情報断食とは

2007年06月29日 テーマ:ICT屋ameblo日記
情報断食とは、一定期間の間、情報の入力を断つということです。
時代遅れとか流行についていけなくなるといった恐怖に耐え、あるがままの日常に没頭することです。

Webの仕事をやりながら情報断食をすることは、ままあるのですが、それはWebの世界が技術者レベルのマーケティング戦略の渦に業界が没頭しているからです。新しい技術的な潮流や流行を生み出すことを趣味としている人々も多く、なんたら2.0だとか、アルファベットを4つくらい組み合わせて流行を装います。

しかし、本質的な技術者でもないため、結局は既存の技術の新しい使い方、もしくは新しくもないんだけど、新しいことにしてみた感じで、発表します。マスコミ系技術者とでもいうのでしょうか?
このメリットは、それをネタにして、仕事営業に精を出す、技術講習会を開ける、関連書籍を出せる、記事としてのネタになるとまぁそんなところです。今までも私もそれらのいくつかに手を出し技術を習得したり、概念を調べたりしてきました。
しかし、実際にはまぁ確かに便利に進化しているといえば、しているけれど、やはり本質的にはアイディアを一番に実行した人が一番偉いわけでしょう。しかしその一番偉い人は、きっとその新しいトレンドを生み出そうとしたわけでもなく、一心に質の良いWebサイト、使い勝手の良いインターフェイスを目指す、ユーザーの動向を見極めたコンテンツ展開を考慮したあげくのアイディアだったわけであり、それはとても普通で普遍的なことだと思います。


情報断食をすると、今自分が持っている能力と経験の範疇で、新しいアイディアを抽出することになり、それは実際には、一番確実な技術であり、コストパフォーマンスのいい仕事であったりするわけです。

いいサイトを作りたい。シンプルに今できることを集大成して。

後追いすれば、マーケティングの餌食になります。
IT業界においての情報断食は、とても新鮮で精神衛生的にも良い結果をもたらすようです。


一般人が普通に使うようになったWebサイトも、新しいトレンドで混乱せず、デジタルディバイドを引き起こさないWebサイトをつくりたいものです。

スローウェブ

2007年06月14日 テーマ:ICT屋ameblo日記
昔このブログをやってて、スローでロハスなことを書いていたように思いますけど、ブログを点々として落ち着いたので、このブログの題名そのものの日記でも綴ろうと思います。

パーマカルチャーなライフスタイルを作り出そうと山に住んでみたり、以前提唱したり思いついたりしていたことをコツコツと実践している中ででも、新宿御苑のIT屋は存続させていただいております。

いわゆる2重生活のようなものです。

しかしこうなると以前のようなWeb業界人っぽさではなくなり、もっとまったりしているようです。
ストレスフリーになっている分、なんとなく無茶な注文や優柔不断なプロジェクトも笑顔で答える、、といった昔では考えられないような現象も起きています^^

多分金持ちになったも同じような余裕がでるのかもしれませんが、当方は金持ちにもなれていません。
が、満たされていることは事実のようで、その指針を与えてくれたのがパーマカルチャーなライフスタイル概念の恩恵であることは間違いありません。

人として生きることの仕事を半分、経済活動としての仕事を半分、と思い経済的儲けが減少しても、精神的儲けが上昇する道を選んだこと、そのことが充足感を得ることに繋がっています。

満たされた充足感とは、今まで望んでいたことが、次々と手に入るといった充足ではなく、
今まで望んでいたこと、また必要だと思っていたこと、買うべきだと思っていたものの多くが、必要でなくなったために、余計な仕事や時間、儲けが減少したことに伴う、開放のようなものです。



自給自足 をも目指しています。



しかし自給率のアップは、可能ですが、自足率のアップは精神的な問題です。
普通の社会生活を自給自足することは困難でしょうが、足ることを知ると、自足率が急速にアップし、自給する目処が立ちます。


このことは会社の経営の効率化にも結びつきます。
精神的貧乏になるとガツガツしてしまいますし、経済リッチになる機会も減っていくように思います。経済的貧乏でも精神リッチだと、経済的にもうまくやっていける機会が増えるのです。

自分は映像からCG、CD-ROMプロモーション、Webサイト、CMSといったプロモーションメディアシステムの技術と、そのプロジェクトマネジメントを多く経験してきたので、その蓄積を継承していくことは必然ですが、ここにきて、その仕事がオカネのためだけでなくなってきています。
自営業ですので、行動指針は多様性を持っています。数字の整合性を一番に据えることがオカシイのでは!?とも思ったりしています。
資本主義経済社会を否定するつもりはないのですが、その中にどっぷり洗脳されていては、人本来の幸せや楽しみが得られにくいと感じているのです。



◆パソコンの修理
先日4年くらいつかっていた富士通のノートパソコンが壊れました。ACアダプタの接続口が壊れて、ACを挿しても電源が入らなくなりました。バッテリーが無くなれば一生立ち上がりません。古いパソコンですので、そのバッテリーも1時間くらいでしょう。

しかし接続口破損で電源が入らないのは接続不良という物理的な損傷でしょう。
ということで分解して修理することにしました。

10個以上のネジを取り、はずれるところははずしていく。なんと電源端子部分は、ほとんどのパーツを取らなくてはたどり着かない一番奥の世界だったのです。

プラスティックの繋ぎ目は、パワーオブパワーで外したりして折れたりしました。構造がよくわからんので分解の手順も勘だけです。液晶部分と本体も外れた状態は、もはや元にもどらんのとちゃうかという状態です。
基盤を数枚外すとようやく、目的の電源端子部分にとうちゃくしました。

原因は、

「電源端子と基盤の接合部分の金属が折れていた」

でした。おもぬろにハンダこてを暖め、無造作に折れた金属部分をハンダで塗り固めてやりました。

「電源が入った!」

ということで、ばらしたパソコンを元通りに、、、、ネジがあまったりしましたが一応形は取り戻し、復帰したようです。
4年前といえども、WindowsXPで1GHzのPIIIです。仕事に支障をきたしません。
Windows2000にダウンさせたのでメモリも256Mbで充分です。



そもそもデータ復旧の必要がないくらい、バックアップしてあるので、仕事上のデータが困ることは滅多にありませんので、このような分解を躊躇せずにできます。
新しいものを買うことの方が、残されたこいつの処分に困るだけ厄介なのです。

↑ 処分に厄介?

パーマカルチャーでは生活圏内で循環をつくることを前提とします。
つまり捨てるものも自分の生活圏内で捨てることになり(あくまで概念として)、そう考えると、自然に戻らないものは倉庫にしまうか、なんかの資源として再利用することになります。
自分の生活圏内で処分しにくいと発想することが、↑の処分に厄介という考えに結びつきます。


そう業者に持っていってもらっても結局どこかの誰かがこのような厄介を引き受けてくれているだけなのです。


治せるものは治して使うことに、効率ではなく、ハッピーがあることに気付きました。

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