雨音がし始めた

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午前三時前に目が覚めて、しばらくは眠ろうと努めたが果たさず、パソコンに向かっている。
扇風機の風に当たりながら画面を見ていたら、音がし始めた。
気がついてなんだろうと考えたらすぐに、雨が降り出したのだとわかった。
ネットのニュースで福島県などで亡くなった方が出ていると読んだばかりだったから、その豪雨の尻尾が届いたのかと思いながら、闇の中に広がる今は静かなその音に、ちょっとの間聞き入った。
脈絡のない想いがどんどん広がっていく。

たとえば、孫娘が生まれたことで、自分にはどうにもできないことなのに、漠然と不安が広がったこと。
今は元気なあの子がたとえばこの先病気や怪我をしたら、どれほど不安で苦しいことか、などと想像してしまうのだ。
大切だと思えるものがるということは、苦労や苦しみを抱え込むことだと改めて思う。

かけがえの無いものを失った悲しみに打ちひしがれている人々が何万もいること、今もなお姿の見えない恐怖の広がりにおびえている人々が何十万もいて、しかも増え続けるだろうことを考えた。

それでも、愛するもの大切なものがあることは幸せなことなのだとも思った。



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蝉のこと蜂のこと

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斎藤隆介『半日村』という本があるそうです。
我が家の庭のスモモやさくらんぼの木が大きくなって、いまや妻の生きがいにもなっている畑を覆うように枝が広がっています。
妻は、「これではまるで『半日村』だわ」と、しょっちゅうこぼしています。そして、暇があると、スモモと桜の枝を切ってくれといいます。
妻が実家に戻った昨日の午後、雨が上がったので、4mほどの枝を一本切り落としました。
切り始めると蝉やカナブンやその他の良くわからない虫が一斉に飛び立ち、落ちた枝を切り分けてみると、いたるところにさまざまの虫の巣や卵のようなものがついていました。
こんな小さな木でも、虫たちにとっては一つの世界なのだと思いました。
蝉の抜け殻がいくつもついていたので、先日見たテレビ番組を思い出しました。蝉は木に卵を産み、孵化した幼虫は数年土にもぐって木の根元で暮らし、やがて木に登って脱皮して成虫となるという話です。
この枝を切ったことで、たくさんの蝉の卵が死ぬのかななどと思いました。
このテレビの話でもう一つ面白かったのは、蝉の成虫は実は一月ほども生きることがあるという話でした。
「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」という芭蕉の句のように、蝉の成虫は短命で知られ、その鳴き声がうるさく激しい分だけ、短いものはかないものの象徴のように思われてきました。
およそ一週間で死ぬといわれていて、だから『八日目の蝉』のタイトルもあるのです。
ほかの本と平行して、今原作を読んでいるところなのですが、著者の角田光代はこの事実を知ったらどうタイトルを変えるかななどと考えて、おかしくなってしまいました。
虫といえば、足長蜂の後日譚です。
先日「愚行」のタイトルで、毎日テラスの隅の蜂の巣を落としていると書きましたが、蜂たちと私はその後も一週間以上同じことを繰り返していました。しかし先日いつものように巣を落としたら、しばらくして足長蜂があたりを何匹も飛び回りました。いつもは、一旦姿を隠した後はすぐ同じ場所に集まっていたので、様子がちょっと違いました。新しい場所を探す気になったのかも知れませんが、テラスの屋根の下の空間を飛び回られては困るので、ついに蜂とり用の噴霧剤を取り出して、飛んでいる蜂にかけました。蜂たちは驚いてどこかに行ってしまいました。薬が効き、庭に落ちて死んでいるかもしれません。
その後はもう蜂が元の巣の跡に現れることはありません。
巣の後が小さな黒い点になっていますが、それを見るとちょっと淋しい気分がしています。



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真夜中に

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昨日のシロは、居間の整理ダンスの上で終日眠っていました。
妻はほとんど一日所用で出かけていました。私もお昼前に出かけて軽食喫茶の冷やし中華を食べ、二つほど買い物をして二時間後に帰ってきたら、出かけるときと同じ場所に同じ姿勢でシロが寝ていました。夕方妻が帰宅したときも同じ姿勢でした。
そのせいか、夜の八時ころになって外に出せと鳴きました。
そのまま今夜は外で過ごさせることになると思いつつ、居間の掃き出し窓からシロを出しました。
私は早々と睡魔に襲われて九時には寝てしまったのですが、そのせいで午前零時に目が覚めました。
風呂に入り一息ついてから書斎に来て庭に向いた掃き出し窓を開け、網戸にして夜風を入れながらパソコンに向かって昨日のニュースなどを読んでいたら、暗闇からニャーと呼ぶ声が聞こえました。
シロが網戸の向こうで私を見上げていました。
居間に回って窓を開けると、ニャーといって飛び込んできて、早速えさを求めました。
えさを与えて、私は書斎に戻ったのですが、こうした紛れのない会話の成立に、ちょっとした充足感を感じたのでした。
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連想

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なでしこジャパンの優勝をtwitterで追いかけていたら、風の谷のナウシカが出てきて面白かった。

「そのもの蒼き衣をまといて金色の野に降り立つべし
 失われた大地との絆を結び
 ついに人々を青き清浄の地に導かん」

試合後の表彰セレモニーでグランド一面に金色の紙ふぶきがまかれた。
その景色を見て、「ナウシカ」の中の言葉を思い出した人がいたというわけだ。

連想は、敷き詰められた金色となでしこジャパンのユニフォームのブルーにだけ由来するのではないだろう。
「失われた大地」という言葉の持つ寓意にも人々の思いはつながっているに違いない。

「ナウシカ」はとりあえず核戦争後の世界を連想させたが、原発事故後の世界もまた、同じ姿だと私たちは気づかされつつある。

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愚行

テーマ:
朝起きるとテラス側の掃き出し窓を開け、張り出した屋根の付け根を見るのが習慣になってしまった。
一月ほど前に、足長蜂が巣作りを始めたのを娘が見つけて騒いだ。
夕方洗濯物を取り込んだあと、ホースで水をかけてまだ形も定かでない巣を洗い落とした。1・2匹の蜂がいたが、あわててどこかに飛んでいった。
翌日また娘が、蜂が巣を作り始めたよといった。
見ると、蜂の数が少し増えて、巣のあった辺りに集まり頭を寄せ合っていた。
妻が笑って、「山田さん、どうしましょうか。木下さん、もう一度始めるしかありませんね」などと蜂たちの仮想の会話を演じて見せた。
一日置いておいたら、蜂の巣は少ししっかりした形を見せ、巣の穴が見えるようになっていた。
また夕方に、水で吹き飛ばした。

なんと、もう一月の間同じことをほぼ毎日やっている。
蜂の数は少し増えて、今は常時5・6匹が集まっている。
水をかけるとずぶぬれになり戸袋の上などに落ちるが、必死に壁を這い上がったりしている。そして巣が落ちてしまうといったん姿を消してしまう。
翌朝に確認するとまったく同じ場所にまた集まって巣を作り始めている。
私は、朝とか夕方とか、洗濯物がない時間を見計らって水をかけて巣を落とす。

娘と二人で、「なんだか物悲しいね。どこか遠くに場所を移せばいいのに。」「われわれの生活の営みも、超越的な存在から見たらこんなものかもしれないね。」などと厭世的な気分になったりした。

「愚公山を移す」という故事を、大学時代によく耳にした。毛沢東が教訓として引用したという。
しかし蜂たちはついに巣を完成することはできないだろう。

私の行為は紛れもなく愚行だと思う。本当に追い払いたいのなら、殺虫剤を散布すればいいことなのだ。
では蜂たちの営為は愚行なのだろうか?
そうするしかほかに生きようがないのだとしたら、それは愚行とはいえないという気もする。

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夏の記憶

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「朱夏」という言葉があるけれど、私の夏の色は白です。
強い日差しに照らされて景色のすべてがシロっぽく見えるのを、ほの暗い家の中から開け放たれた縁側越しに眺めていた、50年も60年も前の記憶が私の夏の印象の原点です。
その風景が実際に見えたことか、昼寝の際に見た夢の中のことkはもう確かめるすべもありません。

石川セリの「八月の濡れた砂」という歌を思い出しました。
切なくて心にしみる夏の歌です。
夏の白い陽射しの下の静寂と悲しみをうまくうたっていると思いました。

そういえば「太陽がいっぱい」という映画もありました。

書斎から見る庭には、朝の太陽の光がくっきりと木々の影を映しています。しかしもう、夏至のころに比べれば入射角が目に見えて小さくなり始めてます。

妻は小さな用事を作って毎日娘に電話をかけ、一日に何度も携帯に入れた孫娘の動画を見ています。



母性ということ

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私の母は60まで生きた。だからたくさんの記憶を私は持つことができた。
堀口大学は幼いころに母を亡くしたので、年を経て「母の声」という詩を作った。

  
――母は四つの僕を残して世を去った。
     若く美しい母だったそうです。――
 

 母よ
 僕は尋ねる
 耳の奥に残るあなたの声を
 あなたが世に在られた最後の日
 幼い僕を呼ばれたであろうその最後の声を

 三半規管よ
 耳の奥に住む巻き貝よ
 母のいまはのその声を返へせ

「幼い僕を呼ばれたであろうその最後の声」というのは、堀口大学の希望であり幻想かもしれない。
私は母の最期に立ち会ったが、母は最期には自分を奮い立たせようとしていたような気がする。そのことに思い至ったのは、臨終に立ち会ったある方の強く優しいまなざしに映った、けなげなお母さんの姿をを、その方のブログで拝見したからだ。

 しかし、誰を呼ぶ声であろうとも、「三半規管よ 母のいまはのその声を返へせ」という堀口の切ない思いに、私の心は共振する。

 そんなに母親のことを思い出すのには、もう一つ理由がある。
 出産した娘とそれを見守る妻の姿を見ていて、なるほど母親とはこういうものだったのかと、改めて思ったのだ。


 「三半規管よ 母のいまはのその声を返へせ」というフレーズに出会ったのは、たぶん高校生か大学生のときだった。
 まだ母は健在で、しかも私はその言動を時には疎ましく感じたりもしていたのだが、それでも、いつかはこの言葉を心に思い返す日が来るのだと、強く印象付けられたのだった。
 

節目

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娘の滞在も3ヶ月になった。その間に家族が一人増えたが、明日彼女たち二人は自分の棲家に帰っていく。

戻ってくるかもしれない平穏もちょっと待ち遠しいが、日ごとに表情が豊かになり、なにやら語りかけてくるようなまなざしを見せるようになった孫娘のことは、毎日気になるかもしれない。
たぶん大丈夫だろうと思いつつも、相変わらずもたもたと及び腰に見える娘の子育ても、妻はちょっぴり心配している。

今朝は早く起きて庭のスモモの実を取った。
2週間ほど、三人で飽きるほど食べたし、庭に落ちた実はあたりを覆い、今は強い醗酵臭を漂わせている。
この時期に家にいることはなかったので、娘はこの実を今回の里帰りではじめて食べたらしい。
ひどく喜んで毎日食べていたから、東京に持って行かせようと思ったのだが、二日続いた雨で熟れた大きな実はほとんど落ちてしまっていた。
採り納めと気持ちを決めて、枝先ごと切り落とし、比較的しっかりした実を選んで、台所で洗った。
30個ほど袋に入れて、冷蔵庫にしまった。

明日は車で送っていくので、こんなつまらないものでも、荷物にはなるまい。

そういえば、昔帰省をするたびに、東京に向かう私に母がなにかと土産を持たせようとした。
電車を乗り継いでかえるのだし、駅から下宿までも遠かったので、重くてかさばる生活用品や食品などを持たされそうになるといやになって、断って置いてきたりした。
その母のことを思い出した。

夏の朝

テーマ:
一週間ばかり、仕事に追われて心が休まらなかった。
今日未明に、今日までの仕事が一応めどがついて、数時間ひと眠りしたらすっきりと目が覚めた。
風呂に入っていたら、妻が、ゴーヤの実がなったと報告に来た。
今年は節電対策で、テラスにネットを立てかけて這わせてみたが、あっという間に大きくなってなかなか頼もしい。

テレビから梅雨明け宣言はまだ聞こえてこないけれど、外の気配も私の心もすっかり夏模様だ。

梅雨の晴れ間

テーマ:
私の住んでいる地方では、「梅雨の晴れ間」といわれながら、30度を越える真夏日がもう何日も続いている。

書斎からぼんやり外を見ていて、庭の片隅で紫陽花が青く咲いているのに昨日気づいた。

孫娘は、泣くか眠るか母乳を飲むかしかできないと思っていたら、ここ数日、起きていてしかも機嫌よくあちこち眺めるようになった。
目はまだはっきりとは見えていないような気がするが、表情が豊かになり、眺めていて飽きが来ない。
来週には東京のアパートに戻って、親子三人暮らしに入るという。

梅雨が本当に明けるまでに、もう一度降るのかこのままもう夏につながるのか、そんなことを気にしながら、娘と孫の居た数ヶ月の生活がその夏はどう変わるのか、いぶかしがる気分で考えている。

妻は、昨日から実家へ。
義父は『デンデラ』を観たいといっていた。同行することになる妻は暑いし大変なので嫌がったが、義父は何とか観たいという。
理由は、「高齢者がどう生きるべきかを考える手がかりのひとつにしたい」
妻は「何を考えているのか」とちょっとあきれ気味だった。
94歳のの義父の言葉としては、妻に同情しつつも、私はいささか感動してしまった。
なにやら、かつての美女たちがわさわさ登場して血しぶきの飛ぶ映画らしいが、そしてそれもまた妻が嫌がる理由のひとつだが、まもなく出かけることだろう。
外は穏やかだがひどく暑い。
二人の無事な帰還を祈るばかりだ。

娘と孫は、あてがわれた部屋でひっそりとしている。

私は、来週までの仕事が迫ってきていて、とても憂鬱だがこれから娘と私の昼食の用意である。

老人とブログの海