猫話

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恒例の朝風呂で宮部みゆき『日暮らし』を読んでいたら、シロがにゃあといいながら浴室に入ってきた。水を飲みたいのかといつもおように裏返したバケツの裏に水を少しためてやったら、そこで飲まずに書架台の代わりに半分はずさずおいてある風呂の蓋の上に乗ってきた。
私が読んでいる本の横に来て、風呂の湯を覗き、左前足をつけて、それを舐めてのどを潤している。何度も繰り返してから、蓋の上にごろりとうずくまった。

浴槽の蓋の上で寝る猫のことは、ネットなどでも見かけるので珍しくはないのかもしれないが、昨年までいた三毛のタマは初めのうちまったくそういうことをしなかったので、シロがきて最初の冬に風呂の蓋の上で寝ているのを見て私はとても驚いた。そのうち、タマもそうするようになったので、なるほど猫も学習するのだと感心したものだった。シロのほうが何かにつけて無作法で不器用で、タマのように引き戸を器用に開けることは今でもシロにはできないが、たまにはこうしてシロが教えることもあった。

そのタマは、こうして湯を飲むことは一度もしなかった。
シロが前足を湯につけて飲んでいることは、妻には言っていない。
彼女も猫をかわいがっているが、この動作にかぎっては、きっと不衛生だといって嫌がるだろうから。

夫婦に秘密のあることは、当たり前のことだ。
風呂に身を沈めて小説を読んでいる私の鼻先で、今はのんきに眠っているシロの顔を見ながら考えた。

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真夜中に

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昨日のシロは、居間の整理ダンスの上で終日眠っていました。
妻はほとんど一日所用で出かけていました。私もお昼前に出かけて軽食喫茶の冷やし中華を食べ、二つほど買い物をして二時間後に帰ってきたら、出かけるときと同じ場所に同じ姿勢でシロが寝ていました。夕方妻が帰宅したときも同じ姿勢でした。
そのせいか、夜の八時ころになって外に出せと鳴きました。
そのまま今夜は外で過ごさせることになると思いつつ、居間の掃き出し窓からシロを出しました。
私は早々と睡魔に襲われて九時には寝てしまったのですが、そのせいで午前零時に目が覚めました。
風呂に入り一息ついてから書斎に来て庭に向いた掃き出し窓を開け、網戸にして夜風を入れながらパソコンに向かって昨日のニュースなどを読んでいたら、暗闇からニャーと呼ぶ声が聞こえました。
シロが網戸の向こうで私を見上げていました。
居間に回って窓を開けると、ニャーといって飛び込んできて、早速えさを求めました。
えさを与えて、私は書斎に戻ったのですが、こうした紛れのない会話の成立に、ちょっとした充足感を感じたのでした。
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テレビドラマ『セカンド・バージン』。
何かと忙しくて、録画したものを追っかけて観ているが、なかなか追いつけない。
昨夜も少し観た。そして、ヒロインの飼っているネコが彼女の心情や彼女のおかれている環境を浮き彫りにする小道具として効果的に使われていると、感じた。
夏に死んだタマのことを思い出した。
仕方が無かったとも思うのだけれど、かわいそうなことをした、もっとやってやれることがあったのではないかなどとも思ってしまうのだ。

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マット

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昨日、帰宅したら玄関の上がり口のマットが変わっていた。
居間に行くと、妻がマットに気付いたかとしきりに言うので、「うん」と答えたが、なにやら不満そうでもっと感想を欲しがった。しかしどんな模様だったか、そのときはすでに記憶に無くて、何も言いようが無かった。
玄関脇の書斎に戻るときに見たら猫の後姿が並んでいて、なかなかかわいいなと思った。
やがて妻がわざわざ部屋まで来て、言った。
「真ん中に「タマ」がいるでしょう。店の前で見かけたとたん「買ってください」って言われたような気がして、迷わずに買っちゃった。」
二度目にマットを見たとき、もしかしたら彼女はそんな気分なのかなとは思ったが、言われてみて、妻の心の中にもあの猫が深く住み着いていることが、改めて分かった。
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失踪

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もう丸二日シロが帰ってこない。
こんなことはかつてなかった。

昨日は、時間を見ては妻が庭に向かって呼んでいた。雨戸の戸袋をたたいて音を立てたりもしていた。
昨日から今朝に掛けては強い雨も降り続いていた。そのせいでどこかにもぐりこんで雨宿りをしているのかもしれないと持ったりした。

昨日は寝るまで、しょっちゅう妻が猫を呼ぶ声がしていた。
今日は、あきらめたのか、もう庭に向かって呼ばなくなった。

私は何かと、死んだタマとシロを比べていた。
タマはこうだったとか、タマならばこうしていたとか。

しかし、続いて二匹目もいなくなるとは考えてもいなかった。
タマは目の前で死んだが、シロはその生死すらわからない。

それはそれでまた、心がざわざわと波立ち、無性にさびしい。
不意に帰ってきたら、きっとひどくうれしいだろうと思ったりしている。

永訣の…

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一昨日あたりから石田衣良『チッチと子』を読んでいた。
妻を失って小学生の一人息子と暮らしている小説家の話だ。
息子の教科書に宮沢賢治の『永訣の朝』が出ていて、宿題でその朗読を父親の主人公が聞いてやる場面が出てくる。
数年前に不慮の事故で死んだ妻のことを忘れられないでいる小説家は、息子の朗読を聞きながらひどく心が揺れてしまうのだ。

私は、朝風呂の中でそのくだりを読みながら、飼い猫「タマ」の死にゆく時間に寄り添っていたときのことを思い出した。
愛する妹の死を見つめる賢治の気持ちと一緒にすることはもちろん「不敬」でさえあると思うのだが、それでもタマを見つめる私には

 けふのうちに
 とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ

と呼びかけた賢治の心と響きあうような思いが確かに生まれていたのだと思う。

そして、私がそのようにあの猫に愛惜の情を持ち続けているのは、あの猫がまぎれもなく私を受け入れ私に依存していたからだと、改めて気づいた。
それはまた、私もいつしかあの猫になにがしかの依存をしていたことに他ならない。

妻はタマのことを思い出すとき、「あの子はあなたになついていたわね」という。
しかし、彼女なりにさまざまの思いがあると見えて、私が寄り付かない庭の片隅の墓所に毎日行っては草をとったり周りを片付けたりしている。
リビングにも、彼女の求めに応じて私がパソコンから出してプリントした写真を何枚も貼って、こうすればタマのことをいつも思い出してやれるからという。
しかし、まだ若いころのタマがテラスから大きな目で見上げているのを俯瞰して写した写真は、リビングの低いテーブルの上においたまま、貼らずに放置してある。
「ここにおいておくと、本当にタマがこうして見上げているような気がするの。」と言う妻の言葉を聴いたとき、私は彼女の知らなかった一面を見たような気がした。
確かに、最後の最後に、タマの死の瞬間を看取ったのは、私ではなくて彼女だった。

老人とブログの海-見上げる猫


報告の前に

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旅の報告の前に。

猫のタマの調子がとても悪くなりました。

昨夜知人と会って話し込んで、午前0時過ぎに帰宅したら、「タマが何回も吐きました」という妻のメモが食卓上に残っていました。
風呂に入っていたら、いつものようにタマがやってきて風呂の蓋に乗ってきましたが、間近で見ると表情が少し険しくなっていました。少し私のそばにいて、蓋を降りていきました。
寝ていたと思っていた妻が起き出して来て風呂を覗き、タマの食欲が半日無かったことと、早く寝なさいということを言って寝室に戻って行きました。

風呂から出ると、ダイニングの床に寝ているタマを見て、午前1時過ぎに寝ました。
帰国した夜は午前3時過ぎ、昨日は午前2時過ぎに寝たので、こうして早めていけば時差ぼけは解消だなどと考えながら、すぐに眠りに入りました。

ふと3時半に目が覚めました。
起き出して見ると、タマが居間の床で、ぐったりとつぶれるように寝ていました。
ダイニングの床に、液状の嘔吐物がありました。きれいにふき取り消毒用のアルコールで拭きなおしてから、タマの口の周りの少しの吐しゃ物も掃除しました。
体に触れるとタマは薄目を開けましたが、反応は鈍く手足にも力はありませんでした。

妻が目を覚まして寝室から、声をかけてきましたので、タマの様子が悪いといいました。
妻が起き出して猫の脇に座り、よく頑張ったのにねえ、などとつぶやきながらその体をなではじめました。
猫は時々尻尾で返事をしていますが、姿勢はほとんど動かず体にも力が入らないようです。

私がこうして書斎でパソコンを打っている間も、妻が猫をなでています。猫は時々薄目を開けますが、声もなく体に力も入りません。

帰国して病院からつれて帰った一昨日は、餌もそれなりに食べ始め、鳴きながら私たちについて回る様な動作もあって、思ったより元気だと安心していたのですが、今は、もしかしたらもうだめかもしれないという感じもしています。

今度の旅はいろんな意味で、私たちの生活の一つの転換点になったのかもしれないと、ふと思いました。

添付写真は、コロッセオから見下ろしたコンスタンティヌス帝の凱旋門です。
老人とブログの海





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二週間に一度の診察治療のため、昨朝タマを病院に連れて行った。
毎回打たれる抗生物質のほか、今回は月に一度くらいの痛み止めを打たれた。帰宅してじばらくは、珍しく庭を走ったりしていたが、午後は、テラスのダンボールの箱にうずくまったまま動かなくなった。声をかけると、顔を上げたり耳を動かしたりしていたが、水も飲まず、餌を食べにも来ない。
私がテラスに下りると、いつもなら箱から出てきて、そのときの気分で身を寄せてブラッシングをねだるか庭に逃げるかするのだけれど、昨日はまったく動かなかった。
室内に入れて餌のそばに連れて行ったが、一瞥しただけでテーブルの下にもぐりうずくまった。そして次第に寝ている格好もだらしなくなり、最後は完全にぐったりと体を投げ出したようになった。
病院の誤治療も疑ったが、なんとも判断はつかず、翌朝の様子ではまた病院にいかなければならないし、最悪の場合は朝冷たくなった姿を発見することになるかもしれない、などと思った。

寝る前に妻が、タマの好物の鰹節の削ったものを鼻先に持っていったら、寝たままで口を動かして食べたという。水も少し飲んだし少量の尿も出たというので、少し気分が落ち着いて寝た。
不思議なことだが、元気のいいシロも、夕方部屋に戻ってからはずっとテーブルの下のたまに寄り添って寝ていた。餌も食べずいつものように部屋の中を歩き回ったり箪笥の上に上ったりもしない。まったくタマと同じように具合が悪そうな風だった。

今朝目が覚めて布団の中で身じろぎをした。その気配はちゃんと隣の居間にいる猫たちには分かるらしい。すぐにシロがいつものように寝室と居間の間を仕切っているふすまをつめで引っかく音がした。
私が居間に出て行くと、シロが足元に絡み付いてきた。タマは夜のうちにテーブルの下から動いて、ソファーの上に丸くなっていた。
窓際の給餌皿をのぞくと、昨夜入れておいたタマの餌はきれいになくなっていた。
シロは硬い粒状の餌だけを食べてタマ用の練り餌は食べないので、タマがちゃんと食事をしたことが分かった。キッチンに向かった私の足元にタマがソファーから下りてきてまとわり着いた。
餌を皿に入れるまでついて回り、あっという間に食べた。

シロは、餌を食べると勝手口で鳴いて外に出たがったので、すぐに出した。
タマは風呂で新聞と本を読んでいる私のところに来て、浴槽に渡したテーブル代わりのふたの上にのり、時々私の顔を見たりのどを鳴らしたりしながら、のんびりと寝ていた。そして私が風呂から上がると、一緒に浴室から出てまた餌を求めた。
そして、餌を追加したらすぐに食べ終え、今度は窓を開けるように求めたので、外に出した。

タマは病気もちで、昔のように元気な姿は見られないが、とりあえず最近の小康状態に戻った。
今回のことは、昨日の投薬の副作用だったと思うのだが、その投薬は、それはそれで必要なことらしい。

猫の健康に一喜一憂することさえ後ろめたくなるほどひどい話の続く最近の世相だが、それでもやはり猫の様子が気にかかって、昨夜は気の重い一夜だったのだ。

ぐらり

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朝風呂から上がると、三毛猫が足元に寄ってきた。
私の移動にあわせてまといついてくる。
見下ろすと、体を摺り寄せながら見上げて、私のくるぶしの上で体をこすり、ついでにそばのたんすの角でも体をこすっている。
私と瞳を合わせながら体をひねったので、タマは不意にぐらりとよろめいた。すばやく体勢を立て直し何事もなかったようにまた体をこすりつけてくる。
不器用なやつめと、内心ちょっと笑いながら一歩を踏み出そうとして、私もかすかによろめいた。

なんだこれは。

どんどん猫とシンクロしている。