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2011年04月24日 22時39分43秒

大阪 岡本太郎

テーマ:番外編
この町の雰囲気ぐらい非芸術的であり、それが徹底しているところはない。趣味性なんてものも、どこにあるというのか。しかしそここには、逆にそんなものをふきとばす活気というか、熱気のようなものがあふれている。それがこの町特有の雑多な悪趣味からたちのぼってくるのだ。芸術、教養なんて、おつにすましたものは、鼻もひっかけない。そういうよさがここにある。同じ上方文化の中心である京都とは、真反対だ。
色、匂い、すべてがどぎつく、肌にふれてくる。トッ拍子もない見当ちがい——だがこれはまた魅力でもある。

大阪 岡本太郎 「岡本太郎の世界 3」


資格試験の受験勉強と仕事とが、時間をとるために、当分、ブログを書くことをお休みしますと記してから、あまりネットを見ていなかった。だが、今日は、興がのったことと、時間を作ることができたこともあるので、簡単なものを書いてみる。

昨日、あいにくの雨であったが、サロン・ド・ソクラテース(http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/)の主幹さんと、奥さん、そして、妻をともなって中華街で昼食をとった(時々、四人で旅行をしたり、食事に行ったりと、数か月おきにさまざまなイベントを実施しているのである)。一人、2980円で食べ放題。興福楼。

興福楼
http://www.chinatown.or.jp/gourmet/detail/331

なぜ、唐突にブログを書くことを中断したのか、また、このブログに顔写真を載せたのか、あの写真は何度撮り直したのか、など、ご夫妻につっこまれ、困ってしまった。
このブログをお休みしたのは、震災の影響によるものと、資格試験の受験によるものである。連日、震災の映像や文字を目にしていると、自分の無力であることを実感させられると同時に、気力が抜けている感覚を覚えた。顔写真を唐突に載せたのは、face bookのアカウントを取得したときに、多くの人が顔写真を載せており、同時に実名を公開していたのを見て、今後のネットは匿名によるものはなく、実名によるものだという気がして掲載した次第である。ちなみに、この写真はMacBookに付属するカメラで撮影。取り直しはない。

雨の中、腹一杯になった我々は、雨の降りしきる中、鎌倉に向かった。ホットケーキを食べに行くためである。
イワタコーヒー店
http://r.tabelog.com/kanagawa/A1404/A140402/14002091/

店内は、雨の天気にもかかわらず、満席である。休日で、晴天であるなら、並ばなければならないほどの盛況ぶりである。
ホットケーキが焼き上がるまで、20~40分ほど待つ。
ここのホットケーキは、800円もするが、かなり食べ応えのあるものだ。
腹は一杯だ。雨が降る。

大阪について書こうかと思った。僕の8歳の時、地元の高校が甲子園に出場し、初めて大阪に行ったときのこと。18歳の時に、受験で行ったこと。その後、仕事で数回ほど訪れたこと。熱気のある街だ。東京や横浜のように取り澄ました雰囲気がない。まさに雑多だ。

岡本太郎が見て、感じ、直感して描いた、大阪の感想を、大阪に生まれ育った人が読んだ時、どんなことを思うだろう。興味深い。

岡本太郎の著作が、芸術について自省させる。ここ最近、ずっと彼の文章を読んでいる。共感できること。反発すること。納得できないこと。できること。一冊の本と格闘するように読むことを経験するのは、久しぶりだ。

次は何時書くか分かりませんが、大阪についての雑感を書きます。
2011年04月13日 21時45分17秒

雑感 Ev'rything's gonna be alright

テーマ:雑感
「疲れる」という言葉があり、自分は、疲れている。
仕事は、朝の九時から午後六時過ぎに終わっているのである。だが……。

新入社員として入社した二十年前。
午後九時ぐらいには(遅くなると午後十一時ということもあったし、午前様もあった。頻繁にあった)、何事もなく帰宅し、疲れてこたつに入り、目が覚めると、午前六時であった。若い頃は、疲れ知らずというか、なんとかなるものだ。
さすがに四十を過ぎるとそんなわけにもいかず……。

自分が新入社員の頃は、定時が午前七時であり(帰りの定時は午後四時)。だが、帰宅する時間は、ほとんど午後十一時であった。仕事が片付かなかったので(しかし、ほとんどの先輩社員は速攻で帰宅していたのだった)。ちなみに、流通業であった。長野にある、有名な書店で、一年目は雑誌を担当し、二年目は文芸書を担当した。今では、僕と同期の人間が、取締役とかしている。すごいものだ。

そう。
今日は、えらく疲れた。
だが、書きたいことは、山のようにある。
書けない。
いかに「書かないか」、または、「書いたもの」を如何に削ることができるかを知っている人間が、書くことができるのである。
書かなければならないぐらいの、衝動に迫られない人間は幸いである(リルケが書いた「若き詩人への手紙」参照」)。

macoさんという、僕のブログの読者が、突然いなくなって(震災で被災したらしい)、うさちゃんも突然いなくなり、数年前にうささんも突然いなくなってしまった。
なんだかすごく疲れる。
ネットはバーチャル(仮想世界)であるかどうかに関しては異論があると思うが、ネットを通じて、知り合った人がいて、その人と実際にお会いして、自分の考えなどを交換した人と、突然、断絶してしまうことは、やっぱりつらいものだ。
そのようなことがなくても、バーチャル(仮想世界)で知り合って、文字を送り合っている人であっても、その文字に「その人柄」を感じた人と、コメントなどで交流していたにもかかわらず、突然、消え失せるようにいなくなって(アカウントの削除だが)しまうのは、やはり寂しいものだ。

当分、ペタとか、いただける方には申し訳ないですが、更新や、ペタがなくなると思います。
個人的な事情などがあり、当分、ブログの更新をやめます。
また、気が向いたら書きます。気が向いたらペタします。
では。それまでごきげんよう。
Ev'rything's gonna be alright
なんとかなる
2011年04月10日 17時20分55秒

番外編 千本桜

テーマ:番外編
番外編 千本桜

大和市にある千本桜を見に行った。昨年の今頃、訪れてからちょうど一年経ったわけだ。
小田急線桜ヶ丘駅で下車。西口を出て、徒歩十分ほどの場所に引地川がある。
その川に沿って、全長一キロ半に渡って植えられた、八百本の桜が満開であった。
見物客は、昨年ほど多くはなかったが、バーベキューをする家族連れがいたり、ゴザを敷いてお弁当を食べる家族がいたりで、だれもが春の一日を穏やかに過ごしていた。

しばし喧噪を忘れる。川面に映った桜も、よい。

Ev'rything's gonna be alright-桜その一
2011年04月10日 09時37分27秒

The truth is marching in Albert Ayler

テーマ:JAZZ


ここ最近、岡本太郎の著作を読んでいるせいか、アバンギャルドという観念が、頭のどこかに巣くっているようで、無性にAlbert Aylerが聴きたくなる。が、手元に彼の音源がない。こんなときに重宝するのがYou Tubeである。

The truth is marching inが、僕のお気に入りだ。

「Nuits De La Fondation Maeght 1970」として発売されているCDとは、一昔前にLP2枚に分けてRCAから発売された「ラスト・レコーディング」である。彼の死の四か月前に当たる、一九七〇年七月二五、二七日、フランスのマグー美術館において録音されたものだ。

十数年前にこの「ラスト・レコーディング」を求めて、かなり探し歩いたが、入手できなかったが(早稲田にある中古レコード屋で一枚を発見したが)、今や簡単にネットで聴くことができる。どうなっているのだろうか?

それにしても、この咆吼。熱い。暑苦しい。
かつて、中上健次は「アイラーはすべてを破壊する」と書いたが、あれは大間違いだ。
Albert Aylerの放つ音に耳を傾けると、彼が破壊などしていないことを聞き取ることは容易い。原初回帰。音楽の原点であろう、人間の叫びにまで戻ってしまったのが、彼の音楽であり、音が空間に放たれる、生々しいまでの、その瞬間に自らを没頭させたのがAlbert Aylerの音楽であった。
2011年04月10日 08時40分40秒

岡本太郎の宇宙Ⅰ 岡本太郎

テーマ:エッセイ
ちくま学芸文庫から刊行されている、「対極と爆発(岡本太郎の宇宙1)」を、昨日、読了した。巻頭には、「今日の芸術」と題された、彼の芸術論が置かれている。平易な文章により、彼の考えをうかがい知ることができ、たいへん興味深く読むことができる。
続いて、「対極主義」の論文は、前節で開陳された彼の考えが、絵画史とあわせて解説されており、そこには、哲学や、民俗学、社会学といった視点から、芸術論が補強されている。
「爆発と瞬間」においては、先日、僕が一部引用した「瞬間」を始めとした、彼の芸術論や哲学、思想を知ることができる、断片が置かれている。断片とはいっても、濃密な文章である。たとえば、「わが友—ジョルジュ・バタイユ」など。
最終節には、一九七〇年に開催された大阪国際万国博覧会において「テーマプロデューサー」を担当した彼がデザインした「太陽の塔」の思想が語られる。「万博の思想」。日本人であるなら、この文章は必読である。力強い文章だ。彼の文章を読むという行為をたとえるなら、それは、まるで、大地に根をはった切り株でも力一杯に引き抜いている感覚である。「太陽の塔」の意味がわかる。

彼の考えをまとめてこれだけ読むと、次には、「岡本太郎」個人について知りたくなるのが人情というものだ。
だが、なんと、岡本太郎の宇宙2である「太郎誕生」には、彼の生い立ちや、父や母からの書簡、自伝が収められているのである。
自分も編集者の端くれとして、この配列にはほとほと感心した。自分ならさしずめ、「太郎誕生」を岡本太郎の宇宙1巻として、読者に提供するだろう。そして、次に「今日の芸術」あたりの論文を配置し……。
うまいなあ、ほんとうにうまい。
あまりに感動してしまったので、この拙文を一気呵成に書いてしまった。

一冊、税込みで一六八〇円。決して安い買い物ではないが、これは面白い。ちくま学芸文庫の「岡本太郎の宇宙」の編集者はただものではない。

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