ノーベル文学賞にボブディランが選ばれたことについては、へーという感想だった。

 

懐かしいボブディランそのものよりも「学生街の喫茶店」というガロの歌を思い出した。

「学生でにぎやかなその店の 片隅で聞いていた ボブディラン」という歌詞の巧みな時代の写し方が、「風に吹かれて」などを下手な英語で声を合わせて歌っていた少し前の自分を思い出させて、ガロの歌は、流れ始めたころ何度も口ずさんだ。

 

今回、初めて「学生街の喫茶店」についてネット検索してみたら、ボブディランは私より二つ三つ上の、いわば同世代だが、この歌の作曲も作詞も私より十歳くらい上の人物の仕事だった。

 

そして、ボブディランはノーベル賞どこ吹く風で受賞をどうするか返事もせずに今も歌っている。

 

時は流れた。

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鰯雲

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昨夜、プレバトというテレビ番組を観ていた。

私はいつも主に俳句だけ。妻は俳句と生け花。

芸能人たちの多芸ぶりと判定者の批評の説得力を、素人なりに判定・評価して楽しんでいる。

 

昨日、名も知らぬ若いタレントの作品が紹介されて、「あっ」となってしまった。

作った作者の感性も、それを高く評価した選者の目も、それを放映したテレビ局の番組作りの姿勢も、印象に残った。

 

鰯雲  蹴散らし一機  普天間へ    横尾渉

                  評者      夏井いつき

(原作の 「普天間に」 を評者が 「普天間へ」 に添削)

夏の終わり秋の始まりをよんだ作品として、私にはわすれられない句になった。

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水虫と国家転覆と

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しばらく前から、左足の指の間がかゆい。
水虫再発かと恐れて、以前かかった皮膚科に出かけた。案の定、水虫ですといわれて、以前と同じ塗り薬を処方された。
少し落ち込んだ気分で車を走らせながらラジオを聞いていた。
NHKの「すっぴん」というトーク番組が流れていた。アンカーは藤井綾子、金曜日のレギュラーパーソナリティーは高橋源一郎。
途中から聞き出したのでゲストの名前を聞けかなったが、彼が何度も何度も「国家転覆」と言ったのが無性におかしかった。
音楽を作ったり文章を書いたりしているらしいのだが、その創作の発想やモティベーションを聞かれるたびにこの単語が飛び出した。
それを、司会者もパーソナリティーも相手にしないのが、漫才のやり取りみたいで、お互いによく慣れていることが分かった。
そして「国家転覆」という言葉の持つ本質的な滑稽さが、その会話から浮き彫りになってきたような気がした。
水虫に悩む私の小ささと国家転覆を連発するクリエイターの異才との距離に一人でうけていた。
番組の最後に、ゲストの名前が繰り返された。
中原正也。
ネットでちょっと経歴などを調べた。なかなか興味深い。
離れて話を聞く分には面白いけど、脇にいたらめんどくさいかもしれない。

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いきなりめんどくさい

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少し前のこと。
千葉県警が「振り込め詐欺」の「受け子」とみられる人物の写った動画を公開した。
被害者からお金を受け取った若者が、タクシーに乗り込み、「まず動いて」と行き先を言わずに発車させてから、携帯電話で誰かに行き先の指示を受けていた。指示された行き先を告げたが運転手からそこは営業区域外でいけないと言われて、仕方なく一旦車を戻し、携帯で先の指示者らしい人物に「運転手がいきなりめんどくさいんですけど」と言っていた。
妻と二人でその映像を見ていて思わず吹き出した。
「いきなりめんどくさい」がいかにも今の若者風な気がしたのだ。
そんな言い回しが今は若者たちの間で流行っているのかと思った。
「いきなり」という、唐突な出来事の変化を意味する言葉が、若者の、想定しない事態にぶつかった気分を うまく表していると思った。
これは全くの誤解だった。
ネット上のニュースによれば『(動画を見て寄せられた)情報の30件以上が仙台市周辺の住民や出身者からだった。住民らは「いきなりめんどくさい」との男の発言について「仙台弁では」と指摘。「いきなり」は仙台市周辺や福島県北部などで「すごく」や「とても」などの意味で使われることがあるという』ということだ。
そして、動画に映っていた本人が母親に付き添われて出頭した。仙台在住だという。
以前「たちまち」という言葉を「今すぐ直ちに」という意味で使う四国出身者と知り合いになったことがある。
言葉はとても興味深い。



木枯らしの季節

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今朝の「朝日俳壇」に、山口県の方の「渡りきて木枯島の戸を叩く」の句が選ばれていた。
すぐに山口誓子の「海に出て木枯し帰るところなし」を思い出した。
あの時の木枯しは海面を吹き抜けてここに届いていたのかと、勝手に感じ入った。

山口誓子の句には、20年近く前に訪れた、伊勢の記念館で出会った。
心にしみて時に触れ思い出していたが、その時以来ずっと、言葉そのままに冬の情景か心象をうたった句と思っていた。
すぐに誓子の句を確かめるためネットで検索した。
この句は1944年頃につくられたもので、「木枯し」には「特攻兵士」の寓意もある、とする解釈が複数紹介されていた。
この解釈は今の今まで私には思いもよらなかったことだったが、それを知って改めて「渡りきて…」の句を読むと、これが何やらきわめて辛辣な時勢批評の句にも思えてきた。

70年前のこの国やアジアの死者たちは、帰り来て今の私たちをどのように見出しているのだろうか。

安全という…

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「神話」と言い表すのは、それ自体が、欺瞞だ。
安全でないことを知っているか、知らないまでも到底安全と保障などできないことはわかっていて安全と言い張るのは、ただの嘘つきだ。

広島の災害を見てまたそう思った。
原発も、薬も、航空機も、長距離バスも、食品添加物も。

この夏、NHKテレビの録画で日航機事故のドキュメンタリーを見た。
事故が発生してから墜落するまでの数十分の、機内の様子の音声が初めて再生された。
今はキャビンアテンダントというそうだが、当時は、客室乗務員の女性はスチュワデスと呼ばれていた。そのスチュワデスが気丈に乗客たちを励まし、いろいろ注意を与えている声が、断片的に聞こえた。
かつて私のクライアントだったOさんも、この日航機に乗務していて亡くなった。
就職後数年、国際路線に乗務していたが、体がきつくなったのでそろそろ国内路線に戻りたいと希望し、ようやく戻って数回目のフライトだったと、弔問した時彼女の父親が話してくれた。

事故後しばらくして自宅で行われた葬儀には出られなかったので、何日かして、一人で訪問したら、まだ祭壇が座敷にしつらえてあり、事故当時着ていたという制服がきちんとたたんで祭壇のわきに置いてあった。
服はほとんど痛んでいませんでしたと、焼香し終わった私に、わきで見守っていたと父親が言った。事故を起こした会社側の人間だったので、父親は悲しみを表すことも控えめしているのかと思えた。

テレビから切れ切れに流れてきた、乗客を励ますあの声は、もしかしたらOさんの声かもしれないと、勝手に思った。
あの父親はまだ存命だろうか。弔問の際父親とともに応対してくれたOさんの兄はこの放送を視聴しただろうかなどとぼんやり考えた。

あの事故の原因は本気で追究されたとは思えない。
それは、たくさんの事故や事件の原因追究について回る疑惑だ。

私が知っていたころのOさんは、静かで笑顔のさわやかな女性だったが、思い出そうとしてもその笑顔がぼんやりとしか思い浮かばなかった。
録画を見終わった後の私は、やりきれない思いだった。



健気

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娘に長男が生まれて2週間が過ぎます。
新生児によくある黄疸の検査が入り、予定より一日遅れて我が家に帰ってきた新しい孫は、元気に寝て泣いて母乳を飲んでまた寝てを繰り返しています。  

二歳になった孫娘は、自己主張もはっきりし、好奇心にあふれて目を光らせながら日々パワーアップしていますので、主にその世話を受け持った私も、大幅に増えた家事全般を一人で背負いながら、介護に行けない高齢の父親を気遣っている妻もかなり疲れがたまっています。

元気一杯に見える孫娘の行動を見ると、彼女もまた大いにがんばっているのだということがよくわかります。
みんなで食事をしているときに、少し離れた部屋に寝かせてある弟が泣き声をあげると、真っ先に聞きつけて「**ちゃん泣いてるよ」と母親に言うのはこの娘です。しかし代わりに私の手助けを受けて食事をしながら、新生児にところへ行った後の母親の空のいすを始終気にかているのもこの娘です。寝付いた弟をおいて帰ってきた母親に手を出して、たいした意味もなく呼びかけているのを見ると、弟を迎えて彼女が如何に自分をコントロールしようとしているかがわかります。
数日前の夕食後のこと、居間でテレビを見ている私のそばで遊んでいた孫娘は、突然他愛の無い用事を作って、「お母さん」と呼びながら部屋を出て行きました。
そのとき娘は洗面所の乳児用風呂桶に湯を張って、長男を風呂に入れていました。
妻がその様子を見守っていました。
孫娘は、母親を探して洗面所に行き付き、ほんの少しの間そこにいてふらりと居間に戻ってきた後、私のそばで先ほどまでと同じように一人芝居をしながら遊び始めました。彼女の雰囲気が妙に静かなので、妻に洗面所での様子をたずね、孫娘は母親が弟を入浴させているのを後ろから何も言わずにしばらく眺めた後、すっと出て行ったと聞きました。

そんな孫娘を見ていると、「健気」という言葉が思い浮かびます。

子育てという仕事の大変さを、ずっと忘れていました。
私たち年寄り夫婦も、悲鳴を上げながらいろんなことを学んでいる毎日です。


孤独死ということ

テーマ:
クレイジーキャッツのメンバーだった桜井センリ氏が自宅で死んでいるのが発見されたという。
「自宅でひっそり」と書いてある記事もあるが、「孤独死」としている記事も見かけた。
断片的に書かれたいくつかの記事を読み比べると、桜井氏は、最近までそれなりに元気に一人暮らしを続けていたらしい。そして、近所の人が少したまった新聞を見て警察に通報し、その死が発見されたということだ。
「孤独死」という言葉に少し引っかかった。
確かに、息を引き取る瞬間を医師や家族に見守られて逝く人もいるが、そうなったのはある種のめぐり合わせに過ぎない。
それなりに暮らしていて、数日のうちには誰かにその死を見つけてもらえるならそれは、孤独な死とはいえないのではないか。
言い換えれば、私自身の生活も、数日誰かと会わないし話さない程度の孤独とは、いつも隣り合わせている気がする。
つまり、私の死も。
そんなのは、あえて孤独ということではないのだと、ふと思った。

人は一人で生まれて一人で死ぬ。

完敗

テーマ:
今週前半に仕事が一段落したので、昨日、古雑誌や新聞を少し整理した。
古い週刊誌を捨てる前に、そのうちの一冊のクロスワードパズルに挑戦してみた。
雑誌掲載のクロスワードパズルはたいてい解けるつもりでいたが、週刊新潮36号の「文殊のストレッチ」には完敗だった。

私が入れられなかった言葉。
アイアイ ボソウニチ アルマダ ルーベンス アベマリア インネン タオ 
このうち最初の三つは、言葉そのものを知らなかった。後の四つは、ヒントに答えられなかったもの。

もちろんこの世には私の知らないことのほうがめちゃくちゃ多いのだけれど、このクイズは週刊誌のクイズとしては、最近見たもののうちで最強だった。

I’m still alive.

テーマ:
以前書いたような気もするけど。

古いクライアントが、一人でイスラエルのキブツに入って、FAXで連絡をくれた。
それが、I'm still alive.
びっくりしたけど、その後彼女は帰国して、結婚して、かわいい子供を生んだ。

もう数年、音信不通だけど、きっと元気だと信じている。

私も今夜は、なぜだろう、「どっこい生きてる」って言いたい気分。

孫の笑顔が体の芯をしびれさせるからかもしれない。
でも、もしかしたら、遠くへ行ってしまった友人のことがひどく懐かしく思えるからかもしれない。

ひとり、書斎でウィスキーをなめながら、いろんなことを思い出してるのは、結構気持ちがいい。