梅雨

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ドアの向こう、廊下を挟んだ客間で赤ん坊が泣いています。
数日前に我が家にやってきました。
その子の父親が東京から駆けつけ、今朝まで母親と協力して、入浴やら授乳やら一部始終に付き添い手を貸し見守りました。一週間休暇をとっていたのですが、明日から仕事なので、今日の昼前に帰りました。
婿殿がいてくれたので、祖母である私の妻は世の中の常とは異なり、赤ん坊にはほとんど手を出さずに遠くから見守るだけでした。
私は、一日に一度か二度赤ん坊の顔を遠くから見るだけで、この5日間、仕事のほかはもっぱら小梅の収穫と処理に全力を注いでいました。
小梅は5.5キロほど収穫し、そのうち3キロは梅漬けに、2キロはシロップ作り用にしました。
関東は昨日あたりに入梅だったでしょうか。
昨日は静かな雨でしたが、今日は静かな雨に混じって時々強い雨が降りました。

赤ん坊が来たことで、いろんなことを思い出します。
自分が子どもだったときのこと。
父や母の思い出。
子育ての時代。

今日はじめて赤ん坊を持ち上げてみましたが、その小ささ軽さ、存在のはかなさと、大声で泣く自己主張の強さに驚きました。
生まれたときから自分の子どもを見てきたと思い込んでいましたが、娘の出産前後からそばにいてみると、私は妻の出産前後の様子も、生まれたばかりの子どもの様子も、実はほとんど知らなかったのだということに気づきました。
実家任せ妻任せで、一ヵ月後の妻子の帰宅後、ようやく私にとっての子育ては始まったのでした。
娘の夫君の今の姿勢は、私にはまったくなかったものですが、彼自身にとっていいことだなと思いました。

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二人の「土井」

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唐突な話しだが、ネットのプロ野球のニュースにこんな文言があった。
「爆発の予感はあった。18日、土井ヘッドコーチから助言を受け、目の前で力を入れずに球に力を伝えるスイングを実践してもらった。「土井さんの打ち方を見 て、バットが自然に出るようになった」。力まずバットのヘッドを走らせることができるようになり、恩師の指導以降、打率は5割。効果は絶大だ。」
昨日私のひいきの中日に勝った西武の、中島選手の活躍に関する記事だ。
この「土井」とはどの土井かなと、およその見当はついていたが、確かめたくなった。
私が記憶している野球選手「土井」は二人。
一人は巨人軍の名セカンドで、後にオリックスの監督になった土井正三。コーチとしては優れていたという評価もあるが、イチローの才能を見抜けずその力を引き出せなかった監督として名を残した。別のエピソードも伝えられているが、指導者は結果がすべてという非常な現実が、その経歴から見えてくる。
もう一人は、無冠の帝王といわれた土井正博。今日のニュースに出てきたのはこの人物だった。
今は消えてしまった近鉄というチームのスラッガーだったことは覚えているが、その後時々いろんな場面で名前を見ているうちに消えてしまったと思っていた。
土井正博はついに「無冠」のまま終わったのだと思っていたら、今日調べたら、ニックネームがついた後になって、一度念願のホームラン王をとっていた。二代目「無冠の帝王」たるべき清原とはそこが違う。
清原が土井正博の指導を受けた時期があったこともはじめて知った。
土井正三はまだ若いのに病魔に侵され、数年前に死去した。
土井正博は大きな浮き沈みを経験したが、また復活している。
人生はさまざまだと思った。


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昨日の朝

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娘に長女が誕生しました。
未明に起こされて、私が車を運転し、妻が産室まで付き添いました。
自分の子供のお産の時には妻の実家にお任せでしたから、廊下で待つのも初めての経験でした。
看護師が、もうすぐですよといってくれたので、娘の夫君に電話しました。10回以上呼び出しただ出てくれました。
可能なら出産に立ち会うつもりだったかれは、前夜には、娘からまだ少し後と聞いていたようで、早朝の電話に驚いていました。
その30分後には生まれましたので、もう一度電話をしたら、今度はすぐ電話に出て、できるだけ早く駆けつけます、とのことでした。
孫娘の誕生は産院に来て一時間後の4時半過ぎ。
医者は来ず、助産師の手で生まれました。
わけの分からない私には、あっという間のお産という感じでした。
娘の夫君は9時に到着しました。

娘もその娘も順調なようです。
何の屈託も無く眠っている赤子の顔は、とても不思議なものです。
この後何十年もの人生が用意されているかもしれないと思うと、私にはまったく手の及ばないそれを想像することが怖いような気もします。

自分のことならば、そこそこの覚悟はできますが、この新生児については、神に祈るしかないという感じです。
親である娘夫婦は、また私とは違った感覚で自分たちの子供を見ていることでしょうけれど。
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皐の夜に酔いしれて

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寒くも無く暑くも無く、快適な夜の真っ只中で頭の芯がしびれるような気分で酔っている。
先週の週末に娘の夫がやってきて、一泊して帰っていった。
前回はそれをいいことに久しぶりにたらふく飲んだが、今回はたまっている仕事のせいで、ほんのお付き合い程度。
そして今日、先ほど仕事の峠をとりあえず越えた。
後は寝るだけなのでビールを飲み始め、早く効くようにウィスキーを混ぜたら、さほどの量で無いのにぐいぐい酔いが回った。
若い女性タレントが自殺をした。
私のそばにも、死にたいと一度は口にし、今でも周期的に鬱の症状に駆られるので気がかりな友人(かつてのクライアント)がいる。
3.11いらい、能天気な私でさえいつも心が沈みそうになる。
あれこれの事情はあったろうが、件のタレントも、3.11が無ければまだ生きていたのではないかと、何の根拠も無く思ってしまった。
震災それ自体の悲しみもさることながら、福島原発のことが心を重たく押し付けてくる。
かつてこの国が出口の無い戦争に迷い込んだ、15年戦争の日々を想像した。
あの時も、国の政治を仕切っていた人々は、情報を隠し操作し、人々を絶望の淵に誘い込んで行ったのだったが。
「ほしがりませんかつまでは」の標語が、節電の呼びかけと重なってしまう。

それにしても、新しい命の誕生に心を躍せるべきときにまた、なんと悲しい巡り会わせだろうか。
私はかの戦争の真っ最中に生まれたのだが、今はなき父母は私の誕生を、不安に思わなかったのだろうか。




桜桃を摘みながら

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娘と二度目の桜桃採りをした一昨日は、実を摘むのではなく高枝バサミで枝先ごと切取った。
手の届くところの実が少なくなっていたし、広がりすぎた枝を減らすことを考えてのことだった。
切り落として台の上に置いた枝から、娘が実を外しながら、「この前来たときはまだ実が青かったから、今度彼が来たらサクランボの赤い実が木にびっしりとついているところを見せたかったんだけど、どうせ落ちてしまうんなら仕方がないよね」とつぶやいた。
自分の心が動いたとき誰に告げたいと思うか、それがその人の想いありようを示している。
娘がだんなを信頼し彼に深く心を寄せているのだと、改めて思った。

たまたま今朝、俵万智の歌をさまざまの読者がそれぞれの思いでひたすら連ねるツィッターと出会った。

 二週間先の約束嬉しくてそれまで会えないことを忘れる
 日曜はお父さんしている君のため晴れてもいいよ三月の空

というような歌と
 
 もう乳はいらぬと舌で押し返す小さき意志は真珠の白さ

というような歌が隣り合って並んでいる様子を読み、一昨日の娘の呟きを思い出した。

新しく生まれてくる子にとりあえず父と呼ぶ子が居るということにではなく、母となる娘のそばにその子の誕生を一緒に見守る夫が居ることの安堵を感じている自分を、なんだか不思議に思ってしまった。

さくらんぼ収穫

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上の写真は前日の記事の際の様子。
下の写真は昨日夕方の収穫。
毎日少しずつ採っていましたが、そろそろ最後ということで、翌日の嵐の予報を聞いて少し多めに採りました。
老人とブログの海

老人とブログの海

桜桃

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さくらんぼの実が色づいている。
昨年は連休中にきた来客の子供たちに摘ませて、喜ばれた。今年は、先週彼女らが来たときにはまだ青かったのに、昨日あたりからかなり赤みが出てきた。

明日は少し摘めるかなと昨日思ったばかりなのに、申し合わせたように今朝、娘がさくらんぼのことを話題にした。

妻は先日から実家に義父の世話に行き、二泊していた娘のだんなも昨日帰って、今朝は私も娘も8時過ぎまで爆睡してしまった。
遅い朝食を作って娘に食べさせ、取り留めない話をしていたら、「私が入院する前にさくらんぼが食べられるかなあ」と彼女が言い出したのだ。

娘は先週くらいまでは洗い物などで妻の家事を少しは手伝っていたが、だんなが来たころからすっかり動きが鈍くなって、妻が出かけた後の私の炊事や洗濯、片付けはまったく手伝わない。
ひとつには、だんなといつも一緒に居たいらしく、二人にあてがった客間にずっとこもっている。もうひとつは、このところ急速に体がだるく疲れやすくなったという。
夫婦仲のいいことはありがたいことだし、体はいたわるに越したことはないので、私は一切家事をしろとは言わなかった。

高校卒業以来、さくらんぼがなるころに娘がこの家に居ることはなかった。だから娘のさくらんぼに対する思いは、懐かしい少女時代の思い出なのだろう。
これからも我が家のさくらんぼを食べることは、そんなにはないかもしれない。
娘には、さくらんぼに対する格別の思いがあるように思えた。

食後の片づけを後に回して、娘を誘って庭に出た。思いがけず軽い身のこなしで娘は私についてきた。
ざるを持っていって二人で、色づきのいいものを20粒ほど摘んで、食卓で食べた。

何度でも訪れてきそうだが、こういう時間は案外今日だけかもしれないと、ぽかぽかした日差しの下で並んでさくらんぼを選びながら、ふとそう思った。





来客があって

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ここ数年GWに訪れてくれる若い母子二組が、今年も来た。
年に一度会う子供の成長は目覚しい。

ひとりは我が家のある町の隣町に住んでいるが、もう一人は茨城県と千葉県の県境に住んでいる。
その、もう一人のほうが、子連れで里帰りしてきたのだが、こちらに来て一番うれしいのは地震がないことだという。
大震災以来余震が続いていて、このあたりでも数日に一度は、「あ、またゆれた」と思う。時には一日に何度かある。
だから、地震がないといわれて驚いた。
しかしなるほど、このあたりで震度2程度でも、彼女の家のある辺りでは震度4とかになってしまう。
余震が続くといっても、向こうでは到底こんなものではないのだろう。
大震災のときは、彼女の入っているマンションは実害はなかったけれど、あたりはごうごうとなんともいえない唸りで満ち溢れたという。

先日関西に住む弟と震災直後以来初めて電話で話した。
私は、こちらでは、風評被害や観光客の出渋りが続いて、いまだに町が重苦しく沈んでいる感じがある。そちらはどうかとたずねた。

ニュースで見るから、東北地方の苦労には同情もするし、福島原発については心配もしている。しかし阪神大震災の記憶はあるけれど、東日本大震災のことが毎日の生活を重たく抑えているという感じはなく、ごく普通の生活が続いている。

それが弟の答えだった。彼だけの感覚か、西日本の人々の大方の感覚か。
そういえば、阪神大震災では、関西に親族がいる私たちでさえ、やっぱりなんとなく他人事だったかもしれない。

震災後何年もたって神戸の町に行って、震災記念館の写真を見て思わず涙が出たのだったが。

震災のことはずっと気にしているつもりだったけれど、それでも、震源から遠ざかればそれだけ感覚にずれがあるのだと思った。
震災に直撃された人々の感じ続けている恐怖感はいかばかりかと、改めて思いやった。