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2010年12月31日 09時31分19秒

雑記 今年、印象深かった書籍、CD

テーマ:雑感
今年もはやいもので、あっという間に大晦日を迎えた。本当は、「あっという間」ではないのだが、こうして一年という時間を一瞬のうちに振り返ると、なんでも「あっという間」に時間が過ぎ去ったと感じるものだ。今年のことを忘れてしまう前に、今年購入した本やCDで、印象深かった物について書いておくことにしよう。

■書籍
今年購入して読んだ本で、よかったと思えるのは、「芥川龍之介全集 岩波書店刊行」である。まだ全巻読んでいないが、「本」としての作りのすばらしさといい(「電子書籍」などが云々できる領域の話ではない)、豊富な注解は、買って損なしのセットである。作品だけを読むなら、ちくま文庫版の全集でもよいが、座談会での芥川龍之介の発言や、書簡、詳細を究める年譜は、全集でなければ読むことができないのである。小説作品でない文章に、素顔の芥川龍之介を見る思いがする。
二〇一〇年九月二日
http://ameblo.jp/syo-hyo/day-20100902.html

小林よりのりの「天皇論」と「昭和天皇論」もよかった。氏の著作からは、いつも自分の知らない知識を得る。「戦争論」「パール真論」に続いて、天皇について描かれた本作を読み、また目から鱗が落ちる感があった。
天皇論
http://ameblo.jp/syo-hyo/entry-10443549132.html
昭和天皇論
http://ameblo.jp/syo-hyo/entry-10488728043.html

■CD
今年購入したCDでは、「From Spirituals to Swing」がよかった。一九三八年から三九年にかけて、クラシック音楽の殿堂である、カーネギー・ホールで開催された、ジャズとゴスペル、ブルースの一大コンサートをCD三枚組にして収めた作品である。カウント・ベイシー楽団や、ベニー・グッドマン楽団、ジェームス P ジョンソン、ビッグ・ビルを同時に楽しむことが出来る。ブラックミュージックを好む人なら、楽しめる一枚である。
「From Spirituals to Swing」
http://ameblo.jp/syo-hyo/entry-10705897279.html
2010年12月31日 08時55分14秒

「私」小説論小見 芥川龍之介

テーマ:日本文学
四五日前から鼻炎がひどい。おまけに昨夜から咽が痛み出している。数日前から、鼻炎薬を飲み、昨夜は眠る前に、総合感冒薬まで飲んだのだが、明け方頃、電車のガタゴトという音に目が覚めてから、眠ることが出来ず、そのまま起き出して、珈琲を飲みながら、芥川龍之介全集の続きを読んでいた。さっきやっと十三巻を読み終えた。

九月にこの全集を購入して、一か月に三冊程度読み進めてきた。全二十四巻のうち、十六巻の途中までに、小説や評論、短歌、俳句が収められている。今、僕の手にしている十四巻目には、「河童」が収められている。

一人の作家の作品を、年代順に読んでいくことは、興味深い経験である。たとえば、芥川龍之介の場合、全集の第十巻あたりから、いわゆる「保吉物」が描かれ始める。この頃から、彼の作風が、変わり始め、身辺雑記を小説作品として描き始めるのだ。その辺りから、まとまった小説作品が姿を消し始め、随筆のようなものや、「侏儒の言葉」に代表されるアフォリズムが登場する。デビュー以来、才気煥発であった、彼の物語を創作する才能や意欲とでもいったものが、徐々にすり減り出すと同時に、彼は、次第に身上告白や自分の過去を文章に綴るようになる。いわゆる「わたくし小説」を創作し始めるのだ。当時の文壇の持つ、同調圧力とでもいったものがいかに強かったかを物語っている。

「わたくし小説」について考察することは、そのままわが国の小説論の骨格をなすといっても過言ではないだろう。

自分が大学生だった頃、志賀直哉に代表される「わたくし小説」という類の作品が嫌いであった。ただの日記ではないかと考えていた。思想などないではないかと考えていた。ドストエフスキーやトルストイのような作家が創作する、思想や哲学を含む小説こそ本流であると考えていた。
だが、そもそも、「わたくし小説」と「本格小説」とを区別することなど、果たしてできるであろうか。読者の立場からすると、両者を区別することなどできないのである。なるほど、「わたくし小説」作品に描かれた事柄と、作者との実生活とを比較検討することにより、小説作品に描かれた事柄が事実であるかどうかを判断することはできるだろう。しかし、このような検討を「読書」であるとすることには甚だ無理がある。そもそも、読者にとっての事実とは、描かれている内容が事実であるかどうかが問題ではなく、むしろ、描かれた内容を読者がほんとうらしく感じるかどうかが問題である。

一部の作家と、出版社の編集者、そして評論家により形作られていたサークルである文壇。「わたくし小説」とは、文壇という職能集団を作りだしたわが国特有の現象であった。作家が創作する「わたくし」の身辺雑記をまとめた小説作品を、文壇が「作品に描かれた内容が事実」であることを保証することにより、作品にリアリティを持たせ、散文作品の骨格としたのだった。つまり、そもそも文壇がなければ、「わたくし小説」は成り立たないのである。

今後、わが国で「わたくし小説」が復活することはないだろう。文壇と呼べるものはすでに消滅してしまっているのだから。仮に身辺雑記を描いた作品が登場したとしても、それは、ただの本当らしい、真実らしい物語であり、いわゆる「わたくし小説」ではない。

芥川龍之介の書いた「『私』小説論小見」を読んでいると、ふとそんな気がしたのである。
2010年12月30日 08時27分18秒

日記 鴎外全集

テーマ:日記
鴎外全集を買った。
買い物の基本は、衝動買いであると信じて疑わぬ自分である。

クリスマスに、妻からわずかばかりのお小遣いをもらった。若い頃、お金は生ものだから、すぐに浪費しなければならないという堅い信念の元に、夜な夜な飲み歩いた自分である。年をとり、その悪癖を脱することだけはできたが、お金は使わなければ損だとばかりの勢いを持って、自分はヤフオクで、岩波書店刊行鴎外全集全三十八巻を検索した。数点の全集が出品されており、安いセットだと八千円、高いものだと一万四千円とある。送料は、二千円から三千円ほど。
今年の四月、妻を連れて靖国神社に花見に行った際、少しだけ足をのばして、九段下から神保町まで歩いてみた。学生の頃お世話になったキッチンジローで腹を満たした後、古本屋街を歩いた。その際に目にした「鴎外全集」の値段は、美品であれば三万円程度であったことを思うと、ヤフオクの価格はかなり安い。だが、出品されているどのセットも箱は焼けており、美品であるとはいいがたい。それを考えると、一万円前後という価格設定は妥当であろう。とりあえず八千円の鴎外全集に狙いを定める。

大学に入ったばかりの頃、同じクラスの同級生が、「先日、古書店で鴎外全集を購入したから、見に来い」と言う。東中野にある、彼の住むアパートに行く。木造二階建て。木で出来た階段を、ぎしぎしと音を立てて上がる。立て付けの悪い扉を開けると、そこには六畳と台所、トイレしかない、狭い部屋があった。部屋のまん中には、山積みとなっている鴎外全集が鎮座していた。それは鎮座という言い方がぴったりであるほど、かさばり、部屋の空間を圧していた。小動物がうずくまっているように、存在感があり、そして、重厚である。
「すごいだろ」
「幾らだった」
「四万で買った」
一冊を手に取り、箱から取り出し、頁を開く。旧字と難読漢字、そして、漢文さえ交じっており、自分はちっとも読めない。こんなに難しい書物を、同じ年の人間が当たり前のように買い求め、これから読むということに、僕はいささか驚きを覚えるとともに、自分の知識のなさを恥じる思いであった。
「俺はこれからこの全集を読み、作家になるのだ」と彼は言っていた。
大学を卒業してから彼と会ったことがないのだが、風の便りでは、彼はとある学習塾に勤務しているそうだ。小説でも書いているだろうか。

入札締め切りの時間が近づく。
「この八千円の鴎外全集に入札してくれない?」と妻に依頼すると、
「幾らまで使っていいの」と言う。
「とりあえず、一万円まではいいよ」
「こんなもの買うのは、あなたぐらいだから、誰も入札なんかしないと思うけれど」
締め切りが近づく。あの重厚な全集がわが家にやってくるのかと思うと、さすがにわくわくし始めた。締め切り三分前。
「あれ、誰か入札してるけれど」
「本当だ。物好きな人もいるね~、こんなの買う人がいるなんて」と妻はなぜか呆れかえっている。
数百円ごとに入札金額を上げて、落札しようと狙うのだが、敵も然る者、自分の入札した金額を上回る値をつけてくる。一万円まではいいよと妻に言ったのだが、自分が入札した金額はすでに一万二千円を超えていた。
これは、だめだと諦めた自分は、入札を中止した。せっかく、鴎外がわが家にやってくると思っていたのだが……。玄関の扉を叩く前に踵を返してしまった具合だ。最終的な落札金額は一万三千円であった。

落札に失敗したので、がっくりとした自分であったが、なにげに、他に出品されている鴎外全集の金額を見ていると、一万二千円というものが出品されている。やや箱が焼けているものの、掲載された写真を見る限りは、買ってもよいと思わせる程度のものである。
「これ、入札してよ」と再び妻にお願いすると、
まだ、入札するのかといった表情を浮かべながら、彼女はだまって、パソコンのキーボードを叩いている。あまりのしつこさに呆れているようである。

五時間後、誰も入札しなかったため、自分は鴎外全集を落札することができた。そして、今年の仕事納めであった昨日、帰宅すると、玄関には二つの段ボール箱が鎮座していた。とうとう鴎外がわが家にやって来たのだ。少しだけ遅れてきたクリスマスプレゼント。買い物の基本は、やはり衝動買いである。
2010年12月28日 21時06分53秒

日記 サンタクロースへの連絡の仕方

テーマ:日記
クリスマスの前に、ちびの甥っ子二人にプレゼントを送っておいた。二人が寝静まった後に、僕の妹が枕元にそっとプレゼントであるオモチャを置いたそうだ。クリスマスの朝、ちびたちが目を覚ますと、おもちゃが置いてあるのに、ビックリ。今年、小学校に入学した上の子は、
「にいにい(この子は僕のことを「にいにい」という)は、どうやってサンタさんに連絡したんだろうね」と言っているそうだ。また、煙突もないのに、どこから入ってきたのか? 彼はかなり怪訝に思っているらしい。四歳になる下の子は、おもちゃをもらったものだから、まあどうでもいいやと無邪気に遊んでいるらしい。

上の子は、どこか変わっているのである。

生まれてから数か月ほど経ち、ハイハイを始めたのはいいのだが、いわゆる「ハイハイ」ではなく、匍匐前進になってしまっていた。なぜか腕だけを動かして、前進するのである。僕が四つん這いになって、ハイハイはこうするんだというお手本を何度か見せると、彼は、やっとハイハイができるようになった。その様子を見て、家族そろって安堵した記憶がある。

びっくりするぐらいまつげが長く、眼がぱっちりとして大きい。顔立ちも整っている。伯父の僕が言うのも何だが、とても可愛い容貌である。僕の友だちに、彼の写真を送ると、たいていの人が、
「この子は、モデルでもやっているの?」と言う。
彼が三歳ぐらいの時に、一緒に回転寿司を食べに行った。彼は大の「まぐろ好き」であるので。店がお客さんで混み合っていたため、入り口に置かれていた椅子に腰掛け、順番が来るのを待っていた僕と甥っ子の側には、同じく順番を待つ人の列があった。僕の横に腰掛けていた、見知らぬ、五十代ほどの男性が、ちらちらと僕と甥っ子とを見ている。なんだろうと怪訝な表情を僕が浮かべたのかも知れない。突然、そのおじさんは、甥っ子を見ながら、
「この子は、ええ男じゃのお。ええ男前じゃわあ」と言い出したのだった。
甥っ子と僕は、一瞬、きょとんとしてしまったが、次の瞬間、おじさんの言葉があまりに面白いから、僕は笑い出してしまった。
「この子は、ええ男じゃのお。ええ男前じゃわあ」。

保育園での運動会で、駆けっこがあった。駆けっこは何番だったの? と聞くと、「三番だった」という。だが、妹から事情を聞くと、三人走っての三番であり、いつもは、足が速いのに、駆けっこの時になった途端、スローモーションのように手足を動かして、のろりのろりとゴールインしたというのだ。
「どうして、あんなにのんびりと走ったの?」と聞くと、
「ゆっくりと走ってみたんよ」とにこにこしながら答える。
競争が苦手なのかも知れない。

彼が三歳の時に、弟が生まれた。下の子は、なぜか髪の毛が少なく、眼が細くて、誰に似たのだろうかと家族のみんなが心配していた程である(今では、とても可愛い容貌になり、伯父は安堵している)。ごろごろと寝転がることしか出来なかった頃に、誰がこの子をあやしても彼はにこりともしないのである。けれど、上の子が、この子の側に来ると、なぜかにこにことし始める。すると、上の子が、
「早く、早く、笑いよるよ、笑いよるよ」と大声で家族を呼ぶ。みんなが赤ん坊の周りに集まると、再びむすっとした顔をして転がっているのだ。
「笑っていないやあ」と言うと、
「さっきは、笑いよったんよ」と上の子は向きになって主張したものである。
今では、二人で兄弟喧嘩をする年になっている。

三年前のクリスマスに、ドラゴンボールの人形を送ってあげたら、帰宅途中の僕の携帯電話に彼からのお礼の電話がかかってきた。
「クリスマスプレゼント、ありがとう。にいにいが、サンタさんになって、プレゼントを持ってきてくれたんね」と、とっても可愛いことを言う。思わずほろりとなった。

去年の夏に、僕が帰省したときに甥っ子に会ったときには、トランプを使った神経衰弱に夢中になっており、裏返したトランプの数字を順番にあてていくゲームを二人でしたところ、彼に完敗してしまった。おそるべき記憶力である。その数日後に、高知県にあるアンパンマンミュージアムに甥っ子二人と、義理の弟、妹、そして僕とで遊びに行ったときには、施設の屋上にあったアンパンマンの人形を見つけて、大喜び。だが、帰る時に屋上を見ると、さきほどいたはずのアンパンマンがいなくなっていた。それを見た、上の子は、
「アンパンマンがどこかに飛んでいったと思う」と車の窓に頭をくっつけながら、しみじみと言っていたのは可笑しかった。

今年の四月からは、小学校に通っている。今年の春先にランドセルを送ってあげた。幼い頃は、とかく病気がちだったが、小学校にあがってからは、一日も休まず、また、学童保育も毎日通っているそうだ。

来年四十歳になる、僕の妹は、この子を大学にやるために、毎日がんばって仕事をしている。
「お兄ちゃんのところに下宿させてんね」ということだ。

いつか、大きくなった彼に向かって、幼いときに、サンタさんへどうやって連絡をしたのかを不思議がっていたねって話をしたら、きっと赤面するだろう。彼には、いくつになっても素直な人間でいて欲しいと僕が思うのは、固陋な自分の、素直さへの憧れからかも知れない。
2010年12月26日 11時47分41秒

日記 正義

テーマ:日記
マイケル・サンデルが著した「これからの『正義』の話をしよう」が売れている。先日、たまたまテレビをつけると、彼が東大で講義をしている番組が放送されていた。なるほど、わが国の大学の大教室で行われている、一般的な講義とはえらく違って、生徒たちを講義に巻き込みながら、ユーモアを交えながらも、絶えず頭をフル回転させなければサンデル氏の話の展開について行けない、緊張感のある雰囲気が番組から伝わって来た。なるほど、これは面白そうだ。知的ゲームとでもいった趣である。少しばかり気になったので、近所の書店で彼の著書を購入しようかと思って、これからの『正義』の話をしよう」を手に取ってみると、二四〇〇円もする。刷り部数の問題か、ちょっと高くないだろうか。仕方がないから、図書館で借りようと思い、ネットで検索すると、本書を予約している人数が八〇人を超えている。えらい人気である。さすがに半年も待てないから、世間の「正義」熱が冷めた頃にでも読んでみることに決めた。

自分は、サンデル氏の著書を読んでいないので、彼がどういった論を展開しているか、また何を目的として本書を著したのかも分からないので、「これからの『正義』の話をしよう」に関して感想を述べることはできない。だが、少なくとも現代において、「正義」なるものを希求している人たちが僅かながら増えていることだけは確かだろう。彼等読者は、本書を読むことで、人生を振り返り、正義についての再確認を得ようとしているかも知れないし、今後を生きる上で何らかの判断をする際の指針として、本書を買い求めるているのかも知れない。

本を買い求めなければならないほど、正義に関する信念が揺らいでいることの表れではないか。

昨日、散髪に行った。いつも行く店である。お店に入ると、ご老体の主人が震える声で、
「いらっしゃいませ」と言う。朝早かったこともあり、客が誰もなかったので、
「どうぞ」と、理髪をする椅子に案内される。
鏡を前にした、その椅子に僕が腰をかけると、主人は、
「いつも通りでよいですか」と尋ねる。僕は「ええ」と言いながら、数回うなずく。
主人の口からは、今の季節が夏であるならば、「毎日、暑いですね」との言葉が、冬であるならば、「毎日、寒いですね」の言葉が漏れる。
それ以降は、一切口を挟まず、バリカンやハサミを使い、作業を続ける。途中、数名の客が扉を開けて入店した。入り口の側にある、ソファーに腰掛け、順番を待っているようだ。電話が鳴った。主人は一端、作業を中断し、慌てて受話器を取り、何事かを呟いた。静かに受話器を置き、再び、作業に戻る。ここまではいつものことだ。だが、しばらくすると、異常な事態が生じたのだった。

突然、一人の男が店の中に入ってきて、髯を剃って貰うために仰向けになっている僕の頭の側で、
「この人が終わったら、次は俺の番だからね」と大声で、主人に詰め寄っている。
主人は震える声で、
「順番を待つお客様がいますので、その後にお願いします」と諭しているのだが、
「俺はさっき電話して予約しただろう。この店に何十年も通っているんだ。俺はガキじゃないんだからなあ。次は俺の番だから」
とえらい剣幕である。
あまりにやかましい声に、僕は頭の上にいる人物を見やると、年の頃合い六十代半ばぐらい、身長一メートル六十センチほど。体重は七十キロ台後半といったところか。小太りである。半分以上白髪となった髪をオールバックにしてまとめ、ブルージーンズにブルゾンを着たその男は、我の強そうな、何があっても梃子でも動かないといった感が漂っていた。酒に焼けたかのような赤い顔。えらが張り、押しの強さがその目に表れている。異様に顔が大きく、首が太い。
順番を待っていた客の一人が、異議を唱える。
「それはおかしいだろう。あなたの電話が鳴る前から、我々は先に着ていたのだから。順番は守らなければいけないよ」。
正論である。
だが、小太りの親父は、そんなことで引き下がるわけがない。
「そんなことマスターに聞いてくれよ。俺はガキじゃないんだからな。ここの店に俺は何十年も通っているんだ」と、さっき言ったことを繰り返している。彼の頭の中では(もしも、彼の頭の中に脳みそらしき物質が入っていたと仮定したならば)、店の常連は何をしたって構わない、もちろん、自分が一番最後に店にやってきても、わーわーと怒鳴り散らせば、自分が一番に理髪をしてもらい、順番を粛々と待つ客はみんなそれを納得するとでも信じ込んでいるようだ。そして、再び大声で繰り返す。
「俺はそんなこと知らないよ。マスターに聞いてくれ」。

突然の珍事のために、主人はあきらかに動揺したようで、僕の髯を剃っているときに顎の下と、耳の裏側との二箇所を誤って切ってしまった。僕は、ひりひりとする痛みを覚えたが、この明らかに気の弱そうなご主人に対して同情する気持ちのほうが強かった。
作業が終わり、僕に向かって、
「お疲れ様でした」と震える声で主人が言う。代金を支払うために、レジのあるところに行く僕と交代するように、例の親父が、椅子に腰を下ろす。

順番を待っている人たちは、みな「老人」と呼ばれる男たちであった。彼等は一斉に僕に向かって視線を投げる。一人の男性が、
「こっちのほうが先に着ていたんだ」と小声で僕に訴える。だが、その言葉には、ある種の諦めと、人生は妥協の連続であることを知り尽くした響きがあった。

僕の頭には、刹那、座席に悠々を腰を下ろしている男の、その太い首筋に向かって、
「あなたが間違っているだろう」と怒声を発しようかという衝動が起こった。
しかし、息を飲み込んだ僕は、僕に訴える男性に向かって、
「困った人もいるものですね。どっちがガキだか分からない」とだけ応え、おまけに微笑さえ浮かべた。
主人は男の頭にバリカンをあてていた。

店を後にした僕は、ふと、あの小太りの男のことを思った。彼はあんな具合にこれまでの人生を渡ってきたのだ。自分の気にくわないことがあるたびごとに、怒鳴り散らし、それで物事が自分の思うように解決すると思い、それを実行してきたはずだ。
楽な人生ではない。得たものも多かったかも知れないが、失ったものも同等かそれ以上に多かったかも知れない。

無論、僕は、正義についての話をしているわけではない。

僕は、あの男のことを思いながら、社会的地位や、富や名声といったものに対する僕の諦めの心と、あの小太りの男の我の強さに憧れとを覚えたのであった。他人を押しのけようが、顰蹙を買おうが、道徳も世間の価値観をも蹂躙しようが、何があっても自分だけは生き抜くのだという強い執着心への憧れである。

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