2010年08月31日 21時45分58秒
1Q84 (二) 村上春樹
テーマ:日本文学
村上春樹の1Q84のBOOK1を読み終わった。ここまでの雑感を書いておく。
今更こんなことを書くのもどうかと思われるが、村上さんの小説のうまさとは、伏線の配置の仕方にあると思う。たとえば、青豆を中心とした物語と天吾を中心とした物語とが最初、別々に語られる。この手法はすでに「海辺のカフカ」で用いられていた。だが、彼らは小説の舞台となっている1984年から20年も前に小さな接点(青豆にとっては決して小さな接点ではないが)を持っていたことが明らかとなる。そして、いずれ彼らを結びつけていくことになるだろう存在が、謎の集団「さきがけ」である。青豆と天吾とは徐々に、その謎の組織と関係を持たざる得なくなっている。天吾は、「さきがけ」の創設者の娘であるふかえりを通じて、そして青豆は、「さきがけ」を率いている「リーダー」と呼ばれる謎の人物から暴行を受けた少女を通じて。
「さきがけ」の創設者の娘である、ふかえりは、自分の中に抱えきれないほどの物語を持っているにも関わらず読字障害を抱えており、読んだり書いたりすることに障害がある。話し方もどこか普通でない。
DVの末に自殺した友人の夫を秘密裏に殺害した青豆は、ゆきずりの男性との性交渉に耽りながらも、二十年前から天吾だけを想い、愛し続けている。彼女は、男性の暴力におびえる女性たちのために、「ろくでもないネズミ野郎」を始末し続ける。
作家となることを志している天吾は、ふかえりの生み出した物語である「空気さなぎ」をリライトするという矛盾を抱えながら、そこにある種の情熱を感じている。懸命に自分自身の物語をつかもうとしているのだが、彼の目の前で「空気さなぎ」はベストセラーとなる。
彼等のもとに「リトル・ピープル」と呼ばれる存在が徐々に姿を現してくる。彼等は何者なのだろうか? 今の段階ではまったく分からない。
かつて著者は、「アンダーグランド」で、地下鉄サリン事件の被害者のインタビューを行い、「約束された場所で」では、オウム真理教に属する信者に対してインタビューを行い、それらを個々にまとめた。それらが刊行された当時、なぜ村上春樹は地下鉄サリン事件に興味があるのだろうかと不思議に思った。彼はあの事件に、現代を生きる人間の危機を読みとったのではないか。ネチャーエフ事件に惹かれ、「悪霊」を創作したときのドストエフスキーのように。
村上春樹は、ドストエフスキーの長編諸作を強烈に意識し、総合小説とでも言うべきものを創造しようとして、1Q84の筆を進めたに違いない。正義とは何か? 善とは何か? 信じるとは? それらを求めた物語を企図したのではないか。
問題は、リトル・ピープルの描き方如何である。
今更こんなことを書くのもどうかと思われるが、村上さんの小説のうまさとは、伏線の配置の仕方にあると思う。たとえば、青豆を中心とした物語と天吾を中心とした物語とが最初、別々に語られる。この手法はすでに「海辺のカフカ」で用いられていた。だが、彼らは小説の舞台となっている1984年から20年も前に小さな接点(青豆にとっては決して小さな接点ではないが)を持っていたことが明らかとなる。そして、いずれ彼らを結びつけていくことになるだろう存在が、謎の集団「さきがけ」である。青豆と天吾とは徐々に、その謎の組織と関係を持たざる得なくなっている。天吾は、「さきがけ」の創設者の娘であるふかえりを通じて、そして青豆は、「さきがけ」を率いている「リーダー」と呼ばれる謎の人物から暴行を受けた少女を通じて。
「さきがけ」の創設者の娘である、ふかえりは、自分の中に抱えきれないほどの物語を持っているにも関わらず読字障害を抱えており、読んだり書いたりすることに障害がある。話し方もどこか普通でない。
DVの末に自殺した友人の夫を秘密裏に殺害した青豆は、ゆきずりの男性との性交渉に耽りながらも、二十年前から天吾だけを想い、愛し続けている。彼女は、男性の暴力におびえる女性たちのために、「ろくでもないネズミ野郎」を始末し続ける。
作家となることを志している天吾は、ふかえりの生み出した物語である「空気さなぎ」をリライトするという矛盾を抱えながら、そこにある種の情熱を感じている。懸命に自分自身の物語をつかもうとしているのだが、彼の目の前で「空気さなぎ」はベストセラーとなる。
彼等のもとに「リトル・ピープル」と呼ばれる存在が徐々に姿を現してくる。彼等は何者なのだろうか? 今の段階ではまったく分からない。
かつて著者は、「アンダーグランド」で、地下鉄サリン事件の被害者のインタビューを行い、「約束された場所で」では、オウム真理教に属する信者に対してインタビューを行い、それらを個々にまとめた。それらが刊行された当時、なぜ村上春樹は地下鉄サリン事件に興味があるのだろうかと不思議に思った。彼はあの事件に、現代を生きる人間の危機を読みとったのではないか。ネチャーエフ事件に惹かれ、「悪霊」を創作したときのドストエフスキーのように。
村上春樹は、ドストエフスキーの長編諸作を強烈に意識し、総合小説とでも言うべきものを創造しようとして、1Q84の筆を進めたに違いない。正義とは何か? 善とは何か? 信じるとは? それらを求めた物語を企図したのではないか。
問題は、リトル・ピープルの描き方如何である。
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