胡〇の部屋

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テレビドラマ『胡桃の部屋』を、続けて観ている。

その生前にはほとんど関心のなかった向田邦子の作品に興味を持つようになったのは、このブログを通じてお付き合いのあった方の影響ではなかったかと思う。
その方もブログを閉じられ、そのせいというわけではないが、向田邦子の作品を目にすることもなくなった。

久しぶりの向田作品(脚本はリライトされている)はなかなか面白い。
家の中や町の風景、人物の造形が、1980年代を丁寧に映しているような気がして、そういう楽しみ方もできる。
恋人や不倫相手との電話連絡が、公衆電話から職場にかかったり家にかかったりするところが面白い。
確かに昔は、かけた電話に誰が出るかわからない緊張感がいつもあった。

もうひとつ『華和家の四姉妹』も見ている。柴門ふみのコミックが原作だそうだが、描かれている時代は現代である。
マイペースで強いように見える主人公が、誰もいない部屋で死んだ母の携帯に電話をかけて一人泣くシーンなどは、向田のドラマでは描かれようがない。

この二つは時代もストーリーも違う。けれど、しっかり者の良妻賢母が守っていた、亭主関白の大黒柱の夫のいる、平和で幸せそうな家庭の、家族それぞれの心の中の隠された部分を描いているという点では、同じようなテーマといえないことはない。

年のせいか、あるいはドラマ作りの手法からか、私には『胡桃…』のほうがしっくりときて面白い。

いずれにもせよ、二つのドラマを見比べて、時代の違いよりも人間の弱さや危うさがいつになっても変わらないものだということを強く感じてしまった。



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鎮魂の言葉について

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今日は、日本では終戦記念日。
欧米やロシアでは、むしろ9月の2日3日だという話もある。
テレビでちらりと、式典の様子を観た。
そして先日のテレビで、御巣鷹山の慰霊行事に参加した、日航機事故の遺族の言葉がテレビから流れるのを観他ことを思い出した。

鎮魂の言葉として、二人の方の言葉が特に心に残った。
記憶をたどってのことばなので、正確な再現ではないが、書いてみたい。
一人は中年過ぎの女性で、お子さんが亡くなったらしい。
 ”ここに来るとあの子の傍に来た想いがします。あの子に「また来たよ、これからも来られる間は来るからね」って語りかけています。”という風な話だった。
もう一人は初老の男性で、震災の事故や福島原発の事故に思いを寄せていた。
 ”思いもかけない出来事で、突然に命を奪われたという点では、亡くなった方や残された方の想いは私たちの場合と同じだと思います。安全だと根拠も無く信じていた無念さという点でも。そうしたことを繰り返してはいけないという気持ちもこめてお参りしました。”
詳細は違うかもしれないが趣旨はそのようなことだと私は聞いた。
そういえば、あの日航機の事故についても、少なくない遺族はその真相の解明についてまだ政府や航空会社の説明に納得してはいない。

鎮魂とは、なくしたものを忘れられない自分の心に寄り添うことであり、人々の無念と悲しみと怒りを糧として未来に向き合うことだと、改めて思ったのだ。
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夜明け

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昨夜は10時ころ、睡魔に負けて轟沈した。
そのせいで、朝4時半に目が覚めた。
布団を抜け出して書斎に入り、庭に向いた掃き出し窓を開け、扇風機をつけた。
まだ外は薄暗い。ひところに比べ日の出が遅くなったと実感する。
昨年の秋口にクーラーが壊れたまま直していない。地震が無ければ暑くなるころには付け替えているところだが、今年はこの部屋は扇風機で過ごしてみようとの決意が続いている。

ネットでニュースなどを見た後、網戸越しに改めて明るくなった庭に目を移して、我が家の白猫が声も立てず窓際にうずくまっているのに気づいた。
私の動く気配に、庭を眺めていた視線を回して顔を見上げたが、今朝はニャーとも鳴かない。
居間に回って、テラスの窓を開けてやったら、黙って飛び込んできた。
さっさとえさ入れの前に座るので、えさを入れて私は書斎に戻った。

網戸越しに忍び込む外気はまだひやりとしているが、今から暑い一日が始まるのだと思った。
もう何日もの間、なにやらやる気も出ずだらだらとすごしていて、心はちっとも安らがない。

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オーストラリアの思い出

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このブログをはじめる数年前のこと、10代後半の女性10名弱を連れてオーストラリア東部にホームステイしたことがあった。
7月下旬から8月上旬にかけて2週間あまり滞在したが、ある日、私たちの世話をしてくれているオーストラリア人から、知り合いが勤めている小学校を訪問してほしいと頼まれた。
その人の知り合いの小学校教師は、いつも8月6日前後に決まった教材を使って授業をしているのだという。
それが「原爆の子の像」のモデル、佐々木貞子さんのエピソードだった。
私と一緒に行った若い日本人女性たちは、しかし、全員が「貞子」というと『リング』の「山村貞子」しか知らなかった。
私は、小学校に向かう前に、彼女らに佐々木貞子さんについておおよその話をしなければならなかった。

私たち日本人の多くが被爆体験を世界に広げ伝えるという「責任」を放棄している間に、遠いオーストラリアでこつこつと佐々木貞子さんの話を小学生たちに語り伝えているオーストラリア人の教師がいたことに、私は感慨を覚えた。

日本人は、核の恐ろしさについてまた一つ伝え広めるべき「責任」を負ったと思う。
一つの「責任」を自ら忘れたことがどのような悲劇を生み出したのかも含めて。

8月6日にちなんで思い出し、考えたこと。

訪問

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娘の部屋を妻と一緒に訪ねました。
親戚からのお祝いや庭で取れた野菜と戴き物のスイカ、我が家に置いたままになっていたオムツなどを届けるという用事を作って、訪問したのです。
3週間ぶりに顔を見る孫は表情も豊かになり、ぶくぶくと太り、覗き込む私や妻の顔をじっと見つめてその動きを目で追うようになっていました。
娘は、昼食前に目医者に行きました。昼食時に婿殿から私たちによろしくとのメールが入り、午後もう一度娘は買い物に出かけました。
娘はよく食べ、元気いっぱいでした。
しかし妻は、ああして子どもと終日家にこもっているのは結構きついのではないか、時々来てやりたいし、時々あの子がうちにも来ればいいのよ、と帰りの車中で何度かつぶやきました。
観光地をまわったわけでも、ショッピングをしたわけでも、評判のエンタテイメントを観たわけでもないのだけれど、初めての訪問は、なかなか充実したイベントでした。