食べる楽しみ

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妻が塩麹を作った。
分量が分からず、少し塩が多すぎたようだという。
それでも、鳥のささ身にまぶして1時間ほど置いてから焼いたものは、なかなかやわらかく風味もあっておいしかった。ゆで卵をつけたものと豆腐をつけたものは、時間が足りなかったのか、十分な風味を味わえなかった。
いろいろ試してみようということになった。

今朝はびっくりするほど寒かったが、妻が裏から十個ほど蕗の薹を摘んできた。
二人で出かけた午前中の買い物で、胡桃を買ってきて、夜、私が蕗味噌を作った。
蕗を塩水でゆでておいて、包丁でたたき、胡桃は軽くフライパンであぶってから、包丁で削るようにして小さく砕いた。
酒と味醂を混ぜて沸かし、味噌と胡桃と蕗の薹を混ぜて砂糖を加えた。
味見をしながら適当にかき混ぜて、沸き立ったら火を止めて出来上がり。

一週間近く、風邪のせいか胃腸の調子が悪く、食欲がいくらか戻ったのも昨日今日のことだが、まだ本調子とはいえない。

明日には温かいご飯にこの味噌を乗せて、すっきりと食べたいものだが。

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その町の…

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この間、内容の見当もつかないのにタイトルに引かれて『その町の今は』を予約録画しておいた。

数日後に見たら、大阪の町の昔と今を重ねた叙情的なドラマだった。
関西テレビの製作でなにやら賞もとっていた。

主演女優が印象的だったので「中村ゆり」という名前を検索してみた。
昔はYURIMARIというコンビで歌を歌っていたこともあるらしい。
YOUTUBEでその歌も聴いた。

それにしても、どんどん縁遠くなっていく大阪が時々無性に懐かしくなるのはなぜだろうか。
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塩麹

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妻が塩麹を作り始めた。

テレビでも評判、ネットでも評判。
ブログの知人も楽しんでおられる。

なぜ最近急に、と思う。

そういえば、カスピ海ヨーグルトのこと。
我が家ではもう何年も毎朝食べている。
最初は何回に一回か失敗があったが、ビンの消毒を熱湯できちんとするようになってからは一度もないと、妻は言う。

いいのか悪いのか分からないけど、毎朝カスピ海ヨーグルト。
そのうち、何かにつけて塩麹となるのだろうか。
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友がみな

友人に頼まれていた仕事をするため、休日の今日の、午前中を空けておいた。
会う約束の10時の30分前に、その友人から電話で「別のチームがその仕事をもう少し時間をかけてやることになった、ごめん」とキャンセルが入った。ほっとしたが、まったく準備に時間をさいてなかったわけではないので、その時間をどうしてくれるという気分も少しはあった。
思いがけずあいた時間をうまく使えずに午後を迎えた。

昼食後、ネットで大学時代の友人の名前を開いてみた。
大学教授のK君は2年前の著作まで紹介されていて、その後の消息は分からない。モニターには懐かしい笑顔が出ていたが、年賀状は去年今年とこちらから行きっぱなしだ。肩書きがずいぶん沢山ついているので、私の賀状は山の中に埋もれてしまっている可能性もある。

続いて数年前まで大きな保険会社の重役だったS君を検索した。いまは地方の放送局の専務をしている。
彼とは新年早々電話で話した。彼が、共通の友人U君について少し不穏な情報を年賀状に書いてきたので、確かめの電話を入れたのだ。
ネットの情報は、S君について私が知っている情報よりだいぶ古かった。

さらに、コピーライターのO君をさがしてみた。
彼のコピーのいくつかは今でも、名作としていろんな場面で引用されている。中年の感傷を巧みに言葉や場面にしているという気がした。
「筆で生きたい」と大学の部室や近くの飲み屋で言っていたのを思い出す。
ラジオで、宣伝について語ったり、自分のコピーを素材にしたコントのナレーションをやったりしていたことを、今日、ネットで知った。
パソコンから、懐かしい聞き覚えのある声が流れてきた。
相変わらず、きざでセンチメンタルなしゃべり方だった。

Sの結婚式は披露宴に出ただけだが、KとOの披露宴の司会は私がした。そして私の披露宴の司会は一部をOが、二部をKがしてくれた。

Kとは十年以上Oとは30年以上あっていない。
「友がみな我よりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ」という啄木の歌を思い出した。
彼らが私よりえらいとはまったく思わないのだけれど、彼らがまだ元気にバリバリ仕事をしているらしいということが、今日は心にしみた。

私は今朝のことで、自分でも思いがけないほど心が沈んでいたらしい。
4月には今のささやかなパート仕事もやめることになっていて、そう決めたせいか年明けからずっと、なんだか気分がふわふわしているのだ。

もう少し自分の時間を内容の濃いものにしてみようかなと、あてもなく考えてしまった。

寒中

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 先週末から今週はじめまで、妻が実家に行っていた。義父が微熱を出したので、通常のスケジュールを変更して4日ほど滞在した。
 帰ってきて数日風邪気味だと鼻をグスグスさせていたが、昨日の午後から動き回るのをやめて、今日は終日布団の中にいた。昨日の昼食から今夕のご飯までは私が食事を用意し食器を片付けた。
 食事の用意はさておいて、先週の土曜と日曜は私も妻の実家に同行した。年末から正月にかけて、娘とその伴侶、孫が来ていたし、とにかく妻は疲れていたので、実家行きに付き添ってほしがったのだ。車の送り迎えをすると、バスでの往来よりも格段に楽だし、私が義父の相手をすることで妻の仕事の段取りがはかどるというわけだ。
 義父がどんなことがあっても休むことを承知しない、教会での日曜日の礼拝への参加も、車で送り迎えした。義父も喜んだが、妻もひどく感謝した。
 教会から帰る義父を、近くのファミレスで待ちながら、私はなぜ彼に親切にするのだろうと考えた。
 高い矜持を持って高齢を生き抜いている彼に敬意を払っていることももちろんだが、こうすると妻が無条件で喜ぶからだと思い当たった。
 私は、私たちの世代にしばしば見られるように、妻が自分にしてほしいと望むことを、素直にしてやることができない。ただ、義父に親切にすることは、何のこだわりもなく素直にできる。そして、年中文句をいい喧嘩をしているくせに、彼女はやはり義父のことを心から心配しているのだ。
 なぜか、などということはどうでもいいことだが、とにかくそんな風に思ったのだ。
 

謹賀新年

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本年もよろしくお願いいたします。

大学時代の友人からの年賀状。
同い年で、同じサークルに入って、二年くらい過ぎた頃、彼女を横浜の港の見える丘公園に誘いました。2・3時間ほど、芝生やベンチに座り海を眺め、おしゃべりして歩いて、そのまま、もともと横浜に予定されていたサークルの宴会に合流しました。
手さえつながず、ただ一緒にいただけです。

彼女との友達づきあいはずっと続いて、短い近況報告を兼ねた年賀状を交換しています。
今年の年賀状に「昨年、何十年ぶりかで港の見える丘公園に行きました。海が遠くなったようでした。」と書いてありました。
読んだ途端に、彼女を誘う直前の気持ちの高ぶりや、「行ってもいいよ」と答えられた時の嬉しさと安堵の気持ち、サークルの仲間を出し抜いたちょっとした後ろめたさと得意な気分、あの日の、そんな子供じみた感情の揺れの感覚が一瞬だけ蘇ってきました。
その後も何度か港の見える丘公園に行っていますが、そしてその度に「そういえばTさんをここに誘ったんことがあったな」と思い出しましたが、それはただの記憶になっていました。
彼女がそのことを覚えているとは思いませんでした。
彼女が、あのとりとめもなく過ぎた数時間のことを覚えていてくれた、あるいは思い出してくれたことを嬉しく思いました。
そして、私がまだそのことを忘れていないと彼女には分かっていたことに、かすかな驚きを感じました。