だったという。人柄もステージも歌も実に美しかったと。たぶんそのとおりなのだろう(ポートレイト・イン・ジャズ)」

トニー・ベネットという人の名前を耳にすると、僕はビル・エヴァンズの名前を思い浮かべ、一枚のアルバムジャケットを思い出す。

そのアルバムジャケットとは、頬から顎にかけて、びっしりと髭を生やしたビル・エヴァンズが、ピアノに向かい、左手で譜面にペンを入れている(彼は左利きだったのだろうか? もしくは写真が裏焼きか?)、そのとなりから楽譜を覗き込んでいるトニー・ベネットの姿を捉えた一葉の写真である。1975年に彼らの録音した、忘れがたいアルバム、「トニー・ベネット・アンド・ビル・エヴァンズ」。二人が40代の半ばから後半に差し掛かった頃の作品である。

楽譜を確認する彼らの写真は、このアルバムの音楽と同様、トニー・ベネットの素敵な歌声と、ビル・エヴァンズの可憐なピアノとが寄り添っている様を表しているようで僕は好きだ。

中でも、ビル・エヴァンズの代表作「ワルツ・フォー・デビイ」の冒頭で演奏された「マイ・フーリッシュ・ハート」がよい(なお、このアルバムには「ワルツ・フォー・デビイ」も演奏している!)。
エヴァンズが1960年に録音した「マイ・フーリッシュ・ハート」では、ビル・エヴァンズ・トリオの揺蕩うような演奏が、恋をしたことを後悔する気持ちと未練とに満ちた心持ちを表していたのだが、このアルバムでのトニー・ベネットの歌唱には、失恋の苦みと残照とでもいうものがストレートに表現されている気がしてならない。

若い頃には、トニー・ベネットの歌に好感が持てなかった自分であるが、このアルバムを聴きかえしてみると、甘さを一切排した彼の歌声が、真っ直ぐに自分に向けられている気がしてしまうのを感じる。自分がそう感じるのも、中年の域に達し、自分の好みが変わったのか? はたまた、人生の苦みを味わい過ぎたからだろうか?

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