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2010年09月30日 22時16分14秒

狐憑 中島敦

テーマ:日本文学
中島敦全集〈1〉 (ちくま文庫)/中島 敦

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ここ最近、中島敦を読んでいるのである。三年ほど前に購入した、ちくま書房の文庫版の全集を一巻目から順に読んでいる。現在、二巻目にさしかかったところである。全集第一巻には、「古譚」から「光と風と夢」までの諸作と、習作、そして短歌、漢詩が収められている。

■狐憑
ネウリ部落に住むシャクという青年に憑きものがしたと評判になる。村人を前にして、彼はうわごとのように村人たちが聞いたこともない物語を語る。娯楽の少ないこの村にあっては、多くの村人がシャクの物語る話に惹きつけられる。だが、シャクの行いを快く思わない、この村の有力者たちの奸策により、彼は村人に食べられてしまうのであった。

シャクは作家の寓意であり、村人はさしずめ大衆、村の有力者たちは時代の権威のことであろうか。そう考えるなら、物語を創造する存在は、権威を揺さぶる存在であり、大衆を扇動する力さえ有している。大衆は、自分を楽しませる存在に喝采を博す反面、一度、風向きが変わると、語り手を食い尽くす。

オルテガの「大衆の反逆」、キルケゴールの「現代社会に対する批判」を挙げるまでもなく、大衆はどの時代にも存在した。彼らの求めるものは、いつの時代でもパンとサーカスである。

「流行とは、人の真似をしたがらない人の真似をすることである」とヴァレリーが記しているように、大衆とは模倣の集積のことである。物語の語り手と大衆との懸隔は甚だしい。

そう考えると中島敦は、文学を愛好するという大衆に対してひどく悲観した思いを抱いていたといえよう。自分自身も含めて、読者などというものは、そんなものなのである。物語を消費する存在は、創造する者の苦悩など知るよしもなく、語り手から面白さをしゃぶりつくそうとする。
「シャクの物語は、周囲の人間社会から材料を採ることが次第に多くなった。何時迄も鷹や牡牛の話では聴衆が満足しなくなって来たからである」。

シャクには、ほんとうに憑きものがしていたから物語を話し始めたのか、または、自分で物語を創作していたのかということは、この際どちらでもよい。「シャクの物語がどうやら彼の作為らしいと思われ出してかれも、聴衆は決して減らなかった」のだから。

物語を創作できなくなったシャクは、骨の髄までしゃぶりつくされ、大衆に文字通り殺された。
「大鍋の中では、羊や馬の肉に交って、哀れなシャクの肉もふつふつ煮えていた。(中略)シャクの最も熱心な聴手だった縮れっ毛の青年が、焚火に顔を火照らせながらシャクの肩の肉を頬張った」。
2010年09月30日 07時11分35秒

文読む月日 九月三十日

テーマ:文読む月日
文読む月日 (中) (ちくま書房)/トルストイ

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九月三十日
(一)人は孤独になればなるほど、常に自分を呼ぶ神の声が聞こえるようになるものである。
2010年09月29日 23時04分15秒

坂の上の雲 番外編(バルチック艦隊の進路)

テーマ:日本文学
日露戦争は、日本海海戦の圧勝により日本の勝利をもって終わった。だが、日本海海戦は決して楽観できる戦いではなかった。遠路はるばるやっくるバルチック艦隊がどの航路をとってウラジオストクに向かうのかということを、日本がいち早く掴むことがこの戦いの勝敗の鍵を握っていた。

児島襄の「日露戦争(四)」を読んでいると、日本海海戦の三日前に当たる五月二十四日に司令長官東郷大将が、次のような電文を東京にいる、軍令部伊東大将に送ったとある。
「相当ノ時期迄、当方面ニ敵影ヲ発見スル能ハザルトキハ、敵艦隊ハ北海方面ニ迂回シタルモノト推断シ、連合艦隊ハ十二節(ノット)ノ速力ニテ津軽海峡大島ニ航ス(三九六頁)」。
また、五月二十五日午後三時三十七分には、東郷大将が伊東大将に再び次のような電文を送ったとある。
「明日正午迄当方面ニ敵影ヲ見ザレバ、当隊ハ、明夕刻ヨリ北海方面ニ移動ス(四〇〇頁)」。
日本海海戦の二日前までに敵影が見えなければ、東郷大将は連合艦隊を北に向けて移動をすることを大本営に告げたわけである。バルチック艦隊が対馬海峡を抜けるのではなく、津軽海峡または宗谷海峡を抜けてウラジオストクに向かうのではないかと、東郷大将自身が推測していたことを、これらの電信は物語っている。これが児島の解釈である。

司馬遼太郎の解釈は児島とは異なる。
「坂の上の雲」によると、五月二十五日、連合艦隊が停泊する鎮海湾は小雨模様であった。第二艦隊第二戦隊司令官の島村少将は、東郷大将のいる長官室に入った。島村は、バルチック艦隊が対馬海峡を通ると確信している。だが、三笠にいる東郷を始めとする連合艦隊幕僚は、敵は太平洋をぐるりとまわり、津軽海峡か宗谷海峡から来ると考えているようである。自分は進言しなければならない。そう思った島村は起立したまま、口をひらいた。
「長官は、バルチック艦隊がどの海峡を通って来るとお思いですか」
「それは対馬海峡よ」
東郷のその言葉を聞いた途端、
「そういうお考えならば、なにも申しあげることはありません」。島村は一礼をして長官室を後にした。
後年、東郷が伊東大将に送った電文の真意を、当時大本営の幕僚であった小笠原長生が問うた。
「おれはそんな電報を送らぬ」
東郷の答えはそれだけであった。

司馬遼太郎が描いたストーリーとは、東郷はバルチック艦隊が対馬海峡を抜けてくることを確信していたとした上で、二十四日と二十五日に大本営に送られた電文とは、前線の幕僚から東京の幕僚に対して送られた意見交換に過ぎないとするものである。バルチック艦隊がどこから来るかという事に対して、迷っていたのは秋山真之を始めとする前線の幕僚たちであった。特に、秋山真之の迷いが尋常でなかったことは、「坂の上の雲」に詳しい。神経がすり切れる寸前の状態であった。

秋山真之を主人公とする作品を描く司馬遼太郎としては、連合艦隊司令長官である東郷はバルチック艦隊の進路を確信していたが、幕僚達は迷っていたとしたほうが、小説として面白いと考えたに違いない。もっとも、東郷の性格と、小笠原長生の証言から推測しても、司馬遼太郎の解釈が正しいと、自分には思えてならない。
2010年09月29日 06時43分12秒

文読む月日 九月二十九日

テーマ:文読む月日
文読む月日 (中) (ちくま書房)/トルストイ

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九月二十九日
(一)戦争のあらゆる惨禍はしばらく措くとして、その最大の悪の一つは、人間の心が歪められることである。軍隊が存在し、軍事費が支出される。それをなんとか説明しなければならない。合理的な説明は不可能なので、結局理性が歪められることになるのである。
2010年09月28日 21時27分26秒

紫天鵞絨 芥川龍之介

テーマ:日本文学
紫天鵞絨
十二首の短歌からなる、紫天鵞絨は、一九一四年(大正三年)五月一日発行の「心の花」第一八巻第五号に掲載された。署名は柳川隆之介であった。芥川龍之介は、この頃、友人への書簡に、しきりに自作の短歌を添えているのである。短歌を創作することに熱中していた時期であった。

自分は、あまり技巧に走った短歌を好きにはなれない。たとえば、次の芥川の歌を読む。
「やはらかく深紫の天鵞絨をなづる心地か春の暮れゆく」
春の暮れ方の、ひやりとした空気に触れる感じを、深紫の天鵞絨に触れる感じとして表現しているのだが、作りすぎという感がある。この歌では、天鵞絨という言葉に重点が寄りすぎてしまっており、歌人の想念を感じることができない。

「なやましく春は暮れゆく踊り子の金紗の裾に春は暮れゆく」
「恋すればうら若ければかばかりに薔薇(そうび)の香にもなみだするらむ」
「五月来ぬわすれな草もわが恋も今しほのかににほひづるらむ」
「刈麦のにほひに雲もうす黄なる野薔薇のかげの夏の日の恋」
女性や恋をテーマにした歌であるが、どの歌にもテーマに纏わる観念が先走っており、詩心からほとばしり出たという勢いがない。これらは、みな戯れ言であり、遊びであり、手遊びである。表現したところのものが、その形式をとることができていないことから、言葉自体が明らかに空回りしているようである。

西行の恋歌を読んでみる。
「つれもなき人にみせばや櫻花風にしたがふ心よわさを(西行)」
「一方にみだるともなきわが恋や風さだまらぬ野邊の刈萱(西行)」
西行の、このぶっきらぼうともとれる歌の方が、九百年も前に読まれた歌の方が、男の抱く恋心を伝えるものに思えてならない。

芥川龍之介の表現内容は、そもそも多弁により表現されるものであり、スケッチのような短歌という形式では表現できないものである。この後、散文作家としてのキャリアを積むに従って、彼は短歌の創作からは徐々に遠ざかってしまうのである。

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