本当を見つけるということ
2006年05月09日 テーマ:マインドリゾート
テレビ、新聞、雑誌、インターネット、そして広告と日々様々な情報を受け取りながら生活しています。都会でも田舎でも飛行機の中でも睡眠中(ん?)でも。
その情報というものには3つあります。
1:嘘の情報
2:間違った情報
3:正しい情報
受け取った情報がどれにあたるのかって意識したことありますか?
新聞記事、広告が詠う効能や性能、政治家の発言、テレビのドキュメント、商品の成分表示や産地情報、原材料、学校の教科書、警察の発表。
受け取りまず、「ふーん」と信じてみる。いちいち疑っていてもめんどくさい。
でもこの情報化時代にいえることは、「本当の正しい情報を得るには努力が必要」ということ。努力無しにゲットしている情報は、上の3つのどれかであることは間違いなくそれが「3つのうち別にどれでもいい」といったレベルの情報から、「正しくないと死活問題だ」といったレベルまでいろいろあると思います。
情報発信者に有利になるようなという意識がある限り、情報は正しくもなりうそにも化けます。2の間違った情報というものの中には、「正論」というこれまた面倒な性質をもったものもあり、確かに理屈は正しい、、けれど・・・○○的に間違っているのでは、とか。
「産地偽装」「耐震強度偽装」なんて「偽装」ブームですけど、「正論」で通すようなものも一種の「偽装」に近いですよね。一律に印刷されている弁当のカロリー数も、表示されていない添加物も、金利情報も。
情報化社会とは、真実を覆い隠すために都合のいい社会なのかもしれません。
自分のもっている知識さえも、実体験の伴っていない知恵でないのであれば、全て疑う余地が出てくるかもしれません。専門特化せずにいろんなことに自らが接し知恵を得ることと、余計な情報を摂取しないことによって、自己内情報の信憑性濃度を高めることができます。
なんら切羽詰った問題でもない、嘘にまみれた情報の中で生きているということは、つまり泳がされているということです。情報化社会とは、人を都合よく導くための社会です。流行は某プロデューサ達の呑み会の雑談で決定され、インサイダー取引は常套手段ではあるし、世界を駆け巡るニュースも目的に基づいて構成されます。
医学や科学の世界でも、これまでの常識を覆す発見があったとしても、権威や名声を守る権力の力で、伏せられる。全ての政治家はいざというときの弱みを握られているので、勝手に正義のヒーローになれない(すぐに疑惑問題をふっかけられつぶされる)。つまり3の正しい情報によってこまる権力者が多いのです。
この社会の中で嘘の無いところ。それは自然です。
自然だけが嘘をつきません。人が自然を見て癒されたりホッとできるのは、うそがないからです。視界に人為的な構造物や介入のない光景を探しましょう。そこには嘘の無い「美しさ」「醜さ」「元気」「病気」「穏やか」「荒れ」があり人を癒したり恐怖を与えたり素直な世界です。
自分で自分に嘘をつく、思い込むなんてこともあり、自分自身の正しい情報も努力しなければ本当を見つけられないかもしれません。素直で自然体が自分の本当であるということがヒントかもしれません。
1:嘘の情報
2:間違った情報
3:正しい情報
しかし全てを正しい情報で生きなければならないなんてこともないのです。知らぬが仏という言葉もあります。その場その場で適応して生きているのですから。
ただ、見聞きする全ての人為的な事柄はこの3つであるということを意識すると、新しい視点ができます。それはここに書くまでもなく体験すると思います。それは実にハッピーなことであり、安心ややる気に通じるようなものです。
1:嘘の情報
2:間違った情報
3:正しい情報
ちなみに、これらは「情報」だけでなく、「道徳」や「常識」にも当てはまります。もしかしたら「五感」にも当てはまる事があるかもしれません。
こんなことを書くと、信用信頼ということに不安になるかもしれませんね。でも生き方とは市場経済に参加するということだけではないのです。
その情報というものには3つあります。
1:嘘の情報
2:間違った情報
3:正しい情報
受け取った情報がどれにあたるのかって意識したことありますか?
新聞記事、広告が詠う効能や性能、政治家の発言、テレビのドキュメント、商品の成分表示や産地情報、原材料、学校の教科書、警察の発表。
受け取りまず、「ふーん」と信じてみる。いちいち疑っていてもめんどくさい。
でもこの情報化時代にいえることは、「本当の正しい情報を得るには努力が必要」ということ。努力無しにゲットしている情報は、上の3つのどれかであることは間違いなくそれが「3つのうち別にどれでもいい」といったレベルの情報から、「正しくないと死活問題だ」といったレベルまでいろいろあると思います。
情報発信者に有利になるようなという意識がある限り、情報は正しくもなりうそにも化けます。2の間違った情報というものの中には、「正論」というこれまた面倒な性質をもったものもあり、確かに理屈は正しい、、けれど・・・○○的に間違っているのでは、とか。
「産地偽装」「耐震強度偽装」なんて「偽装」ブームですけど、「正論」で通すようなものも一種の「偽装」に近いですよね。一律に印刷されている弁当のカロリー数も、表示されていない添加物も、金利情報も。
情報化社会とは、真実を覆い隠すために都合のいい社会なのかもしれません。
自分のもっている知識さえも、実体験の伴っていない知恵でないのであれば、全て疑う余地が出てくるかもしれません。専門特化せずにいろんなことに自らが接し知恵を得ることと、余計な情報を摂取しないことによって、自己内情報の信憑性濃度を高めることができます。
なんら切羽詰った問題でもない、嘘にまみれた情報の中で生きているということは、つまり泳がされているということです。情報化社会とは、人を都合よく導くための社会です。流行は某プロデューサ達の呑み会の雑談で決定され、インサイダー取引は常套手段ではあるし、世界を駆け巡るニュースも目的に基づいて構成されます。
医学や科学の世界でも、これまでの常識を覆す発見があったとしても、権威や名声を守る権力の力で、伏せられる。全ての政治家はいざというときの弱みを握られているので、勝手に正義のヒーローになれない(すぐに疑惑問題をふっかけられつぶされる)。つまり3の正しい情報によってこまる権力者が多いのです。
この社会の中で嘘の無いところ。それは自然です。
自然だけが嘘をつきません。人が自然を見て癒されたりホッとできるのは、うそがないからです。視界に人為的な構造物や介入のない光景を探しましょう。そこには嘘の無い「美しさ」「醜さ」「元気」「病気」「穏やか」「荒れ」があり人を癒したり恐怖を与えたり素直な世界です。
自分で自分に嘘をつく、思い込むなんてこともあり、自分自身の正しい情報も努力しなければ本当を見つけられないかもしれません。素直で自然体が自分の本当であるということがヒントかもしれません。
1:嘘の情報
2:間違った情報
3:正しい情報
しかし全てを正しい情報で生きなければならないなんてこともないのです。知らぬが仏という言葉もあります。その場その場で適応して生きているのですから。
ただ、見聞きする全ての人為的な事柄はこの3つであるということを意識すると、新しい視点ができます。それはここに書くまでもなく体験すると思います。それは実にハッピーなことであり、安心ややる気に通じるようなものです。
1:嘘の情報
2:間違った情報
3:正しい情報
ちなみに、これらは「情報」だけでなく、「道徳」や「常識」にも当てはまります。もしかしたら「五感」にも当てはまる事があるかもしれません。
こんなことを書くと、信用信頼ということに不安になるかもしれませんね。でも生き方とは市場経済に参加するということだけではないのです。







