ロハスに移行とは

2005年10月06日 テーマ:スローライフの創りかた
マインドリゾート~ロハスの窓口~で展開しようとしている、ロハスに移行するということはどういうことだ。

ロハスとかロハスグッズ、そしてパーマカルチャーや自然生活、田舎暮らしと様々な情報がたくさんある。そしてテクニックや知恵は、いたるところで紹介され、ワークショップが行われ、それにアンテナを張っている人は、本当に恵まれてる~とか感じることも多くないだろうか。
そこにいくと、同じ価値観を持った人と出会うこともできるし、目から鱗の知恵を教わることもできる。

しかし実際、本格的に取り組ん自らパラダイスを作り出そうとすると、都会生活者ほどこれまた意外と敷居の高い話なのだ。
いざ、日常生活に帰ってきてみると、経済的な問題とか、家族との同意であるとか、将来の不安だとか、様々な障害がのりかかってくる。


「今」とその「ロハスな将来」の間に介在するこの障壁とは何か?


それはきっと、ココロの問題なのです。
って片付けられても困るので、実務的な行動も含めて、ではどのようにその障壁を乗り越えるのかということは、百姓な知恵やパーマカルチャーを学ぶと同時進行で進めないと、せっかくの素晴らしい将来が、現実逃避だけのものになってしまいます。

自分的には、いくつかの条件や経験しておいたほうがいいようなものを知っているつもりです。それらを踏まえて今の生活を送っているからです。


今の生活の危機感よりも、
もっと楽しくエキサイティングなものを見つける。

逃げるのではなく、捨てる。

一瞬で変わる。

放出する。

お金の計算方法を変える。

探さないで準備する。

絵を描く。



コトはおそらく一気に進む

スローに移行するための語録1

2005年09月21日 テーマ:スローライフの創りかた
先日の連休。シャロムヒュッテのケンさんのお言葉。
ぼけーっとした顔をしながら聞いてても、ひっかかってる言葉を忘れずにここに書いておきます。



「勉強は誰かに伝えるためにする」


なるほど、誰かに話せることが理解の証明。
そして知恵を伝承することが生きる意味であるのかもしれない。
自分のために蓄えた知識なんぞちっぽけなもの。
知っていることは伝えなければ意味がない。

最初から「教えてもらうもの」「きいたこと」は、「誰かに伝えるため」に自分の中にまとめておく。というキモチがあると、なんだか数倍記憶力とか集中力とか高まるような気がする。もっと早く気付きたかった。




「(講習会等を)無料(タダ)でやると、みんながおみやげを持ってくる」


自分の労力に金額を設定したとたんに、それは商売となり契約となる。
ただでやると、なんとなく自分も与えなきゃという意識が芽生えて、何かを持ち寄る。
そんな感覚は日本人の豊かな一面だと思う。
無料(タダ)でやるという言葉の意味は、そこに金銭的介入をなしにするということ。
そこにある人間関係は、「仲間」とか「身内」になる。
けっして「事業者」と「お客」ではない。


ビジネスや商売をやってきたものにとって、かなりの葛藤がある。
タダが、奉仕やボランティアでもなく、純粋にお金を意識していないという感覚。

お金がないと生きられない!生活に困る!
自給自足とは、自分たちでつくり、自分たちを満たすこと。
この自分たちに「仲間」を加えることが、「お金」よりも、自分たちを満たすことに繋がる感覚を持っているのだろう。

僕には、まだ充分にはわかっていないけれど・・・

能力を生かす義務

2005年06月19日 テーマ:スローライフの創りかた
あなたには「その」能力を生かす義務があるそうだ。

「その」能力を自分のためだけにつかうのは違反であるそうだ。

だから「その」能力を自分の看板で公開する必要がある。


公開の方法は人それぞれ。常識や前例にとらわれずに、自分で考えてみる。
これが「自立」


「スロー」に生きるには、まず、そこからが近道だ。

田舎のコミュニティの未来

2005年06月17日 テーマ:スローライフの創りかた
田舎のコミュニティについてのセミナーを受けた。
これまでの因習的なコミュニティから、もっと現代的にサスティナビリティのあるコミュニティを生み出すにはという観点で、様々な事例を含めて話しを聞く。

お話されたのが、パーマカルチャーセンター理事で、日本大学の教授な方。


個人的なまとめ、
1:地方はより行政への依存度がつよく、ひとりひとりにとって行政の加護が大きかったと思う。ここに来て市町村合併で行政が大きくなり、ひとりひとりの加護が薄まっていくのと同時に行政財政も貧窮していっているということ。

2:それを解決するために、コミュニティの自立を促す必要がある。その知恵とかマネジメントを伝え広める必要がある。
自立とは、いわばここ資本主義社会においては経済的自立を主に指す。自分達でやっていける仕事を生み出すことが必要。そのもっとも顕著な動きが、NPO法人を中心とした、コミュニティビジネスである。

3:しかしNPOといってもコミュニティビジネスといっても、ビジネスとして成功している例がまだ少ない。それは経済依存を減らすことも必要ではないかと感じる。つまりなんでも金で買う考えを減少させるということ。地方は都会に比べて身近に資源が食料が豊富であり、パーマカルチャー的視点で見れば、収支のバランスや、コミュニティ内での経済循環をうまくマネジメントできる方法は、新しい発想を持って可能であると考えている。

4:ビジネスや企業経営に必要な企画力と商品開発力、そして経営マネジメント力は、都会の経験をもっと地方に流入させなければならない。それは団塊の世代のUターンを持って解決できないかと考える。

5:もっと因習的な問題。地域や地主、そして住民の意思のまとまりが困難な地域もある。そして田舎ほど「出るクイ打たれる」な傾向が強くなるといったことを知らされた。意識改革はどのように行えば浸透するのかも、やはりもっと高度なマーケティング力の地方流入が必要だと思う。実際のところ、いわゆるロハス市場ロハス層とはまた違う人々が生活している中で、自立を中心とした、自分達の価値をどのように高めるのかが課題である。



結局どうしたいのかというと、
1:コミュニティ毎に需要を探し需要を喚起する。(行政の動向も含め)
2:それぞれの需要をコミュニティ同士で提供しあう。
3:それを循環させる。(隣接・遠方のネットワークを含め)

なのでマーケティングリサーチの上に、企画力と、人員教育が必要。それらをマネジメントできるコンサルタントが重要なポジションとなる。




あー朝から小難しいblogですいません。。。ペコリ

模様替えがモチベーションをアップするのだけど

2005年06月15日 テーマ:スローライフの創りかた
どうしてもいいレイアウトにならない。

ここ1ヶ月くらい頭の中には、机の配置を中心としたレイアウト案を模索しているのだけど、ケーブルの長さだの、椅子と壁の距離だのとうまくいかない。

こだわっているのは、
1:椅子に座ったときの正面の風景
--壁に向かうことなく、少しでも広い正面を感じたい。
--外が見えるのがいい

2:足を伸ばしたい
--オットマンではないが自分の姿勢というものは、いつも椅子に座って足を前に伸ばしたスタイルが長時間の仕事も苦痛を伴わないという経験則がある。

3:来客用のスペースもいい感じで確保したい
--とにかく狭いオフィスながら、たまに打ち合わせもせなあかんし、お客さんも来るのでそこを犠牲にしたくない。
--かといって、会議机と、応接セットは両方置けない。なんとかうまく共有できるような家具はないものか・・

4:バックヤードの確保
--カーテンを閉めて狭いながらもバックヤードな空間を確保したい。



これを縦一列でレイアウトしなければならない長方形の部屋なのです。
一番のネックは今ある机のサイズを考慮しなければならないので収まりが悪いということ。レイアウト図にあわせて机を自作できればいいと思うんだけど、今はその労力を本業に向けたい気分。


でも模様替えが、モチベーションをリセットしアップさせるという経験則をもってイッキしたい気分なわけです。

100万人のキャンドルナイト

2005年06月14日 テーマ:スローライフの創りかた
世界の電灯の様子がわかりやすい。日本は明るいなぁ。オーストラリアは暗いなぁ。インドも意外と明るいなぁ。アメリカはもちろん・・・

でも、なんとなく暗い地域にピュアが多いような気がする。

そういえば自分の住みたいところは?と聞かれて、携帯電話のアンテナ分布図を見て、白紙っぽいところを探したのを思い出した。(和歌山とか・・だったけど)


人が少ないところって、いろんな生命が生活しているところで、とてもにぎやかなのだ。人が多いところって、人しかいないので寂しいのだ。



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私たちは100万人のキャンドルナイトを呼びかけます。
2005年の夏至の日、6月21日夜、8時から10時の2時間、
みんなでいっせいに電気をけしましょう。

ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。
ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。
プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくことです。
それは人間の自由と多様性を思いおこすことであり、
文明のもっと大きな可能性を発見するプロセスであると私たちは考えます。
一人ひとりがそれぞれの考えを胸に、
ただ2時間、電気を消すことで、
ゆるやかにつながって「くらやみのウェーブ」を
地球上にひろげていきませんか。

2005年、6月21日、夏至の日。よる8時から10時。
でんきを消して、スローな夜を。100万人のキャンドルナイト。


---- でのキャンドルナイトってのは、なんなの?

(以下公式サイトより抜粋)
2001年、大統領選で勝ったブッシュが発表した「どんどん原発つくろう」というエネルギー政策に反対し、米国で自主停電運動が起こりました。
オーストラリア経由「一緒に自主停電しよう」というそのよびかけに応じた日本の環境NGO「ナマケモノ倶楽部」が、夏至の6月21日、19時~22時の3時間、東京国分寺の「カフェスロー」を「暗闇カフェ」と称し、でんきを消して営業しました。

そのつぎの年「ナマケモノ倶楽部」の世話人、辻信一のよびかけに藤田和芳が応え「大地を守る会」が「キャンドルナイト・プロジェクト」として、2002年10月26日・原子力の日に2時間、でんきを消してローソクのあかりで過ごそう、と6万人の会員によびかけました。
あつまった感想文に書かれていた楽しい時間の過ごし方をよく読んだふたりは、これは面白い、とマエキタミヤコに話し、100万人のひろがりを持ちますようにという願いを込めて「100万人のキャンドルナイト」という名前と「でんきを消して、スローな夜を。」という合い言葉と「よびかけ文」を作りました。池田徹、枝廣淳子、坂本龍一、立松和平、とよびかける人も増え、竹村真一の提案でインターネットや最新の技術を使ったムーブメントを楽しく見える形にする(可視化する)仕掛けもでき、環境省もパートナーシップを組んで協力してくれることになり、NGOリーダーシップのもと、2003年6月22日日曜日・夏至の日の8時から10時、第1回目の「100万人のキャンドルナイト」が始まりました。終わった後かぞえたら、よびかけ人は154人、賛同や後援をしてくれた個人や団体は300、タワーやランドマークなどのライトダウン施設は全国で2,278カ所、参加者は500 万人(環境省発表)でした。



夏至の日に、、一週間前なので載せてみました。

百姓を目指しているのかも!?

2005年05月02日 テーマ:スローライフの創りかた
最近の自分のキーワードを見ているとどうも将来自分は百姓を目指しているのではないかと思う。

百姓とは、百の知恵を有しなければならなかったらしい。
百の知恵とは、農作業に限ったことではなく、自然、建築、健康、その他生きるための知恵である。

自分はITの業界に長く、この業界の知恵を駆使して収入を得ているが、
良く考えると、
生きるための知恵の乏しさに気がついた。

本来の百姓がもつべき、百の知恵をマスターしたいという欲求は、
多分、もっと豊かに暮らしたいというハッピーな欲求だと思う。

エコとかロハスとか言う前に、もっと楽チンで、ハッピーで、本質的な豊かさをゲットしたいという願望。
そこに生きるための知恵を駆使しながら、超ハッピーを目指す。

仕事の知恵、専門知識、キャリアとかで本当に生きていけるのか。
稼げると生きるの違いが、だんだんわかりかけてきたような。
世の中もっとエキサイティングな知恵の宝庫がある!

「神を見た」に見る、伝達の限界

2005年04月29日 テーマ:スローライフの創りかた
アフリカのある村で生活しているある日のこと、

朝から子供達が歌を歌いだした。
昼から女達が、ハーモニーを重ねる。つまり和音を美しく添える。
そして夕刻から男達が大地を踏み鳴らしリズムを加えていく。

その祭りは夜にはピークになり、村民全体が音楽を奏でている。
繰り返されるリズムと、歓声に近くなる歌声、幾十にも重なる和音のハーモニー、、
全体が踊り、声を出し、空にはフルムーン。

そして、そのとき、「わたしは神を見た」

と、とあるセミナーで講師の方がおっしゃいました。



自分がそのアフリカの村の一部始終を見たわけではないけれど、この方のおっしゃられる恍惚体験の感覚はなんとなく、共感もし、自分なりに何度か旅行中とかに恍惚体験らしき経験と重ねあって想像し、それを神と表現されているのだなと不自然な感じはしませんでした。


最近、このようなエコやロハスやサスティナブルライフスタイルな人たちと会う機会が多いのですが、それぞれの想いとして、その取り組みを行い、人々に伝えようと努力されています。
ただひとつ共通しているのではと想われることに、この恍惚体験によるマインド的な後押しがみんなにはあり、もしかしてその経験が無い・乏しいければ、言葉や行為の実践だけで本当に伝わるものなのかといささか不安になるわけです。

ひとつ間違えば、「人をさとす」行為につながりかねない。
今の現状は最悪だから、もっと良くしなければならない、、、といった表現に陥りやすい。
単なる知識として消化されてしまう。




しかし、現状は現状として必要な要素で構成されており、不要なものはないはず。




正直、「神」という表現を聞いたとき、その本質的な伝達の限界を感じたのです。

聞いたり、見たり、やってみたりするだけでなく、
本質的には、感じて、実体験を引き起こすガイドでなければならないと。

で、恍惚体験がもたらす、その後の生活は、通常の行動力ですと、
ぐうだらにも過ごすし、コンビニ弁当は食うし、いらいらしたり普通に過ごすわけですが、しかし
どこか敏感にいいものを感じとり、それを求め、ネガティブなものには人一倍ココロを痛めたりと繊細になり、
ただそれが、ロハスやスローな照準と重なりあうのは、共通した感覚のようで、そのようなムーブメントが静かに起っている(シンクロ)しているのが現状だと感じるわけです。



非日常?現実逃避?そんな生活に逆転してしまうパワーなのかもしれません。



ロハス業界!?の本質は知識や効率的な倫理ではないはず。
もっと楽しく、楽チンに、豊かに、なるための新しい欲求を成就するための新しい(もしくは超古い)方法論
いわばマーケティングの一種です。
みんなの本質的な欲求があるからこそ、それを満たすためのマーケティングや市場を形成しようという資本主義社会にいる人として、普通の方法。と書くと俗っぽいですけどね。結局それを教え込まれてきたわけですから。


先人の伝達者の努力にも尊敬しつつ、
あたらしい伝達のブレイクスルーはなんであるのかとか、思った次第です。

サスティナブルコミュニティ とか

2005年04月28日 テーマ:スローライフの創りかた
パーマカルチャー的にコミュニティを創りあげるにはといった感じの「サスティナブルコミュニティデザイン」というセミナーに参加してきました。
12月まで毎月通うことになるのですが、今回はコミュニティという概念の様々な見識や概念について話あったり、意見を聞いたりしたわけです。

その中でひとつ「なるほど」と思ったことは、コミュニティと社会との違いという見解で、

コミュニティ・・・個人の存在の全部を受け入れてくれる場
社会・・・個人の特定の能力を利用される場

というものがありました。
つまり近代の核家族に見られるような個人単位家族単位という最小の単位での生活が一般化してきた中で、我々は実際にはコミュニティというものがどういったものであるかを知らない可能性があるということで、この「社会」と「コミュニティ」との差を考えたり感じたりする必要があるということです。

そして人が様々な欲求を求めたり満たしたりする最果てのところでは、みんなこのコミュニティを求めるということだそうです。歴史や神話、事例等々から、最終的な欲求はコミュニティである。
だからこれから形作られるコミュニティをデザインすることを研究することは非常に理に適っていると思ったわけです。

実際に核家族で育った自分としては、今までどのようなコミュニティに属していたのか、そして今はどのコミュニティに属しているのか、、はたまたコミュニティというものを本当に知っているのか?とか思うわけですが、ゆくゆく自分の理想として求めているものは、実際には理想的なコミュニティであるという事実があるわけです。

みんなももしそうであるならば、全自分を受け入れてくれている(能力の一部を提供している場ではなく)コミュニティが存在しているのか、考えてみてはいかがでしょうか。

Sense of Wonder 2

2005年04月09日 テーマ:スローライフの創りかた
オモムロにICプレイヤーにナイスな音を詰め込んで、庭(新宿御苑)に散歩行ったら、、、、
見事にヒト・人・ひと。 入場券の売り場に長蛇の列!!!

ん~庭の芝生、大丈夫だろうか・・・と心配しながら、職人さんを信頼して、またの機会にすることに。

で、ぷらぷらと四谷図書館にいって、昨日記事に書いたセンスオブワンダーを探すことに。
あった。驚いたことに、

50ページたらずの薄い本。(てっきり分厚い本を想像していた)
50年も前の本。
著者は女性だったのか。(てっきりヒッピーおじいを想像していた)
で、癌で死ぬ前に書いた本。享年56歳。

と、その状況がいろいろわかってよかった。
内容は、センスオブワンダーそのものを代弁し、世の中にメモっておいたポストイットという感じ。
共感できるヒトはきっと幸せだと思う。

50年たっても何も変わっていない、幻滅感を少し覚えたけど、なんとなくそれでいいとも思ったし、そういうものだろうなと感じた。
良くなろうとして良くなるものでもなく、自然の摂理として今があると思うし、自然に地球もヒトも今という感覚に流れているんだと思う。汚いとか破壊とか低俗とか、そういうものを経ていかないといけないのかもしれないし、今にも、いい環境や美しいことやセンスオブワンダーも存在しているのも事実だから。



そのまま、ソトコトの最新号を読むと、こちらはアフリカのゴミと暮らすスラムの子供達の話。

その子達も、その環境に順応して、それが汚いだとか美しいだとかではなく、現実のあたりまえとして生きているという事実は、さっきの感覚にそのままシンクロして、やっぱりそういうもんだよ。と。みんなただ生きているだけに過ぎないわけで・・・ 図書館にいると眠くなるわりには、居心地が楽チンではない。とっとと帰りました。

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