新月誕生

2005年03月11日 テーマ:新しい知識の共有
旧暦のカレンダーを作成している。
友人がものすごい暦表データを作ってくれたので、様々な暦のリズムで計画や期限や開始日を決められるようにしたいと思って。


なんとなく明日からとか、来週からとか、そういったリズムでなく、もっと生態系リズムに関与した自然なもの。自我も通り越した、生物体としての人の体がまっとうにストレスなく行動できるような気がするから。


で、調べてもらうと、自分の誕生日の旧暦を調べると旧暦3月30日で丁度新月にあたるらしい。もちろん旧暦周期で換算すると、毎年その新月の日が誕生日ということになる。

新月の日は、珊瑚の産卵があったり、なんとかの繁殖があったりするらしいけど、そんな生物としての自然の姿で生まれたかもしれない。


もう少し突っ込んで考えてみると、
この旧暦で誕生日を調べてみる。そしてその暦にシンクロして、健康状態とか性格の傾向とかが計れたりしないだろうかという話になった。一種統計学にも近くなるかもしれないけど。先天的要因の部分で何かがわかると面白い。

新月生まれの人
満月生まれの人
下弦の月うまれの人
上弦の月うまれの人

とか。どうなんだろう。

インドIT最前線地区「バンガロール」と、日本企業のコネクションサポート

2005年02月26日 テーマ:新しい知識の共有
インドIT産業がスゴイことに

という記事を読んで思い出した。

そういえば弊社は、「海外アウトソース・海外拠点つくり」を積極的に進める日本企業を「インドIT拠点・バンガロール」地区においてサポートし、ITにおいてその融通・コストバランス・ブレイクスルーな観点でバンガロールに関心がおありの日本企業での活用方策を練ります。 という触れ込みをHPに書いている。

ただインドカルチャーが好きで、その風土が好きで、インド料理が好きで、タブラが好きで、常夏が好きで、、、そんな好きと自分の仕事を掛け合わせたのだから、えー仕事しまっせ的なことにならないかなぁと、勝手に希望しつつ。


インド・バンガロールに人を派遣して、実地調査とか拠点つくりだとか、そんなプロジェクトを推進したい企業にとって、「プロジェクトマネージャーとして、一人材として行ってきます。」という感じです。
どちらかというとシステム寄りかは、コンテンツ寄りで、ネタ探しからネタ展開等でディレクションしたりとかしたいかな。。


過去に東京の株式会社IMJという中堅ネット企業の韓国支社立ち上げサポート要員として、ソウルに行ってた経験もありますので、なんとなく少しはお役に立てれるのではと感じつつ。そのときはプロジェクトマネージャーとして従事しました。

インド人がサリー着てコンピュータしている姿もショックだけど、マサラ!?なエッセンスは日本流メディアにもうまくアレンジできそう!


興味おありの方はご連絡ください。

モーツァルトの敵役サリエリ、汚名返上!?

2005年02月23日 テーマ:新しい知識の共有
サリエリがウィーンで再評価されているという記事が載った。
とても感慨深く読んだ。

というのも、映画をあまり見ないおいらだけど、ベストフェイバリットを挙げろといわれたら、この「アマデウス」に迷うことは無いだろう。(ちなみに2位は「ミナミの帝王」かもしれん、、くらい映画しらない)
そうサリエリと銀ちゃんはおいらにとって英雄なのだ。

サリエリはモーツアルトを毒殺したと疑われている宿敵の宮廷音楽家。
モーツアルトが才能を発揮しどんどん有名になっていくのに、サリエリはどんどん忘れられていく。その対比が絶妙で天才と凡人の姿、そして誰しもその両方を持ち合わせているのではないかと考えさせられるわけで、自分の中でサリエリに共感する部分、自分の中でモーツアルトに共感する部分と、セルフクエストするわけだ。


まぁ、そんな悪役のサリエリだけど、記事によると、

「昨年12月、大改修を終えたイタリア・ミラノのスカラ座のこけら落とし公演で、サリエリ作「見いだされたエウロパ」が上演されたこと。1778年のスカラ座オープンのときの演目と同じで、同歌劇場のリッカルド・ムーティ音楽監督が指揮した。

 サリエリは、同時代のモーツァルトがみじめな最期を遂げたのとは対照的に、ウィーンの宮廷楽長として大成功を収めた。だが、今日、世界中でほとんど取り上げられることがなかった。

 ピーター・シェイファー原作・脚本、ミロシュ・フォアマン監督の映画アマデウスでは、サリエリはモーツァルトの天賦の才をねたみ、最後は病身のモーツァルトに創作を無理強いして死に至らしめる役として描かれた。

 それだけに、スカラ座での上演は歌劇ファンの間で話題になった。これを機に、サリエリを再評価する声がウィーンのイタリア系社会を中心に広がっている。 」
元の記事はこちら


というわけで、なんとなく自分も聴いてみたくなった。
多分聴いてもそれに感動することはないだろう。いや、なんとなくそう思うだけ。

でも今になってサリエリが評価されるってのも、なんだかうれしい感じがするわけで、歴史に埋もれた一個人に脚光が浴びれるだけ彼もそれなりに功績ある人物だったんだろうと、勝手にエールを送っているわけで。

またまたもう一回
アマデウスを見ようと思う。

 【保存版1】「転機」と「過程」を楽しめる方が得だ

2004年11月10日 テーマ:新しい知識の共有
ここは、自分アンテナでキャッチした言葉を、ごく普通の生活にどのように当てはめることができるのか。

そしてちょっとばかり今よりも、楽になれる生活視点・LOHASな生活視点から再解釈して、ごく普通に一般の方にお伝えしたいと思っているblogです。

そのコツコツと書いてきているここまでの記事つながりを、わかりやすくまとめてみました。

先見者必須 !? です。



根本的な発想の原点はコレ、理想途(リゾート)という考え方です。
簡単にいうと「理想」に向かう「途(みち)」です。

まってください夢遊病者ではありませんよ。




自分自身に当てはめて考えてみてください。

今盲目的に生活しているのは、世の中のマーケティング技術が発達しているのも原因のひとつ、だから情報断食とかしてみるのも自己発見に効果的ではないかと思いました。

そこで感じられる新しい感覚で、俯瞰知覚といった自分への視点を設け、ストレスの原因ともなっている自己欺瞞の解決・解放を行うことで、より理想途(リゾート)への道が見えてくるでしょう。




次に、新しい感覚で仕事や生活を見直してみると、最近の風潮として、コミュニティビジネスという中央集中を防ぐ考えもあり、個人も中央に意識を向けるのではなくもっと地元とか、新しい場所を見つけるのもどこかわくわくしませんか?

働き方も生活とともに密着したコーポラティブという発想があり、団塊引退を向かえる今に、その仕組みつくりの経験を作り上げるチャンスです。その世代の方がもう一度新しい社会風潮を作り出せるポイントでもあると思っています。

新潟中越地震に関連して述べた、遅延支援における地域経済復興、いわゆるフェアトレードのような施策にも通じ、新しいものに生まれ変わるチャンスでもあります。




いかがですか? 
ある程度社会的経験を積んで、合理化や効率化にうんざりしている世代が合理化損失等を実際に考慮できることと思いますし、採用曲線等の近代マーケティング基本知識のいい部分を吸収し、ライフスタイルにも応用してマネジメントする。

そして旧暦生活のような少々ミスティックかつ原則的なライフスタイルに回帰してみる。そうすることで花々しい理想像をコーポラティブや、コミュニティビジネスに見出しています。




震災が新しいものに生まれ変わるチャンス、と少々不謹慎を承知で申しますが、遅延支援という言葉を思い立ったのは、長期支援というより新興復興での前向きな視点を持ちたいという欲求。
それは遅延支援の施策とはで述べた、金、モノ以外に視点を持つライフスタイル重視の発想転換が、理想途(リゾート)創りで、その転機にならないかと思ったからです。



わたしや、あなたになんらかの「転機」が来た時に、パラダイムシフトをしてみましょう。新しい発想は不安ですか?楽しいですか?
どちらにしろ、「転機」と「過程」しかありません。「ゴール」なんて幻だと思いませんか?




今の日本人には、そんな知恵や経験やモチベーションが充分にあります。

グローバリゼーションやるよりも得意なはずですよね。




きっと、、そのはずです。。






ふー。コレあまっちゃいました。
「新円切替」 野口さん意外と地味ですね。。。。

合理化損失とは

2004年11月09日 テーマ:新しい知識の共有
世の中合理化が進んでいます。

もとはといえば合理化とは、資本主義がもたらした損失排除の考え方が後押ししていると感じます。損失とは概ねお金の無駄を指します。

お金は、労働賃金=労働時間。そしてその他は、プラスアルファになる作業や技術、アイディアといったものに繋がります。

なんでもやりすぎないところで、一番儲けたいという資本家の狙いがそこにあります。

となれば労働者や、技術者、要するにそれをクリエイトしている人たちにとっての合理化は、時間短縮という課題に繋がり、つまり余計なことをしない、余計なスタッフィングをしない、余計な発注を控えるにつながります。


この傾向は最近やはり顕著ですよね。


これらを合理化、効率化と呼んで見て、そこからどのような損失が計られるのか。
あと少しで、もっと良くなったかもしれない。
彼らを加えたら、もっと良くなったかもしれない。
もう少しがんばればなんとかなったかもしれない。

こんなことがあなたの近くにもありませんか?

それをしなかったことによる損失を意識することが、合理化損失です。


しかし実は、
これはそれをしたことによって、「優れたものが完成し、売り上げが伸びたかもしれない」といった、お金の問題ではないのです。


それをしなかったことは「思いやり」の欠如につながり、
そのスパイラルは「社風」の品格をも下げる要因に繋がるのです。
これは「気」のいわゆるモチベーションを下げることにもなりかねません。


「思いやり」とは抽象的かもしれませんが、100%のものを、合理化によって50%で完成させたこと。でも本当は70%くらいはがんばれた。この20%の差が「思いやり」です。
この20%は、お金で考えると50%で完成させたほうが効率的に収益になるかもしれませんが、その人の人生や会社の運命といったことを考慮すると、損失にならないかということを「意識」すること。今一度問いただしてみることが「合理化損失」の考え方です。

この損失とはつまり、自分がもっと成長できたかもしれなかったことです。

合理化はその時間短縮(人件費圧縮)の効果で、次なる新しい仕事をこなせる隙間を作ります。その隙間で、結局人は働かされます。忙しくなります。
人件費はそのままで、売り上げが上げられる可能性があります。

それが素敵かどうかは、その会社文化によって決められることで、いいか悪いかということではありません。

なぜなら「ビジネス」には合理化損失など「ありえない」からです。

この「ありえない」と思われているビジネス組織の中で、それを見出し考えることは、「ビジネス」に効果を上げるのではなく、「自分自身」に効果を上げることに繋がります。


だから経営自体に携わっていない人は、もっと「自分自身」の効果を「合理化損失」を元に発見してみることをオススメします。


自分自身の効果とは、きっと新しい体験に現れます。


この記事は、先の記事「自己欺瞞とは」にも通じる、「仁」の考え方です。


「目先の利益より、人生に一度だけ大成功すれば、それでいいじゃないか。その準備をしよう」(孔子)

旧暦生活とは

2004年11月08日 テーマ:新しい知識の共有
旧暦とは、一般的に太陰暦のことを指し、月の満ち欠けを基本とした暦のリズムのことです。
もともと日本人は、様々な暦を使ってきたと言われますが、おおむねこの月や季節のリズム合わせた生活をしてました。

今の太陽暦が採用されたのは1873年のこととか。すでに130年もこの西洋の暦を使いつづけているのですね。

ただ旧暦をの名残は残っているものの数々の矛盾が生じ、例えば15夜(満月)なのに、15日ではないとか。ま、これを矛盾とは感じなくはなっておりますが、このリズムを少しとりもどしてみようという動きを旧暦生活といいます。

農業や漁業で生活していらっしゃる方々は、習慣的に旧暦を意識されているようで、やはり月のリズム=地球・生態系のリズムという関係に自然との共生が原則なようです。

でもこの数値的につじつまがあう太陽暦で生活していること自体が生態的ストレスの原因ではないかと、潜在的に気付いてきているのでしょうか。リズムが乱れているのではないかという発想です。

我々生物としての人間として、本能的の行うことや、出産・体調のコントロール、モチベーションのコントロール、それは自分自身でコントロールするテクニックとして、薬やストレス発散にしても、この生態系のリズムに即したリズムに沿っているのか沿ってないのか、そのタイミングを見計らいながらコントロールする。

このようなリズム主義的な感覚は、実は非常にシンプルで原則的なものであるかと感じます。

音楽でたとえると、リズムとベースが太陽と月と地球の動き、そしてメロディーを演奏するのは、生態系であり自然であり、それは四季となる。そして歌うのはあなた。だから、どれも基本リズムに忠実に演奏しなければ、それは「最悪」の事態(笑)になるのです。

うまく歌うには、まずリズムを詠む。
一番シンプルなことは、月を見るだけでもいいのではないでしょうか。

その月が意味する今のリズムは何かとか、太陰暦の深い洞察等は、興味があれば学習してもいいでしょう。

ただ旧暦の基本的な発想は、生態系のリズムに自分と生活を共鳴させる・同調するということだけ意識できれば素敵です。


ちなみに、今日11月8日の旧暦は、9月26日 仏滅 だそうです。えらいずれてますね。。。。

採用曲線とは

2004年11月07日 テーマ:新しい知識の共有
「採用曲線」とは一種のマーケティング用語です。
しかしこの法則はわれわれの生活にもあてはまる場面が多そうですので、こんな意識を持ってはいかがでしょうか。

採用曲線とは、その商品やサービスを提供開始後に、一般顧客に浸透していく(=お客さんに採用される)時系列の波(=曲線)を指します。

具体的には、
商品・サービスが完成し発表した時点を0として
「革新者」・・・真っ先に飛びつく【2.5%】の購買層
「初期採用者」・・・ある程度興味を持っている【13.5%】の購買層
「初期追随者」・・・先に購入した人の動向に感心が高い【34%】の購買層
「高貴追随者」・・・世間の話題や流行に追随する【34%】の購買層
「遅延者」・・・なんらかの理由で流行が去った後の【16%】の購買層

この
【2.5%】【13.5%】【34%】【34%】【16%】の数値のグラフ上の曲線を採用曲線と一般的に解釈しています。つまりマーケティングではそれぞれの購買層に見合った広告なり戦略なりを時系列で計画するわけです。

最初に如何に「革新者」に伝達ができて、「初期採用者」に結びつけるかが一番苦労が多く大変な作業ということが言えます。この少数の「革新者」はどこにいるのか。それは誰なのか。それをターゲットの絞込みという勇気のいる作業に落とし込むわけです。



でも良く考えてみればこんなことは必然とみんなやっていることで、

最初の仲間3人組から始まって、共感する人が集まる。

その騒ぎになになにと寄ってくる敏感な人々がいる。

それが本当に楽しいものであれば流行や話題となってメディアも寄ってくる。

メディアが寄ってきたら一気に流行おくれになって飽きられる、もしくは陳腐化する。みんなの心は次の話題。

 後は海外から帰ってきたとか、宇宙から帰ってきたとか、ワゴンセールの中にたまたまあったとか、人それぞれの理由で遅れてから興味を持ってしまう。

こんな流れですね。この曲線はプロダクトライフサイクルといって、商品の寿命とかを見極めるための古い方法でも用いられ、それは今日まで原則として息づいているようです。


でもこれらは、自分が何か新しいことをやり始めるところから、うまく計画すると自分の成功とか思い通りになるとか、をマネジメントできます。
入学した、入社した、新しい部署にいった、新しいプロジェクトが始まった、独立した、結婚した、離婚した、リタイアしたと、新しいことが始まったときのその後の理想や意志をもっていることで、「革新者」と共謀し、「初期採用者」と楽しむ。といったことです。

つまり最初に必要なのは、「自分の訴えることを近い人にわかってもらう」です。
難しければ「意識」しておくだけでも効果的です。


僕は結構この「採用曲線」を意識せずにやってきてますので、非効率的な人生です。なので一度「意識」してみようかと思いました。


コーポラティブとは

2004年11月06日 テーマ:新しい知識の共有
コーポラティブとは、「共同」という意味です。
最近では、コーポラティブハウスという住環境コンセプトがでてきて注目されています。

「コーポラティブハウス」
近年のコーポラティブハウスとは、土地やマンションを数世帯で共同購入し、建築コンセプトからライフスタイルを自ら企画設計する。共同と言っても、個々の趣向は尊重されるので、共同資金いよる相乗効果で思い通りの家を作ることができる。

その共同とは、これまでは企業の商品プランによる募集が主であったが、最近では個々の趣向性を共通にした募集がネット等で行われ、「犬(ペット)と住む」「車趣味にマッチした」「主観的イメージの共通性」等で理想を実現しているようです。


■コーポラティブを拡張する
この発想の基本は、資産や経済環境は個々で独立し、趣向と目的を同一のものとする。ここに集団生活のネガティブな面をキレイに整理した近代的発想があると思います。しかしそうであればそれは「ハウス」に留まらない理想郷を作る手段はないものでしょうか。

「コーポラティブビジネス」
もともとビジネスというものは企業連合、もちつもたれつで共同であるのですが、ここは下請け、孫受けという発想ではなく、組合の発想に近く、お互い自社の担当部分に責任を持つ。組合一括受注によるマネジメントと、構成企業は目的を同一のものとしている。目的とは売り上げ目標ではなく、企業精神であったり、実現したいことである。

「コーポラティブライフ」
先のコーポラティブビジネスがベースとなり企業や個人(SOHO)が、同一の目的のために働き、ライフスタイルの理想系を目指す。
これを実現するには、ライフスタイルというものの分類とそこで生活する目的を明確にする。趣味趣向は個々にあるけれども、根本的に目指すところは同じもの。それを共同生活地区を形成する。
もともと同業者やそれに近い業者同士は、もともと同じような趣向性を持っていることが容易に想像される。SEと野球選手くらい離れていることは滅多にないだろう。だからライフスタイルに同じ目的をかざすことは比較的容易であると楽観している。



■コーポラティブコンセプトの融合
これらを融合するイメージは、近代的村集落の形成に繋がる。
コミュニティビジネスの発想に近いが、こちらは新しいものを一から創り出すという側面もある。日本全国にこの新しい村のようなものが点在していくイメージ。その土地の特性を活かし、近隣住民との相乗効果(つまり経験と知恵)、それにこの新しい世代価値を加えた村である。

生まれた土地で一生過ごすという価値観も残されているが、都会に出るという発想もいまやもう古い考えである。そろそろ自分のコーポラティブコミュニティに出るという発想に進化できないものか。


「コーポラティブビレッジ」
地方で大企業の工場があるような地区では、皆同じ工場に勤め、同じ地区に住んでいるところもある。日本人の発想としては、新しくもなく、もともと村社会であったことを考えるとコーポラティブなコンセプトはすでにDNAに刻まれていることだろう。
現代のストレスの要因の一つといして核家族化の進行があると思う。これは経済を活発化させる方法論としてのグローバルスタンダードの一環の施策である。それらの苦しみを打破するには、もう一度地域生活の回帰が有意義であり、今この近代的発想をうまくマネジメントした新しい「村」の形成はきっと日本人に親しみやすく、また世代を育てる環境として理想的まさにLOHASなものだ。


■楽しめる
「ビジネス」と「ライフスタイル」そして「住環境」が三位一体となった「コーポラティブビレッジ」。
そのような先を行く試みは、すでにもうどこかで始まっていることでしょう。優秀な「コーポラティブビレッジプロデューサ」の待望も望まれるところです。田舎生活を夢見るのではなく、もっといいものを生み出すパワーは、きっと眠っているはず。
今はまだ試行錯誤しているところだろうけど、思うにそれは皆にとって「とても楽しい過程」であると思うのですがいかがでしょうか。一緒に楽しんでみませんか。

理想途(リゾート)とは

2004年11月05日 テーマ:新しい知識の共有
「理想途」は、少々強引ですが、「リゾート」と読みます。
読んで字の如くですが、これはライフスタイルに対する思い込みをシフト(少しづらす)する考え方です。


「リゾートに行ってきます!!」


と、どこか南国のリゾートに行くことになった気分を想像してください。
わくわくしますよね。(?暑いとこは嫌い? では、フィンランドでも可)


その感覚をなぜ自分の生活に当てはめてはいけないのでしょうか。


「理想途に行ってきます!!」


は、もっと真剣に理想的な生活を考え、求めようという発想です。
理想論者のたわごとに聞こえている方にも、その方の理想があり、でも今の生活にいっぱいいっぱいだとか、現実的視点が揺るぎないため、そのような考え方に非現実を感じるかもしれません。

でも、ここでは「理想途」へ向かう計画をたてているかどうかだけを問いたいと思います。
「リゾート」に行くことになれば、行く場所、交通手段、宿泊方法、現地で何するか、何が必要か、何を買うのか、そして何を得てくるのか等々、わくわくしながら考える計画時間があります。それを日常にも当てはめる必要があるのです。そうしなければいつまでたっても「理想途」には行けません。

こつこつ努力するタイプであれば、それなりの計画を。
起業独立タイプであれば、それなりの計画を。
なまけものタイプであれば、それなりの計画を。
皆、違う計画になりますが、その人の「理想途」であることには違いありません。


では「理想途」とは実際どのように見つけるのでしょうか。

簡単に言うと「大人の夢」です。
小学生ときに「将来の夢」とか書かなかったでしょうか。それはいつしか忘れ去られ、きわめて現実的に歩んでしまった。
次に、社会人としての進路が目先に迫ってきた思春期には、「こんなことしたい」があったと思います。それはどうでしたか?一度はやってみた、とか、無理だった、とか、もっと自分に合った道があったとか、でもさらにきわめて現実的に生活を歩んできたことと思います。

この現実的に生活を歩んでしまう原因はすべて恐怖に由来します。生活安定への確実性を求めるとか、家族を路頭に迷わせないための責任とか。でもそれを否定しているわけではありません。


そこで、つぎは社会人に慣れてきた今に見る「大人の夢」についてはどうでしょうか。

今度の大人の夢は「望む」のではなく、これまでの経験と知恵を結集して計画してみることはどうでしょう。挫折したと思われた数々の夢、そして現実的に歩んでしまった日々、それはその計画のための素材であり、経験と知恵をもたらしました。
だから次はやっと計画できるようになったのです。成長の証です。


それが「理想途へ行こう!」です。


プロジェクトを進めるのにも、商品を開発するのにも、計画は周到に行っていますよね。知らないことを調べたり、人の動きを調節したり、スケジュールを決めたり。「理想計画」もまったく方法は同じです。


これらのコンセプトは、今の社会風潮に当てはめると、
スローライフとか、ロハスといった言葉であったり、「大人の隠れ家」、「ソトコト」「リンカラン」といった雑誌のコンセプトにもなっていたり、
コミュニティビジネス」や「スロービジネス」「ロハス」といったムーブメントにも表れています。
僕はこの計画行為をススローライフマネジメントとも呼んでいます。


では「理想途」の計画はいつ始めるのでしょうか。
おそらくそれはもう始まっているでしょう。それを意識するだけです。

では、「理想途」計画の具体的な方法をおしえて?
それもおそらく知っていることと思います。それを思い出す方法はまた今度にさせてください。もう出勤時間なのです。。。

自己欺瞞とは

2004年11月04日 テーマ:新しい知識の共有
自己欺瞞とは、「じこぎまん」と読みます。(Self deception)

これは一種の哲学用語でもあるようですが、
直接的に言うと「自分を欺くこと」「自分をだますこと」という意味になります。
根本的な対人関係の問題や、ストレスの原因にもなっているといわれるこの自己欺瞞の実態を簡単に言うと、

「自分が他人のために正しいと感じていることに対して、それを行わない、裏切ること」です。

それは怠慢であったり、別の要件が原因であったりと理由はどうであれ、
「正しい行動をとらなかった」「自分を裏切った」と自覚していることです。

これを行うと次に人は、自己を正当化するという行動に入ります。
厄介なのは、この自己正当化が始まると、現実を見る眼がゆがめられ、他人をモノ(他人の意思に気付かない)と見なし精神的な攻撃をはじめます。
そして時間を経て自己欺瞞は他人に伝染すると言われています。

つまり自己正当化のために人は他人のせいにするための証拠探しをはじめる、自己中心的な視点からモノをみることを始めます。
これにさらされたその他人はもちろん自己防衛をする。その際にその他人もそれに抵抗を始めます。
こうなると感情の悪循環スパイラルに陥ります。互いに自分を正当化し、共謀して自己欺瞞に陥というわけです。


自己欺瞞を引き起こす大きな原因は、「積極性の欠如」であり、「参加意識の欠如」です。
どれだけ相手や仕事にコミットしているか、コミットできるかの問題。

つまり自己欺瞞に陥るポイントは、その相手や状況にどれだけコミットできるか否かの自己判断を事前に行うことが大切で、一旦自己欺瞞に陥ると、先の通り、悪循環スパイラルが待っています。そうなった時は相手と張り合ったり、うまくコミュニケーションしたりすることが事実上困難となっていきます。

では、どのようにそのスパイラルを抜け出すかというと、
視点を自分の外に置いて、見下ろすこと(先の記事、俯瞰知覚)をイメージすることです。
そこでは自分も他人も人としてみることができ、他人の意思というものも感じられるようになります。
そしてその意思(他人)を受け入れる(または許す)ことができた時点で自己欺瞞は一旦解決します。

再度まとめると、
自己欺瞞が開始されると、自分の視点(カメラ)は眼球の奥の方、どんどん自分の内へ内へと入っていきます。そのときの視点では、他人は意思の無いモノとして扱われています。
その視点を、自分の外に出し、俯瞰の位置(第三者的頭上)に持っていくことでお互いを人(意思あるモノ)と見なし、自分を許せるように他人も許せる(受け入れる)ことがたやすくなります。イマジネーションできるでしょうか。

これは高度なコーチングによって導き出されるという一種の米国での事例です。
後は、その内なる視点の存在を自己認識して、俯瞰の視点をイメージできるようになると、対人関係が改善され、ストレス抑制、モチベーションアップ等に生かされるということなのですが、、、いかがでしょうか。

Amebaおすすめキーワード

    アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト