1 | 2 次ページ >> ▼ /
2011年05月31日 22時58分20秒

グレート・ギャツビー 第九章 スコット・フィッツジェラルド

テーマ:アメリカ文学
「ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に——だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。」(グレート・ギャツビー 第九章)

村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」を読了した。風呂に入っているときに、会社の行き帰りの電車の中で、お昼休みの時間に、就寝前の布団の中で読み、さっき読み終わった。資格試験の勉強をしているから、読書をすることがどこか後ろめたいのだが、自分にさまざまな言い訳をしながら、隙間時間を見つけては、読み続けてしまった。

「グレート・ギャツビー」に僕が惹かれるのも、主人公であるギャツビーが、「年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を」信じ続けて生きていたからに他ならない。自分の夢が、ほんのすぐそこまで、手を伸ばせば届くところで近づいているように思えた、まさにそのときに、愛する者に裏切られ、非業の死を遂げたのだった。

ひとつひとつの場面が印象的であるので、本作を数回読んだ後には、適当に開いたページを読んでみても楽しめる作品である。無駄な逸話が作品のそこここにちりばめられているのも、名作の条件である。こんなことを書いていたら、また読みたくなってしまった。
2011年05月28日 08時04分48秒

グレート・ギャツビー 第五章 スコット・フィッツジェラルド

テーマ:アメリカ文学
一昨日から、ずっとグレート・ギャツビーを読んでいる。
下にある文章など、かつて、いかにも陳腐だと思っていたのだが、改めて読み直すと、美しい文章であり、このギャツビーの所作を思うと、「デイジーが身をかがめ、そのシャツの中に顔を埋めると、身も世もなく泣きじゃく」る理由が分かる気がするのだった。

He took out a pile of shirts and began throwing them, one by one, before us, shirts of sheer linen and thick silk and fine flannel, which lost their folds as they fell and covered the table in many-colored disarray. While we admired he brought more and the soft rich heap mounted higher — shirts with stripes and scrolls and plaids in coral and apple-green and lavender and faint orange, and monograms of Indian blue. Suddenly, with a strained sound, Daisy bent her head into the shirts and began to cry stormily.

ギャツビーは一山のシャツを手にとって、それらを僕らの前にひとつひとつ投げていった。薄いリネンのシャツ、分厚いシルクのシャツ、細やかなフランネルのシャツ、きれいに畳まれていたそれらのシャツは、投げられるとほどけて、テーブルの上に色とりどりに乱れた。僕らがその光景に見とれていると、彼は更にたくさんのシャツを放出し、その柔らかく豊かな堆積は、どんどん高さを増していった。縞のシャツ、渦巻き模様のシャツ、格子柄のシャツ。珊瑚色の、アップル・グリーンの、ラヴェンダーの、淡いオレンジのシャツ。どれにもインディアン・ブルーのモノグラムがついている。出し抜けに感極まった様な声を発して、デイジーが身をかがめ、そのシャツの中に顔を埋めると、身も世もなく泣きじゃくった。
(「グレート・ギャツビー」村上春樹訳 中央公論社)
2011年05月28日 01時12分38秒

雑感 今、ここにある危機

テーマ:雑感
2011年05月28日 00時58分34秒

雑感 原子力と原発事故に関する雑感

テーマ:雑感
阪神大震災のときの政権は、村山首相であり、今回の東日本大震災では、民主党党首である菅首相であった。つくづく、わが国はついてないと思わざる得ない。よりによって、こんな非常時に非常識な内閣が難局に対するとは……。

■原発の是非
原子力政策に関しての、今後の方針を巡って、マスコミがわいわい騒いでいる。
化石燃料や原子力から、自然エネルギーへのシフトが彼らの主張である。が、現在のわが国の、エネルギー事情は、エネルギー全体の三十%が原子力であることを、そして、この拙ブログを公開するにも、また、ネットを閲覧するにしても、普段生活するためには、原子力発電による電力に頼っていることを忘れて、議論することはできないはずである。

脱原発は結構であるが、現実問題として、代替エネルギーへのシフトにあわせて、原子力発電による供給量を減らす(つまり、原発を停止する)なら、話は分かるのであるが、原発、「賛成? 反対?」という議論が先行してしまってはいないか? なんとも馬鹿馬鹿しい話だ。

バイオエネルギーを始め、地熱発電、太陽光発電、風力・潮力発電など、代替エネルギーはたくさんある。だが、いますぐにわが国の電力需要の三十%をまかなうことができない以上、今は原発に頼る以外なかろう。それに頼りたくないなら、毎日の三十%は電気がない世界を許容するしかない。


■マスコミのいう、報道の自由
福島第一原子力発電所では、現在、七千人を超える人が、原子炉の冷却作業にあたっている。だが、その様子が、ちっとも伝わってこないのことは、なぜだろう。
東京電力関係の会社がスポンサーになっている関係で、民放や新聞各社が、福島第一原子力発電所に記者を派遣できない、またはしないのだろうか? 報道できないなにかがあるのか? または、単に放射能汚染が怖いから行かないのか?
スポンサーに拘束されない国営放送であるNHKでさえ、福島第一原子力発電所を直接取材しない。なぜだろう? まともな報道さえできない「国営放送」に、いわゆる「受信料」を支払うことは、やめにしてはどうか? 自分は支払う気がまったく起こらないし、支払っていない。

いわゆる「マスコミ」は、ことあるごとに「表現の自由」や「報道の自由」を楯にとり、第四の権力として猛威を振るってきたはずである。だが、福島第一原子力発電所の真実を伝えるとなると、全社が(NHKも含めて)尻込みし、原発に立ち入らないのはなぜか?

新聞、テレビといったいままでのマスコミには、自浄能力が欠けていないか? 「自己批判せよ」なんて言葉を使うとなんとも「学生運動」や「左翼」くさいが、彼らの、あまりの体たらくに呆然とせざる得ない。

自分の足で、福島第一原子力発電所に向かい、直接自分で情報を仕入れていないマスコミ。信じる価値があるか?


■危機管理
民主党政府、原子力安全委員会、原子力保安院、そして、東電。彼らの責任のなすりつけあいと、事なかれ主義を見るにつけ(東電の役員報酬は、民間企業に勤める平社員の年収(約四〇〇万程度)の、おおよそ二十倍ちかい)、たいそうな高額取りたちが、いざ危機に直面すると、「現場」を知らない事から生じる、うそをつきはじめる。そんなに安全であるなら、自分たちが、陣頭指揮を執ればよかろう。彼らの表情と口調とに、苦笑を禁じ得ない。
彼ら(民主党政府、原子力安全委員会、原子力保安院、そして、東電)の「危機」とは、自分の立場や世間体の「危機」であり、原発事故に直面している人達の「危機」ではない。よもや、わが国の危機であるという立場では発言や行動をしていない。
原発事故による、損失を電気代に負荷するなど、とんでもない話である。

でたらめな経営を行ってきた会社であっても、彼らの活動は公共性が高いという理屈だけで、公的資金を得て、経営再建ができること自体、でたらめな話ではないか?
2011年05月26日 22時04分44秒

グレート・ギャツビー スコット・フィッツジェラルド

テーマ:アメリカ文学
僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた(「グレート・ギャツビー」)。

ここ五年間に、もっとも読み返した小説が、「グレート・ギャツビー」である。二〇〇六年の十一月に村上春樹の翻訳が発売された当時、仕事を辞め、何もすることもなくぶらぶらとしていた自分は、すぐに本作品を購入し、三日間で二回読み返した。
ずっと以前、まだ自分が学生の頃読んだ、野崎孝訳の新潮文庫版では、自分の読み方が悪かったせいか、物語を追いかけるだけでやっとであり、村上春樹が「ノルウェイの森」において、ワタナベ君に本作を絶賛させる理由が見つからなかったことが、まるで嘘のように、冒頭から作品のすばらしさに、まさに釘付けとなった。頁をめくる時間さえもったいないと感じるほどに。ちょっと僕は大げさに書いているかも知れない。が、こんなに大仰に書いてしまうのも、あんなに夢中になって読んだ小説作品がここ数年なかったからにほかならない。

三年ほど前に、村上春樹訳を再び読み返し、やっぱり名作にして名訳だと感じたまま、そっと本を本棚に戻しておいたのだが、昨日から、風呂に入って、読み始めた。まだ、三十頁ほどしか読んでいないが、湯船に浸かりながら、「グレート・ギャツビー」の文章を少しだけ声に出して読んでみる。

「グレート・ギャツビー」が好きですっていう人に、僕は、いまだかつて出会ったことがないが、もしそんな人に出会うことができたら、この作品に関しては、細かなところまで、いつまでも話し合いたくなる。
そんな作品だ。

Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 次ページ >> ▼ /