2~30年の時間の経過を意識させられる話に続けて触れた。

 『ホテルローヤル』は、あるラブホテルが建てられてから廃墟になるまでの話で、そこを舞台としたいくつかの男女関係の造型が評判だった.。私もよく出来た小説としてそれを楽しんだ。が、読み終わってしばらくしたら、中年になってからこのホテルに人生をかけ、20数年後に抜け殻のようなホテルを残して死んでいった男の過ごした時間が、私には気になり始めた。

 毎朝見ているNHKの『あまちゃん』も時間の経過がドラマの大きな要素となっている。
 タレントになることを夢見て上京した、ヒロインの母に起こった20数年前の出来事が、ドラマの現時点の主人公を巡る出来事をさまざまに縛り上げている。
 視聴者は、自分が過ごしたあの頃の情景を懐かしく思い出すだけでなく、20年もp30年も前に自分に起こった出来事が、ただの過去ではなく現在の自分たちをぎりぎりと縛っていることに、改めて気づかされているのではないだろうか。

 安部公房は1993年に死んだ。
 今年の夏、安部公房の愛人だった女優の山口果林が、『安部公房とわたし』という本を書いて話題になっている。
 安部公房は私たちの大学時代には、ある種のカリスマだった。
 わたしは彼にあまり深入りしなかったが、それでもある時期までは『棒になった男』や『砂の女』と縁が切れなかった。もっとも、彼がノーベル賞にひどく近い作家と目されていたことは、知らなかった。 山口果林は、名前も顔も覚えはあったが、女優としては余り印象に残っていなかった。
 安部公房が死んだときに、山口果林との関係が明るみに出て週刊誌の話題にもなったらしいのだが、その頃私は、自分の生活に夢中で、ひと様の好き嫌いの出来事にはかかわる心の余裕は無かったようで、ほとんど記憶にない。そういえばそんな話もあったかなと、今回の本のキャッチコピーに触れてぼんやり思い出したような気がした程度だ。
 それなのに、この本が出たら、わざわざ買って読み始めたのは、安部公房が懐かしかったからだ。
 もっとも読み始めたら、安部公房自身よりも、妻より一つ年下の山口果林とわたしより20ほど年上の安部公房が生きた時代の景色のあれこれが、大いになじみがあるもので、とても懐かしかった。
 その安部公房が死んで20年がたち、山口果林はこの本を書くことにした。
 そのことも、私には印象深かった。

 
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マグカップ

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妻が夫をマグカップで殴り殺したというニュースが流れている。
まず、マグカップで人を殺せるのか、しかも女性が男性を、と思った。

ネット上ではじめてこのニュースを見たときは、夫を怒りに任せて殴り殺した妻の腹立ちの理由が、二つ述べられていた。
一つは、止めたはずの飲酒を行ったこと、もう一つは自分の嫌いな女と付き合ったこと。
今回のニュースでは、「夫の女性関係ややめたはずの酒を飲んで帰ってきたことに腹が立って殴った。」となっている。

ちょうど、山口果林『安部公房とわたし』を読んでいるところなので、つい先ごろ読んだ、安部公房の妻、安部真知の怒りの場面を思い出してしまった。
だから、ポイントは「酒」よりも「女性」かなとまず思った。
一方で多くの場合、妻の怒りはむしろ相手の女性に向かうのではないかと思うし、浮気や不倫への怒りが夫に向かった場合は殺意よりも、いろんな報復や意趣返しに向かいそうな気がする。
しかもマグカップで殴り殺すというのは、その衝動はよほど強いものだと思える。

もしかしたら、うらみつらみの原因は他のことかもしれないし、ことの真相とは時には案外単純なものだから、
ただ単に物の弾みというものかもしれない。

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歌手の死

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 藤圭子が死んだという話を、19時のNHKニュースではじめて知った。
 その人気が峠を少し越えた頃に、私の住んでいる町でワンマンショーがあった。チケットを手に入れたが、予定外の仕事で観に行けず、終演の少し前に会場に滑り込んだ。
 真っ白の衣装で舞台に立ち、さいごの曲として、よく知られたヒット曲を歌っていた彼女は、遠目に見ても夢のようにきれいだった。
 かすれた声と切ない歌詞とその姿とのアンバランスが、ひどく魅力的だった。

 NHKではそうは言わなかったが、ネットを覗いたら、藤圭子をわざわざ「宇多田ひかる」の母と紹介した後で書いてある記事がいくつもあった。
 私にとっては、いまなお「宇多田ひかる」が藤圭子の娘である。


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 今期の直木賞作品『ホテルローヤル』を読んだ。
 都会のラブホテルと町外れの日本型モーテルの違いはよくはわからないが、いずれにせよ「ホテルローヤル」はそんな建物なのだろう。
 ラブホテルの変遷をたどって30年余りの時間をさかのぼり俯瞰する手法は、頭の固くなった私を少し混乱させた。
 しかし私自身が一つの町に40年余り住み続けて、いくつもの家庭や建物やあるいは人間の誕生から死滅や消滅までを見ることができた今、その風景はすこし懐かしい感覚を呼び起こした。
 リアルの世界の知人たちについて「そういえば、彼の(あるいは彼女の)家族(あるいは家庭)もこんな風に姿を消したのだったな」などという感じである。
 ホテルローヤルを建てた男の、自分の人生に対するある種の真面目さと不真面目さ、そしてそれゆえの哀れさや、それに振り回されながら自分の道を生きる女のしたたかさは、読み終わってみると印象深い。
 ホテルに登場する何組かの男女のエピソードでは、寺の梵妻の話が途中まで面白かったが、さいごの落ちがなんだかしっくり来なかった。
 自殺したカップルの話は、シチュエーションを変えればいくらもある話だけれど、(少し前にテレビで見た『拝領妻云々』だって、似たような話題といえないことは無い)そんなときの男の思いは、何度も取り上げられる古くて新しい素材だ。このエピソードでは、妻の想いがもう少し踏み込んで描かれてもよかったかなと思うのだけれど、それでは話の焦点がぼけてしまうのかもしれない。
 逆に言えば、焦点がいくつもあったり、あるいはひどくぼけてしまっている「現実」を、無理やり一つのことに焦点を当てて描かないと、小説や絵画や写真や映画はつくれないのかもしれない。
 少し混乱したまま読み終わった私としては、少しすっきりさせるために、もう一度、時間の流れに沿ってこの小説を、最終章から読んでみようと思っているところである。
 ラブホテル(あるいはモーテル)は、妻との自動車旅行で二三度泊った以外に、一度だけ、一人で入ったことがある。
 40年近く前、出産のため里帰りしている妻を訪問して自宅に帰る途中で、車のエンジンが不調になった。夜の8時か9時頃だった。地方都市の少し町外れの国道の肩の空き地に車を止め、その中古車を購入した自動車工場に公衆電話から電話を入れたら、顔見知りの主人が出て、今いる町の同じ車種を扱う自動車工場を教えてくれた。
 翌朝一番でその工場を訪れることにして、車をそのままにし、私は10分ほど歩いて飲み屋かラーメン屋のようなところに入り、歩いていけるところに旅館は無いかたずねた。すると、近くのモーテルがある。一人でも泊めるんじゃないかなと言われた。
 「うちは、女の子は呼べませんよ」といわれて、ちょっとたじろいたが、泊まり料金を払って部屋に入った。
風呂に入り、ほっとして冷蔵庫から酒を出して飲んでいたら、ガラガラと音がした。隣の部屋の下のガレージが開く音で、客が隣に入ったことがわかった。
 もう少ししたら寝ようと本を読んでいたら、ブーンというようなうなり音が波打つようにかすかに聞こえてきた。何の音か見当もつかなかったが、どのぐらい時間がたったか、やがてその音も止んだ。
 最初のガレージ音がして1時間か2時間ほどで、またガレージの開く音がした。今度は車のエンジン音も少し聞こえた。自分が朝まで泊まる予定だったえいか、隣の客の出入りがひどく早い気がした。
 いよいよ寝ようとして、ベッドの頭のところのいろんなボタンを触ってみたら、天井のカーテンが開いて鏡が現れたり、ベッドがうなりながら波打ったりした。
 それで先ほどの音の正体がわかった。
 それでもまだ、私は隣の部屋であわただしく行われていた行為を、それほど生々しく感じることは無かった。
 私は疲れていたし、明日は何とか車を直し、急いで自分の町に帰らなければならない。
 だからそれ以上何も考えずに眠り込んでしまった。そしてずっとそのことを思い出さずにいた。
 それなのに、不思議なことだが、この小説を読んだ今、私は40年前のモーテルの、見てもいない二人の男女の影を、そこにいるかのようにありありと思い出している。



 







風の音にぞ

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明日が立秋だということだ。
今年は春からあっという間に夏が来て、秋の声を聴く感じ。

先日、妻を迎えに行って久しぶりに義父の顔を見た。
ずいぶん気弱になっていて、「全体として体の調子がよくないのだよ。すぐ疲れるし、いつもだるいような、もやもやした感じで」と、繰り返していた。
96歳を超えているので、この歳になれば寝たきりになったり、意識も朦朧としている人も少なくないだろう。しかし彼は、買い物や知人との寄り合いにも出かけ、身の回りの最低限のことは自分でやっているし、頭もしっかりしている。
それでも彼が元気をなくしている理由の一つに、実姉の死去がある。
義父の一つ上の実姉は、息子の経営する老人ホームにいて、悠々自適の余生を過ごしていた。
体は少しずつ弱っていたが頭はしっかりしていて、半年前に義父に届いた何かの礼状は、見せてもらったがずいぶんちゃんとした字と文章だった。
義父の甥が遣した手紙によれば、亡くなる数日前に見舞いに言ったときは、元気に牛乳をのみ、穏やかな表情だったので当分大丈夫と思っていたのに、その二日くらい後で、眠るように亡くなったということだ。私が義父に会う数日前のことである。
姉は十分に生きたという思いがあるので、悲しんでいる訳ではないのだが、「まだ姉がいる」という、心の張り合いはなくなったようだ。

隣人の姿が数日見えないと思っていたら、思いがけないところから、心臓を傷めて緊急入院をしたという話が届いた。
さらに数日して隣人は何事も無かったかのように戻ってきたので、話の真偽は不明のままである。

こうしたことから、私は自分の体調にいささか疑念を持ち始めた。以前からの妻の執拗な勧めもあったので、とうとう今日、生活習慣病の診断を得意とする開業医の門をたたいた。
そして、血圧の降下剤を処方された。

明日が立秋ということもあって、
 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる
という歌を思い出した。

映画

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先日、映画『風立ちぬ』と『真夏の方程式』を、同じ日に一気に見ました。

その少し前に『嘆きのピエタ』を見ました。

朝ドラ『あまちゃん』も欠かさず見ています。