漫談

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昨日車を走らせていたらラジオからおとこの漫談が流れた。

短いコントのようなしゃべりを淡々と続けていくのだ、面白くて何度も笑い声をあげてしまった。

番組の司会者が、ナオユキという名を口にした。

後で、YOUTUBEで調べた。

ネタのひねりとしゃべりのテンポや調子、間がうまくはまると、へそのあたりがひくひくして笑ってしまう。

動画付きより元だけ聞いたほうが面白い気がした。

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雨が降っている

テーマ:
昨夜から音を立てて雨と風。
九州からの、つらい知らせがテレビやネットにあふれている。
ありふれた日常に漂いながら、被災者の悲しみと苦しみに同調する瞬間の、あの身震いする感覚。
5年前に聞いた言葉、サバイバーズ・ギルティ。
午前四時。
闇の中で目覚め、布団を抜け出し、扉を開けて、雨と風を確かめる。
天気の回復の兆しはあったが、数時間目までの、九州の人々の不安とおそれの気持ちが、ありありと感じられ、慌てて家の中に逃げ込んだ。

何をすればいいのだろうか。




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熊本地震

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ネットで情報を追いかけていたら、午前一時を過ぎてしまった。
熊本では雨が降っているのだろうか。
不安と疲れの中で暗い夜を耐えている人々のことを思う。
亡くなった人々のことを思う。

人を襲う災害の半分は自然の非情なな営みだが、残りの半分は人に由来する。
危うさに目をつぶり、目先の利害に目がくらんではいないのかと、いつも思ってしまう。

人の知恵はいつも、出来事の後を追うばかりだ。

なでしこジャパン

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妻の義父訪問の運転手をした。
車のラジオから、女子サッカーのワールドカップ準決勝の実況放送が流れてきた。イングランドのオウンゴールの瞬間の中継は、最初はアナウンサーも戸惑っていて様子がよくわからなかった。
試合後の宮間あやキャプテンのインタビューが印象に残った。「もちろん相手にとってはアンラッキーなゴールでしたけど、気持ちで押し切れたんじゃないかと思います」という言葉は良く行き届いていたと思う。
文脈は「棚ぼたで転がり込んだ勝利のようだが、それは自分たち自身の闘いの結果だった」と聞けるが、それを「相手にとってはアンラッキーなゴール」といいあらわしたところに、戦った相手選手への思いやりが感じられたから。
夜のNHKニュースの字幕で、「(自分たちにとって)ラッキーなゴールだったけど」と誤表示しているのを見かけて、余計その思いを強くした。

音もなく

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不意に、矢のように時間が流れてゆくと感じた。

義父が有料老人ホームに入って2カ月が過ぎる。
義弟は、週に5日、きちんとスケジュールを組んで訪問している。妻は1週間か2週間に一度訪問する。孫の世話などが間に入ることと、往復の時間を考えると一日仕事になるので、そう頻繁にはいけない。
妻が行くときは私が車を出す。
義弟は歩いて訪問しているしいつも一人なので、義父の外出希望には応じない。その代り時間が許せば週末に自分の家に連れて行く。
妻と私は車で行くので、義父は外に連れ出してほしがる。ここは格子なき牢獄です、という。
車いすを積み、義父と、補聴器の調整にデパートへ行ったり、妻と義弟が少しづつ片付けている、昨年末まで住んでいた部屋を訪問したりした。
そして、蕎麦屋やファミリーレストランで昼食をとる。しかし、ほとんど何も義父の口には入らない。
義父は、ほとんど食事がとれないので、体力がどんどん衰えている。だが頭は驚くほどしっかりしている。
車を走らせながら、ずっと無言の義父に、疲れませんかというと、気分は最高です、という。後ろの座席なので顔が見えないのだが、隣にいる妻の話では、じっと外を見ているらしい。

昨日も、義父をホームに戻した後、いつものように義父の旧宅であるマンションの部屋に入った。
妻が、冷蔵庫の中を掃除して、「これで空になったわ」と言った。
義母が生前丹精し、その思いを継いで義父が手をかけていた鉢植えの草花や観葉植物は、すでに義弟がおおむね処分し終わっている。
義母と義父が暮らしていた生活空間そのものが、なきがらのような姿になっている。

書をよくしていた義母の短冊と額と色紙が、それぞれの場所に、掛けられたままになっている。

色紙は
 足摺の岬に立てば 遥かなる 大海原の碧き細波 
額は
 源は 柳なるべし 春の水
短冊は
 霧氷散る 音のかそけき 深山かな

どれも流れるような草書や変体仮名で書かれていて、ところどころしか読めなかったので、色紙と短冊は読める言葉を元にしてネットなどで調べ、本来の歌や句にたどり着いた。
色紙は前田百花、額は大島蓼多、短冊は下田四大。

額の大島蓼多の句だけは、義母の生前に尋ねて読んでもらった。
義弟も妻も義父も、誰もこれらの書については、何と読むのか、意味は何かなどを尋ねてはいない。
私は、少し良いことをしたのではないか。
ところで、これらの歌や句を手本に選んだ母は、何も考えずにただ手本にあるものを書いたのだろうか、それとも作品を自分の住処に飾るにあたって、その言葉の意味を選んだのだろうか。
自然の姿を切り取って描きながら、読み手歌い手の心象が言葉の間からにじみ出てくるような作品がそろっている。
義母は絵に書いたような良妻賢母で、その心の奥底の思いをほとんど私などに見せることはなかったが、一度ゆっくりと聞いてみたかったと、今しみじみと思っている。

御嶽山

テーマ:
大自然の現象としては、ごく些細な出来事かもしれないが、人間にとっては、大悲劇となってしまった。
自然をコントロールできていると考えてはいけないと、何度も思うのだけれど、私たちはすぐ忘れてしまう。
たくさんの、失われた命と、その方々と親しく暮らしていた人々に、心からのお悔やみを。

テニス 全米オープン

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錦織選手の活躍にはワクワクさせられた。
テレビなどで、たくさんの懐かしい名前と顔に出会えたのも楽しかった。
最近はテニスのニュースから遠ざかっていたのだが、テレビで、マイケル・チャンとか神和住とか、福井烈とか、沢松奈生子とかの顔を見たことも、久しぶりだった。沢松奈生子は、はじめ沢松和子と勘違いして、その若さにびっくりした。伊達クルム公子が彼女より年上で、今なお現役でいることのすごさを、改めて感じた。
いつものことだけど、メディアの司会者の大騒ぎと、錦織選手が勝つことが間違いないかのような解説には、違和感が付きまとった。
断片的な報道の映像で見ただけだけれど錦織選手のプレイは本当に堂々としていたと思う。だから、彼の健闘は心からたたえたい。そして、それにもまして、決勝の後のコートでのスピーチには感心してしまった。
まず、マリン・チリッチが自分らしいプレーをしたのに、彼自身は自分らしさを出せなかった、とゲームの流れを分析。続いて、チリッチ選手とそのチームを称え、コングラチュレーションという言葉で祝福した。続いて、自分を支えてくれたコーチやチームに感謝をし、その努力に報えなかったことを何度かアイムソーリーという言葉で詫びた。
更に、最後に勝てなかったことはとても残念で悔しいが、とても楽しい2週間だったし最後の試合ができたことは良かったと述べ、大会にかかわった主催者や観客などすべてに感謝の言葉を述べ、来年もこの場所に戻ってきたいと、決意を述べた。
24歳の青年が、全精力を傾けた試合の直後に、しかも敗者として述べる挨拶として、あまりにと行き届いていて、本当に驚いた。

日本人の誇りとして彼を称えるのは結構だが、彼の強さや冷静さはむしろそうした狭い枠組みを自ら打ち破って世界に飛び出していったことから生まれているような気がした。
彼が示した自負と他者への敬意との見事な調和を国民全体のものとできた時に、初めて日本もまた世界に誇れる国になるのではないかと思った。


夜明け前に

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昨夜早く就寝したら、真夜中過ぎに目が覚めた。もう一度寝ようとしても目がさえて眠れなかったので、起きだして机に向かい、明日(いや、今日)の午前中に済まさなければならない仕事に手をつけた。
すぐに飽きてしまい、パソコンを開いていろいろ考えてしまう。
春分の日が近いので、そろそろ東の空は白み始めているかもしれない。
暖房はつけたけれど、部屋の空気は入ったときから冷たくはなかった。

この作業が終われば、私が45年以上続けてきた仕事は本当にお仕舞い。

でも、今は能率がぜんぜん上がらないので、もう一度布団に戻って、目が覚めたら仕上げることにする。