いきなりめんどくさい

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少し前のこと。
千葉県警が「振り込め詐欺」の「受け子」とみられる人物の写った動画を公開した。
被害者からお金を受け取った若者が、タクシーに乗り込み、「まず動いて」と行き先を言わずに発車させてから、携帯電話で誰かに行き先の指示を受けていた。指示された行き先を告げたが運転手からそこは営業区域外でいけないと言われて、仕方なく一旦車を戻し、携帯で先の指示者らしい人物に「運転手がいきなりめんどくさいんですけど」と言っていた。
妻と二人でその映像を見ていて思わず吹き出した。
「いきなりめんどくさい」がいかにも今の若者風な気がしたのだ。
そんな言い回しが今は若者たちの間で流行っているのかと思った。
「いきなり」という、唐突な出来事の変化を意味する言葉が、若者の、想定しない事態にぶつかった気分を うまく表していると思った。
これは全くの誤解だった。
ネット上のニュースによれば『(動画を見て寄せられた)情報の30件以上が仙台市周辺の住民や出身者からだった。住民らは「いきなりめんどくさい」との男の発言について「仙台弁では」と指摘。「いきなり」は仙台市周辺や福島県北部などで「すごく」や「とても」などの意味で使われることがあるという』ということだ。
そして、動画に映っていた本人が母親に付き添われて出頭した。仙台在住だという。
以前「たちまち」という言葉を「今すぐ直ちに」という意味で使う四国出身者と知り合いになったことがある。
言葉はとても興味深い。



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音もなく

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不意に、矢のように時間が流れてゆくと感じた。

義父が有料老人ホームに入って2カ月が過ぎる。
義弟は、週に5日、きちんとスケジュールを組んで訪問している。妻は1週間か2週間に一度訪問する。孫の世話などが間に入ることと、往復の時間を考えると一日仕事になるので、そう頻繁にはいけない。
妻が行くときは私が車を出す。
義弟は歩いて訪問しているしいつも一人なので、義父の外出希望には応じない。その代り時間が許せば週末に自分の家に連れて行く。
妻と私は車で行くので、義父は外に連れ出してほしがる。ここは格子なき牢獄です、という。
車いすを積み、義父と、補聴器の調整にデパートへ行ったり、妻と義弟が少しづつ片付けている、昨年末まで住んでいた部屋を訪問したりした。
そして、蕎麦屋やファミリーレストランで昼食をとる。しかし、ほとんど何も義父の口には入らない。
義父は、ほとんど食事がとれないので、体力がどんどん衰えている。だが頭は驚くほどしっかりしている。
車を走らせながら、ずっと無言の義父に、疲れませんかというと、気分は最高です、という。後ろの座席なので顔が見えないのだが、隣にいる妻の話では、じっと外を見ているらしい。

昨日も、義父をホームに戻した後、いつものように義父の旧宅であるマンションの部屋に入った。
妻が、冷蔵庫の中を掃除して、「これで空になったわ」と言った。
義母が生前丹精し、その思いを継いで義父が手をかけていた鉢植えの草花や観葉植物は、すでに義弟がおおむね処分し終わっている。
義母と義父が暮らしていた生活空間そのものが、なきがらのような姿になっている。

書をよくしていた義母の短冊と額と色紙が、それぞれの場所に、掛けられたままになっている。

色紙は
 足摺の岬に立てば 遥かなる 大海原の碧き細波 
額は
 源は 柳なるべし 春の水
短冊は
 霧氷散る 音のかそけき 深山かな

どれも流れるような草書や変体仮名で書かれていて、ところどころしか読めなかったので、色紙と短冊は読める言葉を元にしてネットなどで調べ、本来の歌や句にたどり着いた。
色紙は前田百花、額は大島蓼多、短冊は下田四大。

額の大島蓼多の句だけは、義母の生前に尋ねて読んでもらった。
義弟も妻も義父も、誰もこれらの書については、何と読むのか、意味は何かなどを尋ねてはいない。
私は、少し良いことをしたのではないか。
ところで、これらの歌や句を手本に選んだ母は、何も考えずにただ手本にあるものを書いたのだろうか、それとも作品を自分の住処に飾るにあたって、その言葉の意味を選んだのだろうか。
自然の姿を切り取って描きながら、読み手歌い手の心象が言葉の間からにじみ出てくるような作品がそろっている。
義母は絵に書いたような良妻賢母で、その心の奥底の思いをほとんど私などに見せることはなかったが、一度ゆっくりと聞いてみたかったと、今しみじみと思っている。

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