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2011年01月31日 21時46分59秒

日記 twitterと和漢朗詠集と

テーマ:日記
twitterが流行っているというから、三か月ほど前にアカウントを取得して、一つ二つと「つぶやいて」みたが、ちっとも面白くない。そもそも使い方が分からないのである。つまらないから、そのまま放置していたところ、読書記録をとっておこうと数日前に思いつき、記録をつけはじめた。書名とページ数、読んだ場所を記録している。雑感でも一文書こうかと思ったが、それはブログの本文としていつか書くことになるだろう。

古書店の中で、棚に並んだ本の背文字を読むことが好きで、いつまでも読んでいたりする。先日も、ふと立ち寄った近所の古書店で、なにげに手に取った「和漢朗詠集(講談社学術文庫)」。普段、「まえがき」になど目を通さない自分である。古典文学のまえがきには、いきなり難しいことを並べ立てて、自分の意見を開陳するものが少なくないが、この文章はよい。平易な表現により「和漢朗詠集」とはどういった書物であり、どういう目的から編纂されたかがよくわかる。また、衝動買いしてしまったことは言うまでもない。

まえがき
王朝の人たちは、すてきなうたや美しい詩の文句に出あえばリズムにのせて口ずさみました。また薄様の紙に、流れるような女文字で書いて、水茎のあとを目でたのしみました。『和漢朗詠集』は、そうした王朝人の愛唱したうたや詩のエッセンスをえらびにえらびぬいて、上下二巻にあつめたものです。今から九七〇年前、藤原公任が、娘が結婚するとき、婿への引出物として当時朗詠されていたものに、自分でも新たに選び加えて、名筆第一とたたえられた友人藤原行成に清書してもらったものがもとだといわれています。

  あさみどり 春たつ空に うぐひすの はつこゑまたぬ 人はあらじな
  春の部、鶯の歌

立春のころ、萌黄いろに明けゆく空のもと、うぐいすがもう来てなくころよ、と心待ちにしない人はいないでしょう。(以下、略)

「和漢朗詠集」とは、王朝の人たちが口ずさんだ歌を集めた本であることを初めて知った。
上巻にある春は、立春から始まる。

一 立春
吹(かぜ)を逐(お)うて潛(ひそ)かに開(ひら)く 芳菲(はうひ)の候(こう)を待(ま)たず
春(はる)を迎(むか)へて乍(たちま)ち変(へん)ず 将(まさ)に雨露(うろ)の恩(おん)を希(こひねが)はんとす


「吹を逐うて」とは、立春の風が吹くにつれてという意味。芳菲(はうひ)の候(こう)とは、百花がにおいやかに咲きみちる時節のこと。雨露(うろ)の恩(おん)とは、雨露のめぐみにうるおうて花開くこと。

twitterによるつぶやきと、詩歌を口ずさむこととが同じであるとは思わないが、twitterから新しい歌が生まれるかしら? とちょっと想像してみると面白い。
2011年01月30日 17時52分01秒

「1Q84」に描かれている歴史観について

テーマ:番外編
「東條英機は終戦のあと、アメリカ軍に逮捕されそうになったときに、心臓を撃つつもりで拳銃の銃口をあてて引き金を引いたが、弾丸が逸れて腹にあたり、死ねなかった。いやしくも職業軍人のトップに立ったことのある人間が、拳銃自殺ひとつまともにできないなんてな。東條はすぐに病院に運ばれ、アメリカ医師団の手厚い看護を受けて回復し、あらためて裁判にかけられて絞首刑に処せられた。ひどい死に方だ。人間にとって死に際というのは大事なんだよ。生まれ方は選べないが、死に方は選べる(1Q84 BOOK2)」

昨年、村上春樹の「1Q84」を読んだ。たいへん難解である作品であるが、夢中になって読める部分が多く、面白く読んだ。丁寧に作り込まれた小説であることが、よくわかる作品である。だが、一箇所だけ腑に落ちない文章があり、読後、それが僕の頭の一角に巣くっているのである。上記に引用した部分である。

あおまめから拳銃を手配して欲しいと依頼されたタマルが、それを彼女に手渡す際に、彼により語られた台詞である。この部分だけを読むと、タマルとは、戦後GHQによって行われた、War Guilt Information Programに真っ逆さまから嵌ってしまった、頭の弱い人間のようである。ピストル自殺を図って死ねなかった人間は東條英機だけでないことを考えると、ここで、東條を例に挙げ、東京裁判をそのまま受け入れてしまう歴史観を披瀝する必要などないと思えるのである(もっとも、小説の舞台である一九八四年当時のわが国に流布されていた歴史解釈の多くが、「東京裁判肯定」であったことを考えると、たいへんリアルな設定であるともいえるのだが。果たしてそこまで村上春樹は考えていただろうか)。だが、多くの読者は、この台詞に描かれている内容を「当然のことである」と受け入れるかも知れない。

タマルの台詞には、二つの点で、自分には納得がいかないのである。「東條英機は本当に自殺を図ったのか?」「東京裁判の判決により絞首刑となったことが、ひどい死に方なのか?」

東條英機の自殺に関しては、不自然な点が多い。
ピストル自殺を図る人間のほとんどが頭を撃つが、なぜ彼は胸を撃ったのか。なぜ、終戦からほぼ一月近く過ぎた九月十一日に自殺を決行したのか。なぜ、MPによる逮捕の直前に自殺を図ったのか等々。
天皇に対するGHQの扱いが決定されていなかった時期に、東條がみすみす自殺を図るだろうか。「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ。」ことを胸に秘めていたであろう彼がである。

東京裁判が、まっとうな「裁判」に値するかどうかは、今更ここで述べるまでもなかろう。

作家としての村上春樹に対しては、自分は敬意を払っており、これからも氏の作品を読み続けるつもりでいる。だが、彼の歴史の扱い方だけは、好きになれない。「1Q84」の中において、タマルを左翼思想家として描く必然性は、まったくない。上に引用した彼の台詞とは、情報操作された大衆の声である。無論タマルはそのような愚かな存在ではないはずだ。村上春樹がどういうつもりで、上に引用した台詞を書いたかを知る術はないが、自身の影響力をもう少し考えて、書いていただきたいと思うのである。氏の書いていることを頭から信じ込んでしまう読者も少なからずいるだろう。
自分が本作品において気になっていたのは、このささやかな一点だけなのである。
2011年01月29日 18時38分28秒

Apple

テーマ:番外編
Apple Computer(現・Apple)のパーソナルコンピュータを使い始めて、今年で十七年になる。

ネットに掲載された、「止め処なく躍進を続ける世界2位の企業、アップル~その強さの秘密は、本質主義の『いいデザイン』」を読んでいたら、ふと自分が使ってきたパソコンについて思い出してしまった。

Microsof:「No. 280 - 止め処なく躍進を続ける世界2位の企業、アップル~その強さの秘密は、本質主義の「いいデザイン」
http://www.microsoft.com/japan/mactopia/column/280.mspⅩ

今でこそ、iPodをはじめ、iPhoneやiPadにより多くの人が知る会社となったAppleであるが、僕がユーザーとなった一九九四年当時、Apple Computerは、低迷し、迷走していたのだった。当時の製品には、PowerPCを搭載したデスクトップマシーンであるPower Macintosh、一体型のデスクトップマシーンであるPerfoma、そして、ノート型パソコンであるPower Bookがあった(現在のiPadの祖先とでもいうべき、Newtonというディバイスもあった)。コンシューマモデルである、Perfomaこそ十万円台であったと思うが、Power Macintoshは、本体だけで約三十万円ほどした(モニターやキーボード、マウスなどを買い揃えると、四十万円ほどした)。Power Bookも三十万円ほどであり、かなり高価な製品であった。

自分は、当時、出版社に勤務していたところ、デスクトップパブリッシング、いわゆるDTPの存在を知り、いそいで、パソコンを買い揃えようと思ったが、あまりに高額であるため、とりあえず、パソコンに慣れる目的から、Power Bookを買い求めた。だが、画面がモノクロであることから、購入して一月足らずで売却してしまった(機種さえ覚えていない)。売却したお金をもとに、Perfoma5200を購入し、それに、QuarkⅩPressや、Adobe Illustrator、Adobe PhotoshopなどのDTPソフトをインストールし、使い方を覚えたのだった。当時のMac OSは7.5であった。
翌年の一九九五年には、Windows95が発売され、パソコンを使用する人が急増したのであった。それによって、Apple Computerは大幅にシェアを落とし、瀕死の状態であった。

一九九七年には、ステイーブ・ジョブズがApple Computerに復帰するニュースが伝わった。Apple Computerの創業者である彼の復帰が、コンピュータ業界にどんな影響を与えるのか、まったく予測不可能であった。その年に、自分は、インターネットプロバイダーであるソネットと契約をし、インターネットを使用することにした。現在も、その時に取得したメルアドを主に使用している。

一九九八年には、Power PC G3搭載機種が発売され、自分は、パソコンを買い換えることにしたのであった(スケルトンのiMacが人気を博したのはこの年である)。まず、自宅で使用しているPerfomaがすでにDTPの処理が限界になっていたために、デスクトップマシーンであるPower Macintosh G3 233を購入(現在に至るまで僕が買った最後のデスクトップマシーンである)。同時に、ノート型パソコンであるPowerBook G3 233(Wallstreet)も購入した。Mac OSも8.0が搭載されており、アイコンのデザインをはじめ、インターフェイスが刷新されたOSであった。

一九九九年には、持ち運んで使用していたPowerBook G3に不具合が多くなり、PowerBook G3 400(Pismo)を購入した。

二〇〇一年には、出版業界を去ることになったため(この年、iTunes1.0がリリースされ、iPodが発売された)、僕はほとんど仕事でパソコンを使用することがなくなった。だが、ネットを閲覧することや、メールをほそぼそと使い続けていたのであった。Mac OSはその後も進化し続け、Mac OSⅩが公表されるとともに、Mac OSはVer9.2.2まで開発が続けられた。

二〇〇二年、介護の仕事に従事していたところ、業務上パソコンによりデータ処理を行う必要に迫られたため(同時に、施設で発行していた、印刷物も自分が編集制作していた)、久しぶりにパソコンを買い換えることにし、PowerBook G4 867(Antimony)を購入した。Mac OS Ⅹ 10.2が搭載されており、実用に耐えるOSとなっていることに、驚いた記憶がある(出版社にいる頃に、二〇〇〇年に公表されたMac OS Ⅹ Public Betaを購入し、2001年には、Mac OS Ⅹ 10.0も購入していたが、両者とも業務で使える代物ではなかった)。

二〇〇五年二月には(翌月、iTunes Music Storeがオープンする)、気分転換から、バックライトキーボードを搭載したPowerBook G4 15inch 1.67GHz(Mac OS Ⅹ 10.3)を購入。現在もそれを使用している(Mac OS Ⅹ 10.4である)。

二〇〇八年十二月、現在主に使用している、MacBook (Aluminum Late 2008)を購入した。使用しているOSはMac OS Ⅹ 10.6(購入時はMac OS Ⅹ 10.5)である。

自分の使ってきたパソコンについて書き始めたら、この十七年間でデスクトップマシーンを2台と、ノート型パソコンを6台購入しているのだった。OSについても、Mac OS 7.5から現在の最新OSであるMac OS Ⅹ 10.6までのほとんどすべてを使用している(Mac OS Ⅹ 10.1は未使用)。ほとほと、お金を使ってしまったものだ。
それにしても、Apple Computer(現・Apple)が、ここまで有名な会社になるなんて、思わなかった。
知る人ぞ知る、自分だけの隠れ家と思っていた飲み屋が、情報誌で紹介されて、あっという間に荒らされてしまったような、まるでそんな気分である。

今日も、お昼時にファミレスで外食をしていると、自分の隣にいたおばさんが、猫背になってiPhoneの画面を指でなぞっていた。
僕の使用する携帯電話は、二〇〇〇年から、ずっとソニーの製品を使い続けている。現在使用している機器は、五年前に購入した物である。
2011年01月28日 23時28分03秒

日記 金曜日の夜

テーマ:日記
ここ最近読んでいる本は、「芥川龍之介全集」と「森鴎外全集」、そして、気が向いたものを手に取り、こそこそと読んでいるのである。鴎外と芥川との全集は、風呂に入っているときに読んだり(注:鴎外全集は文庫版のものである)、週末にまとめて読んだりしている。
平日は、帰宅すると、えらく疲れており、食事を済ませ、こたつに入りごろごろしているうちに時間ばかり経ってしまうのであった。風呂に入り、少しばかり読書をするのであるが、パジャマに着替える時間になるともう眠気がしているのであるから、自分の怠け癖は根っからのものである。

仕事が終わった金曜日の夜、普段利用している駅に隣接する駅ビルにある、書店でぶらぶらと時間をつぶすことが楽しい。何を買うというわけでもないのであるが、僕の書店好きは大学生の頃からである。大学の授業に出ている時間よりも、神保町をぶらぶらと歩いている時間の方が長かったのではなかろうかと思えるほど、神保町を逍遥した。

大学を卒業して最初に勤めた先は、書店であった。仕入れを二年ほどした後に、転職した先は、出版社の営業であった。平日の真っ昼間から誰にはばかることなく書店に行くことができる。当たり前である。営業活動であるから。思えば、自分にとって天職とでもいうべき環境にいたのだった。僕のようにぐうたら営業マンは、とりあえず書店をまわり、自社の本の注文を取ってくる。そこまでは懸命に働くわけである。ノルマの達成した後は、書店で購入した文庫本を読むために、喫茶店に転がり込む。時々、店にある時計に視線を走らせながら、帰社する時間を窺う。一定のノルマの達成できない日は、そんな悠長なことなどできなかったのであるが、要領のいい僕は、たいてい簡単にノルマを達成してしまったのであった。夕刻、今日も疲れましたよといった涼しげな表情を装いながら、会社に戻り、営業日報を書き終えると、交通費の精算をして、帰宅する。

その後、編集の仕事をするようになったため、日中、書店をぶらつくことが減ってしまった。その代わり、僕は、自分が作りたいと望んでいる内容のものではないが、とりあえず書籍を編集する、いわゆる編集者になった。
当時、三鷹に住んでいた僕は、仕事が終わると、駅にある書店で、本をぶらぶらと眺め帰宅する。これが、金曜日の夜であったなら、吉祥寺の駅ビルで文庫本を購入して、駅の近くにある、ジャズバーFunkyに向かい、スコッチを飲みながら、時々、ヱビスビールをチェイサー代わりに口に含み、ひっきりなしに煙草をふかし、べろべろになるまで椅子に座っているのであった。いつしか活字を追うことさえできず、カウンターに両肘をついて体をどうにか支え、正気を保とうとするのであるが、限界であることに気が付く頃には、午前零時を過ぎていることがしばしばであった。椅子から立ちあがり、勘定を済ませ、井の頭公園から玉川上水に沿って、徒歩で帰宅する。眼がぐるぐると回っているのだが、帰巣本能が僕をかろうじて自分のベッドまで導く。濁った頭で翌朝目を覚ませると、ビールを買いに行き、鞄にあるゲラを取り出し、校正をするのであった。思えば、ひどい生活だった。

また、そんな生活をしてみたいと思う心もあるのだが、平穏無事である今の生活がよいのかは、測りかねる。
金曜日の夜十一時半。僕は素面であり、しっかりした意識を持って、キーボードを叩き、これからお風呂に入り、鴎外全集を読むのである。
2011年01月27日 21時41分22秒

女性改造談話会 芥川龍之介全集第十六巻

テーマ:日本文学
座談会の記事を喜んで読む読書人が果たしてい存在するのだろうか?
自分のこれまでの読書を振り返って考えてみて、未だかつてこれはすばらしい座談会だ、または、鼎談だと感心した記事は一つもない。

十数年前の事になるが、自分はある出版社に所属していた。編集を担当していた、とある書籍の編集会議の席には、数名の著者が集まり、制作の進行や予定などを打ち合わせていたのであった。その時、ある先生から、最後に置く章は、全員による座談形式にしましょうと提案があった。多くの著者は賛成であった。無論、自分は拒否した。内心、座談なんぞつまらない。みんな好き勝手話した内容になぞ、論点がぼけてしまうだけで、つまらないのではないか。何より読者が読みにくい。無駄に紙面を使うぐらいなら、白紙で出すがいいでしょうと、言いたかったのだが。
「自分は、賛成しかねます」とだけ発言した。
多勢に無勢、難なく押し切られてしまい、その書籍には一章分丸々座談の原稿を掲載したのであった。座談には自分も参加し、録音から文字起こしも自分が行い、先生方に校正刷りを送り、著者の了解を得ながら文章に手を加えたが、やはりつまらない内容であった。たいへん悔いの残る仕事の一つとなっている。

芥川龍之介全集第十六巻には、約二百頁にもわたって座談の記録が収められているのである。今したが一つ読んでみたが、やはりつまらないのであった。だが、ちょっと笑える部分があるので、少々長いが引用してみよう。
座談のタイトルは、「女性改造談話会」であり、参加者は、帆足理一郎、与謝野晶子、三宅やす子、石本静枝、奥むめお、鷹野つぎ、磯貝ふさ子、佐藤春夫、芥川龍之介である。一九二三年八月一日発行の「女性改造」第二巻第八号に掲載された。
まず、司会者から次のような事が話されるのである。

司会者 今夜はかうしてわざわざお集まりを願ひましたのは社会状態も動揺し、思想問題も混沌としている今日、現代の婦人が何を生活の信条として、どういふ道に自分の生活の中心をおいたらいいかを、お話願ひたいからでした。問題の現代婦人と信仰と申しますのは、何も宗教上の信仰といふ狭い意味ではなしに、もつと一般的な生活信条といふ意味で、力のない思想や、遊離した思想、空華な落想の中にある現代婦人達に、彼女達の生活の全体を統一してゆく、ある思想上の根底を与へる意味で何等の暗示を頂きたいと思ひました。内化されず、把握されずに、唯意識の表面を掠めるものしか持たないで、真正の自己の生活を経験していないと思はれる多くの現代婦人達が、それぞれ実行生活の中心を掴んで自分の思想を統一する信仰を持つとしたらどうしたらよいか、又現代婦人はこれを要求しているかどうか、これから色々ご意見を伺ひたいと思ひます。

なにやら小難しい文字が並んでいるが、要は、現代婦人が現代を生きる上での拠って立つ思想とは何かを皆様方にお伺いしたいというだけのことである。
「現代婦人達」にとっては大きなお世話である。
こんな馬鹿馬鹿しいことを、当時の文士が集まって、うだうだ言っているのであるから、平和な時代であった。もっとも現代もさほど変わらないと思うのだが。むしろ現代の方が、平和であるか。
この座談会に集まっている人の中では、自分は、芥川、佐藤春夫、与謝野晶子ぐらいの名前しか知らない。座談会の内容は、予想に違わず、みんなが好き勝手話を続けてしまい、読むに耐えない。いや、これは酷い。

三宅 私は教会とか寺院とかへ出かけてゆく人の気持には同感出来ません。
与謝野 あの人たちはキリストが壇上に立たねば満足しない人たちでせう。
芥川 そりあ、ほん者のキリストが立てば失望するでせう。
与謝野 さうでせうか……
こんな具合である。

「女性改造談話会」では、座談が終わった後に、司会者と覚しき人が、付け加えたであろう文句が所々に挟まれていることが、普段我々が眼にする座談の記録とは異なっている。
芥川 然し信仰といふ言葉の代わりに理想といふ言葉をおきかへては?
(芥川氏のこの言葉が生かされなかつたのは惜しかつたと思ひます)

なんじゃこれは? という感があるが、たぶん、座談会の後日、司会者がまとまった原稿を読み返しているうちに、こんな愚痴でも言いたくなったのだろう。心情は理解できる。
こうして、座談会はつまらない、つまらないと言いながら、結構の量の座談の記録を読んでいる自分なのであった。

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