一年に一度

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ピアノの調律師が電話をしてきた。いつものように相手が提案してきた日付を都合が悪いと答え、一週間後に伸ばして、先日来て貰った。

一週間かけて、ピアノを置いてある書斎のガラクタを隣の客間に移した。ただひたすら移した。

移しながら、これからの数年間はこの部屋を片付けることで、時間をすごせると思った。

読んでいない本を読み、資史料や文書を分類して整理し、いらないものや本を捨てたり売ったりし…。

そうしていると時間は費やすことができるがそれは、もやは外界から切り離されたいわば私の記憶の中の世界への、
ひたすらの沈潜だ。そうなることへの躊躇を捨てきれない。


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最近はテレビドラマばかり見ているような気がする。

「ビターシュガー」「カレ・夫・男友達」「家政婦のミタ」「カーネーション」

「カーネーション」を除けばみんな、ドラマが現実に追いつこうとしてどうしても追いつけないであがいているような作品という気がする。その脚本家やスタッフやキャストの頑張りがなんとなく好ましくて、見ている。
そういえば、この間見た「ラストマネー」もそうだった。

そして、「カーネーション」も含めて、最近私が面白いと感じるドラマはみんな女性が主人公で男性が脇役だ。

妻は、「八日目の蝉」「セカンドバージン」「ビターシュガー」「カレ・夫・男友達」と続く私のドラマ視聴の系譜を、「あなたはそういう話ばかり見ている」といっている。そういう話とはどういう話かはうまくいいあらわせないようだが、この間は同じ年頃の四人が集まるおばさん会でも「うちの主人なんか…」と語ったらしい。

どういう話の流れからそうなったのかは知らない。
とにかくおばさんたちは、それを聞いて「まあ、へー」といったそうだ。




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落○というドラマ

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落合というプロ野球の監督は面白かった。
高校の野球部を途中退部し、大学の野球部を途中退部し、プロ野球で前人未到の三冠王三度を実現し、生涯2000本安打を実現して資格を得ても、有資格者の中でただひとり名球会入りせず、中日ドラゴンズというローカルチームを8年間で4回リーグ優勝させた。
人間としては偏屈だけれど、プロとしての技術や理論ではきわめてオーソドックスな姿勢を貫いていた。。
あまりメディアでは強調されていないが、彼の野球人としての生き方の特質は、自分自身も含めて個々の野球選手に一人の人間としての誇りを持たせることにあったように思う。
監督に就任するとすぐ、コーチに暴力の行使を禁じたこと、選手会のストのときにチームの選手会長におもうとおりにやれと激励したこと、自分と自分の家族のためにのみ戦えと言いつづけたこと。
地域の財界などへのすり寄りをせず、マスコミにも機嫌取りのサービスをしなかったことなどは、彼の不評の元になり傲慢だといわれる原因となったが、みんな同じ文脈の中にあったような気がしている。
誰もに好かれる人間でないことは良くわかるし、私もそばにいたらいやになるかもしれないと思う。
でも、少し離れて見ればやっぱり面白い。
監督もコーチも優勝争いの最中に解雇同然の扱いを受けた。しかし選手たちは何事なかったかのように仕事を続けていたのがおかしかった。
そのことだけでも、落合という監督の並々ならない実力が分かる。
できれば日本シリーズでも勝たせたかったが、3-4で負けという結果がちょうど良かったような気もしている。
チームとしての力の差は歴然としていたし、それにもかかわらず、ちゃんと勝ち負けがどちらに転ぶか分からないところまでは持っていったから。

先日、年寄りばかりで日帰りの旅に行った。貸し切りバスの中で、一年ぶりにあった古い友人と四方山話をした。日本シリーズの始まる日だったので、落合について話した。
「落合が好きという人間にはじめて会ったよ」と言われた。
「こいつは昔から人柄も、まっすぐな性格もいいのだが、物事に対する見方が少し浅薄なところがある」と私は笑顔のまま心の中で毒づいた。
その話とは関係なく、仲良く一日を過ごしたので、翌日彼は自分の家になった柿を30個ほど持ってきてくれた。



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かすがい

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手紙や葉書には反応なし、メールをだしても用件しだいで数回に一度の割でしかレスのなかった息子から、孫の写真や動画が数日に一度の割合で送られてくる。妻は大喜び。
「孫は鎹」というところか。
もっとも、先月、夫の出張に合わせて2週間里帰りしていた娘は、その後しばらくマメに写メールを送ってくれていたが、ぐっと表情も豊かになり面白くなり始めたのに最近は、ぐっと連絡が減ってしまった。
春からの保育園探しも始まった。忙しくなるとそれどころではなくなるのか。

私や妻の周りには、共働きの息子や娘に頼まれて孫の面倒を見ながらその苦労をこぼす知人が少なくない。
私たちがその仲間入りをするのもそう遠くないかもしれないのだが、今はもう少し頻繁に孫の様子が知りたい気もしている。

立冬を過ぎて

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「きつぱりと冬が来た」で始まる高村光太郎の詩を中学生の私に教えたのは、小学校からの友人Sだった。彼は5人兄弟の末っ子で兄や姉を見ながら育ってきたからその言動の万事に早熟な感じがした。
Sは一時期高村光太郎が好きで、ほかにも道を歩きながら時々「
人間よ、もう止せ、こんな事は。」と叫んだり、「僕を一人立ちさせた広大な父よ 僕から目を離さないで守る事をせよ」とつぶやいたりした。
私は、光太郎の詩に感動するというよりは、むしろ困惑することのほうが多かったが、それでもいまだに彼の詩の一説をそらんじることができるのは、紛れもなくSのおかげだ。
通勤の途中のラジオで立冬という話を聞いて、職場でケヤキの話になった。
十日前に始めて訪れた息子の嫁さんの実家は、武蔵野台地のやや奥まった辺りにあり、周囲は昭和30年代に開発された団地や住宅街が、明治以来の東京郊外の風景と混在して雑然とした懐かしい
雰囲気を漂わせていた。嫁さんの実家のすぐ隣の空き地のかどには、寛政年間に道の辻に置かれた道祖神の石の祠が残っていた。
何棟も続く四角い箱型の団地の遊歩道にも、少し離れたころにある関東に少しは名の知れた古いお寺の境内にも、見上げるようなケヤキが大きく腕を広げていて、木の葉はようやく色づき始めていた。やがてこのたくさんの葉は黄色く色づき、晩秋の静かな雨のような音を途切れなくたてて歩道や境内の降り注ぎ続けるのだと思った。
そんなことを思い浮かべながらケヤキのことを口にしたのだけれど、冬空に伸び上がって手を広げたようなケヤキの姿を具体的に思い浮かべることのできない人が何人もいて、そういえば、都市部や郊外ではケヤキの木はどんどん刈られていると、もう数十年も前に何かで読んだことを思い出した。

息子の嫁さんからおととい初めて私宛の写メールが届いた。小さな赤ん坊が別々の人生を送っていたもの同士を結び付けていくのだと、その穏やかな寝顔を見ながら思った。