Joh*ny'sにて

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『事実上のミサイル(なんと奇妙な言い回しだろう)』など気にせず、沖縄に行ってきました。
首里城と南部戦跡の一部と美ら海水族館と土産物屋を見てきました。
40年ぶりの沖縄では、町の様子はすっかり変わっていましたが、接した人々の穏やかな優しさはあのころの印象と同じでした。
本部半島に行ったときは天気が下り坂で、海を挟んだ向こうの伊江島塔頭(イエジマタッチュー)が少しかすんでいました。しかしもう二度と見ることはないと思っていた景色なので、ひどく懐かしくて、何度も目に焼き付けました。
40年前は船で島に渡り、レンタバイクで島をぐるりと回りましたが、日本復帰直後だったので、車がまだ右側通行でした。対向車が来るたびにヒヤヒヤやしたものでした。
美ら海水族館に向かう途中で、ちょっと雰囲気のあるレストランを見つけ昼食をとりました。
店内はアメリカ風でステーキが売りのようでしたが、私たちはタコライスとタコスを注文しました。妻はタコス3ピースはボリュウムがありすぎるかなと思って迷っていたら、2ピースに減らしてくれました。
比較的最近の開店のようですが、店はレトロな雰囲気で(空いていたせいもあって)のんびりといい感じでした。
厨房の見えるカウンターの上には有名なスポーツ選手などのサインがずらりと並んでいました。写真一番左の写真には、最近イケメンとの突然の結婚で話題を呼んだ沖縄出身の女優黒○メイ○が、リラックスしてはじけたポーズで写っていました。
老人とブログの海-タコライス
老人とブログの海-タコス

老人とブログの海-Johnny's
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湯治

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二泊三日で箱根に湯治に行きました。
行きがけに、娘のところによって孫の顔を見ました。

箱根では、二日目に草木と、ガラス細工と、絵を見ました。
妻は植物園でゆっくりとガイドの説明を聞いて満足し、私はフジタが描いた不思議な子供たちの絵にわくわくしました。

二日目の午後、疲れた妻と私は土産買いの店選びなどでもめましたが、外輪山から富士を見て仲直りしました。

三日目は台風の情報に追われて、どこにもよらず、ちょっと土産を買っただけで早々に帰ってきました。
しかし翌朝の今になっても、台風はまだこちらには近づいてきていません。

老人とブログの海
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 ここ数日の中では一番寒いけど、それでも震え上がるほどのことはない夜の10時に、帰宅する道すがら月を見た。
昨夜が十五夜だったそうだけれど、激しい雨で見えなかった。今夜の月も丸く明るく中天に懸かって明るく静かだった。
 東北では嵐だというのに。

 その月の下で、車で帰りながら、栃木の事故を思い出した。私も、この車で一瞬居眠りをし、道端の立ち木のゴツンと当たった。
 高い修理代を払ったが、人は傷つかなかった。
 私が人を傷つけなかったのは、ただの偶然に過ぎない。それを思うと、心が凍るような恐怖感がわいてくる。

 自然に対しても、人間が作り出したものに対しても、畏れの気持ちを忘れずに生きたいと、今は強く思う。


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八日目 帰国へ

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最終日は、朝からフリーでした。荷物をまとめ、ドアの外に出してから10時前にホテルを出て、みやげ物を買いに出かけました。
十分な事前調査もなく、昨日のドォーモ付近が繁華街だったようだからと、タクシーで向かいました。しばらくさ迷った挙句に、 袋物や衣類を売っている店を見つけて入りました。
私は革製品の小物を数点買いました。
妻もそれなりに気に入ったものを買ったようで、疲れとあせりでいささかいらだっていた気分が、すっかり落ち着いたようでした。
午後に「最後の晩餐」の見学予約があり、それが気がかりで心配性の彼女はあせっていたのです。
街角の小さな喫茶店でコーヒーを飲んで、タクシーでホテルに帰りました。

土産は、ベネツィアからミラノへの途中で停まった土産物店で少し買ってありました。
そこでは、ワイン、チーズ、チョコレート、からすみなどを買いました。
からすみは人にもあげましたが、自分用にも買って、おろしてパスタにあえたり、スライスしてつまみにしたりしています。
イタリアでからすみを売っていることには驚きましたが、帰国後調べたら、本来地中海由来の食品で、日本には江戸時代始めに長崎経由で伝わったもののようでした。世間では常識だったのかもしれませんが、まったく知りませんでした。
「三大珍味」などというから日本古来のものかと思っていました。
ベネツィアでは、息子の嫁さんと娘のために、ベネツィアングラスの小さな細工物を買いました。
妻は、義母から生前に数種類のベネツィアングラスの装飾品をもらっていました。それは義母自身がベネツィアに来た際に買って、自分で身につけていたものでした。妻はそれらがどういうものかもあまり気にせず、まったく身に着けていなかったのですが、現地のガラス細工店で類似のものを発見して、帰国後改めて箪笥の引き出しから出してみていました。

そんな風にいろんなものが発見できた旅でした。

午後はダビンチの「最後の晩餐」を観に行きました。
ダビンチコードも観ていましたし、数年前に上野で「レオナルドダビンチ 天才の実像」展も見ましたので、フィレンツェでみた「受胎告知」も、ミラノの「最後の晩餐」も馴染み深く懐かしい気がしました。見終わった後は、もうあまり動く気がせず、ホテルのロビーでぼんやりと休んでいました。

やがて、ツアーのメンバーがそろい始め、定刻の四時にホテル前からバスで空港に向かいました。

空港でも比較的ゆっくりと時間があったので、お茶を飲んだり土産物を買い足したりしました。
現地時間の夜九時前に飛行機は飛び立ち、12時間東に向かって飛び続けて、ほぼ定刻に成田につきました。

これで、イタリア旅行の思い出の記は終わりです。
取り留めのない些事ばかりの記事にお付き合いいただいた方は、ありがとうございました。



七日目

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七日目は朝,
ベネツィアを発って、バスでミラノに向かいました。

ローマからフィレンツェ、フィレンツェからベネツィアも同様でしたが、300キロ前後、三・四時間程度のバスの旅です。

途中で必ず20~30分ほどのトイレ休みがありました。
土産物屋を兼ねた、日本語で買い物のできるサービスエリアで停まりました。考えようによっては、土産を買わせるための旅行業者の特約店のようにも見えました。
休みの時間を比較的ゆったりとることについて、毎回添乗員が「運転手さんの労働時間に関する協約がありますから」と停まる直前にバスのマイクで言っていたことを思い出します。
もしかしたら、あれは無駄な時間だなどとクレームがついたことがあったのかもしれません。

アメリカ・ユタ州の観光旅行のバス事故のニュースを聞き、事故にあわれたかたがたに人事ではないと同情の気持ちを強く持ちました。
そして改めて、無事に帰れてよかったと思いました。
事故の原因は、断片的なニュースを聞くだけではなんともいえません。
しかし、イタリアで二時間走ると30分程度の休みを運転手にちゃんと取らせるということが、制度化されていることの意味を、改めて噛み締めたのでした。

日本でも、規制緩和による新社の参入で競争が激化し、バス会社の値下げ競争が限界まで進んで、運転手にとっての過重な運行スケジュールが、ひとしきり重大な事故を生んだことがあったのを思い出します。
競争原理に基づく経営合理化がなお金科玉条のように言われていることの怖さを、改めて思ったのです。

添乗員は、観光スケジュールについて、「ストがあったりするとまた変わってしまいます」と何度か言いました。
いつからか日本では、働いている人間はストをすることがあるという、当たり前のことを、忘れていると思いました。
イタリアの運転手の協約も、そうした環境の中で生まれたものに違いありません。

旅の前にも旅の最中にも、イタリア人の大雑把さやいい加減さをずいぶん聞かされましたが、旅行中は誠実で義理堅く、郷土に誇りと愛着を持っている、古風で人間味のあふれた彼らの姿を何度も見せ付けられました。風景だけでなく人の生き方にも数十年前に映画で見たイタリヤ社会がそのまま残っているようで、印象深かったのでした。

ミラノの町は駆け足で駆け抜けた感じです。


昼食の後 スフォルツェスコ城やドゥオーモを見学しました。

ドォーモは14世紀に礎石が置かれてから500年かけて建設され、19世紀初めに完成したという話です。

その息の長さに驚いてしいました。

ゴシック建築のにぎやかさにもちょっと疲れたましが、観光のためか、教会の屋根に上らせるというのもなんだかおかしい気がしました。しかしおかげで、これでもかといわんばかりの念入りな彫刻の姿を間近に見ることができました。

そういう意味では、スフォルツェスコ城で見たミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ像」は、荒削りな姿が、ゴシック建築の畳み掛けるような装飾性と対照的でした。
89歳になって視力を失いながら、ミケランジェロは死の数日前まで彫り続けたという話です。

夕食は、こじんまりとしたレストランで、ツアーのメンバーともなんとなく仲良くなり、ワインをたっぷり飲んで最後の夜を楽しみました。

① ピエタ像
老人とブログの海

② ドォーモ
老人とブログの海






五日目六日目(その2)

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① ベネツィアに上陸した際の船着場から見た、ベネツィア本島を二つに分かつ大運河にかかる、リアルト橋です。あたりは一番の繁華街になっているようですが、私はその近くにはいきませんでした。
前回、人影のない未明早朝の街並みを紹介しましたので、昼の賑わいを紹介します。いたるところに観光客があふれています。TAXIの看板が見えますが、勿論水上タクシーです。
ベネツイアでは手押し荷車以外の車輪は一切禁じられていて、自転車も走っていませんでした。パトカーも救急車も消防車もなく、みんな船です。
老人とブログの海-リアルト橋

② べネツィアの二泊目の夜は、自由行動でした。私たち夫婦は添乗員引率のレストラン行きには参加せず、ちょっともめながら街中をふらついて、行きずりのレストランに入りました。
運河沿いにテラスが出ていて雰囲気が良かったのと、店の前に出だされたプレートに、セットで安い簡便なメニューがあったことが選択の理由でした。
Gで始まる料理の名前は読めなかったのですが、パスタの一種だろうと見当をつけてを注文しました。
出てきたのが写真の料理です。
もちもちとした団子状のものにトマトソースがかかっていました。
おいしく食べ、デザートを食べて退散しました。
翌日、添乗員に料理の形状を話したら、「ああ、ニョッキですね」とすぐに分かりました。
「食感が普通のパスタと違っていたのだけれど」とたずねたら、「材料はジャガイモですよ」と教えてくれました。
そういえば、イタリアでは、どこで食べたジャガイモもとてもおいしかったことが忘れられません。
老人とブログの海-ニョッキ

三日目四日目

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ローマでは、トレビの泉やスペイン広場にも行きましたが、暑さと長時間歩行でへとへとになりました。それでも、トレビの泉周辺では義理堅くアイスクリームを舐めたりしました。
夜はカンツオーネ付のレストランで夕食でしたが、早くホテルに帰って寝たいという気持ちで一杯でした。
三日目は、朝からバスでフィレンツェに向かいました。
途中で車中から丘の上の不思議な感じの集落を見ました。通り過ぎながら添乗員が町の名を教えてくれたのですが、忘れてしまいました。
帰って調べたら、多分オルビエトだったろうと思われます。
フィレンツエの印象は余りありません。午後、到着した足で見学をしただけで、翌四日目午前中の自由時間はオプションでピサに行ってしまったからです。
ただし、到着直後に町外れの丘にある「ミケランジェロ広場」から見た町並みは美しいものでした。広場の隣のレストランでの昼食も、開放的なテラスで涼しい風に吹かれながら、ゆったりとおいしくいただきました。

① オルビエト?の街をバスから遠望しました
老人とブログの海-オルビエト?

② 中央の建物が「サンタ・マリア・デル・フォーレ大聖堂」
老人とブログの海-フィレンツェ

③ ヴェッキオ宮殿。14世紀に建設されて、今でも市庁舎として使われているのが凄い。
老人とブログの海-ベッキオ宮殿

④ ピサの斜塔です。四日目の午前中に行きました。傾いているだけで世界中から観光客を集めているのが、おかしい。上には上りませんでした。
老人とブログの海-ピサの斜塔


話は変わります。
タマの病状については病院から連絡がないので、何とか生き延びていることかと思います。
妻は、数日前に、タマが歩いて帰ってきた夢を見たそうです。
シロがのんびりと寝ている様子を見るたびに、タマの立ち居振る舞いを思い出して、喪失感に襲われます。
タマの病状がこの後どんな経過をたどるにせよ、ずっと後になっても、このイタリア旅行の記憶はいつもタマの思い出とつながっていることになるでしょう。

二日目

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バチカンや真実の口を見た後は、コロッセオに行きました。

真実の口は「ローマの休日」という映画がなければ観光名所にはならなかっただろうという現地ガイドの説明は、もっともな感じでした。
私は知りませんでしたが、もともとマンホールの蓋だったとガイドが言いました。
後で調べたら持参したガイドブックにもそう書いてあったので、有名な話のようです。しかしなぜマンホールの蓋が教会の入り口に飾られて、「真実の口」の伝説を生んだのかは、書いてありませんでした。
教会はギリシャ人のためのものでギリシャ正教の様式に従ってミサが行なわれるとかで、教会の中は外の喧騒に比べてひっそりと静かでした。

コロッセオには圧倒的な印象を受けました。
ただ市民を楽しませるためだけにこのような施設を作り、ここで数え切れないほどの剣闘士が剣闘士や猛獣と命を賭けて戦い、また毎回数万の人々がそれを見て喜んだという事実には、呆然としてしまいます。

旅の後で、現代では、コロッセオが死刑問題を考える象徴的な場所となっており、フセイン処刑のときはここで抗議集会が開かれたと知りました。
歴史の不思議さを感じます。

① コロッセオの入り口付近です。地上にも外壁の展望台にも人があふれています。展望台の人の大きさで、構築物の巨大さが分かります。
老人とブログの海-コロッセオの外壁

②コロッセオの観客席の中段から見上げました。数段下のグラウンドにたった剣闘士たちは、さらに高くそそり立つ壁のような観客席の、5万とか6万の観客を見上げてから戦ったのだと思いました。
老人とブログの海-コロッセオの観客席

③ ②の写真を写した観客席の回廊からの写真です。戦闘が行なわれてグランドはなくなって、地下の施設がむき出しになっています。施設が巨大なので高さが分かりにくいですが、正面の観客がたくさん見える回廊と同じ高さから写しています。
老人とブログの海-コロッセオのグラウンド



旅 出発

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今回のイタリヤ行きはいろんな思いを残しながら出かける旅でした。
義父は元気だったのでまあよしとして、猫のことが気がかりでした。出発の一日前にも数回嘔吐していて、帰ったときはいないかもしれないと思いながら出発しました。
それで前回フランス行きではしなかったこと、海外仕様の携帯のレンタルをしていきました。基本的には毎日義父と連絡を取り合うことが目的でしたが、動物病院にも電話番号を教えて、緊急時の連絡を求めておきました。

前もって添乗員から電話で脅かされていたほどではなかったのですが、ローマ空港に降り立つと6時過ぎだというのに強い日差しと熱気が体を包みました。バスでホテルに移動し、荷物を解いてから風呂に入って、寝ました。

翌日は終日ローマ観光。

バチカンやサンピエトロ寺院、コロッセオやトレビの泉、スペイン広場などに行きました。
建築物などの圧倒的な迫力とものすごい人ごみと猛烈な日差しに体も心も疲れ果てた一日でした。

①バチカン美術館の前庭です。大きな松ぼっくりのモニュメントがありました。ローマではたくさんの松を見ました。
松があんなにもたくさん植えられているのは意外でした。造形は日本と違い、笠のように剪定されていました。
老人とブログの海-バチカン美術館中庭

②バチカン市国の国境線です。往来は自由です。
老人とブログの海-バチカン市国国境

③サンピエトロ寺院です。
老人とブログの海-サンピエトロ寺院


話は変わりますが、猫のタマは昨日入院しました。1週間の検査入院です。肝臓が傷んでいて症状はかなり重篤なようです。


帰国しました

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29日夕方帰国しました。

暗くなってから家にたどり着きましたが、車を降りるなりどこからかニャーニャーと大きな猫の呼び声が聞こえました。部屋に入り雨戸を開けると庭の向こうの闇から白い猫が鳴きながら走ってきました。
紛れもなく我が家のシロでした。
餌と水はご近所にお願いして朝夕テラスの餌場においてもらっていたはずでしたが、部屋の中に飛び込むと、ひとしきりニャーニャー鳴いていました。
そのあと、しばらくして落ち着くと居間のソファーで体を伸ばして寝てしまいました。

もう一匹は明日の朝、病院のホテルに迎えに行きます。

旅の報告はおいおいここでさせていただきます。